第十二話 エドの灯火 後編
破滅を呼ぶ、魔竜ボリクス。
その躰は不滅である。
聖女の予言により、来たるべき大災害に備える為に、一番最初に行動を起こしたのは、エドという男であった。魔導王の友であるエドは、魔導王が皆を大切に思っている事は知っていたし、何よりも魔導王が聖女を思う気持ちを強く理解していた。
エド自身は、自らの探究心を埋めるために、空白部分に絵を描いているような人生であったから、その中でも魔導王レフや聖女サアラ、剣聖エイリーク、──の想いを受けて、予言された大災害の究明に取りかかることに否やはなかった。
来たるべき予言の日に向けて、エドはその知識を深めていく。
エドが大災害の予言においてぶつかった最大の問題は、予言に出てくる魔竜の持つ不滅性であった。
真理の扉がエドの眼前に重々しく立ちはだかる。サアラの話を聞き、レフやエイリーク。──の考えを統合していきながら、辿り着くことすら困難である、その扉を前にして知恵を絞る。賢者と呼べるほどの膨大な知識を用いて、一つ一つを紐解くように、エドはその思考を形としていく。
普遍性と不死性。
不滅と必滅。
魔導の力に興味を惹かれていたエドは、魔術というものの有り様に再度目を向ける事になる。
光があり、闇があり、陰があり、陽がある。
エドは、不滅というものに対する一つの予測を打ち立てる。
不滅とは、死を超越した存在にも見えるが、角度を変えればその姿は真逆の意味を持つ。
死を持たぬ故に、その存在には元より生がない。
エドは不滅を滅する鍵を見つける。
遍く世界を識る魔術師エドが辿り着いたのは、不滅を滅するために、死という存在に生命を与えるという、恐ろしい魔術であった。
「我が子孫よ、忘れてはならぬ。その力は灯火であり、須らく生命を導くものであると。魔術が魔術としての理を持つように、流れ行く時に生命の尊さを見よ。それこそが、超常なる理を打ち壊し、未来を拓く鍵となる」
* * *
人生とは何故こんなにも歯痒いものなのであろうか。
人生とは何故こんなにもままならないものなのであろうか。
グリーク・エドの、今日に至るまで続く嘆きの正体は、今、眼の前に在った。
グリークの身体は魔術の酷使により、今にも崩れ落ちそうであった。揺蕩う魔導の光が傷付いたグリークの身体を優しく包み込むが、それでも、人の身で扱うにはあまりにも強大な力を放った事により、もう元には戻らぬであろう。
グリークは今まで、自らの人生を満足をする事はなかった。だがそれでも、満たされていた人生であったとも思う。
エドの名は宿命のように人を縛り、生まれた時から一方的にグリークへと生きる意味を与えた。
それはまるで、呪いのようでもあった。
しかし、グリークの中でその呪いはいつしか意味を持つ。
グリークは、幼い頃より達観したように物事を俯瞰で視ることが多かった。
賢しらであるというのならば、その通りなのだろうが、それでもグリークには自らが思い描く全てを現実のものとする能力があった。
グリークがネイと出会ったのは、記憶が霞むほどに遠い日の出来事ではあるが、今でもたまに思い出す。
グリークが十五歳の時、王国の学徒となったグリークは後に重要となる出会いを経験する。
グアラドラの導師であるヤンや、フィテス家のクロード、そしてフォン家のネイとの出会いを。
最初は気にもとめていなかったが、グリークが一人でいると、決まってネイは話しかけてきた。
「よく一人でいるんですね」
「ああ……学びを得るには一人が最適であるからな」
ネイとの出会いは、グリークの経験の中でも予測のつかない事の連続であった。
最初は気にも留めてはいないグリークであったが、言葉を交わすうちに不思議と関係は変化していく。そして、気が付いた時には友人と呼べるものとなっていた。
「グリーク、今日はなんの本を読んでいらっしゃるのですか?」
「君か、……いつも思うが、よく居場所が分かるな?」
「私、少しだけ勘が良いんですよ」
何かを見ているような仕草と共に、優しげに笑うネイの姿に、グリークは不思議な感覚を覚えていく。それが心地良さと気付くには、一人でいる事が長かったグリークには難しいことであった。
「ようは全てを魔導で満たせばいいのさ。そうすれば来たるべき大災害も乗り越えていける。私はそう思うぞ?」
「クロード、その理論は少々強引ではないか?」
「ふむ、なかなか面白い話ではあるな。然して問題も多々あるのである」
「あら、今日は珍しく三人でいらっしゃるのですね」
「あぁ、ネイか。君も言ってくれ。クロードの話は突拍子がない」
「はは、グリークはネイの話はちゃんと聞くのだよな」
