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第十六話 月影に泣く 前編





 オーリンは樹海の中を走っていた。


 緑青鬼の集団から若者達を救う所までは良かった。巨大な緑青鬼との遭遇はオーリンも予期していなかったが、それも嵐の様に過ぎ去ると、一時の平穏が訪れる。


 それは、オーリンとマシューが、助けた者達を村まで護衛しようとしていた矢先の出来事であった。オーリンは一人の男が樹海の奥へと、走って入って行く姿を見る。


 その行動はつい今しがたまでこの場にいた、巨大な緑青鬼を追っているようにも見えたが、真意までは分からない。オーリンは男の横顔を見て少し逡巡した後、決断をする。


「マシュー! 頼む!」

 集団の中には手傷を負っている者もいたが、切迫した状態ではないことを確認すると、オーリンは集団をマシューに任せる。


 今、危機が迫っているのは、オーリンが最初に会話をしたガルムという名の青年だ。思い詰め、迷いを見せる眼差しは、かつての己を投影したような危うさがある。


──ザッ


 草むらから獣が飛び出してくる。しなやかに前足を伸ばしオーリンの首元を狙う魔獣の爪。オーリンは顎を引くように身を後ろに倒しながら避けると、交差する瞬間に槍の石突きを使って前のめりになった頭部をち上げる。下からの打突により仰け反る魔獣の頭。


 追撃するように、回転させて振り上げたオーリンの槍が魔獣の頭部を点で貫く。


「狙われてる。──いや、何かが変だ」

 オーリンは散発的に襲って来る魔獣に違和感を覚えた。大災害の魔獣とは、無条件に人に襲いかかり害を与える。その事象を引き起こす事が存在として定義されているものなのだと、オーリンは考えていた。


 大災害とは、その存在が人を、ひいては生物の全てを許していないのだと。


 だが今の状況はどうだ。違和感が積み重なり、気味悪さがオーリンの思考に渦を巻く。背筋を冷やし、神経にまで触れるおぞましきもの。


 何ものかが、ずっとオーリンを見ている。


 樹海に入ってからオーリンは何度もその視線を感じていた。緑青鬼の放つものと同質に邪悪なもの。


 それはオーリンをずっと見ている。見ているだけで、襲っては来ない。獣型の魔獣を捨て駒に使うように、それら全てが大きな意思を感じさせる。


 大きな力が働いている。

 オーリンが今まで戦ってきた大災害と違い、余りにも悪臭を放つ生臭さ。オーリンが眉をひそめ、出処を探しても、一向に辿り着けぬ深淵。


 だがそれでも、ガルムという青年を救えるのは、事此処ことここいては、オーリンしかいない。


 であればこそ、オーリンの内に迷いの種がいくら蒔かれようとも、足を止めるという選択肢だけはない。


「ガルム! どこだ!」

 樹海を進むごとに深まる謎。存在する事象がオーリンの五感を刺激して、恐怖を与えようとする。


 どれほど走ったか知れぬ。


 空は隠れ、鬱蒼とした樹海は幾重にも薄闇の衣を纏う。それは夜目が利く魔物の力をも増幅させていく。蒸し暑さが徐々に体力を奪い、オーリンの息を荒くさせる。


 オーリンが魔獣を斬り伏せながら進んだ先。樹海の切れ目にある山の谷間に、ガルムはいた。


 木々に隠れて分からなかった刻は、夕焼けが一面に広がり、辺りを赤く染める事で今を示す。


「ガルム、離れろ!」

 オーリンが見つけた時、ガルムはこちらに背を向けて項垂うなだれていた。

 そして、ガルムの目の前にいたのは、先程見たばかりの巨大な緑青ろくしょうの鬼であった。


 ゆっくりと、オーリンの呼び掛けに振り返るガルム。


 靉靆あいたいたる表情のまま、口からは血を流している。腹部が損傷しているのか、おびただしい量の血が流れ、大地に血溜まりを作る。ひゅーひゅーと乾いた息だけが耳に残り、呼吸をする度にガルムの口から血が溢れ出る。


