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第二十二話 掌に咲く 後編





 気が付いたらもう、目の前が真っ暗だった。


 手を伸ばしてもそこに何があるのか分からず、力の入らぬ指は空気を掴むばかりで何の感触も得られはしない。


 意識が混濁している。

 これが走馬灯というやつであろうか。


 どれほどの時が流れたのだろう。

 物が動く気配がして身体が起こされると、口元に食事が運ばれていく。


 淡々と繰り返される作業。


 いつものように、口の中に入ったものを噛み砕こうとする。

 だが残念なことに、もうそれを咀嚼する力もないようだ。


 緩慢な動作とまどろみの世界。思考に身体が追いつかない。

 死が近いとは、こういうものなのだな、と思った。


 あぁ、……なんということだ。


 かつて思い描いた未来とは、随分と遠いところにまで来てしまった。


 だけれど、何もないはずの暗闇の中であるのに、感じられることがあった。

 今にも尽きてしまいそうな、微かに燃ゆる魂の残り香。

 懐かしい陽の温もりと、草木の匂い。


 ただ一つ願いが叶うなら、この想いを誰かに渡せたらいいと、そう思った。

 そして、ずっと考えていたのは、何もかもが失くなっても、残っていた只一つのこと。


「……あの花は、どんな色だったか」





 * * *





 刃影が空を切り音を鳴らして、リバックの眼前へと迫る。力を使い果たした満身創痍の身体を動かし、逃れようとしたその時、けたたましい音が鳴り響いて、漆黒の剣はより長大なる剣によって阻まれた。


「こちらの要件がまだ済んでいない。逃げられては困るな」

 迫りくる狂刃を遮ったのは、大きな背丈の男であった。

 背には獅子の紋様の入った、鮮やかな赤い外套マントを靡かせている。

 その者こそ、グラム王国にその人ありと謳われる程の大人物。

 グラム王国聖堂騎士団団長、剣聖アルバート・フィテスその人であった。


「ほう、少し背が伸びたか?」

「思ったよりも時が掛かりました、叔父上」

 アルバートの快活な声に応えるリバック。


「だがいい面構えにもなった。……敵は難敵ではあるがな」

 アルバートが剣を交えた先にある存在。

 改めてその乱入者の姿を見た瞬間、リバックの呼吸いきが止まる。


「父上……?」

 そこに佇むのは生を一切感じさせぬ、かすかな存在。

 漆黒の鎧に身に纏い、全身から発せられる気配は、その存在が悪しきモノに蝕まれている事を示していた。


「からくりは分からん。象られしは確かにお主の父である、クロード・フィテスその人だ……」


「く、ははは……」

 ザムジードが笑う。

 虚ろな瞳のまま自棄になったその姿は、今にも消えてしまいそうな希薄さを見せる。そんな状態であるというのに、ザムジードの瞳は確かなる狂気を映す。


 隣ではサイがザムジードの動きを注視しながら見張っていた。


「……最期に見るには良い喜劇だ」

 もはや動く気もないのか、地に座り込んだままのザムジード。悪意に満ちた瞳は只々フィテスの血族を見続ける。


 リバックは未だに気を取り直してはいない。

 精神の揺らぎに比例して、心音は早鐘をつく。


 アルバートと剣を合わせていた漆黒の騎士が、さらなる斬撃を繰り出す。頭部を狙う水平斬りに、回転をつけた袈裟斬り。そこからさらに伸びゆく刺突。


 アルバート・フィテスは、人より大きな体躯を器用に扱いながら、拳一つにも満たぬ空間を支配下に置き、その攻撃の全て捌いてゆく。頭を下げるように避け、左半身を引き、伸びた刺突の横を剣で弾く。


 白く輝く刃と光を吸い込む黒き剣が、同時に打ち付けられる。拮抗する力の刹那、にじり寄っては離れるを繰り返す。まさに剣の舞。フィテスの剣舞はいとも容易く行われる。しかしその一挙手一投足が、生命を奪う重みを持つ。


