悪の末路、というか行く末
だが、すぐに目を開けてみる。なんと、枕の着ぐるみにしがみつくように立っていたのは、ケンジローだった。
ケンジローは、まっすぐリトミックマンを睨みつけていた。初めてみる表情だった。子どもらを含めて誰もが、凍りついたまま成り行きを見守る。カメラはまだ回っていた。
ケンジローが再び叫んだ。
「ダメええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」
途切れることのない超音波的波動、子どもはもとより、誰もが耳を押さえる。何かが共振したような震えが体育館全体を包んだ、と、
ぱんっっ
館内の足下、そして頭上高くぐるりと取り巻くガラスというガラスのほとんどが外側に弾け飛んだ。被膜のせいで散らばることはなかったが、それでも、かなりの勢い。まるで飴細工の板がちぎれるようだった。
幸いにも、けが人は出なかった。
「普通、フィルムが貼ってある場合は、ああはなりませんよ」
後になって、ヤマベは興奮したように、会う人会う人ごとに何度もそう言っていた。
とりあえず撮影も済んで、県教委からガラス破損の件で調査員が来て、関係者が何度か打合せし、保険屋さんとガラス修理がたて続けに訪れた後、つまり、だいぶほとぼりも覚めた頃のことだった。
スミレ先生は当初、傍から見てもかなりのしょげ返りようだった。
任された児童を抑えきれず、撮影をめちゃめちゃにしてすみません、と何度も頭を下げていた。しかし、誰も彼女を責めていないと判ってくれたのか、数日後にはようやく、いつものように可愛らしい笑顔が戻ってきた。
それからしばらく経って、ある放課後。
マサヨシはまた教室でケンジローと一緒に床に座っていた。
母親は校内でPTA役員会の最中、もうすぐ終わって迎えに来るはずだった。
彼らの傍らには、スミレ先生がいた。
「あれから、ケンジロー君は少し変わったのかしら」
そうつぶやくスミレの前で、ケンジローはマサヨシを見ないまま、彼の頬をぎゅっとつねった。
「あたたた、やめます、やめてください」
マサヨシはのけぞってよけながらも、こう心で答えていた。
それでも何かが少しずつ変わってきたような気がしてます、確かに、と。
自分を必要としてくれる、ケンジローの存在をひしひしと感じていた。そして自分も、そんな彼を必要としている、それに、この人も。
ぐっ、と心の中でこぶしを握ってからそっと開き、さりげなく、さりげなく言葉に出してみる。
「スミレ先生、結婚してください」
こんな子どもたちの中にいるからこそ、こんなに素直に言えるのだろうか。
素直な気持ちでぶつかって行ける彼らの中に暮らすからこそ。
ケンジローをみていたスミレ先生は、はっと顔を上げ
「え」と問い返してから、ぱっ、と赤くなった。
「いいよね、ケンジローくん」
マサヨシはわざとケンジローに聞いてみた、が
「だめです」こういう時に限ってぴったりの言葉で返す彼。
あはははは、教室の外の青空にまで届きそうな朗らかなスミレの笑い声が響く。
「さすがケンちゃん、だよね、いくらなんでも急には」だって私、まだ正式採用じゃないし、今年も採用試験、落ちちゃったし。
そうか、マサヨシがちょっと下を向いたところに、優しい声が届いた。
「……だから、まずオツキアイ、でもいいんだったら」
眼を上げると、スミレはまっすぐこちらを見つめ、微笑んでいた。
「よろしくお願いします」
ケンジローの手がそっと、彼女の頬に伸びた。すでにつねる気満々の指先。だが、笑顔のまま、スミレ先生がぴしりとひと声。
「ケンジローくん、つねりません」
ぱっ、とケンジローの手が引っ込んだ。マサヨシ、舌を巻く。
もしかしたら……
目の前の女性はリトミックマン以上の強敵となるかも知れない。
<ヒールもヒーロー 了>