『クチオシイ』

 ガルムの眼前にいた巨大な緑青鬼が、腕を振り上げる。その眼はガルム越しにオーリンを捉えている。


 頭上高くに振り上げられた腕が、ガルムを狙う。


 オーリンは駆け出す。


 槍を掲げて、風を巻き込みながら、足を大きく振って走る。鬼の腕が振り下ろされた先にあるのは、ガルムの確実な死だ。


 オーリンはそれを否定する。

 大地を踏みつけながら、鬼の眼を捉え続けて。


 一歩。


 身が弾み、槍の重さすら意識に感じない。


 二歩。


 息が止まり、吐き出されるまでの刹那を往く。


 三歩。


 悲鳴を上げる身体の限界を無視して、生と死の境を悠々と跨ぐ。


 四歩。


 力が抜けて、ガルムが膝から崩れ落ちる姿が映る。


 五歩。


 鬼はオーリンを見て、その腕を振り下ろす──


──その瞬間、刻が停滞する。


 重力が時間を引き伸ばすように、刹那はその時、永遠へと変わる。そして、オーリンの瞳に炎が宿る。


「させるかあああああああああああああ」


 オーリンは力を凝縮させ、身体の内に滾っていた爆発的な熱を開放する。槍を持つ腕は灼熱のように身を焦がし、込められた力の密度が空間を揺らす。勢いよく飛び込んで踏み締めた足は、世界をつんざく程の轟音と化す。


 自らの腕が千切れてもいいと言わんばかりの勢いに、全身全霊を注ぎ込んだ一撃。

 オーリンは己の魂全てを乗せて、槍を投げた。





──そして、刻が流れ始める。


 緑の血を流しながら、巨大な緑青鬼は槍に貫かれ、そこに在った。

 口の端からは、緑の血がダラダラと流れ落ちる。

 オーリンの一撃を受けた緑青鬼は、その衝撃によりカナン山の表面にある大岩まで吹き飛ばされると、その身を岩に縫い付けられ、全ての自由を失う。

 槍を手で抜こうとしても、力が入らないのか自らの血で滑り、上手くは行かない。


『アア、ナント、グヂオジイ、コトカ……』

 そのまま動きを止める緑青鬼。


「ガルム!」

 オーリンは地に倒れたガルムに駆け寄る。

 抱き抱えた腕が血に濡れる。

 今もなお吐き出される血は、ガルムの死を想起させる。


「ああ……なんだ。ヤマツミの戦士は、そうか。悲しい……なぁ」

 ガルムの眼は血に濡れて赤く染まり、もう何も映してはいない。


「これは……」

「俺は何も分かってなかったんだなぁ……」


「喋るな、内臓がやられている。このままでは血が足りなくなる」

 オーリンは手持ちの布を取り出すと、止血を試みる。

 溢れ出る血は、オーリンがあてた布を直ぐに濡らしていく。魂が抜けるように、ガルムの顔色が白く染まり、体温が失われる。


「意識をしっかり持つんだ! 大丈夫だ!」

「……俺は。あぁ、いいや、そうだな。ありがとう」

 ガルムの赤く染まった腕が宙を漂い、ガルムの腹を押さえているオーリンの腕を掴む。その力は弱々しく、ただ人の温もりを求めるように重なる。


「何でこんな! 何か、何か手立ては……手立ては、……ないのか」

 息を小さくして、動きを止めようとするガルムの手を、オーリンは両手で握りしめる。


 それは、願うように。

 そして、祈るように。





──オーリン





 光が見える。





 虹色の蝶が、オーリンとガルムを包み込む。





──魔導を





「魔導……を」





 青々と茂る葉のように。


 風に揺れ、空を飛び、大地に根付く、生命いのちのように。


 其れは揺らぎながら。


 其れは移ろいながら。


 惑いの中に、魂を刻む。





『──永遠流転えいえんるてん





永遠えいえん……流転るてん





 瞬間、虹色の蝶が光へと姿を変え、溢れ出る極光がガルムを包み込む。

 オーリンはその時、ガルムから溢れ出ている生命を、自らの魂で感じた。


 激しい風が吹き、掴んだ手は熱を持つ。

 形を作るように、虹色の光は徐々に球形へと変化して、ガルムの傷口に入り込んでは見る間に傷を塞いでいく。

 オーリンは虹色の光を、瞼の裏に焼き付けていた。

 時間にしたらその出来事は一瞬であったのか、オーリンは己の中にある何かが、ごっそりと抜け落ちたような感覚を受けて、ぐったりとして息を吐く。


 オーリンは倒れているガルムを見た。

 心なしか血色が良くなっている。

 冷たくなっていた手も、少しぬくもりを取り戻したようだ。

 何があったのかは分からない。


 それでも、今、死にゆく筈の命が助かったことだけは分かった。


「魔導……」





「はははははははははは、ついに見つけた! それもこんな所で。何という僥倖ぎょうこう! 何という運命!」

 唐突に響き渡る声。

 黒衣を纏った男が、そこにいた。





いつもお読み頂きまして、ありがとうございます!


次回更新は木曜日夜の予定となります。

『魔導の果てにて、君を待つ 第十六話 月影に泣く 中編』

乞うご期待!

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