第六幕 渦中の都 -畠山高政の暗躍-
九月二十日。
京・足利義秋邸
将軍・足利義輝が西征へ出陣してより二十日。留守居役を任された実弟・義秋は鬱屈した日々を送っていた。
「…まったく、和州(三淵藤英)めの頑固さには呆れ果てたわ」
今日も朝から二条城へ赴いていた義秋が、荒々しく襖を開けて入ってくる。
「いったい今日はどうなされましたか」
連日、この様子である。そんな夫を心配し、正室である鶴ノ方が声をかける。その胸元には、あどけない表情を浮かべる義秋の嫡子・如意丸が抱かれていた。
「於鶴か。兄上の留守を任されたのは儂であるというに、何かと“それは無理にござる”“上様の下知にそぐいませぬ”などと申して和州めが儂の言うことを殆ど聞こうとせぬのだ。これでは儂がおる意味がない」
「左様でございましたか」
と言って鶴ノ方は、夫の愚痴を聞きながら如意丸をあやしていた。その姿を見た義秋は優しく微笑むと、傍に腰を下ろした。
義秋は妻へ己の心中を吐露する。
「儂は兄上の力になりたいのだ。将軍家一門として、この廃れた世を尊氏公・義満公の御世のように栄えあるものとしたい。この子とて、兄に嫡子が生まれなければ将軍職を継がねばならんかもしれぬ。それにも関わらず、儂がこのようなままでよいわけがない」
そんな夫へ対し、身を案じた妻は何気ない一言を返す。
「それでは他の方に御相談なさっては如何でしょう?京には三淵様以外の方もおられるのでしょう」
「ふむ…、そうしてみるか」
この言葉が夫・義秋、そして自分と我が子・如意丸の進み道を大きく狂わせてしまうことになるとは、この時は当人たちも気付いてはいなかった。
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九月二十一日。
京・畠山高政邸
突然に義秋から相談を受けた高政は、逐一義秋の言葉に相槌を打って同意を示した。
「宰相様の申しよう誠にごもっともにございます」
「おおっ。尾州は判ってくれるか」
義秋は初めて理解者を得たことを破顔して喜んだ。全てを聞き終えた高政が微かな笑みを浮かべ、義秋に言う。
「宰相様は我が畠山家が昔、畿内で多大なる勢力を有していた事をご存じでございましょうか」
即座に義秋が返す。
「存じておる。今でこそ畠山家は河内半国に紀伊の一部を治めるだけに過ぎぬが、将軍家を支える三管領の一つじゃからな」
「ははっ。御恥ずかしい限りにございます。手前の力が足りなかったばかりに斯様な仕儀になっておりまする」
苦笑いを浮かべながら頭を掻く高政へ対し、義秋が同情の声をかける。
「不憫よな。尾州はずっと兄上を支援してきたというのに、旧領の回復すらままならぬとは…」
高政は一時的に三好に従属していた時期もあるが、それは本意からではない。当時の勢力差から止むを得ず従ったまでであり、高政は勢力が回復すると義輝を支持して細川晴元や六角承偵と共に戦ったこともある。永禄五年(1562)の教興寺合戦では、四万を揃えて三好長慶に一大会戦を挑んだこともあった。
ふいに義秋が漏らした言葉に高政は怪しく目を光らせたが、その事に義秋は気付いていない。
高政は少し間を置いてから、再び口を開く。
「実はかつての伝手を通じ、手前の許へ幕政に対する不満の声が届いております」
「なに?幕政への不満じゃと」
不満という言葉に、義秋は声を荒げて反応した。
「主に寺社衆からの声にございます。寺社衆は京畿で関所が廃止されて以来、関銭の徴収は認められず、検地では荘園も取り上げられております。神仏への信仰は何かと金がかかるもの。民草からの寄進に頼るだけでは立ち行かず、困っている様子にございます」
「そのようなこと、和州からは聞いておらぬぞ。まことのことなのか?」
思わぬ高政の報せに義秋は驚き、問い返す。
「間違いないことにございます。また上様が耶蘇教の布教を御許しになった事で、頼りの寄進も減る一方だとか。これでは祭事すら満足に執り行えませぬ」
「ふむ。それはいかぬのう」
思った以上に深刻な問題であると捉えた義秋は、俄に表情を曇らせた。それを確認した高政は、さらに続けた。
「はい。ただ寺社衆からの声は不満と申しても簡単に切り捨てるわけには参らぬことばかりにて。何かしらの手を打たねば一揆…あるいは将軍家へ対して神罰や仏罰の類いが下るやもしれませぬ」
「将軍家へ災いが及ぶことは避けねばならぬ。そうじゃ、儂の方から寄進を申し出よう」
義秋の提案に高政は難色を示した。
「有り難い御話でございますが、寄進では一時凌ぎしかなりませぬ。問題を先延ばしにするだけでは政とは申せませぬ」
高政の言葉に義秋は“もっともだ”という表情で頷き、重ねて問いかける。
「寺社衆のことについては何かしら手を打たねばなるまいが…尾州、他に何か聞いておることはないか。和州めは儂に何も教えてはくれぬ故、この際に知っておきたい」
義秋は幕政の現状を把握しておきたいと考えていた。現状と先例と照らし合わせ、改めていくことで正しい政治への回帰を促していく。それが義秋の考えている幕政の在り方であった。
