エピローグ ①
トロア地方、中央部。『厄災』によって滅ぼされた魔法国跡地。その一角の、とある建物の地下に造られた部屋に彼はいた。
この半壊した建物の外観からは想像出来ぬ程立派な書庫。その薄暗い部屋の中で、男は眉間にシワを寄せる。
男は無言で魔導書をめくる。年齢のせいか、文字が霞んで見える。
彼はその年齢の割には背筋も伸びており、身体も全盛期には程遠いが、まだまだ動かせる。だが、老いは確実に彼の身体を蝕んでいた。
急がねば、この身体が動く内に——彼は焦燥感を抑えながら、また一枚、ページをめくる。
その時、扉をノックする音がした。彼の魔族の耳がピクリと動く。続けて女性の声が聞こえてきた。
「——魔導師ヘクトール様。ニサです」
「うむ。入りたまえ」
「失礼します」
そう断りを入れ、ニサという魔族の女性が入って来る。ヘクトールと呼ばれた男は襟を正し、彼女を迎えた。
ニサはヘクトールの机の前に立つ。
「ヘクトール様、ご報告が」
「なんだね?」
「お喜び下さい。『トキノツルベ』が手に入りました」
「本当か!?」
その報告を聞き、ヘクトールは思わず立ち上がった。
「はい」
「しかし、一体どこで……」
ヘクトールは平静を装い、椅子に深く座り直す。
長年探し続けてきた。それでも見つからなかった。何かで代用出来ないかと繰り返し実験もした。
だが、いずれも成果を上げる事は叶わなかったのだ。
「はい、冒険者ギルドに依頼していたものが引っ掛かりました。『西の森』で、一つ星冒険者が採取に成功したらしいです」
「そうか、やはり『西の森』だったか。あそこには強力な結界がいたるところに張られている。このヘクトールの魔力を持ってしても破れぬ程のな。『迷いの森』とは、よく言ったものだ。もう、諦めていたが……」
ヘクトールは各地に、特に西の森を中心に人を派遣していた。しかしそれも、全て空振りに終わり続けていたのだ。ニサはヘクトールに微笑みかける。
「冒険者の中には強運を持つ者もいるでしょう。時間はかかりましたが、これで研究が進められますね」
「ああ。ところでニサ、ギルドへの依頼だが私達の素性は隠せているよな?」
「ええ、抜かりなく。ごく自然な依頼主名、ごく自然な依頼内容。気付くものはいないでしょう」
ニサの言葉にヘクトールは満足そうに頷き、そして二人はほくそ笑む。
「——これでようやく、先に進めるな、ニサ」
「ええ」
「それでは再開するぞ。『厄災ドメーニカ』復活の研究を」
†
「じゃあね、メル、元気でね」
「うん、ありがとうリナちゃん。みんなもね」
着替えを終えた莉奈達は、誠司の元へと戻り別れの挨拶をする。別れを惜しむ四人の女性達。
ひとしきり挨拶を終えたメルコレディは、最後に誠司に話しかける。
「じゃあ、セイジちゃんも。ありがとね。わたしがおかしくなっちゃったら、必ず殺しに来てね」
「……そうならない事を、祈るよ」
メルコレディが手を差し出す。誠司は躊躇するが、やがて目を逸らしながらもその手を握り返した。
——暖かい。
誠司はどんな顔をしていいのか分からず、目を逸らし続ける。まるで悪い事をした子供の様に。
しばらくしてメルコレディはその手を優しく離し、セイジに別れを告げた。
「じゃあね。セイジちゃんも元気でね」
「……その……出来れば『ちゃん』付けはやめてくれないか」
「……うん。ごめんね、セイジちゃん……あっ!」
慌てて口を押さえるメルコレディ。だが、誠司は力なく笑った。
「いや、やはり君が呼びやすい呼び方でいい。もう会わないに越した事はないのだからな」
「ふふ。そうだね。色々あったけど、わたし、セイジちゃんと話せてよかった。リナちゃんのおかげだね」
「……ああ」
莉奈のおかげ、という言葉を聞き、誠司は再びうな垂れる。そんな誠司の様子を見て、莉奈は彼の頭に手刀を入れた。
「とうっ!」
「莉奈……」
「ほら、誠司さん笑顔笑顔! 笑って送り出してあげなきゃ!」
「……ああ、そうだな」
誠司は無理して作り笑いを浮かべ、最後の挨拶をする。
「ではメルコレディ、私の方でも色々と調べてみる。もし……もしもだ。君が操られていない事が判明したら——そうだな、その時は君を探しに行く。君はどこに行くつもりかね?」
その誠司の言葉に、メルコレディと莉奈が顔を見合わせて頷き合う。
「ありがとね、セイジちゃん。でも大丈夫。その時はリナちゃんに言ってもらえれば」
「莉奈に……?」
「「ねー」」
莉奈とメルコレディは声を揃えて微笑み合った。呆気に取られる誠司。メルコレディは言葉を続けた。
「うん。だからわたし待ってる。またみんなに会いたいもの。ごめんね、長くなっちゃった。それじゃわたし、そろそろ行くね。セイジちゃん、無理はしないでね?」
「……ああ」
メルコレディは皆に背を向ける。そして一瞬振り返り——次の瞬間には走り出して行った。
「メル――っ、元気でね――っ!」
莉奈が去っていくメルコレディの背中に声をかける。彼女は振り返る事なく右手を上げ、くるりと人差し指を一回転させた。
「あ……」
空気中の水分が凍りつき、莉奈達の周りにひらひらと雪が舞い落ちる。優しい雪。
「……きれい」
莉奈達は季節外れの雪に見惚れる。その申し訳ない程度の雪は、莉奈達の身体に触れすぐに溶けて消えていった。
「メル……」
莉奈がメルコレディの方を見ると、彼女の姿はもうなかった。まるで、今、彼女が作り出した儚い雪のように。
「……では、私達もそろそろ行こうか」
「……そうだね」
誠司達は歩き出す。なんともやり切れない思いを胸に抱きながら。
こうして彼らの、南の地スドラートで起きた一連の出来事は幕を閉じたのであった——。




