決戦[development] 15 —『彼ら』の物語—
†
——二〇二三年、北海道、某所。
彼らはサラブレッドとして生を受けた、はずだった。
走ることを宿命づけられた馬。
だが、不幸なことに——彼らは双子でこの世に生を受けてしまったのだ。
「オーナー、どうします? 双子じゃ競走馬は——」
「まあ、仕方あんめえ。観光牧場の方に回すか——」
競走馬の世界において、双子はまず『競走馬』にはなれない。通常であれば減胎などの処置が取られるが、彼らの場合、母馬の安全を考えるとそれも難しかった。
走るために生まれたのに、生まれた時からその目的が奪われている馬。
その毛色から「クロ」、「アオ」と呼ばれるようになった彼らは、観光牧場で目的もなく過ごすことになる。
——どうして自分たちは、他のコみたいに元気に走れないのだろう。
それは、二頭が牧場で過ごす日々を送るうちに自然と疑問に思っていたことだ。
駆けっこをしても、誰にも勝てない。身体も、周りのコたちは自分たちに比べてどんどん大きくなっていく。
双子の宿命。母胎の中で血肉を分け合ってしまった二頭は、競走馬としてのスタートラインにすら立てていない。
しかし、『走りたい』という本能はある。
——『いくらでも走れる、強靭な身体が欲しい』——
それが彼らの、『望んだ姿』だった。
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——二〇二四年、初夏。
彼らがいる観光牧場は、たびたび修学旅行の行き先として賑わっていた。
大勢のヒトの子供たちの声が聞こえる。それを避けるように、彼らは目立たない牧場の隅っこの方へと移動していた。
のんびりと過ごすクロとアオ。しかし、ふと視線を感じると、一人の少女が柵の向こうから寂しげにこちらを見ているのに気がついた。
「……あなた達も、私とおんなじなんだね……」
少女が何かつぶやいた。何を伝えたいのだろう? 二頭の馬には、それがわからない。
だが——その少女の瞳は、自分たちと同じだということは理解できた。
その少女は、ずっとずっと彼らのことを見続けていた。やがて、遠くから別の声が聞こえてきた。
「——……菱華さーん! 集合時間だよー!」
「……あ……うん……」
少女は名残惜しそうに去っていった。
しかしその寂しげな瞳は——二頭の馬の頭に、ずっと残り続けたのだった。
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——二〇二五年、四月七日、午前八時七分。
彼らがいつものように、生きる目的もなく牧場をのんびりと歩いている時だった。
——彼らの前に、突然『穴』が現れた。
勢いよく二頭を吸い込まんとする『穴』。二頭は背中を向け、逃れようと必死に駆け出した。
異変に気づいた牧場の人が、慌てた様子で遠くから何かを叫ぶ。
「——クローー! アオーー! ————————!!」
——何と言っているのだろう? 他のコたちだったら『理解』できるのかな……?
元々、虚弱な身体だ。必死に抗っていたが、やがて彼らの身体は『穴』に飲み込まれてゆき——
「————————!!」
(……ああ、何て言っているのか、『理解』できたらなあ……)
牧場に静けさが戻る。その二頭の馬を同時に飲み込んだ『穴』は、最初から無かったかのように消え失せていた。
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色鮮やかな世界、見渡す限りの自然の大地。
彼らが目覚めたのは、草原。
意識を取り戻した彼らは、顔を見合わせた。
(……おい、どこだ、ここ)
(……さあ。って、おまえはおまえか?)
見ると、互いが見違えるような強靭な身体を持ち合わせていた。
彼らは『理解』する。自分たちは、別の世界に飛ばされてしまったのだと。
そして、『理解』する——
(……おまえの考えていること……)
(……ああ、オレもしっかりと『理解』できるよ)
——彼らはこの世界にて、新たな力を与えられているのだと。
彼らは喜び、走り続けた。強靭な身体。いくら走っても疲れない。
(……これなら……他のコのように、ヒトを乗せてもいくらでも走れる!)
それは、彼らの夢だった。サラブレッドとしての本能、走ることを宿命づけられた彼らの存在価値。
彼らは楽しそうに、このトロア地方の大地を駆け抜けるのだった——。
†
「……おおう……噂に聞いた通り、こりゃいい馬だ……」
彼らがこの地に来てから二か月ほど経ったある日。彼らの元に近づいてくるヒトの男がいた。
これまで、たびたびヒトの姿を見かけたことはあったが——ここまで近づいてくるヒトは初めてだった。
そのヒトは、怯えながらも彼らに近づいてきた。
「……はい、どうどう……おとなしくついてきてくれねえか……」
リンゴを片手に、話しかけながら近づいてくるヒト。
彼らは顔を見合わせる。
(……どうする?)
