第二十一話 白の騎士 中編
炎が燻り、生々しい破壊の跡を残すグラム王都にあって、民を救うために一人の騎士が舞い降りた。
全身を見事な意匠によって拵えられたその姿は、佇まいも相まって見る者に圧倒的な存在感を植え付ける。背には真紅の外套。描かれるは高潔なる獅子。鎧に身を包んでいる人物、リバック・フィテスは、助けた親子の感謝の言葉を背に受けながら、通りを進む。幼子の小さな瞳が映すのは、悠然と歩く白い騎士の姿だった。
リバックがさらに数十歩を歩いたところで、独特な空気を匂わせる敵対者が行く手を阻む。ぐるりと気配を探ってみれば、見える範囲に三つ、見えぬ所に二つ。合わせて五人の敵がいるようであった。
正面に対峙するのは、先ほどリバックが斬り捨てた男と同程度に、大きな体躯を持つ男であった。呼吸を感じさせぬ静けさに、地を音もさせずに歩くという歩法は、それだけでも達人の域にあった。
腰にある一振りの長刀も、抜く気配がない。
前面の敵対者は、内に秘めた殺意を一欠片も漏らさない。
もし殺意に気付くとするのならば、きっとそれは斬られたあとなのであろう。
積もりに積もった死の残り香が、リバックの足を止める。
その場は刹那の時を持って、異界へと変質する。
黄泉の国の入り口に立ち、リバックは口を開いた。
「──通させてもらう」
「死域に足を踏み入れて尚、その闘争心を絶やさぬか──それもまた良し」
鞘が鳴る。
音は一つ。影は二つ。
正面の男が後ろに引くと、背後から僅かに頭身の低い男が二人現れ、剣を抜く。左からは回転を加えた逆袈裟、右からは袈裟掛けに刃が巡る。軌道と間合いを寸前まで見せぬ、必殺の太刀。
辿る線は一つ。
リバックは僅かに身を後ろに引くと同時に剣を抜き、力の交差する中心へと剣を重ねる。力の作用点をずらすように放たれたリバックの剣は、見事な一線を描くと、男達が作り上げた剣の合力を軽々と分解して払いのける。
燃えるように鮮やかな真紅のマントが翻る。リバックは踏み込んだ足を軸として、左足で地面を蹴ると、更に強い力の回転を加える。神速の域に達した刃は、前のめりになった二人の男をそのまま斬り捨てた。
重ねて鳴る音が二つ。
微かに撓る弦の音に、それが弾かれた音。
リバックは瞬時に眼を凝らして、空間の揺らぎを見極める。それは黒く塗られ視認しにくくなっている矢。到達までの猶予はない。
さらに、この場で最も大きな影が動く。目の前の男の刀の鞘が、その異様な様相をリバックに見せつける。巨大な上体を大きく前傾に丸めると同時に、鞘が天を突く。吐息のような涼風が音を鳴らすと、全神経が集約された一刀が、地面すれすれを通りながら砂を巻き込んで、天へと昇るように放たれた。
──五身一体必死の陣
リバックは息を止める。
一瞬の中にある永遠において、思考が無限の過程を精査していく。
矢は時間差で二射。
避けそうな方向に、さらに二の矢、三の矢が重ねて飛ぶのだろう。
然して目の前の一刀を避ける事は不可能。
「フィテスの紋章が描くのは雄々しき獅子の紋章。正道を持って如何なる困難をも打開する、英雄の紋章」
研ぎ澄まされた神経が心の音を聞かせてくる。
リバックの身体からも音が鳴っている。
己が魂がまだ、抗う事を許してくれる。
目の前にあるのは、天へと向かう龍の顎。
リバックはその刹那、オーリンの槍を思い出す。
地面を這いながら、一瞬で上空へと飛び出す様はまさに龍が如く。
リバックがかつて受けたオーリンの技は、目の前の様な予備動作すらなかった。全ての技が連動して、絶え間なく状況に対応するよう変化を見せる。追い付いたと思った先から次の技が繰り広げられる。まさに千変万化。
兜の中で、リバックに笑みが溢れた。
そして思考は今に戻る。
龍の顎がリバックの頭蓋を喰らおうとする道を見極めると、自然とリバックの身体が動く。右手の力が抜けると、持っていた剣が離れ落ちていく。
手甲に覆われた右の拳が、迫る長刀の上部を捉える。
金属が擦れて激しい火花が出る。
それでも勢いが衰えることはない。
目の前の敵の伸縮自在の膝が伸びて、男の上体が天へと反れていく。
どんどんと迫ってくる刃を見て、リバックの左の手甲が、溜めていた力を開放するように時間差で音を鳴らす。
──ガンッ
乾いた音がすると、力の逃れる場所を失った龍の顎が、胴体ごと自壊し始める。
「これは!」
大男の上方へ放たれた力に身を任せ、流れるように身体を一回転させるリバック。その瞬間に足元へ到達した矢を躱すと、地面に落ちる寸前の剣を手に取り、胴体を狙っていた矢も斬り捨てた。
「──なんと、見事な」
「御免──」
大男はその場に崩れ落ちる。矢を放った者達も必死の戦略が崩れ去った今、即座に退却していく。
驚異は去った。
高ぶる鼓動を抑えるために、リバックは深呼吸をする。
視線を横に向ければ、リバックの眼に映る全てのものが心揺らすような惨状であった。所々に破壊を免れた場所もあるが、大通りに面した所はやはり無傷とは言えない。
リバック自身、幼き頃に家族と歩いたことのある道が、もう見る影もない。視界に入るものを認識する度に、兜の奥深くに隠れている表情が歪んでいく。それでもリバックは、刹那に生まれゆく逡巡を振り払い歩き出す。
そうして歩いていると、リバックは街中の至る所から寄せられる視線に気付く。街に漂う禍々しい気配は未だに消える事はない。だが、それでも希望となるものがある──
多くの視線が、白の騎士の存在を捉えて離さない。
リバック・フィテスは堂々とグラムの道を歩む。
かつて父より託されたフィテスの鎧と、その志の一切を背負って。
その時──
「白の鎧に獅子の紋章とは……まさかそれは守護騎士の、貴殿はアルバート・フィテス卿か!」
前方より騒々しく現れたのは、リバックにとっては懐かしい、王都警邏隊の恰好をした男であった。
「叔父上ではないが、私もフィテスだ。王都に戻ってきたばかりではあるがな。状況を知りたい」
「もしや貴方様は……。状況は各地にて突発的に起こっている爆発を除けば、後は襲撃者と警邏隊との小規模な戦いが起こっているようです。予断を許さぬ状況下ではありますが、第一警邏隊の出動により少しずつ混乱は収束しているようです。しかし相手方は、その本体らしき集団を王城まで進めているとの一報もあります。相手の狙いを考えれば、一番の激戦区はそこになるかと……」
「なるほど……確かに化物の気配がある。君達は住民と連携を取りながら、このまま動いてくれ。もうすぐサルヒュートに遠征していた王国騎士団も帰還を果たす」
「騎士団が……」
リバックの言葉の意味を理解して、たまらず声を漏らす警邏隊の男。
「本当によく耐えてくれた。後は任せてくれ」
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次回更新は木曜日夜の予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第二十一話 白の騎士 後編』
乞うご期待!




