第十四話 ヤマツミの詩 後編
何かが擦れる音がして、微睡みの中から目覚めたハサンは、横になっていた身をゆっくりと起こすと、周囲を見渡した。
夜は過ぎて朝焼けの手前であるのか、真っ白な霧が辺りを包み込んでいた。夜と朝との狭間において、肌寒さを感じたハサンはビクリと身を震わす。同じタイミングでガサリと音がする。
少し離れた場所で休んでいた馬が目を覚ましたようで、ハサンを見て首を振っていた。
馬から視線をずらすと、何やら準備をしているスウェインの姿が目に入る。
ハサンの視線に気付いたのか、スウェインが振り返る。
「起きたか、ハサン」
「えぇ。不思議な夢をみました」
「ふん?」
「とても懐かしいものであったような、……でも駄目ですね。もう思い出そうとしても思い出せません」
「そうか。ま、不慣れな環境で精神的にきているのかもな。それよりも、支度を済ませたら早いとこカナンへ向かうぞ。これ以上問題が積もる前にとっとと片付けておきたい」
「そうですね。……順調に行けば夕方までには到着出来そうです」
ふわふわとして、まだあまり目が覚めきっていない様子のハサンを尻目に、スウェインは自前の長大剣を軽々と背負うと、準備を終えた。
「昨日の魔獣共もカナン山から下って来た類かもしれねぇし、ここから先はもう少し気を付けて行かねぇといけねぇかもな」
「……はい。村の皆も心配です、青年団の皆も無茶をしていないといいのですが」
「無茶は若者の特権というやつではあるが、それが罷り通るのも指で数えるほどよ。それと、己が何を為すのか、ハサン、お前も決めておいたほうがいい」
馬に荷を積みながらさらりと放たれたスウェインの言葉に、ハサンはまるで自らが抱えているものを見透かされたようで、息を呑む。
「そう……ですね」
そんな姿のハサンを一瞥すると、スウェインは先に歩き始める。
ハサンから見てもその一歩は力強く、迷いがない。
スウェインの背を見ながら、ハサンは頭を振ると、準備の整った馬の手綱を引く。
緩やかに続く丘陵地帯を超えればカナン村へと続く山の裾野へは一本道だ。
ハサンの心は迷いに囚われ、思考と連動して重くなっていくが、そんな迷いとは裏腹に身体は目的地へと運ばれていく。
カナン村にとって重要な局面である事はハサン自身も理解している。
全ての選択が、重要な意味を持つことも。
ハサンは息を吐いて、軽く頬を叩いてから、スウェインの後を追った。
* * *
「ダン! 気をつけろ、そっちへ行ったぞ!」
「くそっ! ガルム、数が多い!」
青々とした木々に囲まれた空間に、男達の怒号が響き渡る。
ダンと呼ばれた男は、弓を引き絞りながら獲物へと狙いをつけている。
其は、ダンの持つ弓の射線を逃れようと木と木の合間を素早く動く。
口からは甲高い鳴き声を断続的に漏らしていて、化物同士で互いに会話をしているようにも見えた。
ダンは射線を見ながら、化物の進行方向に狙いすました一射を放つ。
──ガキンッッ
鼓膜を揺らす、甲高い音が響き渡る。
ダンの放った必殺の矢は、化物が左腕に持っていた革盾に弾かれる。
青年団の男たちが対峙している其は、人のような姿形をしていた。だが、明らかに人とは違う存在。
その体高は成人男性の肩口まであり、胴体は大きくずんぐりとしていて、上腕部分は発達した筋肉に覆われている。そして、右手には小剣、左手には革盾を備えて鎧まで着込んでいた。人に近しい戦闘能力を持つその化物は、鈍重そうな見た目に合わぬ俊敏さをも見せつける。
肌は濃い深緑であり、草木に紛れて一度見失ってしまえば、見つけることも難しいであろう。
化物の顔に付いた、特徴的であるギョロリとした大きな目が、ガルムを捉えて離すことはない。
──ギャギャギャ
ガルムをなぶるように見つめ、嗤う口元からは牙が覗く。
