10.
「…………」
目が覚めるとそこは見知らぬ部屋だった。身体の節々が悲鳴を上げているが、なんとかその身を起こして部屋の中に目を配ると、その造りと備品から診療所か何かかと推測できる。
だが、李天はそこで首を傾げる。
肌に触れるベッドのシーツやブランケットの質はそれなりに上等な物で、村では村長の家ぐらいでしかお目にかかれないようなレベルである。
自分自身はあまり利用したことは無いが村の診療所は名ばかりの代物であり、村間を渡り歩く〈巡回医〉の孫心さんが村の治療のほとんどを担っていたはずだ。
そう言えば、近々森で取れる薬草を受け取りに来る約束になっていたことを思い出したところで堅く握り締められている自分の左手に違和感を覚えて開こうと力を込める。
左手はその力を拒むように頑なに握り締められたままでありそれに苛立った李天は軋む右手で一本ずつ開こうと指をつかむ。
一本目の指を引き剥がすのに十分掛かった。
隙間から見えた色に吐き気を覚える。
二本目の指を引き剥がすのに倍の二十分掛かった。
その輝きに頭痛を覚える。
三本目を剥がした時、思い出した。
「あ……」
力が抜け、開かれた左手から茜色の宝石が零れ落ち、カツン、と乾いた音を響かせる。
それを目にした李天は気付く。
ここは慣れ親しんだ村なんかじゃない、と。
あの村は確かにその目の前で全部――
「あ、あ……あ」
目に焼きつき、脳裏に刻み込まれた光景が吐き気と共に蘇ってくる。
村に着いた時にはすでに村は無かった。
あったのは、散在する木片やレンガ片といったかつての村の名残。村を襲ったはずの〈貧狼小鬼〉の姿もなく村人の死体の類は一切存在しない。
つい先ほどまでここに村があったとすら思えないほどに朽ち果てた光景。
小さいながらも大地の恵みの恩恵を受け、決して平穏とは言えなかったが満ち足りていた村。豊作祭でしか食べる事の出来なかった豚の丸焼きや、年越祭でのみ成人前でも飲む事が許された御神酒の味。それらはもう失われた。
それが信じられず、信じることが出来ずに駆けずり回ってやっと見つけた物は李天にとって見覚えのある品。
村長の娘がいつも身に付けていた〈茜色のブローチ〉。「これね、お母さんの形見で自分にとってのお守りなんだ」と精一杯の笑みを浮かべながら悲しげに言っていたのを覚えている。
「――――ッ。――――殺、してやる」
李天の口から漏れたのは憎悪。
言葉にして吐き出すことでその思いは更に強くなり、体中をどす黒い感情が流れていく。
「――まぁ、あまり思い詰めるのも良くないとは思うがな」
誰もいない、と思っていた部屋の中で壁に寄りかかるように一人の青年が――〈冒険者〉が立っていた。
「……」
「別に君が死にに行くと言うのなら私はそれを止めはしない」
「ち、違うッ! 僕はッ!」
「……アレは、レベル90の〈冒険者〉を殺すだけの力を持っている。私も一度殺されている」
〈冒険者〉の口から出た言葉に「まさか」と李天は目を見開くがどうにも嘘を言っているようには思えず「死にに行くんじゃなくて、殺しに行くんだ」という喉の辺りまで出掛かっていた言葉を失った。
青年はバツが悪そうに僅かに顔を背け、言葉を続ける。
「聞きたい事は二点。君が長老殿に言ったという食いつぶされた森は〈紅葉樹海〉で間違いないか。現れたモンスターは〈貧狼小鬼〉で間違いないか、だ」
青年の身形は普段着、というのか黒を基調とした簡素なズボンと上着程度のものであったが自身とはまったく違う生き物だという事を敏感に感じ取る。
〈古来種〉よりも〈大地人〉に身近な存在でありながら、最も遠い存在。世界をまたに駆けて往来し〈大地人〉にとっては必死の戦いを笑いながら片手間に片付けてしまう存在。死して尚朽ち果てず不老不死の身体と精神を持つ『理を異にする存在』。
それこそが〈大地人〉から見た〈冒険者〉。
