【192】はじめてのレター編⑨ 〜スチールフォージ工房、再び〜
「はぁ……」
馬車の上。
アーシスは空を見上げながら、重たいため息をついた。
風は穏やかで、草原の香りが鼻先をくすぐる。
──けれど、その表情はどんよりと曇っている。
「あの……」
「ふぅ……」
ナーベの小さな声は、アーシスのため息にかき消された。
「……アーシス?」
問いかけても、返事はない。
「へぇ……」
少年のような快活さは影を潜め、今の彼は、まるで処刑台に向かう兵士のような顔をしている。
「……着きました、よね?」
「…………」
二人を乗せた馬車は、ニメタス村の入口に到着していた。
──のどかな牧草地が広がり、牛がのんびりと草をはんでいる。
アーシスは手綱を握ったまま下を向き、小さく呟いた。
「…………逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ……」
「……?」
ナーベが不思議そうに首を傾げた瞬間、バッ、とアーシスが顔を上げた。
「よし!……覚悟を決めたぞ!!」
「えっ?」
「逃げよう!!」
混乱するナーベを横目に、アーシスが手綱を握り直した、その時──
「ああーーー!!」
ビクッ!
耳をつんざくような甲高い声に、アーシスの肩が跳ね上がる。
恐る恐る振り返ると、そこには──
淡い紺色のショートウェーブの髪を揺らし、木炭を背負った若い女性の姿があった。
ゆったりとしたシャツに半ズボン、ブーツを履き、微笑んでいる。
「アーシスくん!久しぶりっ」
「あ、ども……リーネさん……」
そう。彼女こそ、スチールフォージ工房の次女──リーネ=スチールフォージ。
「い、いやぁ、奇遇ですね。僕らはその、たまたま依頼で近くに来ていて。……それじゃあ、失礼します!」
冷や汗を流しながら、アーシスはそそくさと馬車を走らせようとする。が──
「何言ってんの〜、寄って来なよ!ちょーどいいし、お姉ちゃんも会いたがってたんだよ!」
「いやいや、急にそんな申し訳ないんで……」
「いいからいいから、ま、来て来て」
リーネは笑顔で馬の鼻を撫で、軽やかに村の中へと先導していく。
(……詰んだ)
アーシスの顔色が青くなる。
ナーベは、ただ呆然と見つめていた。
◇ ◇ ◇
ヤトソ山脈のふもとに広がる、鍛冶の村ニメタス。
牧草の香りと鉄の匂いが混じり合うこの土地では、子どもたちが野原を駆け回り、遠くでは金属を打つカンカンという音が響いていた。
やがて、アーシスたちの馬車は一枚の看板の前で止まる。
《スチールフォージ工房》──
彫りの深い文字は丁寧に磨かれ、重厚な光を放っている。
ガチャッ!
リーネは勢いよく扉を開けた。
「ただいまー!姉さん、お客さんだよぉ、ふふっ」
「客?……誰だ?」
奥から響く低い声。
タッ、タッ、タッ……と床を鳴らす足音が響き、奥から一人の女性が姿を現した。
淡い紺色の髪をポニーテールに束ねた長身の女性。
鍛え抜かれた腕は光を反射し、腰には革のエプロン。
──スチールフォージ工房の長女、ライザ=スチールフォージ。
鋭い目をしたまま現れたライザは、アーシスの顔を見た瞬間──表情が一変する。
「なんだ!アーシスじゃないか!」
「……はは、ライザさん、久しぶりっ」
「ちょうど手紙を出そうと思ってたところだ。……ん?その子は彼女か?」
ナーベの頬が一気に桃色に染まる。
「いやいや、この子はナーベ。同じ学校の生徒で、一緒にギルドの依頼に来てたんだよ」
「……ふーん。……ま、そういう事にしとくか」
ライザはニヤリと笑い、二人を奥の部屋へ案内した。
「せっかく来たんだ、茶でも飲んで行けよ」
◇ ◇ ◇
工房と応接が合わさった広い部屋。
金属の匂いとハーブティーの香りが混ざり合う中、アーシスとナーベは木製の椅子に腰を下ろしていた。
そこへ、リーネがお茶を運んでくる。
「しかし、しばらく見ない間にたくましくなったな」
湯気の立つ渋茶を片手に、ライザは微笑んだ。
「そーかな?……ま、そーかな。……あちっ」
アーシスは熱い茶に舌を出す。
「ふっ。なあ、こいつ、なかなかすごいだろ?」
ライザが隣の少女へ視線を向ける。
「……アーシスは、すごい剣士です」
ナーベは照れながらも、小さく微笑んだ。
「ふふ、この村にも噂は届いてるよ〜。王都でのこととか、ネーオダンジョンの話とかね」
リーネが嬉しそうに声を弾ませる。
「そうだな、私たちの打った剣が役に立っていると思うと、嬉しいな」
「だね〜っ」
──ギクッ!!
アーシスの背中に悪寒が走る。
嫌な予感が、的中した。
「……どれ、ホワイトソードの状態を見せてみろよ」
ライザの低く鋭い声が、工房に響いた。
(つづく)




