不運と不幸、最の付かない因果
彼女の話を聞くには時間は十分にある。丁度月も雲間から顔を出し不安を煽るような闇を跳ね退けていた。
気温も相まって木々を吹き抜ける風は心なし温かく感じる。
ずっと気を失っていたからだろうか、彼女の顔に疲労はなく眠気もないようだった。
彼女は地べたで体勢を変えて足をハの字に崩した。話し始める表情は暗くはあったが話し辛いさは感じ取れない。最初からシオンに話すこと自体に躊躇はないようだ。
ただ彼女が一言目に発する言葉は弱々しく追憶へと誘う。
「私がいた村は凄いあやふやな場所にあったんです」
「あやふや?」
訊き返さなければいけないほどに要領を得ない台詞から始まった。
話を聞いていく内に明かされる説明は周に知識をも与えていく。
彼女がいた村と言うのがこのアースウェイン法国内の南東に位置する辺境だということだ。しかし、世界情勢の悪化は国家間の武力紛争を激化させている。表面立っての戦争はないらしいが。
それでも度々賊に紛れた他国の兵士が侵略してくるというのだ。
問題である点……あやふやである点というのは彼女の村【オルネス】がアースウェイン法国とリベリオ帝国間で領地の所有権が平行線を辿っているからだ。
法国領内であると同時に帝国領内でもあるというなんとも綱渡りとしているような場所にあった。
両国とも一歩も引かない姿勢ではあるが、軍を大量に派遣すれば国境侵犯と国家間を悪化させる。もしくは緊張を高めるとして干渉し過ぎない態勢を取っていた。
そんな時にあった賊の襲撃は立地的な条件から戦力を持てず、小さな村であるだけの【オルネス】では抵抗すらさせてもらえなかった。
村人は虐殺され、女子供は捕まり奴隷として売られる。
備蓄していた食糧は持って行かれ、僅かな金品も全て奪われた。家に火を放たれ、農作物も焼かれてしまった。
この村人が移住できないのは何世代もこの村で生きてきたからだ。受け継がれた畑を守り家を残す。だから問題を抱えたオルネスではあったが、村人は誇りを持ち尊厳をこの村で築いてきた。
武器と呼べるものは畑で使う鍬や手斧に鎌を取り立ち上ったが、非力なものだった。
30人はいたと言う賊に彼女は家に閉じ籠った。母と一緒に地下に掘った隠し部屋で……。父は家の金品をかき集め、食糧を差し出す。
一人身であることを訴えるように助けを求めた、これ以上村人に危害を加えるなと。賊はむしり取るように父親から金品と備蓄していた食糧を取り。
「しょうがねぇお前だけは生かしてやる」と答えた。父は命を捨てる覚悟で望んだはずだったが意表を突かれて言葉を発さなかった。助かったという安堵など感じるはずはない。
散々村人を残虐に殺し尽くし晒し物にまでした連中だ。きっと不吉な顔を浮かべたのだろう。
それを裏付けるように賊はニタニタと嗤った。
そして彼女の父親は見た賊の目がゆっくりと真下に動いたのを。
「お前は助けてやるが下に居る奴は殺す……ヒャッハッハッハァァァ」
片手に持ったべっとりと血糊が付いた剣を板で組んだ床に突き立て、目が合う。
猛獣のような目とは違う。ただ弄ぶだけに人を殺す。そんな目だった。
父親は唇を噛み、雄叫びを上げて賊に殴りかかったが、それを待っていたように浅く床に刺さった剣が父親の胸を深く切り裂いた。
彼女は天井から流れる父親の温かい血に発狂し溢れ出る涙は抑えられないように、母の震えた腕の抱きしめを振りほどく。
入口の階段を駆け上がった時だ。
ドンッと乾いた木材が砕けた音が彼女の背後で聞こえ、振り向いた時には母を髪掴まれ引き上げられていた。
母は抵抗せず、彼女に向かって苦痛に染まった顔で口だけを動かす。
声のない声を彼女は聞き取った。
「隠れなさい」という一言を。
あまりの凄惨な光景は悲鳴すら出ない。彼女は唇を噛み硬く口を閉ざす。恐怖の震えは浮く歯を鳴らしたがそれすらも力いっぱいに両手で塞いだ。
物音を立てず隅で蹲っていた彼女は恐ろしい物に蓋をするように目を閉ざし、地面を打つ血の音を聞かないように耳に栓をする。神への祈りを繰り返して。
両親は【クルストゥエリア神】の信者だった。彼女は家の決まりとして食事前などに祈りを捧げる程度だったが、この時初めて神へと本心から願った。
「助けて」と。
当然、賊は彼女の存在も気付いており、母を引き上げた穴を広げ顔を覗かせて見つけると隙間の開いた歪めて薄ら笑いを浮かべた。
床の隙間を流れてくる父と母の血は滝のように流れ、雨を降らせているようだ。
入って来ようとする賊をシャットダウンして自分の世界に蓋をする。最後の最後まで神に懇願しながら。
そんな時だった。
そんな時――。