日常的に交流を持たない〈大地人〉からすればそれは畏怖の存在ですらあり、モンスターと同等の存在として考えている〈大地人〉も多いのが実情だ。
最も〈狩人〉として生活をしていた李天は接する機会も多かったのであまりそういった凝り固まった偏見などなは少ない方である。それでも、畏怖の存在には違いないが。
「……はい。えっと、その僕が見たのはその〈貧狼小鬼〉だと思います」
「思います、とは?」
「だって! 僕は物心付いた頃から〈紅葉樹海〉で〈狩人〉をしてたけど! 僕は、あんなの見たことがないんだ! あの森にいるモンスターのレベルは高くても32だったんだ、でも、あいつらッ! あいつらはッ!!」
村を食い潰した様を見る限り、30程度のレベルの力ではない。噂に聞くパーティ級やレイド級の実力ではないかとすら思わされた程だ。
「……やはり実際の強さと齟齬があるのか」
「……え?」
「私の仲間が言うには認識できるレベルに50程度の上積みがされているらしい。実際、私が戦った感触でもその程度だと思う。しかし本当に〈紅葉樹海〉にも現れているとなると拙いな」
〈冒険者〉の青年はそのまま口を閉ざし、思い詰めた顔をする。質問に答えた形にはなっていないが、彼にとってそれは望む答えだったのかもしれない。
だが、李天は〈冒険者〉の発した言葉の違和感を覚えた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。〈紅葉樹海〉にも?」
「……私達は〈蒼葉樹海〉でアレ――『狂イ』と私達は呼んでいるが〈貧狼小鬼〉の群れと遭遇し、なんとか切り抜けた。〈蒼葉樹海〉は一応森の形を保ってはいるが、既にそこに生きていた生き物はいない。森としては死んだも同然――待て。〈紅葉樹海〉も確か最奥に泉があったあずだ。そこはどうなっていたかわかるか?」
「……父さんが、様子を見に行ったんだ。でも、そのあと直に〈紅葉樹海〉が」
「……辛い事を聞いたな」
「いえ。大、丈夫……です」
実際、父親の死を確認した訳ではない。しかし〈冒険者〉の発した半ば父親の死の断定に異を唱える事など出来ない。
幾ら〈大地人〉離れした強さを持っている自慢の父親だとしても、アレの中を生き延びれるとは思えないからだ。もし、生き延びていたとするのならそれはもう自分が慕い尊敬した父親ではなく、李秀という名の別のなにかだ。
「……病み上がりのところ悪いが他に気付いた事はないか? 得体の知れないモノを見た、とか」
「〈貧狼小鬼〉以外で、ですか?」
李天は何か知っている風な〈冒険者〉を怪訝に思いながらも、記憶を辿る。
「あぁ。アレ以外で何か見なかっただろうか?」
「……いえ。〈貧狼小鬼〉で精一杯でしたから」
「そうか。……そうだな。いや、病み上がりに済まなかった。私達はもう少しこの町の宿に逗留する予定だ。何か思い出したら連絡をくれないか?」
「はい……。えっと、〈冒険者〉さんのお名前は……」
「ん? あぁ、済まない。名乗りがまだだったな。私の名は黒兎だ。よろしく頼む」
握手を求めるように差し出された右手を握った李天はその力強さに驚く。
もし、普通の〈大地人〉ならば気付かないかもしれないがレベル25の〈狩人〉である李天は軽く握っただけで〈冒険者〉とは、〈大地人〉とは本当に違うものなのだ、と思い知らされた。
これほどまでに存在そのものが違う人ですら殺されたと言うのだから、レベル25程度の自分は生き延びる事ができた事自体が奇跡に等しいのだろう。
「……僕は、李天です」
だが。
だからといって、この気持ちを鎮めていい理由にはならない。なってはいけない。
父親も故郷も恋した人も何もかもを奪っていったアイツ等を見過ごす事など出来る訳がない。して良い訳がない。
「……先ほども言ったが、止めはしないからな。だが、身体が万全になってからの方が悔いは残らないと思うぞ」
青年は再度、そう口にしその場を後にした。
