第十話 夢の欠片 前編
路地裏に影が伸びる。
人の営みの匂いを感じながら、オーリンは一人アインハーグの街を歩いていた。吹く風はまだ少し肌寒いが、それでも厳しい冬を越えて、新緑を彩る春へと向かうように、街に芽吹く草花が移ろい行く様を見せる。
何の因果からか、少し前の時分には思いもしない環境に身を置いていると、オーリンは思った。運命などと言うには少し大袈裟な気もするが、それでも様々な助けを得て、オーリンは自身が前へ進んでるという事を実感していた。
「高いな……」
見上げた空は天高く、澄み渡る程に蒼い。
アインハーグの街は広く、外縁部を城壁で覆われているのに閉塞感は感じない。街であるというのに、さながらここが一つの小さな国であるような錯覚すら覚えてしまう。
城壁の外で起きている魔獣被害を考えれば、オーリンも呑気に街を散策などしている場合ではないのであろうが、シュザ導師によれば巨人の目覚めの刻まで、この街でやる事はないと言う。
住民達の避難についての話もしたが、王国の騎士団のように、主導となる存在がいないアインハーグにおいては、纏まった人間を動かすということ自体が容易ではない。
唯一、影響力を持つ剣闘王ヨグと知り合えたのは、オーリン達にとっても大きな意味を持つ事となる。元々シュザ導師は彼を目当てに一人でこの街に来る予定であったようだ。二人は旧知の仲ではあるようだが、闘技場での会話も少なく、関係性はいまいち掴めなかった。
巨人の話が剣闘王ヨグの闘争心に火を付けたようには見えたが、事態がどういった推移を辿るのかは杳としてしれない。
突発的に起きた闘技場での試合の後、マシューに話を聞いてみれば、アインハーグの街も魔獣の侵攻を幾度か受けているという。そして、魔獣による侵攻の全てが、街にいる剣闘士達により一蹴されたということも、オーリンはそこで知る事になる。
武の頂きを目地す剣闘士達の力を持ってすれば、知能の乏しい魔獣なぞは相手にもならないのであろうが、そういった事が積もり重なる事で、街に住まう人間達から危機感を奪う一因にもなっていた。
神話の巨人が、人の手に余る存在でないはずがないのだが。
* * *
通りを歩く道すがら、食事処から漏れ出る串焼きの匂いがオーリンの鼻孔をくすぐる。
「腹が減ったな」
オーリンは朝の食事を抜いていた事を思い出して、店に入ろうとしていると、通りを歩いている見知った顔を見つける。
「クイン導師」
「オーリン?」
オーリンに呼ばれてその存在に気付いたクインは、顔を上げるとオーリンを見る。
「どうしたんだ、何か珍しいものでもあるのか?」
「いえ、こんなにもゆっくりとするのは久しぶりなので、少し手持ち無沙汰になっていました」
クインの言葉通りに、巨人に関してはシュザ導師が前面で動いている以上、やる事がないのだろう。
戦場での顔付きとは違い、少し惚けたような姿に意外な一面を見た気がしたが、オーリンがそれを口に出すことはなかった。
「そうか……。よければ飯でもどうだ?」
「あら、そういえばお昼も近いですね。貴方が良ければ」
「あぁ、俺も尋ねたい事があったんだ。そうしてもらえると助かる」
「そうですか。私の解る範囲でよければ」
オーリンの言葉に優しげに頷くと、クインが横に並ぶ。
クインを先導して店に入ろうとしたオーリンであったが、ふと足を止める。
「何だ?」
オーリンは誰かに見られているような視線を感じた。
「どうしました?」
クインはキョトンとオーリンを見上げる。
「いや、……大丈夫だ。行こう」
オーリンは何者かが放つ異質な視線を感じたが、出処を特定することが出来ず、そのまま店に入ることにした。
「あれが剣闘王と仕合っていた槍使いか」
「黒狼の餓鬼とも接触があるみたいだ。使えるかもしれんな」
暗がりから二人の男が身を現す。
「だが勘は良さそうだ。事を起こすのならば我等も足並みを揃えねばならん」
「そうだな。白髪鬼をやる為には、利用できるものは全て利用する。餓鬼周りの首尾は上々。念の為に手を打っておくか。ザムジードと連絡を取ってくれ。魔獣による混乱が続いている今こそ好機。動くぞ」
「ああ、全てはこの街を手に入れる為に」