「そんな時に助けに来てくれたのがシオンさんです。賊は背後から斬りつけられて死んでいました。私がいることには気付かなかったのでしょう。でも穴の隙間から私はシオンさんを確かに見ました。神様への祈りが通じたと思いました」
見間違いようはありません、そんな長い髪。と少し寂しそうな微笑を浮かべた。
というのも今でこその言葉なのだから。
シオンは眉根を寄せ不機嫌さを匂わせていた。
賊を全滅させてくれたのはシオンとその仲間たちだった。激戦を繰り広げたのちに殲滅しそのままどこかへ去っていく。
そんな風のような一団であった。
彼女は救われたのだ……が、素直に命があることを喜ぶことなんてできない。村人で生き残ったのは彼女だけで、辺りは火の海と化していた。
行く当てなどなく、汚水を啜ってなんとか生き延びていたのだ。墓を作り埋める作業をたった一人で行い。賊が置いていった備蓄食料と金品にはどうしても手を付けることができなかった。今にも村人が今日の収穫を持ってお裾分けに来てくれたり、父が山に入って獲物を取ってくる。そんな光景が今にも動き出しそうで手を付ける気にはなれなかった。
国は手を貸すことができないとわかっていても腹に抱えた一物は日に日に増幅していく。
そんな時――村との交流があった近くの村人が様子を見に来たのだ。その人達は彼女に親切にしてくれたが親を目の前で殺され、家族も同然の村人がたった一夜でいなくなった現状に耐えられなかった。受け入れることができなかった。
自暴自棄になっていたのだろう。
しかし、村を救ってくれた人たちのことを彼女が溢した時、その人たちは顔を見合わせて暗い顔を浮かべた。あの一団がなんなのか彼らは知らないようだった。法国が手を差し伸べるとは考えづらいし、兵士とはまた一線を画するようにも思える。
あれが冒険者という者達なのだろうかと思ったが。
彼らのリーダーが捕まったという話を聞き、彼女は咄嗟に助けてくれた長髪の人を思い浮かべた。
それがシオンという名で助けてくれた人物と一致し、処刑されると聞いた時彼女は躊躇わずに備蓄食料に手を付け、王都に入れるように服を仕立てて貰ったのだ。
彼を殺させてはいけないと思い。
だから覚悟としてはその程度だった。いや、この場合は助ける覚悟以上にその後のことを考えていなかったと言うことなのだろう。
魔法的素質を有してはいたが、彼女の村では魔法を使うための道具を持っていなかった。というのも貧しい村では魔法を使うための道具、武器は高価過ぎる。一年やりくりしてやっと最下級魔法具を買える程度の資金しかないのだ。
それも飲まず食わずで生活した場合に限る。そんなことができるはずもない。毎日をギリギリの生活で山に入る父は取り過ぎてはいけないとも教訓のように言っていた。しかし、今の彼女にはこれからのことを考える必要はなかった。恩人を助けるただそれだけのために尽力するのだから。
王都では使い捨ての【閃光:フラッシュ】しか買えなかったが、それでも村の財産を叩いたのだ。
結果はぶっつけ本番とは言え良くできたと自分を褒めてやりたい気持ちだっただろう。
彼女はシオンを助けに来ただけで後のことは何も考えていなかった。というよりもそれ以上何もすることができなかった。
そのせいかせっかく買ったナイフも殺す覚悟のない彼女は簡単に捨てる始末だ。
でも、そのおかげ周はこうして生き延びられている。たった一つの歪みが彼を永劫の死から解き放ったのだ。
話終えた女はやっと感謝を告げることができるとあって大きく深呼吸した。
「今更ですが、私はユイネ・アウル・スリエクトと言います。初めまして、そしてありがとうございます」
そんな感謝を告げるユイネに周は一拍遅れて反応する。身に覚えのないことに感謝されるのはお門違いなのだろうが、それは周だからこそ思うことだ。
そんなことよりも周は彼女に対しての一方的な恩しか感じていない。
「初めましてだな、俺は……シオン……」え~と、と考え続く名を思い出す。
「シオン・フリードだ。助けてくれて本当にありがとうユイネ」
「はい、知っています」
と、機先を制されてしまったが、このはにかんだような表情を見れば愛嬌ある言葉だとわかる。それでも繰り返される死の連鎖から抜け出すことができたのはユイネのおかげだ。
これも因果なのだろうか。シオンが彼女を助けていなければこの結果はありえないのだから。
納得はできないが、理解した。というのが周の感想だ。
なんの打算も勝算もない行動には理解しかねるが、彼女を突き動かす程の恩を感じていたのだろう。ならばそんなユイネに救われた周も同じように恩を返さなければいけないのかもしれない。