人と似ているのに異質なその姿形は、対峙しているガルム達に形容しがたい恐怖を与える。
そして、明らかなことは、この化物共は人や獣を問わず全ての存在に対して敵意を持っているということであった。
カナン村青年団の男達は、今まさにそんな化物と死闘を繰り広げている。
そもそもの始まりは、カナン山に続く森の中で狩人のダンが漆黒の四足魔獣見たところから始まる。
青年団の団長ガルムは、村長との話が纏まるのに時間が掛かる事を見越して、ハサンに戦士を雇う為の段取りをつけた。
魔獣という存在は各地で混乱を齎していたし、国の軍隊の目の届かない場所では、混乱に乗じて野盗が跋扈していた事もあり、戦闘に特化した人間の力が必要であったからだ。
外敵に対処する為に結成されたカナン村青年団であったが、今回の件によりガルムの予想よりも早く、青年団は窮地に陥ることとなった。
ハサンが街に旅立ってからも、青年団と村長とで幾度か村の方針を話し合いはしたが、話が纏まることはなかった。いざとなれば、人命を守るためにカナン村を捨てる覚悟を問うたガルム。しかし、村長と村の長老達は頑なに首を縦に振らなかった。
「くそっ、何もかもが、もう少し早く行動できてさえいれば!」
ガルムは陣形を崩さぬよう、今も必死に化物共から距離を離し、剣を振る青年団の仲間を見て、積もる怒りを言葉に乗せる。長く続いている戦闘により、傷を負って倒れているものもいる。守るように陣を敷いてはいるが、一度疲弊した身体が元に戻ることはない。この状況が続くのであれば、これを維持することも難しかった。
「ガルム……」
ダンの言葉もガルムの耳をすり抜けていく。
ガルムも分かってはいる。分かってはいるが、このような状況に陥ってはもう策がない。ガルムを含めて、今回の戦いに編成された青年団は十名であったが、際限なく姿を現す化物共に逃げ場を全て潰されていく。
今まで見なかった四足の魔獣も姿を現す。
ガルム達は、村から驚異を遠ざける為に化物を追っていた。それなのに、今の状況はそれを逆手に取られたと言っても過言ではなかった。
状況を理解するごとに、張り付いた喉に抑え込んでいた恐怖までもがこみ上げてくる。
「こんなはずじゃなかった……」
魔獣の唸り声が木霊する。
木々の上からは、一体何処に隠れていたのか分からぬ程に、わらわらと姿を現して嗤う人型の化物共。
ガルムは、自分が築いてきたものが全て、崩れ落ちるような感覚に陥っていた。
──ズドン
刹那。嘲笑を見せていた木の上の化物が、その頭を吹き飛ばされる。
──ザッ、ザッ、ザッ
理解が追い付かず、戸惑うガルム。
木の葉を小気味よく揺らし音を奏でるそれは、見ることが出来ない速さの何かであった。
「わっはっは、一番乗りだな。兄貴!」
軽快な声と共に、見える範囲にある木の上に居た緑の化物の首が次々と飛んでいく。
──ドスンッ
「マシュー。油断するなよ」
四足の魔獣が頭蓋を破壊され、大地に縫い付けられる。
風切り音がすると、魔獣の黒い血が大地に払われた。
「なんだ……?」
「大丈夫か。少し数が多いようだが、まあどうにかなるか」
そう言ってガルムに話しかけてきた男は、見た目にはガルムとそう変わらぬ年齢であるように思えた。
黒髪を後ろに括っていて、前髪の合間から見える眼は生命力に溢れ輝いている。
その男の眼がガルムと交差する。
瞬間、ガルムはここが戦場であることを忘れ、陽光に照らされたような、不思議な心地になった。
「あんたは……」
「オーリン・フィズだ。助太刀させてもらう」
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次回更新予定は木曜日夜となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十五話 想うからこそ』
乞うご期待!




