決戦[crescendo] 08 —望む平和—
——『氷』の戦場。
『…………ゥ……ゥ……ァァ…………』
天使像を縛り上げる影が、ギチギチと音を立て強烈に締め上げていく。
呻き声を漏らす天使像は無数の氷柱を宙に浮かび上がらせ、拘束の元凶——ルネディ目掛けて一斉に放った。
「……フン」
もう片手を振り上げ、影の障壁で防ぐルネディ。障壁に阻まれ、氷柱が次々と砕け散っていく。
しかし、その砕けた氷は——まるで意思を持つかのように方向転換をし、少し離れたところにいるハウメアの方へと襲いかかった。
「……チッ」
舌打ちを鳴らし、ルネディはハウメアを守るように影の障壁を展開する。魔素切れにより魔法の使えなくなった魔女。しかし天使像を消滅させるには、魔素の回復を待ち彼女の魔法に頼るしかない。
現在、ルネディの背後には、座り込んでいるフィアと静止状態のクレーメンス。だが満月の出ている今、彼女たちを守ることはルネディにとって造作もないことだ。
そう、満月の光が届いてさえいれば——。
「……くっ」
不意に、ルネディの影が薄くなる。見上げると、戦場を覆い隠しているのは、分厚い雲。
今までも吹雪のせいでこの戦場は薄雲に覆われてはいたが——天使像は雪を降らせる雲を厚くし、月の光を遮断し始めた。
(……マズいわね……)
天使像は自身の身体に氷をまとい始め、影の束縛から逃れようとしている。障壁は二箇所に展開中。まだ余裕はあるが、月の光を更に遮断されてしまったらそれもいつまで持つか分からない。
『…………ゥ…………ァ……ァァ…………』
呻きながらも天使像は、闇雲に氷を放ち始めた。乱射される氷柱、凍てつく寒波。吹き荒ぶ雪さえ凶器となり、鋭い氷槍となって戦場に降り注ぐ。
その時、ルネディの視界に一つの人影が映り込んだ。
(……クラリス……!?)
戦場を駆けるのは、『歌姫』クラリス。彼女の身体を無慈悲な氷槍が切り裂き、貫いていく。
だが、彼女はよろめき、血まみれになりながらもこちらに向かって駆けてきていた。ルネディは急いでクラリスの駆ける道に、彼女を庇う障壁を作り上げる。
「……くっ……!」
力の配分が、上手くいかない。静止からの復活に加え満月の雲隠れは、想像以上にルネディの力を奪っていた。
でも、天使像だけは、絶対に離せない。
ルネディは自身を守る影を弱めながらも、他の者を守る障壁と天使像を束縛する影に全力で力を注いだ。
防ぎきれなかった氷柱が、氷刃が、氷槍が、雹嵐が、容赦なくルネディに襲いかかる。削られる身体、氷に包まれる足元。
だが、やがて彼女の後方に到着したクラリスを確認したルネディは頬を緩めて、再び前面へと障壁を展開した——。
†
ハウメアは彼女たちと離れた障壁内で、茫然と戦況を見守っていた。
突然訪れた、魔素切れ。長年付き添ってきたヒイアカとナマカの命が、一瞬にして奪われた。
魔族である二人の身体は、魔素に還り始めている。魔素が切れた今、魔法しか扱えないハウメアにできることは何もない。
(……大気中の魔素が回復するまで……どのくらいかかる……?)
天使像を消滅させるほどの魔法を放つ魔素量の回復には、しばらくの時間がかかるだろう。それまでの間、苛烈さを増す天使像の攻撃をルネディ一人で防ぎ続けることは果たして可能なのだろうか。ハウメアの脳裏に、その未来を描くことはできなかった。
その時、無力感に苛まれるハウメアの視界に、戦場を駆けるクラリスの姿が映り込んだ。
「……クラリス……ちゃん……?」
ハウメアは未だ時を止められている彼の存在を思い出す。そうだ、ハウメアの魔法では駄目だ。『氷の天使像』と属性の相性のいい彼ならば、ルネディが天使像を拘束している今、ハウメアの最強魔法ほど魔素を使わずとも——。
「……ヒイアカ……ナマカ……あなたたちの身体、使わせてもらうよ……」
二人の身体から立ち昇る魔素を使い、ハウメアは一つの言の葉を紡いだ。
「……——『身を軽くする魔法』」
二人の身体を軽くしたハウメアは杖を置き、残された右腕一本で彼女たちの服を掴んで、二人の身体を引きずってクレーメンスたちの元へと歩き始めた。
†
ルネディの張った障壁内に横たわっているフィアは、見上げる。身体中に氷槍が刺さり、血まみれになって駆け込んできたクラリスの姿を。
彼女は身体中から血を流し、よろめき、息を切らしながらもしっかりと立っていた。
「……クラリス……」
唖然と呼びかけるフィアの言葉に、クラリスは目を伏せ、逸らしながら応えた。
「……ごめんなさい、フィア……」
クラリスは申し訳なさそうにうつむいて、クレーメンスへと向き直った。
「……なにをやっているんですか、あなたは……」
彼の身体に積もっている雪を払いながら、クラリスは語りかける。
「……あなたは平和のために戦っているのでしょう? 平和ってなんですか? 目の前の仲間たちを放っておいて、守られて、自分だけのうのうと突っ立っている……それがあなたの望む平和なんですか? あなたは口だけなんですか? そうじゃないでしょう……?」
クラリスは一歩前に出て、クレーメンスの顔を見据えた。瞬きもしない彼。クラリスの瞳から涙が溢れ落ちる。
「……あなたは魔剣に誓ったのでしょう? あなたが望む平和のために戦うと。みんな……みんなが命を燃やして戦っています……あなたが魔剣を燃やさなくて……どうするんですか……」
クラリスは彼の顔をそっと両の手で挟んで、切々と訴えかける。微動だにしないクレーメンス。クラリスは背伸びをした。
「……だから、そろそろ起きてください……寝ぼすけさん……」
クラリスは彼の唇に、そっと自身の唇を重ね合わせた。
目を見開いて驚愕するフィア。だが、その温もりは——
——奇跡を、起こした。
クレーメンスの唇が、わずかに動き始める。
そして、言の葉は、紡がれた。
「——『……火弾の……魔法……』」
——なけなしの大気中の魔素は、再び彼の刀身を燃え上がらせた——。




