ライラと私の物語 02 —雫—
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あの時、万年氷穴で——。
『——長老よ。妾は巣替えを行おうと思っておる』
「……な、なんと……」
女王竜から告げられた言葉に、氷人族の長老は言葉を継げずにいた。
女王竜がいなくなるということは、ここ万年氷穴の維持ができなくなるということだ。
それはつまり、ここに住む彼ら一族の滅亡を意味する。その話は、三百年ほどの猶予をもらえたはずだが——。
すっかり動きを止めてしまった長老を見て、女王竜はフッと笑った。
『……案ずるでない。まずは下見に行くだけだ。妾が巣にするに、相応しい場所かどうか』
「……つ、つまり、ケルワンへと……?」
オッカトル共和国、ケルワン。かつて火竜の女王が、新たな巣にせんと襲いかかった強大な龍脈の地だ。
『……フン、察しが悪いのう。妾が行くのは、ここより南方、悪い気が満ちておる龍脈のところだ。確か……魔法国、と人の子は呼んでおったか』
「……!!……つまり、女王竜様……!」
長老は察する。女王竜の不器用な気遣いを。
彼女は人の子の理では動かない。だが、自らを納得させる理由さえあれば——
女王竜は目を閉じて笑った。
『下見、とは言えど巣替えの一環として行う。壮観だぞ、世界中から、妾の子らが集まるからのう』
喉を鳴らして笑う女王竜。長老は膝をつき、頭を垂れた。
「お願いしますじゃ、女王竜様。どうか、あの者らの力に——」
『くどいぞ、長老。ただの見分だと言っておろう。ただ——』
女王竜は目を開け、首を上げた。
『——もし妾に何かあったら……その時は諦めて、この地を捨てよ。今は真冬、急げばおぬしらの住める土地に間に合うやもしれん』
「いえ。我々は女王竜様の帰りを、いつまでも待っておりますじゃ」
長老は、真剣な目で女王竜を見据えた。その目を見つめ返した女王竜は、息を吐き——
——高らかに笑い出した。
『カッカッカッ! 流石は妾の末裔だ、肝が据わっておる。だが、良いのか? 一族で話し合う時間はあるぞ?』
「誰が異を唱えましょう。我らが母の留守、ワシらで預らせていただきますじゃ」
『……ククッ。あい分かった。帰った時の祝い酒……とびきり旨いのを用意しとけよ?』
…………————。
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女王竜の権能、『巣替え』は世界中の氷竜に発動された。
女王竜と、彼女を守るように飛ぶ五十を数える氷竜たち。
その姿を確認したグリムは、指示を出した。
「莉奈、キミはメルコレディを連れて女王竜の背へ跳躍してくれ! 女王竜と連携を取りたい、頼んだぞ!」
「わかった!」
リナは返事をし、頷くメルコレディを抱きかかえて『空間跳躍』をした。
続けてグリムは、マルテディの方を向く。
「さて、マルテディ。キミの力が女神像を穿つ最大の一手になる。準備ができ次第合図する。構えていてくれ」
「……私、が?」
マルテディは首を傾げながらも、グリムの指示通りに女神像に向き直るのだった。
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高台の上、誠司はその光景を見て茫然とする。
氷竜の女王竜に、それを取り巻く無数の氷竜たち。ライラが隣に来て、目を大きく開いた。
「……女王竜、様……?」
氷竜たちは氷のブレスを吐き出しながら、女神像の上空を旋回している。前に立ってその光景を眺めるグリムに、誠司は声を掛けた。
「……グリム君。これが君の言っていた、『奇跡』ってやつか?」
「ああ、莉奈が結んだ絆だ。もし本当に『運命』というものが莉奈に味方しているのであれば……この最も女王竜の力が必要とされる場面で、彼女が来ない道理は、ないだろう?」
「なら、女王竜の力で女神像を——」
「いや。彼女たち氷竜の力だけでは、足りていない」
誠司の言葉を遮って、グリムは告げる。高熱の炎を次々と燃え上がらせる女神像。
現に、氷竜たちのブレスは女神像に届く前に霧散していた。
「……なら……」
「誠司、キミは文系かい?」
「なにを……いや、まあ、文系だったが……」
取り留めのない言葉に、誠司は眉をしかめる。だがグリムは、口角を上げて誠司に振り返った。
「なら、見せてあげよう、『化学』の力というものを。現代知識というものを持つ……私たち『転移者』だからこそ思いつく発想、自然の摂理ってやつをね」
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女王竜の背に降り立ったリナは、声を飛ばして女王竜と会話する。
「——女王竜様、ありがと。助けに来てくれたんだね」
『ククッ。困ったことがあれば妾を頼れ、と言ったはずだぞ、リナよ。お主が妾を頼れば、こんな回りくどい真似をする必要はなかったのだがな』
「……あはは、さすがに頼みづらいなあ、って……」
眼下には、女神像に攻撃を仕掛けようとする氷竜たち。しかし、女神像から立ち昇る炎に阻まれ攻めあぐねている。
女王竜が息を吸い込む。氷竜たちは巻き込まれないよう、上空へと退避する。
そして女王竜の特大のブレスは——放たれた。
「……うっ!」
リナは腕で目を覆う。視界が白で覆われる。リナは意識を飛ばし、女神像の様子を確認するが——
——女王竜のブレスはあと一歩、女神像には届かなかった。
一時的に弱まった炎が、再び燃え盛る。
『……ぬう。妾の息も効かんとは……』
「女王竜様、お願いがあるの!」
リナはメルコレディと目配せをして、女王竜にお願いした。
「合図をしたら、今のようにブレスを吐き出して。周りの氷竜さんたちも一緒に、ね」
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地上では、グリムとマルテディが上空を見上げていた。
「よし、マルテディ。いま言った通りに、一気に砂を巻き上げてくれ」
「わかりました!」
マルテディは集中する。とにかく求められるのは、質より量。
かつて、一国をも飲み込んだ彼女の『砂』の力は——
——今、全力で、解放された。
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砂が天へと舞い上がる。
渦巻く炎の上昇気流すら利用し、灼かれながらも、真っ直ぐに上空に立ち昇る砂嵐は——
——女神像の最大の熱源、胸部を通過し、更なる上空へと押し上がる。
砂は赤く、白く溶け合いながら、女王竜の元まで舞い上がった。
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「女王竜様、今!」
『フン、見ておれ』
リナの合図と共に、女王竜と氷竜たちは一斉にブレスを吐き出し始めた。
熱せられた砂は急速に冷却され、別の物質へと雫状に姿を変える。
「メル!」
「うん!」
氷竜たちのブレスは、氷だ。メルコレディの力で、ある程度の操作ができる。
メルコレディはまるで指揮棒を振るうように、腕を振り下ろした。
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「なんだね、グリム君、あれは……」
女神像の上空がキラキラと輝きを帯びるのを、誠司は高台から見つめていた。
その光景を見つめながらグリムは、わずかに口角を上げる。
「……雨……という表現は生温いな。誠司、あれはね——」
次の瞬間、その輝きは女神像目掛け、速度を上げて一斉に降り注ぎ始めた。
「——あれは、超高温で融解した砂を急速冷却することで生まれる、最強のガラスの雫だ。例えるなら、超硬質のガラスの弾丸。『オランダの涙』、別名『プリンス・ルパートの雫』——」
グリムは確信を込めて、宣言する。
「今のあれは、ただのガラスじゃない。数万の徹甲弾だ。それなら奴に、届く」




