【186】はじめてのレター編③ 〜森の影に潜むもの〜
チュン、チュン──。
小鳥のさえずりが、薄い朝靄をすり抜けてテントの中にも届いてくる。
「……ん、うん……くんくん」
片足がはみ出している寝袋がもさもさと揺れる。
──テントの外。
眩しい朝日が、岩肌を金色に染めている。
夜を照らしていた焚き火たちは黒い炭へと姿を変え、白い煙を名残のように上げていた。
その中央、薪を足した新しい焚き火の上で、鉄鍋がぐつぐつと音を立てている。
湯気の向こうで、お玉を手にしたナーベが黙々と鍋をかき混ぜていた。
「ふわぁ〜〜〜」
テントを押し開けて出てきたアーシスが、朝日を浴びながら大きく伸びをする。
「おはよー、ナーベ。早いな」
「おはようございます」
ナーベは微笑んで振り向くが、その目の下にはうっすらとクマが。
アーシスは気づかない。
「くんくん、……んん〜、いい匂い!ナーベ、朝ごはん作ってくれたのか!?」
「……はい、たいしたものではないですが……野草とキノコのスープです」
「うわっ、うまそ〜!食べていいか!?」
「はい、どうぞ」
素早く隣に座ったアーシスに、ナーベはスープをよそったお椀を渡す。
「いただきまーす!」
ふー、ふー、と息を吹きかけ、パクッとスープを頬張る。口に入れた瞬間、アーシスの目が輝いた。
「……んっっまい!!……なんだこの味、色んな旨みが出てる。まじでうまい!」
「そ、そうですか。……よかったです」
ナーベは照れくさそうに呟いた。
「ナーベは魔法だけじゃなくて、料理も出来るんだな!」
「い、いえ……たいしたものでは」
ナーベの頬がかすかに染まる。
「あ、そーだ。ナーベにも見せとかないとな」
お椀を飲み干すと、アーシスは立ち上がり、鞘を手に取った。
「??」
「じゃーん!」
アーシスが自慢げに掲げたのは、折れた剣。
「……これは?」
ナーベの眉が寄る。
「ほら、剣が折れたって言ったじゃん。マーメルさん、代わりの剣を用意する時間もくれないから、これしか武器ないんだよ」
「ど、どうするんですか?」
「まぁ、短いけど、なんとかなるだろっ」
なぜか自信満々に笑顔を浮かべるアーシスに、ナーベはあんぐりと口を開けた。
◇ ◇ ◇
パッカ、パッカ、パッカ……。
陽光を浴びて、馬車が街道をのんびりと進む。
遠くの丘では風車がゆっくりと回り、乾いた風が草の波を撫でていく。
ナーベは睡眠不足のせいか、心地よい揺れのリズムに誘われて、ふわりとアーシスの肩に頭を預けた。
その寝顔を横目に見て微笑んだアーシスは、手綱を軽く握り直す。
──その時。
ピクリ、と視界の端で何かが揺れた。
(……あれは)
アーシスはそっと馬車を止め、ナーベの肩をトントンと叩く。
「ナーベ、ナーベ」
「……ん……」
ナーベは薄く開けた目を擦る。
「魔物だ」
その一言で、ナーベの目がぱちっと開く。
同時に──自分がアーシスの肩にもたれていたことに気づき、顔を真っ赤にして飛び退いた。
「す、す、すみません」
優しく微笑んだアーシスは、前方の木々へと目線を移す。
「……あの木の向こう……何かいる。ナーベ、索敵出来るか?」
「……はい」
こくりと頷くと、ナーベは肩から下げた壺に手をかざし、静かに詠唱を紡ぐ。
──シュゥゥ……。
薄紫のマナがふわりと広がり、風に乗って森をなぞった。
「……います。あそこ、巨体の獣タイプが五体」
「……五体、か」
アーシスは短く息を吐き、素早く辺りを見回した。
「……逃げ道はない、な。──やるしかない」
折れた剣の柄を握り、視線だけで合図を送る。ナーベは無言でこくりと頷いた。
◇ ◇ ◇
森の入口へと続く茂みに隠れながら、アーシスは腰を低くしてゆっくりと進む。
魔物はまだ気づいていない──はず。
いつでも援護出来るよう、ナーベは適度な距離を取り詠唱の準備をしている。
湿った土の匂い、木漏れ日と影が入り混じる。
森の入口にそびえ立つ巨木の近くまでたどり着いたアーシスは、岩陰に身を潜め、ポーチから小さな木の実を取り出し、指先で軽く転がした。
カラ……ン。
木の根の前に転がったそれに、森の奥から反応が返る。
ザッ、
ザッ、
ザッ……。
重い足音が、ゆっくりと近づいてくる。
ゴク……。唾を飲み込んだアーシスは、折れたホワイトソードを握る拳に力を入れる。
──次の瞬間、影が動く。
木々をかき分け、獣が姿を現す。
「……!!」
筋骨隆々の巨体。灰色の肌。
手には大きな木の斧。
潰れた鼻に届きそうな大きな牙が、下唇からとびだしている。
「……オーク、か?」
アーシスのこめかみを汗が通過する。
遠くから視線を送るナーベの目が開かれる。
「あの肌の色……上位種、オークグレイ!?」
ズサ、ズサ。
オークグレイはよだれを垂らしながら、木の実へと近づく。
巨体を揺らし、喉の奥から低い唸りを漏らす。
(──今だ!)
アーシスは飛び出した。
折れたホワイトソードを振り抜き、死角から斬りかかる。
(もらった!!)
──しかし。
アーシスを見つめるナーベの顔が歪む。
「……足りない」
ザッ!!
剣先がかすめたのは肩口だけ。浅い傷。
「グギャアアアッ!!」
「くそっ、踏み込みが浅かったか!」
ギロッ。
着地したアーシスを獣の目が捉える。
「……剣が短い分、間合いもギリギリか……」
アーシスは折れた剣を両手で握り、構え直す。
──そこに、森の中から次々とオークグレイが現れた。
「……そういや、五体だったな」
苦笑混じりの独白。
茂みの葉が一斉に震え、風が抜ける。
乾いた草が舞い上がり、緊迫した空気の中で時間が止まった。
(つづく)