それを見送った李天は軋む身体をもう一度ベッドに横たえる。
いますぐ、復讐に向かいたい。しかし〈冒険者〉の男が言ったようにこの状態で向かったところで無様に死ぬだけだ。なにも〈貧狼小鬼〉を駆逐できるとは思ってもいないし、自惚れてもいない。
李天は自分でも気付いている。
先ほど出掛かった「死にに行くんじゃなくて、殺しに行くんだ」という言葉は虚勢でしかない事に。
■
「なるほどねぇ、そんな事があったわけだ」
「そんな事があったわけなんだよ」
空になった器を片付けながら柳千はトールに向かって口を開く。
「身体の調子はどうなの?」
「んー、まぁヒットポイント的には完全回復完了ってな訳ですよ。まぁ、ちょっと精神的な疲労は残ってるけど気にするほどじゃねぇさ」
あっはっは、といつもと変わらずに快活に笑い飛ばす姿を見てため息を漏らす。
春猫娘ほどではないが、目を覚ますまでの四日間は結構いろいろと気に掛けていた身としてはなんか心配していたのが馬鹿みたいに思えてくる。
トールが目を覚ましたのはまだ二時間前の事で、むしろトールからの「おはよー、柳千。なんかすげぇ腹減ってるからぱぱっと食べれるもの無い?」という念話で目を覚ました事に気付いた。
「それでも、さっきみたいに身体慣らしだー、とか言って外行こうとしないでよ? 僕はまぁトールの事だからケロッと帰ってくると思ってるけど春猫娘が心配するんだから」
「んー、なんでそこで春ちゃんが出てくるのかはまぁ大人の対応でスルーしとくとして……。実際どうなんだ? ここいらに『狂イ』は出てるのか?」
「そこら辺は隊長が聞き込み担当だけど少なくともこの町の周辺では見てないよ。あとは〈紅葉樹海〉で〈貧狼小鬼〉に襲われた〈大地人〉がここで療養してるみたい」
誰の目から見ても明らかな意図的に出された春猫娘の話を言葉にしてまでスルーし、その話は端に寄せようという目線をトールは柳千へと投げつける。
その視線の重圧に負けた柳千は僅かにため息を漏らし、それでも言葉にしてまでスルーしたという事はその事について僅かにでも意識しているという事ではないか、と思う事で折り合いをつけた。
「……それは『狂イ』なのか?」
「どうだろ。ついさっきその〈大地人〉も目を覚ましたらしいからそれで判断するしかないんじゃないかな。隊長が詳しい話を聞きにいってるよ」
「はー……。頑張るねぇ、黒兎は」
「戦闘であまり役に立てなかったのがかなり悔しかったみたいだよ、隊長は。あぁ見えても結構負けず嫌いだからね」
それは僕も同じだけどね、と小さく続けながら湯飲みに淹れたお茶を渡す。
「お、サンキュ。……そうか? ほら、あれあったろ。あのタウンティングとバフを同時に使った奴。〈守護戦士〉にあんなスキルあったか?」
「へ? ……そう言われると、うーん……〈守護戦士〉じゃないからそこまで詳しくないけど隊長の取ってるスキルだと該当するのは〈アンカー・ハウル〉と〈ウォー・クライ〉ぐらいかな? でも、あのタイミングで使うのは隊長の性格からすれば〈アンカー・ハウル〉だと思うけど」
自らは〈盗剣士〉であるものの、同じギルドの仲間が持っているスキルはほとんど把握している。完全に把握している、と言い切れないのは中国サーバではサービス当初にギルド間、パーティ間での裏切りが横行し、自らの手の内を全て晒すのは相手に対策を取られてしまう事から各々が普段は使用しない切り札(それはスキルであったり装備であったりプレイヤーによって異なるが)を持つようになった事に由来する。
もっとも、その裏切り行為は時間の経過と共に収まったものの、誰にも教えない自分だけの切り札という考え方はその響きの格好良さから中国サーバのプレイヤーには好まれて用いられるようになった。
その為、黒兎が何らかのスキルを隠し持っているかもしれないという懸念が存在する。