「運命と言うには、なんという巡り合わせよ……」

 攻撃を受けながらアルバートの口から出たのは、純粋かつ静かなる怒りであった。繰り出される技の全てが、武門を誇るフィテスの伝統にのっとったものである。


 脈々と受け継がれる護国の為の剣が、本来より遠く離れた使い方をされている。それも、アルバートにとっても大切な存在である、クロード・フィテスの手によって。


「最後に見た魔導ももう戻らぬか」

 最初の時、クロードはアルバートに向けて確かに言葉を発した。クロードが死の間際に残した、魂の残滓であるのかもしれない。


 だがそれも感じられなくなっていた。アルバートは決断せねばならない。肉親としても、フィテスとしても。


 クロードの鋭い剣が舞う。

 それを受け流そうとするアルバートであったが、気配を感じて二歩足を引く。


 受け渡されるように音が鳴る。

 剣の続きを受け渡されたのは、満身創痍の身体を押して出たリバックであった。


「叔父上……俺がやります」

「うむ……」


 漆黒の剣が遥か天より降る。

 その剣先を斜めに逸らして、横に力を流すリバック。

 地に落ちる前に、更に天へと掛け上がろうとする刃。

 身を押し付けて、リバックは自らの剣でそれを押し留める。


 クロードの顔が近い。

 その顔は、血が通っていないせいかひどく不健康そうであるのに、リバックが幼い頃より見ていた顔であった。


 瞳は暗く、かつてのような太陽の様な輝きはもう見えない。


 であるというのに、クロードの瞳がリバックの瞳を見ていることは分かった。


 リバックの瞳の中にある炎が、反射して、クロードの瞳に宿って見えた。


 精神こころは泣いている。

 泣いているのは、リバックであるのか、クロードであるのか。

 身体が離れてゆく。


 剣を振る。


 それは幾度となく繰り返されたこと。


 クロードに褒められる度に、リバックは嬉しかった。


 剣を振る。


 上手く出来た時も、上手く出来なかった時も、クロードはいつも笑顔であった。


 剣が交わり、離れる。


 昔とは違い、ここにある呼吸は一つになってしまった。

 変わらないのは、懐かしい空気。


 音もなく、大地が踏み締められる。

 クロードは、左足を踏み込みながら右足を引く。上半身の回転を加えて、一拍のさらに半分の間で繰り出される剣技。


──裏拍打


 水平に伸びる剣線。


 リバックは右足を踏み込む。

 まるで合わせ鏡のように、同じ姿が映される。


「──裏拍打」


 宙を征くクロードの漆黒の剣は、リバックの剣と重なると粉々に砕け散った。


 そして、リバックの刃はクロードへと至る一つ手前で静止する。

 リバックの涙で濡れた瞳は、もう何も見る事はできない。


 全てが静止した空間にあって、ただ一人、クロードの身体が動き続ける。





 * * *




「あぁ……大きくなった」


 リバックの頭に手が乗る。

 懐かしい声と、ずっしりとした力強い掌。伝わってくる温もりは、リバックに過ぎ去りし遠い日々を思い起こさせる。リバックが見上げた先にあったのは、とても懐かしい笑顔であった。


「父上……」

「うれしいなぁ……」


 さらさらとした音が、リバックの耳に入る。

 頭に乗ったクロードの手の温もりも次第に失せてゆく。


「父上!!」

 クロードの姿が砂のようにほろほろと崩れ、消えてゆく。

 しかしそれでも、クロードの笑みが絶えることはない。


「──とても良い、満開の花だ」

「あ、あああ……」


 リバックの瞳より流れる涙はとどまることをしらない。

 散りゆく花に、咲きゆく花。

 クロードの想いを受け取る。


 だけれどもそれは、気づかぬ内にもうすでに受け取っていたものなのかもしれない。


 絶えることなく続く生命いのちは、曇った空もその輝きによって照らす。

 すくすくと育ち、世界を彩るように。


 力強い、花が咲く。





いつもお読み頂きましてありがとうございます。


次回更新は木曜日夜の予定となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第二十三話 グアラドラ 前編』

乞うご期待!

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