どうやら守ってくれているようです【7】
「なんだか最近、真人さんすごい過保護な気がする……私なんか誰も狙わないと思うけど……」
「そんなことないよ! 優希さん可愛いし、気をつけなきゃ!」
私より可愛らしい顔の二郎くんに言われても……と内心思いながらも、卑屈になると困らせるとわかっているので、曖昧な笑顔でお礼を言う。
駐車場から駅までそれほど離れていないので、話しながら歩いているとすぐに駅が見えてきた。
待ち合わせ場所は駅から一本裏に入った通りなのですぐそこだ。
「二郎くん、わざわざありがとう。もう近くだし大丈夫だよ」
「ダメだよ! 真人さんとも約束したし、伏見さんと会うまでちゃんと送るよ」
二郎くんは可愛らしくぷくっと頬を膨らます。その表情からこれは何を言っても無駄かなと思い最後まで送ってもらうことにした。
一本裏の通りへ行こうと角を曲がる。
そして角を曲がった数十メートル先に先輩の姿を見つけ、声をかけようとした。まさにその時だった。
先輩の後ろから出てきた人影が先輩の口を塞ぎ、そのままさらに奥の路地に引っ張り込んだのだ。
私は突然のことに一瞬呆然としたが、すぐに意識を取り戻し、大声で先輩の名前を呼び追いかける。
「香先輩!!!」
二郎くんも驚いて固まっていたが、私が走り出すとはっとして一緒に走り出した。
「今のって……」
私がその路地を覗き込んだ時には先輩の姿が見えなくなっていた。この辺の路地は入り組んでいて、いくつも分かれ道がある。
私は自分の体から一気に冷や汗が噴き出るのを感じた。
(どうしよう……あれは間違いなくやばい……早く見つけないと!!)
私は先輩の後を追おうと路地の奥に足を踏み出そうとして二郎くんに腕を引っ張られた。
「待って! 優希さん! 僕が追うから、優希さんはここにいて!」
「ダメだよ! ここで待ってなんかいられない! 私は先輩を探すから二郎くんは警察に行って! 確か駅ほうに交番があったから。お願いね!」
私は二郎くんの腕を振り払うと路地の奥へと走り出した。
後ろから二郎くんの呼び止める声が聞こえたがそんなことに構っていられなかった。
(どっち? どっちに行った?)
しばらく進むと分かれ道があり、分かれ道の先を見るが先輩がどちらに連れて行かれたか見当もつかない。
(どうしよう……急がないと先輩が……私がもっと早く待ち合わせ場所に着いてれば……)
悔やんでも時間は戻らない。早くどちらに進むか決めなければいけないが、もし間違ったほうに進めば取り返しがつかない。
『ワン! ワン!』
その時微かに犬の鳴き声が聞こえた。
「この鳴き声……大福くん?」
私は声のしたほうに進んでいく。
進むにつれて少しずつ声が鮮明になっていく。おそらく大福くんが場所を知らせてくれているのだろう。
3つ目の分かれ道を曲がったところで、大福くんの姿が見えた。
それはまるでこっちこっちと読んでいるようで、私は必死に後を追う。
そして狭く人通りが全く無くなった路地の奥で大福くんが止まったのを見て、あそこかとあたりをつけ必死に足を動かした。
「香先輩!!」
路地の奥は少し他の場所より幅が広くなっていた。そしてそこには黒い服に身を包み、帽子をまぶかに被った大柄な男が先輩に馬乗りになり口を押さえていた。
先輩は涙を流しながら必死に手足をバタつかせ抵抗している。
私の声に気づいた男は目を血ばらせてこちらを睨みつけてきた。
「なんだお前!! 俺と香の邪魔をするな!!」
あきらかに普通の状態ではない。私はその大きな声にビクッと体を震わせながらも自分を叱咤し、その男に向かって走り出した。
先輩を助けなければという思いだけで無我夢中だった。なんとか先輩から退かせようと体をぶつけて体当たりをしたが、男はびくともしなかった。
「せ、先輩から離れて!!」
男はキッと鋭い目を私に向け、立ち上がると邪魔だというように私のことを思い切り突き飛ばした。
私は体勢を崩し、路地の壁に強く背中を打ち付けた。
「くっ!!」
「優希ちゃん……」
その声に先輩に目を向けると先輩は私に駆け寄ろうとしているようだったがあまりの恐怖に腰を抜かしてしまったのか、身動きができないようだった。
男はずんずんとこちらに近づいてくると私を憎らしいというように上から睨みつける。
「お前、お前ウザいんだよ!! お前と香が会うようになってからおかしな奴らに邪魔されて、せっかく俺と会うために香が一人でいたのに! 香はずっと俺のことが大好きで俺と会うのを楽しみにしてたんだぞ! 俺と香は愛し合ってるのに……お前らのせいで会えなくなったんだ!!」
この人は一体何を言っているのか?