「ふーむ……。俺も〈守護戦士〉で思いつくのはその辺りだな。……っていうか俺の知り合いにまともな〈守護戦士〉がいねーか」
「まともじゃないって……。どんなプレイスタイルの〈守護戦士〉なのさ」
基本敵にタンクかアタッカーがその常である〈守護戦士〉において、まともじゃない〈守護戦士〉とはいったいどんな存在なのか好奇心をそそられた柳千は条件反射に近い形で問い返す。
「ん? 最後衛で弩砲を担いでるサブ〈攻城槌〉持ちの馬鹿とか、サブが〈野生児〉な一切のスキルが使えない馬鹿とか。あいつら絶対〈守護戦士〉って言葉に込められた意味を忘れてんね。ありえないだろ? 〈守護戦士〉が〈神祇官〉の後に陣取ったり、一撃で沈んだりとかよぉ」
だからこそ楽しいんだけどな、と続けたトールは心底楽しそうに笑った。
「……えっと、その二人はヤマトにいるの?」
聞きなれないサブ職業ではあるものの、その言葉の響きからどの様な代物か判断し嘆息を吐く。ちょっと一緒にパーティを組んでみたい気にもなるが、要するにトールと共にハイエンドコンテンツを戦い抜いたほぼ同等の存在なんだろうと考えればあまりにもその考えは浅はかにすぎる。
「いや、この二人は『ウェンの大地』の奴だよ。両方ともログインしてなかったからまぁ、会う事はないから安心しとけ」
「うん、まぁ……うん」
「……と、脱線してるな。……正直なところ、アレに心当たりが無い訳ではないんだよ」
「え、そうなの!?」
静かにそうこぼれた言葉に柳千はつい言葉を強めて反応する。
「おう。ほら、俺の〈降霊術:武霊招来〉。あれってさ、使ってもその後にぶっ倒れるようなペナルティはゲーム時代は無かったんだぜ? だから、そこら辺のシステムの一部が〈大災害〉以来組み変わったと考えればアレも説明出来そうじゃないか? もし、これが日本サーバでのみ起きるってんならそりゃ〈ノウアスフィアの開墾〉によるアップデートの中身ってのが有力になるんだけど」
「でも、あの後も〈アンカー・ハウル〉使い倒してたけどあの効果は発動して無かったじゃん」
「……なんだよなぁ」
そこは自分も気付いてる、と頭をかきながら言葉を続ける。
「条件がある……とかどうだろう」
「条件?」
「あぁ。柳千は感じた事ないか? ショートカットからスキルを発動するのと、こう手動って言うのか? 自分でその型をなぞって発動した場合の若干の性能差」
確かにショートカットからスキルを選択すれば自動でターゲッティングから発動までの一連の流れをおそらくシステムによってアシストされスキルが発動する。ゲーム時代はその方法でしか発動できなかったが、自分の体がある今では自分の意志で数あるスキルの技の『入り』――初動モーションを取る事でそのスキルを発動する事ができる。しかも、同じスキルであってもその『入り』は数パターン存在していることは黒兎とも確認済みだ。
たとえば〈デルタ・トラスト〉は対象目掛けての正三角形を形作る三点同時突きだが、ショートカット発動では逆三角形を描く。手動であれば、任意の向きの三角形を描く事が可能であり攻撃する場所を選択できるというのは大きな利点である。もっとも、手動入力であってもシステムによるモーションアシストは発生するので完全に使いこなすにはショートカット発動に比べれば難易度ははるかに高い。
「でも、それはあくまで若干の性能差だろ? 幾らスキルの入力方法が選べるからってまったく別の技になるわけじゃないじゃんか」
「そこだよ、柳千」
我が意を得たり、とした顔で頷く。
「例えば――左手の突きが初動として設定されているスキルと左手の突きがラストアタックとして設定されているスキルを同期させて発動しようとしたらどうなる?」
「っ――。そ、それは」
考えた事も無かった。
――が、それは、確かに。
「〈アンカー・ハウル〉も〈ウォー・クライ〉も共通するのは声を発するという行為だ。なら、どちらかの手動発動で、効果が重複したとしても――」




