どうやら昔話のようです【2】
「そう、ですね……私は彼女のことが好きでした」
「……今は? 今も前世のその女性が好きなのですか?」
真人さんは困ったように柔らかく微笑むと、すっと私に手を差し出した。
「ちょうどお昼どきですし、レストランに行きましょうか?」
なんだかはぐらかされてしまったように感じて私がじっと真人さんを見つめていると、苦笑が返された。
「少し長い話になってしまうのです。ゆっくり座って話したいのですが、聞いていただけますか?」
私は一瞬、手を取るのを躊躇ったが、今日は真人さんの気持ちを確認しようと決めたのだからと自分を奮い立たせ、真人さんの手を取った。そして優しく手を引かれるまま、レストランへと移動した。
レストランの席につき注文を終えたところで私がじっと見つめていることに気づいた真人さんがふっと笑う。そして真人さんは昔を思い出すようにそっと目を閉じた。
「随分と昔のことですが…………ある一人の鬼がいたんです」
「鬼? ですか…………?」
まるで人事のように話すが、おそらくそれは真人さんの前世に関係があることだろう。そういえば先日の真人さんの姿は頭に漆黒の長い角があったことを思い出す。
真人さんは苦笑を浮かべ頷くと、ゆっくり思い出すように話し出した。
いつからだろうか?
いつから私はここにいたのだろう?
気づいた時にはこの山でずっと一人で過ごしていた。
そしてどうやら私は他の妖より力が相当強いらしい。
退屈で面白みもない同じような毎日だ。
何処から話を聞きつけて来るのか、私に挑んでくる妖は大勢いた。名を上げるためだと、時には大勢で取り囲まれる時もあった。しかしそれも時間潰しにもならないほど簡単に倒せてしまった。
そうやって過ごすうちに挑んで来るものも少なくなり、私は大江山の大鬼と呼ばれるようになっていた。
何にも興味も関心も持てず、ただ毎日を過ごす。
本当につまらない。何の変わり映えもない毎日。
山でうるさく騒ぐ妖を倒し、そのものたちに襲われていた妖に感謝されることはあったが、ただそれだけだ。
私自身の心境に影響を与えるようなものはなかった。
自分にとって目障りなものを倒し、その結果助かったものがいたとしても、自分とは関わりがない。そう思っていた。
そしてあの日もいつもと変わらず、ただ目障りな妖を退治した。
そしてその結果助かったのは珍しくも一人の人間の男だった。この山はよく妖が出ることもあり、滅多に人間が入って来ることはない。
たとえ入ってきたとしても、大体物々しい数を引き連れ昼間のうちに通り過ぎて行くのだ。それに山の中心部まで入ってくることはなく、裾野のほうの外周を回るように通って行くだけだ。
だがその男は一人でこの山に入って来たようで、私がいつも寝床に使っている山の中心部の大樹のところまで入って来た。
もの珍しさから私が男の顔を覗き込むと、男はびっくりしたように後ずさる。
やはり人間にとっては私もその辺にいる妖の一人。恐ろしいという感情以外に思うところはないのだろうと、興味が削がれ立ち上がると、男が声をかけてきた。
「ま、待ってくれ! 助けてくれてありがとう。驚いたせいで礼を失するところだった。あんたは助けてくれたのにすまない……」
男は申し訳なさそうにそう言うと、頭を下げた。
「別に……」
私はそう言うと昼寝でもしようと大樹に腰掛ける。
すぐに立ち去るだろうと思っていたが、男はそんな様子もなく、こちらをじっと見つめてくる。
寝ようとしているところをじろじろと見られては気が散ってしまう。
「何だ? まだ何かあるのか?」
「あ、いや。妖は恐ろしい容姿をしていると思っていたんだが、あんたは美しい容姿をしているんだな。髪なんて光が当たると輝いて見える。」
思ってもみない言葉に面食らってしばらく男を見つめる。
(こいつは頭が弱いのか……?)