私は呆然と男を見つめる。
香先輩は血の気の失せた青い顔で頭を振っている。
香先輩は結婚してあんなに素敵な旦那さんがいるのだ。先日だってとても幸せそうに二人で買い物に来ていた。そんなことはあり得ない。おそらくこの男の妄想だ。
それにおかしな奴らに邪魔をされたと言っていたが私には何のことだかさっぱりわからない。
私は驚きと、背中の痛みで呆然と男を見つめる。その男は私に前にかがみ、私の襟首を片手で持つともう片方の手を振り上げた。次の瞬間、強い衝撃を頬に感じ、殴られたのだと理解する。
「優希ちゃん!! やめて! やめて!!」
先輩の泣き叫ぶ声が聞こえる。
私は殴られた衝撃で地面に倒れ込んだ。口の中が切れて、口内に鉄の味が広がる。
(痛い……怖い…………)
体が勝手に震えてしまう。それでも私は歯を食いしばった。
(でも……こんな身勝手なやつの好きにはさせたくない!)
私は男のほうを睨みつけると叫んだ。
「先輩はあんたのことなんて好きじゃない!! 先輩には愛する旦那さんがいるんだから! こんな身勝手な方法で怖い思いをさせて、何が愛し合ってるよ!!」
「この……!」
男の顔がさらに憎々しげに歪み、般若のような形相になる。
男がさらに私を殴りつけようとこちらに向かってくる。
私は次の衝撃に耐えようとぎゅっと歯を噛み締め、目を瞑った。
しかし、その衝撃がくることはなく、そのかわりに地を這うような怒気に包まれた低い声が響いた。
「彼女に何をしてる?……」
私は恐る恐る目を開けると、目の前に見慣れた背中があった。私を庇うように前に立ち、男の腕を掴んでいる。
私はその姿に全身から一気に力が抜けるのを感じた。
「真人さん?」
私が小さく呟くと私のほうに視線を投げ、こちらを見るとびっくりしたように目を見開いた。そして無言で男を突き飛ばす。私があれほど必死に体当たりしてもびくともしなかった男が簡単に突き飛ばされた。
男は尻餅を着き、驚いたように目を見開き真人さんを見つめるとそのまま逃げるように後ろにずるずると後退する。
真人さんはゆっくり男に近づき、男の前にしゃがみ込むと男の襟首を掴み、拳を勢いよく振り上げた。真人さんはそのまま二発三発と拳で殴りつける。
こちらからは真人さんの表情は見えない。しかしその背中からは隠しきれない怒気が見えた気がした。
いつもの雰囲気とはまるで違う真人さんの様子に私は驚き、しばらく固まる。
しかし、はっと意識を取り戻し、真人さんに駆け寄った。そしてさらに男を殴ろうと拳を握っている腕を掴んだ。
「真人さん!! もうやめてください!!」
真人さんはその男に向けていた鋭い視線をこちらに向ける。今までこんな様子の真人さんは見たことが無かった。
いつもの優しく穏やかな表情とは程遠いその怒りに満ちた瞳はまるで別人のようで、あまりの威圧感に私はビクッと体を揺らしてしまった。
「真人さん、私はもう大丈夫ですから……」
私の声にはっとしたように、真人さんの表情から一気に怒気が消える。そして自分の手を顔に当てると、自分でも驚いたというように小さく呟いた。
「私は何を…………」
男は真人さんの下で完全にのびてしまって気を失っていた。
真人さんは俯くと、そのまま無言で黙り込んでしまう。声をかけようかと思ったが、その雰囲気はまるでこちらを拒絶しているようで声がかけられなかった。
私は先輩のほうに視線を向ける。
真人さんの様子も気になったが私はひとまず先輩のほうに向かった。
「先輩! 大丈夫ですか!?」
「優希ちゃん……ありがとう! 本当にありがとう……」
先輩の前にしゃがみ込むと、先輩は手を伸ばし、泣きながら私に抱きついた。
相当怖かったのだろう。まだ自力では立ち上がれないようで、抱きしめた体は微かに震えていた。
「あの……先輩、怪我はありませんか……?」
「大丈夫。優希ちゃんがすぐに来てくれたから。でも私のせいでごめんなさい……痛かったでしょう?」
先輩は私の頬を痛々しげに見つめる。
自分でも熱を持っているのが分かるので、だいぶ腫れてしまっているのかもしれない。
「私は大丈夫です! それよりも先輩が無事でよかった」
私は先輩を安心させるようににっこり笑うと、少しでも安心してもらいたくてぎゅっと先輩を抱きしめた。
「こっちです!!」
しばらくして二郎くんの声が聞こえ、そちらを見ると、鞍馬さんと警察官を連れてこっちに走って来るのが見えた。
二郎くんの足元を大福くんが走っている。
どうやら大福くんが二郎くんのことも案内してくれたようだ。
男はそのまま警察に逮捕され、先輩と私の様子から事情聴取は後日ということになった。
先輩の旦那さんに連絡すると、すぐに先輩を駅まで迎えに来てくれた。相当慌ててきたのか、荒い呼吸のまま先輩を抱きしめると先輩も安心したのか涙を流しながらも穏やかな表情になった。
先輩の体から力が抜けていくのを感じ、私は安堵の息をついた。
「香を助けていただいて本当にありがとうございました。お礼は後日改めてさせてください」
「そんな! 私は何も……あの男を捕まえてくれたのは真人さんですし、警察を連れて来てくれたのは二郎くんです」
「そんなことない! 優希ちゃんは体を張って私を守ろうとしてくれた。本当に感謝してもしきれないよ。ごめんね……怪我させちゃって……本当にありがとう。みなさんもありがとうございました」
先輩と先輩の旦那さんは私たちに何度も頭を下げ帰って行った。




