決戦[crescendo] 04 —枯渇—
無慈悲にも訪れた、大気中の『魔素切れ』。
それは各所でも、同時に起きていた。
†
——『砂』の戦場。
「……ぐっ……!」
ポラナの足が、もつれて転ぶ。
天使像の注意を一身に引きつけているポラナ。自らの出血で身を紅く染めている彼女の体力の消耗は、激しかった。
アルフレードの『祝福』とクラリスの『歌』がなければ、彼女は二度と立ち上がることは叶わなかっただろう。
近づく天使像の分身体に向かって、マッケマッケの魔法が飛ぶ。
「——『旋風の刃の魔法』!」
これで幾度目だろう。彼女、マッケマッケのサポートにより、その場にいる皆の命が救われるのは。
彼女は突出した、いわゆる『超上級魔法』と呼ばれるような魔法は扱えない。だが、戦場を冷静に観察している彼女は、自分の引き出しを全開に開けて、ピンポイントで必要とされる魔法を放ち続けている。
——自称、『魔法の量販店』マッケマッケ。サポートこそが彼女の真価。
彼女は観察する、次なる天使像の動きを。
が、その時。突然、『砂の天使像』の分身体の姿が掻き消えた。
「……なっ」
呻き声を漏らしたのも束の間、彼女は氷の足場を駆けながら冷静に言の葉を紡いだ。
「——『暗き刃の魔法』……」
詠唱最短を誇るその攻撃魔法が完成することは、なかった。彼女の中で、一つの仮説が成り立った。
(……再三、グリムさんが言っていた『魔素切れ』……それが本当に、起こってしまったみたいですね……)
恐らく、天使像の分身体も『魔素』が関係していたのだろう。魔法でのサポートはできなくなったが、分身体も消えた今、考えようによってはここ『砂』の戦場では有利に働く可能性が——
——一瞬にして、『砂の天使像』は姿を消した。直後、背後から悲鳴が上がる。
「……きゃっ!」
マッケマッケが振り向くと——そこには砂場から伸びてきた手に、左足を掴まれているメルコレディの姿があった。
みるみる内に干からびていくメルコレディの左足。彼女は自身の足を凍らせ、砕き、その場を逃れた。
「……メルさん!」
彼女は氷の足を作り上げ、立ち上がり、皆がいる足場を広げた。警戒する一同。
——速い。ジョヴェディの『時止め』から解放された天使像は、こんなにも速いものなのか。
足場の外、周囲には流砂が渦巻いている。次に奴が使ってくる一手は、果たして——
その時、一段と強い砂嵐が吹いた。
(……グリムさんへの通信は……途切れている、か)
魔素切れによる、通信障害。額に汗を流しながら、ゴーグル越しにマッケマッケが戦場を観察していると——
——砂嵐に紛れ、セレスの背後に影が浮かび上がってきた。
「……セレス様、避けてぇっ!」
「……えっ?」
セレスが振り返った時にはもう、天使像はセレスの右肩を掴んでいた。
干からびていく、彼女の肩。セレスは振りほどこうとするが、天使像はしっかりとセレスの肩を掴んで離さない。
やがて、抱擁を——
「……セレス様、失礼」
——マッケマッケは駆けながら、自身の杖を抜き放った。
杖に覆われていた白刃が露わになる。彼女の隠し玉、護身用の仕込み杖。その煌めく刃の軌跡は——躊躇なく、セレスの右肩を斬り落とした。
飛び散る鮮血。マッケマッケはセレスを庇うように立ち塞がり、返す刃で天使像を斬り払った。
再生をしながら砂嵐にまぎれて、再び消える天使像の姿。
マッケマッケは注意を怠らず、セレスに回復薬を振りかけた。
「……お許しください、セレス様。お叱りはあとで、いくらでも受けますので」
「……いいえ、マッケマッケ……助かった……わ……」
苦悶の表情を浮かべながら、セレスは右肩を押さえてしゃがみ込んでいた。乾燥の影響からか、かろうじて出血は止まったみたいだが——『再生阻害』。アルフレードの『祝福』があるとはいえ、セレスの戦線復帰は厳しいだろう。
(……ポラナさんは左手消失に加え満身創痍、メルさんは左足消失、そしてセレス様は……無事なのは、魔法の使えなくなった役立たずのあーしだけですか……)
マッケマッケは絶望の中、抗う盾となることを決意した。
†
——『氷』の戦場。
「——『闇深き鋭刃の魔法』!」
ハウメアの魔法を氷の障壁で防ぐ天使像。だがその魔法によって削られた氷壁から姿を現した天使像は、全身を切り裂かれドス黒い血を流していた。
『…………ァァァアアアァァァ…………』
嘆きにも似た叫び声を上げながら、天使像は身悶える。
「……ちっ。あと一歩足りなかったか……」
決着を狙って放たれたハウメアの魔法だったが、消滅には至っていない。ハウメアは畳みかけるように次の言の葉を紡ぎ始める。
よろめいている天使像は身体を再生させながら、片腕をハウメアへと向けた。
「ハウメア、下がって!」
言の葉を紡ぎ終えたナマカが、ハウメアを守るように前に立った。天使像の周りに氷柱が浮かび上がる。それを防がんと、ナマカの魔法は解き放たれた。
「——『大水海の障壁魔法』!」
氷柱が飛んでくる。ナマカの水魔法最強の障壁魔法は——
——張られることは、なかった。
「……なっ……」
ハウメアは、絶句する。
目の前には、氷柱に貫かれたナマカの姿。
——『魔素切れ』。
血を噴きながら倒れゆくナマカを見ながら、ハウメアの脳裏にその言葉が浮かび上がった。
「……そ、んな」
ナマカはアルフレードと『縁』を結んでいない。致命傷、イコール、死。
当たり前の自然の摂理。吹雪の中、その光景が、まるでスローモーションのように流れていった。
「……ナマカ!」
ヒイアカの叫び声が響く。ハウメアが茫然としながらヒイアカに目をやると——
——次の瞬間、彼女の首が、氷の刃によって地に転がり落ちた。
見ると、天使像は片手を横に広げて微笑んでいた。
魔素切れ。時止めからの解放。勝利の微笑み。
一瞬にして訪れた惨状に、ハウメアの頭の中が空白になる。
天使像は改めてハウメアに手を向ける。
——敗北
虚ろな視線で天使像を眺めながら、その二文字だけがハウメアの脳裏を埋め尽くした、
その時だった。
嬉々とした笑みを浮かべる天使像は、瞬時にして『影』に束縛された。
ハウメアは見る。暴れる天使像に手を向け、影を伸ばし、しっかりと抑えつけている彼女の姿を。
「…………ずいぶんと……好き勝手……やってくれるわね……」
頭を押さえ、ふらつきながらも赤い双眸でしっかりと天使像を睨む、影の使い手——
——ルネディだ。




