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第二十話 王都炎上 前編





 人には誰しも、ついていない日というものがある。歩いていて何もない場所で躓いたりだとか、妙に人に強く当たられたりだとか、長い人生を生きていると、様々な事象がぶつかり合ってしわ寄せが生まれた時に、気が付いたら割を食う場所に立っているという事がたまに起こる。振り返ってみればそれらは本当に些細なことで、一日の終わりに話の種に出来るような、そういった苦労話の類の一つであった。


 その日は、シド・ミラーにとって、そういったついていない日のひとつであった。


 シド・ミラーの日々の生業は、王都の治安を維持する為に存在している、警邏隊というところにあった。朝起きて、愛する妻とまだ幼い娘に送り出されて家を出る。いつもと変わらぬように、自らが所属している詰所に立ち寄り、馴染みの顔と世間話をして警邏に出る。最近の話題としては、王都に増えてきた難民の話で持ち切りではあったが、特に大きな問題もなく、グラム王国の真摯な対応を肌で感じていたシド・ミラー自体も、難局ではあるが事は少しずつ収束していくのだと思っていた。


 すべてがいつもと変わらぬ行動から始まり、いつもと変わらぬ風景を映し、いつもと変わらぬ日常のまま一日が流れていく。だけれど、いつもと変わらぬまま過ごしていたはずのシド・ミラーの瞳に映った光景ものは、いつもとは違うものであった。


 逆巻く業火が辺り一面を包み込み、黒煙が濛々(もうもう)と天へ昇る。それを見て立ち竦む人々。為す術も無く嘆き、周りの人間に必死に声をかける者。どこからともなく聞こえてくる子供の泣き叫ぶ声や、誰かが誰かの大切な人の名を呼ぶ声。


「……なんなんだよ」

 呟いた言葉も一瞬で掻き消える。一目見ただけでわかるほどの地獄絵図。多くの怪我人がその場には溢れていた。被害にあっている者の多くが、家を持たない大災害から逃れてきた難民達であり、炎から逃れようとする人の波は混乱という荒波に飲み込まれ激流へと変化しつつある。あらゆる恐怖が伝播でんぱし、次々と連鎖していく混沌の坩堝るつぼに、シド・ミラーの思考は停止し、身体が動かなくなる。


 そんな状況下であっても刻々と時は流れ、停滞を切り裂くように悲鳴が上がる。声の先を見たシド・ミラーの目に映ったのは、余りにも異質な集団であった。それは日常とは対極に位置する狂気の群れが形となったもの。全身を黒一色で統一した集団が、抜き身の剣を持ち歩き、炎と破壊を齎す。道に溢れる難民達を襲いながら、まるで自らの存在を誇示するように凶行に走っている。シド・ミラーが遠目に見たのは、その集団が見せる狂気を止めようとした警邏隊の仲間達が、無惨に斬られてゆく姿であった。


 黒衣の集団は一人や二人ではない。

 まるでそれは黒い霧のように、炎と同居しながら一面を覆い尽くしてゆく。


 しかもその集団は、明確に何らかの意図を持って、このおぞましい行動を起こしている。背中を見せ逃げようとする人々を嘲笑うように、狂剣を振るい続ける。シド・ミラーは、精神こころの内に生まれた恐怖に震えてどうすることも出来ない。そもそもがシド・ミラー個人の手に余る事象であった。悪魔のような集団から離れた位置にいる今ならば、このまま逃げ出して妻や娘の元に帰ることが出来る。娘はまだ五つになったばかりだ。父親であるシド・ミラーが守らなければならない。


 本能は目の前にある恐怖から逃げる事を良しとしている。


 あらゆる理屈がシド・ミラーへと語り掛け、それらから目を背けるように後押しをしていた。この場から逃げ出したという事実は、シド・ミラーにとって一生の後悔として残るのだろう。それは心の奥底に積み重ねられ、死ぬまでこびりついて拭えぬ慚愧となるのだろう。決断しなければならない。シド・ミラーには自らの命よりも優先して、守らなければならない大切なものがあるのだから。


 喉が張り付くように乾燥する。唾を飲み込むことすら、シド・ミラーの行為を責めるように喉を痛めつける。阿鼻叫喚の渦巻く地獄のような光景の中、ひとつの悲鳴が聞こえて、シド・ミラーの覚悟は決まった。


 それはただシド・ミラーが普通の生活に戻る為の言い訳。情けない自分を後押しする為の、都合のいい言葉。シド・ミラーは、思考とともに鈍くなっていた己の身体を必死に動かし、足を運ぶ。どこからともなく溢れ出る涙が、シド・ミラーの視界を歪ませるが、それでも動き出した足が止まることはない。閉じた口の中に残っていたのは、済まない、許してくれという未練の言葉であったが、外気に触れた言葉は、全く違うものであった。


「ついてねぇ日だ……」

 決断にもう迷いはない。それで大切なものが救えるのならば。


 シド・ミラーは、平穏を嘲笑う黒い悪魔の群れの元へと飛び込んで行く。

 自らが倒れた後に残るのが、自分が愛しているグラム王都であれば良いと、シド・ミラーは思った。





お読み頂きましてありがとうございます。


次回更新は木曜日夜の予定となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第二十話 王都炎上 中編』

乞うご期待!

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