(……ついていけば、ヒトを乗せて走れるかもな)
彼らはそのヒトの顔をベロンと舐めた。
「……うわっ! な、なんでい、お前たち……ついてきてくれるのか?」
「ブルッ」
ヒトの言葉は理解できるが、どうやらこちらの言葉は伝わらないようだ。
二頭はもどかしい気持ちを抱えながら、黙ってその男についていった。
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そして、運命の出会いは訪れる。
「——馬が欲しい。馬車用の馬だ。できれば若く、強靭な馬が欲しいのだが」
「——へへっ、まあ見ていってください」
彼らを拾った男は、客人の男を連れて馬房へとやってきた。
客人の男からなぜだか懐かしい匂いがする。その客人の男は、彼らの前で立ち止まった。
「……ほう。この馬たち、なかなかいいじゃないか」
「ああ、すいません、旦那。それは国に買い取ってもらおうと思って……」
「10万ルド」
「……はい?」
客人の発言に、男は固まってしまった。
「二頭で20万ルドだ。それでどうかね?」
「……だ、だ、旦那! そ、そりゃ本気で言ってるんですかい!? 相場の十倍以上の金額ですぜ!?」
「馬の値段は私が決める。それで売れないというのなら、諦めるが」
「……い、いえ、旦那さえよければそれで……」
交渉を終えた客人——誠司は、二頭に向き直った。
「というわけだ。これからよろしく頼むよ、ええと……黒鹿毛に青鹿毛」
「ブルッ!」
なんだか懐かしい呼び方を聞いて、二頭の馬はご機嫌に鼻を鳴らした。
†
「というわけで、莉奈。馬車と馬車用の馬を買ったんだ」
サランディアの馬宿に待機していた彼らは、誠司の後ろに付いてやって来た女性を見て驚いた。
——あの時の少女だ——
忘れていない。あの日、柵の外から彼らを寂しげな視線で見つめていた少女。
ただ、今の彼女は希望に満ちた目をしていた。そう、自分たちのように。
「ブルッ!」
「ひゃあ! いきなり舐めないでよお!」
「はは、初っ端から随分と懐かれたもんだな」
「もう! 笑わないの! そんで、誠司さん。この子たちの名前は?」
「ああ。クロカゲにアオカゲなんてどうかな?」
「……ふーん。まあ、いいや。じゃ、よろしくね、クロカゲ、アオカゲ!」
「ブルッ」
「ひゃあ! だ、か、らぁ!」
…………————。
きっと少女はこの世界に来て、自分たちのように『生きる目的』を見つけたのだろう。
なら、自分たちは彼女を乗せて駆けることにしよう。
それが自分たちの、夢なのだから——。
†
この家族に引き取られ、彼らは充実した日々を過ごしていた。
滅多に背中に乗せることがないのは不満だったが——それでも、彼女たちを乗せた馬車を引くことは、彼らにとっての喜びだった。
「ほら、クロカゲにアオカゲ。大好きなリンゴだよ、お食べー」
莉奈は二頭を甲斐甲斐しく世話してくれていた。彼らの言葉は通じていないだろうに、それでもことあるごとに話しかけてくれた。
幸せだった。時には全力で駆け抜けたこともあった。
だが、そんなある日——
「……あのね、クロカゲにアオカゲ、よく聞いて。二月の戦い、もしかしたらこの家に誰も戻ってこないかもしれない。その時は——」
——とてもではないが、納得できる話ではなかった。
莉奈は、死ぬ覚悟を決めている。その上で、残される彼らの心配をしているのだ。
彼らは完全に、『理解』してしまった——。
やがて訪れる、旅立ちの朝。
グリムは地図を広げて、『大厄災』の起こる範囲について詳しく説明してくれた。
彼らは静かに聞き入った。『理解』をするために。
——どこで待機すれば、『大厄災』の影響を避けられ、かつ、莉奈の元に最速でたどり着けるのかを——
彼らは完全に『理解』した。『大厄災』の影響を避けつつ、全力で走れば一時間ほどで莉奈の元にたどり着ける位置取りを。
家族たちは旅立っていった。二頭の馬は馬房から歩み出る。
そう。自分たちの幸福、存在価値は、莉奈をその背に乗せて走ることなのだから——。
そして当日、『大厄災』発生後。
彼らは、走った。再び莉奈を背中に乗せることを夢見て。
いくら強靭な身体とはいえ、ここまで全力で走ると肺が苦しい、脚元が痛くなる。
だが、彼らは走り続けた。主人と認めた莉奈を——死を覚悟した主人を、死なせるわけにはいかないと——。
二頭の馬は駆ける。歪に輝く空の下を目指して。
やがて。
戦場にたどり着いた彼らは地面に横たわる莉奈を見つけ、躊躇することなく天使像の攻撃に身をさらしたのだった。