先ほどまで妖に襲われ、どれほど妖が危険なものか身を持って知ったくせに私に普通に話しかけてくる。しかもその容姿が美しいなどと……その神経を疑う。
私はため息を吐くとシッシと手を振る。
「容姿などどうでもいい。とにかくとっとと山を降りろ。お前のようなひ弱な人間、すぐ妖に襲われてしまうぞ」
「ありがとう。あんたはいいやつなんだな。妖も怖いやつばかりじゃないんだな」
男はニカっと笑って、そんなことを言ってきた。
呑気というか、恐れ知らずというか……そんなことを言われたこともなければ、こんなふうに笑いかけられたこともない。私はしばらく呆気にとられ男を見つめていたが、はっとして顔を背ける。
「いいから。とっとと帰れ」
「そうしたいのは山々なんだが、まだ帰れないんだ」
男は困ったように笑うと頭を掻く。
「実はこの山には薬草を取りに来たんだ。俺のおふくろの体調が悪くてな……この山の麓らへんに生えている薬草は刈り尽くしちまってもうないんだ。だから中まで入って来たんだが……」
「それであいつらに襲われていたのか? お前は馬鹿なのか? 危険だと分かっていて、なぜ一人で入ってくるんだ」
「だってな……身内の問題だし、用心棒を雇うような余裕もうちにはないからな。両親や嫁さんにも止められたんだが、あの薬草じゃないとおふくろには効かないんだ」
男は頼りない顔でフニャッと笑う。
私はこの山でずっと一人だった。親のことも知らない。
だからこの男が自分の身を危険に晒してまでこの山に入ってくる理由がこれっぽっちもわからなかった。
それでもこの男の幸せそうな、笑みを見ると、なんとなくだがそうする価値があるものなのかと思えてくる。
「本当に助かった。ありがとうな」
男はゆっくり立ち上がると、「うっ」と声を漏らし、顔を歪ませる。
男の足元を見ると、足首のあたりが赤く腫れている。
大方先程の妖に襲われ、逃げている時に足を挫いたのだろう。
私はため息を吐くとゆっくりと立ち上がり、男の前にかがみ込む。私は自らの手に力を纏わせると、男の足首にそっと当てる。すると柔らかい光の珠が浮かび、男の腫れ上がっていた足首が治っていった。
男はそれにを目を見開いて、驚いたというように見つめ、治った足をゆっくりと動かすとこちらを嬉しそうに見つめる。
「すげえ! すげえな! あんた! 足が治っちまった! お陰で薬草探しも捗りそうだ! 本当に何から何まですまないな」
男はキラキラとした瞳でこちらを見つめると、薬草探しを再開しようと意気込む。
「待て待て。お前は薬草探しをしていて、妖に襲われて足を怪我したんだろ? せっかく治してやったんだから、もうこのまま山を降りろよ」
私が呆れてそう言うと、男が力強く首を振る。
「いや! 足は治ったし、あんな怖い目したのに何の成果もなしで帰ったんじゃそれこそ何のために山に入ったのかわからないじゃないか! だから薬草だけは探して帰る!」
恐ろしい目にあったくせに、変なところで頑固な男だ……私はもう一度ため息を吐くと、男を自分の側に呼び寄せる。
足元を適当に見回し、目についた手頃な石を拾い上げると自らの力を石にこめていく。そうして手を開くとただの石だったものが黒曜石のように真っ黒に染まり、鈍く光る。
その石を男に差し出すと男は不思議そうな顔でこちらと石を交互に見つめる。
「これを持っていけ。私の力を纏わせた。おそらくさっきのような弱い妖であれば私の気配と勘違いして、逃げ出すだろう。逆に強いやつは力試しだと襲ってくるかもしれんがな」
そんな脅しをかけつつ男に差し出すと、男は嬉しそうにその石を受け取った。
「こんなもんまで用意してくれてありがとうな! あんたは本当にいいやつだな! でも今は何も持っていないんだ……だから今度礼に来るな!」
「そんなことはいいから。もうこの山には近づくな。今度こそ妖にやられても知らんぞ」
「俺のことを心配してくれているんだな! でも大丈夫だ! じゃあまたな!」
男は言いたいことだけ言うと、嵐のように去って行った。
なんとも騒がしい男だ。
あいつに石を持たせたことに他意はない。ただ自分が偶々助けてやった男が山の中でのたれ死んでは寝覚めが悪い。ただその程度のことだ。別に何かを期待し、あの石を渡したわけでもない。
どこか不思議な、少し興味が引かれた男だったから、安全に山を降りれるように、ちょっとした気まぐれで渡してやったのだ。
あの男は次の約束をして帰っていった。今まで誰かとあんな風に気軽に話したことはない。いつもは敵意を向けられるか、恐れられるかだ。だから少し気持ちがふわつくのかもしれない。
だが所詮は人間だ。人間はよく嘘をつく生き物だということを聞いている。だからあの男もそうなのだろう。きっと今日のことなどすぐに忘れてしまうはずだ。
そう思うと少し心がざわつくような気がして、私は頭を振る。今までと同じことだ。ただ今日は少し珍しい客が来ただけ。そしてきっとこれからも日常は変わらない。
「寝るか……」
私は考えを振り払うと、当初の予定通り、昼寝をするため木に腰掛けた。