* * *
「それにしても久しいな、剣闘王」
「お前もな、ロロウ」
「懐かしい呼び名だ。今はシュザ・フレイムという名で導師をやっている」
闘技場の最上階にある、剣闘王が住まう特別な一室で、二人の男が会話をしていた。ヨグの住まう部屋は、質実剛健を表すように無駄な物が一切置かれていなかった。
「ルノウムは大災害の被害を食い止めきれず、滅びの道を辿っている。それに、ルノウムにいるグレンの魔導が感じられなくなった」
シュザより唐突に切り出された話に、ヨグは目を瞑る。
「彼奴が死ぬとするならば、それは戦場であるのだろうな。律儀な奴よ」
「滅びの波は既にその姿を晒しておる。彼等はこの時代に集中して現れる事で、世界を破滅に導こうとしておる。魔獣然り、巨人然り、打ち斃す事が出来ねば、いよいよ命運も尽きよう」
「その為のアインハーグ。その為の剣闘士」
ヨグの眼は、想像しうる最悪を想定し続けた者の眼であった。
「俺がこの街に来たのは全て、より強き者を育む為」
シュザはその目をヨグから離さない。
決意として語られるその言葉の、一言一句を聞き漏らさぬために。
「若き芽は大樹となるほどに、その身を成長させ旅立って行った。巨人の眠る地がスラーでは無くここだというのも、今となっては好都合」
ヨグは、一室の窓から、其れを見る。
それは、頂に立ち闘技場を見下ろすことが出来る、剣闘王だけが見る事のできる景色。
強くなる為に、日々研鑽を積む若き獅子たちの姿。
「……長い時であった」
ヨグは、腰に差した剣の柄に手を掛けながら、過ぎ去りし日に思いを馳せる。
「約束の地はここに」
* * *
「魔導を知りたいのなら、一度グアラドラの地に赴かれるのが良いでしょう」
クイン導師に話をして返ってきたのは、そんな言葉であった。
オーリンはシュザ導師に詳しく話を聞こうとしたが、何を聞こうとものらりくらりとかわされるだけで、まともに話す気はないようだった。それならばと、クイン導師に話を聞いてみたのだが、オーリンが予想していない言葉で返された。
「少し誤解をさせてしまいましたね。魔導については、初期の段階であればあるほどに、言葉で理解する事が難しいのです。王の育った地でもあるグアラドラ。グアラドラには今でも王を愛する多くの魔導が残っています」
「王を愛する魔導が……残っている?」
「ええ、……魔導王レフ・ガディウス様。王はこの世界に燦く数多の魔導にその存在が愛されていました。王を愛する魔導が残るグアラドラの地の魔導に触れることで、かの存在を深く識ることが出来ます。反対に言えば、実際に触れてみないことには、理解をする事が難しいかもしれません」
クインの言葉は、一言一言を選ぶようにオーリンへと届けられる。
聞けば聞くほどにオーリンの中で理解が追いつかなくなる。
魔導とは導師達が使う、超常の力と簡単に考えていたオーリンであったが、魔導王はその魔導というものに愛されていたという。
そして、シュザはオーリンの中に魔導を見たという。
「王を愛した魔導と、俺の中にあるという魔導」
その力があれば、オーリンは自らが守りたい人を、より多く守れるのではないのかと考えた。そして、魔導王の育った地であるというグアラドラ。そこから生まれてくる導師達。
「一体グアラドラとは何なのだ?」
湧き出る疑問。
大災害を防ぐ為に戦う者たちの存在は、オーリンも少し前に知ったばかりだ。
魔導王と王国を繋ぎ、導師達を繋ぐように。
全てはグアラドラへと繋がる。
「そうですね。貴方のような方であれば、グアラドラの地が拒むことはないでしょう」
少し嬉しそうに言うクインの笑顔を見て、オーリンは考えすぎて顰めっ面になっていた顔が解れていくのを感じる。
「きっと、いい経験になるはずです。貴方にとっても、グアラドラにとっても」
その言葉を聞いた時、オーリンの身体の中で、何かが心を弾ませたような気がした。
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次回は木曜日更新予定となります。
『魔導の果てにて、君を待つ 第十話 夢の欠片 中編』
乞うご期待!




