逃亡の出立
どんよりと重たい空気を一変することはシオンにもできない。
そこまで気を回すことに対して自由となった彼では面倒以外の何物でもないのだから。
オウレンはオウレンで淡白だ。
すでに思考を切り替えているのだろう。、話を本筋に戻すように「で、どうするんだ」と何食わない顔で問う。
もちろんシオンに考える必要などなかった。
最初から答えは出ているのだから。まずは活動拠点が必要だろう。更に金も必要だ。神に仇なせる仲間も欲しいところだ。
だからシオンは不敵な笑み――内から燻ぶるような高揚を顔に張り付けた。髪の毛を掻き上げ泰然と告げる。
「元は俺のなんだろ。何を迷う必要がある」
「ハッ、違いない」
鼻で一蹴するオウレンは大義だと言いたげに肯定する。
彼にしてみればさっそく、という思いがあった。以前の仲間、それも幹部の一人だ。いけすかない奴だったが敵対するのであればたたっ斬る。すでに身体が疼きだしていた。
シオンが集めた幹部は全員が腕に覚えのある手練だ。その中でも元盗賊の統領ハオルグとは一度本気で死合たいと思っていた人物だった。
出鼻を挫くようにユイネの言が割りこまれたのはそんなときだ。
「でも、そこまではどうやっていくんですか?」
「そうだな。俺たちは無一文だし……オウレン、金はあるか?」
「まぁ、ないことはない。これでも冒険者だしな」
「よし、なら軍資金のために提供しろ」
横暴ここに極まれり。
シオンのとんでも発言にユイネがまたしても言を挟んだ。
「ダ、ダメですよシオンさん。いくらなんでも恐喝じゃないですか」
「人聞きが悪いな、それにこんな大男を捕まえて……恐喝されるのはこっちじゃないか? 普通」
「俺は構ないぞ。金なんざ身体さえあればどうとでもなるしな」
執着しないというよりもお金の価値観そのものが違う、とユイネは頬を引き攣らせた。
村では例え四分の一銅貨だろうとも汗水流した対価だ。ましてや貧乏な村では銅貨が主流と言えた。銀貨ですら数枚で一財産。小銭だろうと塵も積もればなんとやらだ。
当然、ユイネがシオンを助けるために少ない資金で材料を買い揃える間、ボロ布に包まれた硬貨を絶対に手放さないと言わんばかりに四六時中握りしめてきた。
「い、いいんですかオウレンさん?」
「俺程度が持ってるはした金じゃたかがしれてるけどな。旅の物資を買い集めるには充分だろ」
そういうとオウレンは刀が刺さっている腰ベルトの裏から一枚のコインを取り出し、親指で弾いた。
汚れている所為か輝きは薄い。
宙でゆっくり弧を描く。
両手でキャッチしたユイネは目を剥いて急いでオウレンの元まで駆け寄り硬貨を掴んだ手を突き出す。
「私には受け取れません!!」
ユイネの親指と人差し指に挟まれた硬貨は傷が付いているものの、間違いなく金貨だった。
村育ちの彼女が目にする機会などなかったのだろう。持っているのでさえ怖いと訴えているのがひしひしと伝わってくる。
困った顔でオウレンは言い出した張本人であるところのシオンに視線を向けた。
「じゃ、シオンが……」
「俺が持っててもこの中で一番失くしそうだぞ」
「……!! シオンさん、き、金貨ですよ、わかってますか? 失くしたじゃ済まされない額なんですよ」
シオンはそこでふと妙案を思い付く。
自分が持っていれば戦闘などがあった際に容易くどこかへやってしまうだろう。オウレンもベルトの裏に仕込んでいるようなある種人格破綻者だ。ユイネの懸念は解消されまい。
もちろん本人の金なのだから、オウレンが落としたと言えばそれまでなのだが。
「それにしても一枚か?」
「――――!! シオンさん価値、本当にわかってます?」
「あぁ、はいはい」
ずいっと近寄ってくるユイネと自分の間に両手を差し込み早々に折れる。顔だけは問い掛けただけありオウレンに向いたままなので彼女からしてみれば十分眼を細められる態度だ。
「日銭は持ち歩かない主義なんだ」とオウレンは腰の刀に手をそえて。
「こいつと身体があれば十分だ」
「わかった。じゃ金に関してはユイネが管理しておいてくれ。俺らが持ってるよりは失うリスクも少ないだろう」
「――!! 私ですか!」
ギョッと再度確認するユイネにシオンは頷き、オウレンも同意を示した。
「わ、わかりましたけど、せめてお財布がないと心配です」
「適当にポケットにでも入れときゃいいだろ?」
「ダメです!! というか嫌です! お金を粗末にする者、銅貨に泣く、です!」
言っている意味はわかる。
この世界における格言だろう。
とは言え、主に貧困層に伝わるもので一般的な言葉としては少し古い。
しかし、こういうところはしっかりしているとシオンは思う。だからこそ金の管理を任せたわけなのだが。
村育ちというのは女性を逞しくする風習でもあるのだろうか、などと考えるのであった。
「とは言え、すぐにこの街から出たいしな。すぐに調達できるわけ……」
「いや、そりゃ表はダメだろうが、冒険者御用達の裏通りなら大丈夫だろ」
そう言うオウレンはいつの間にか窓の傍まで寄って、背を預けるように腕を組みながら通りを俯瞰してる。
彼の余裕から急いで離れなければならないということもないようだ。
それらを踏まえてシオンは「入用の物だけ買って離れるか」と諦め気味に決定を下す。
ユイネが買ってきたシオンの服に関してはもう手遅れだが、簡素な作りでも外套は人数分必要だろう。
「案内はオウレンに任せる」
「了解だ……っと言いたいんだが最後に寄っておきたい場所があるんだが」
「わかった。さすがに迷子なんてことにはならないだろ」
「その心配はない。これでもここら一体はすべて把握しているからな」
「じゃ、行くか」
ドアに向かって歩き始めた直後、ユイネがストップをかける。
「シオンさん……」
「ん?」と振り返ったシオンが見た物はユイネの手に握られている果物ナイフだ。
それで何をするのか、と訊く前に答が返ってくる。
「前髪邪魔じゃありませんか?」
「あ、あぁ……」
と言って自分の前髪を一摘み。
確かに長髪ではあるが、全体的に長さが均一なのだ。
それでもシオンは――嫌、周には髪を切りたいと思う思考はない。それどころか少しだけ正体不明な抵抗を感じる。
オウレンも同意するように頷く。
戦闘でも邪魔になると考えたのだろう。
シオンもそれは一理あると。
「だな、ユイネは切ったことあるのか?」
「いえ、初めてですが……」
何か? という顔にシオンは表情を引き攣らせる。
更に彼女は「料理もできますので要領はわかります」と言ってのけた。
そして……。
バッサリと切り揃えられた前髪、今更髪型に拘るつもりはなかったが悪人にしては似つかわしくない。
「やっぱりシオンさんに似合うと思ったんです」
「お~、貴族にも見える」
二人の評価にシオンは遺憾ながらも言葉を発さずに呑み込んだ。
髪型で変わったからと言って彼の行動に変化はないのだから。元々シオン自体が中性的な顔立ちなのだ。厳めしい、威厳ある顔など無い物ねだりだろう。
ハラハラと髪が舞い。床に頽折れるように積まれた自分の髪を儚い物を見る眼で見下ろす。
やはり髪を切られるのはあまり好きじゃない。
まるでゴミのようだ。いや、そうなのだろう。不思議と名残惜しい気分になる。
「おし、出発だ」
オウレンが発した覇気のある声は意識を切り替えるには十分だった。