「クロード!」
「さもありなんである」
「ヤンまで、全く」
優しさで包まれた日々が、グリークの心を満たすように注がれていく。
卒業した後も、交流は続いていく。
クロードは王都の守護騎士として。
ヤンはグアラドラに戻り、導師の道を再度歩み始める。
そんな中でも、ネイは変わらずグリークと共にあった。そういった関係性の二人が親密になるのは、出会った頃を思い起こせば、必然であったのかもしれない。二人は結婚し、子供を得る事となる。
グリークは朧気にではあるが、ずっとこの日々が続くのだろうと思っていた。
だがある日、ネイに予言の力が発現する。
その力はまごうことなき、大災害を予言する聖女の力。
聖女の生まれたフォン家の中でも、本家とは遠い血筋にあったネイに、唐突にそれは降りかかる。
ネイが力に発現して倒れた時に、グリークは言いようのない不安に駆られ、聖女に関係する文献を調べた。聖女の育った地である、グアラドラに伝わる話を聞く為にヤンにも相談をした。
ネイは、そんな中でも変わらずグリークや子供たちと日々を過ごした。グリークは全身全霊を掛けてネイを救う手立てを探る。
そしてグリークは、ネイに降りかかった呪いのような力を覆す為に、世界の理と戦う道を往く。
* * *
「ネイ、魔導門へ行こう。魔導王の魔導の満ちているあの中であれば、大災害の力も君に手を出すことが難しくなる」
「シルもユリスも寂しがりますし、私はあの子達の成長をこの目で見たいのです」
「だがネイ!」
「それに、貴方と離れ離れになってしまうではないですか」
「それでも俺は……君に生きて欲しい」
「この力に目覚めた以上、フォンの人間として覚悟はしていました。そんな中でも貴方と過ごした日々は私の世界に安らぎを与えてくれた」
「ネイ、頼む、わがままを言わないでくれ」
「貴方。あまり言わない私のわがままを許してください。私は今の時を貴方達と一緒に生きたい」
「ネイ……俺は……君を愛しているんだ」
「私も貴方を愛しています。グリーク」
* * *
風が吹き抜けた後に、そよ風となる。
グリークの眼前にある魔竜は、漆黒の殻を破り、白く色を変えていた。
長い時間が過ぎたようにも、一瞬のようでもある現在を見て、グリークは世界というものを視ていた。
そして、ぱらぱらと崩れ落ちているのが、自らの身体だということにグリークが気が付くには、少しだけ時間が掛かった。
グリークの魂を使い、魔竜の存在を反転させる。
「呪いを経て……」
シルにもユリスにも、辛い思いをさせてしまう事を少しだけ申し訳なく思い、グリークは目を閉じる。
グリークが張った結界を抜けてきたのは、シルであろう。
自身の魔導を受け渡したが、それが少しでも苦難の時代を生きる手助けになればいい。
大きくなった姿をもう一目見たくはあったが。
ユリスには父親として、何か出来たことがあるのか、最早わからない。
ただこの世界を残すことで、多くの景色を見て欲しいとも思う。
多くの景色を見て、グリーク自身が見れなかったものを見て、色んな事を知ってほしい。
グリーク・エドは自らの人生を満足したことがない。
与えられた命で、呪いのように生きる事を強要され、死ぬ事を許されぬ。
いつも疑問を抱いていた。それが満足しない理由であったのかもしれない。
だが、こと今においては、満足しているのかもしれないとも思う。
自らの意思で決断し、信念のもとに生きた。
傍から見ればそれは否定される事なのかもしれない。
下らないと唾棄される事なのかもしれない。
だけれど、グリーク・エドは、今、満足していた。
「俺は、俺の望んだ通りに、生きたぞ」
家も、名も、宿命も、全て関係ない。
縛られているのか、古よりの血に流されているのか、全て関係ない。
グリーク・エドが心に抱えていた全ての呪いは、彼が思いのままに生きたことにより──
「今、世界は拓かれた」
──祝福へと変わる。
* * *
白き竜は翼をはためかせ、飛び立つ。
グリークの魔術を受け邪悪な姿は影も形もなく、神聖さすら覚えるほどに、竜は只々真っ白に在る。
その姿は雄々しく、かつてのグリークのように天つ風を征く。
シルバスとユリスの、父の魂を乗せて、白き竜は彼方へと消える。
残った風は優しく、それは一人の男が生きた証でもあった。
『ネイ、今帰ったよ』
『おかえりなさい、グリーク』
いつもお読み頂きまして、本当に、ありがとうございます。
次回投稿予定日は6月10日木曜日夜となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十三話 残響』
乞うご期待!