この考え方は特に目新しいものではなく、謂わば多くの者の常識であった。幕臣の中には義秋と同じような考えを持つ者が少なくなく、朝廷に至っても何かと先例、先例と口にしている。ただ義輝の考えとは明らかにかけ離れていることを義秋は気付いていない。
そして義秋に問われた高政が惚けた声で訊ねた。
「では、諸大名の間で行く末に対する不安が広がっている事もご存じありませぬのか?」
「なに!?」
行く末に対する不安と聞いて、義秋が驚きの声を上げる。先ほどの寺社衆の件よりも内容が大事だったからだ。
「例えば…そうですな。京極殿の話ですが…」
「長門守が如何したと申すか。あれは兄上の側近として大和を任されておるが?」
京極高吉の名に、義秋が困惑の表情を浮かべる。高政が続ける。
「京極家は元々出雲・隠岐・飛騨の守護であり、江北にも所領を持っておりました。江北は浅井、飛騨には姉小路がおり、上様への忠誠を誓っておりますから仕方がありませぬが、出雲は如何でしょうか。此度の西征で上様は出雲を尼子に与える旨を公言なされておりますが、尼子は京極の被官に過ぎませぬ。国を失った尼子へ出雲を与えるよりは、誠心誠意、上様へ忠義を尽くしておられる京極殿へ出雲を任せるのが筋ではございませぬか」
「それは、儂も思っておったことよ。なるほど、それを長門守は不満に思っておるわけか」
得心が行ったとして義秋は納得の表情を浮かべるが、それを高政は首を左右に振って否定した。
「不満ではなく不安でございます。京極殿は忠義に厚き御方、公方様の政に異を挟むことは致しませぬ。されど京極殿とて養うべき妻子や家来がおりまする。いつまでも今のまま据え置かれるのではないかという懸念を抱いておられます」
高吉の現状に同情した義秋は“よもや…”と口にしてから、長らく胸中に抱いていた疑問を高政へ投げかけてみた。
「その不安は、尊氏公や義満公以来の大名たちの間で広がっておるのではないのか」
「はっ。ご明察通りにございます」
高政の肯定に、義秋が眉間に皺を寄せて思慮に耽った。
(…やはり、儂の考えは誤りではなかった)
兄の政へ対する不満は義秋の中で燻っている。それは新興大名を贔屓し、先祖代々の頃より将軍家に仕える守護大名を粗略に扱っていることだ。義輝にその気はないかもしれないが、義秋の目にはそのように映っていた。
(織田や徳川などは所詮は成り上がり、利に聡く忠に欠ける者たちじゃ。兄上に従っているのも、その方がより多くの所領を得られるからに過ぎぬ。兄上はもっと重代の忠功を重んじねば、かつてのような栄華を将軍家が取り戻すことは不可能であろう)
そうは考える義秋であるが、諫言したところで兄が考えを変えるとは思っていない。それは、これまで何度も行ってきて経験したことだ。故に出雲の仕置に異見を持ちながらも、兄へ伝えることはしなかった。
堪りかねた義秋が、高政へ解決策を問うた。
「そうですな。宰相様が代表して守護大名たちの意を汲んで頂けるのであれば、手前の方で取り纏めてみますが?」
高政の提案に義秋の表情はパッと明るくなった。
「うむ、それがよい。兄上とて皆が不安を抱えておることを知れば、考えを改めよう。尾州に一切を任せる」
「はっ。畏まりました」
として義秋の前で高政が平伏した。
少しは気の晴れた表情となった義秋がその場を立ち去ったのを見届けた高政は、突然に襖の奥へと話しかけた。
「これでよいのであろう」
声を合図に襖が開き、一人の男が現れる。まだ若く二十歳そこらであろうが、その才気に溢れる顔付きは充分に戦国武将に足るものがあった。
「はっ。これにて舞台は整ってございます」
男の言葉は丁寧なものであったが、京では聞き慣れない訛りが少し混じっていた。つまりは畠山家の家臣ではないことを意味している。
「ならば、後は任せるぞ。左衛門督への繋ぎも怠りなくな」
「我が主からの副状も預かっております故、御懸念は無用かと」
「ならば、よい」
そう言って高政は立ち上がった。その心底には、失われた畠山家の誇りを取り戻すという野望を密かに抱えていた。
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十一月二日。
京・二条城
幕府の政庁たる二条城にて、三淵藤英はいつも以上に忙しい日々を過ごしていた。
「やれやれ、これでは人手がいくつあっても足りぬわ」
「殿。少しは休まれた方が宜しいのではありませぬか」
働き詰めの主へ対し、藤英の家臣・与次郎の一人が気遣った声をかける。
「いや、役目を怠るわけには参らぬ。上様に留守中に何かあっては遅いからな」
「左様でございますか。では、茶でも沸かして参りましょう。少しは気が落ち着かれるかと」
「与次郎、すまぬな」
「いえ。それでは…」
与次郎が立ち去り、藤英は再び帳面との睨み合いを始めた。
藤英がここまで忙しいのは義輝の不在もあるが、常は山城一国だった藤英の担当する範囲が、京畿全体に及んでいるためことが一番の理由だった。御陰で決済しなければならないことが膨大に増えている。
また藤英は、暫く顔を見せなくなった義秋の事も気にかかっていた。
(幕府の政が如何になっておるかを義秋様に教え込むつもりでいたのだがな)
当初の義秋はやる気を見せ、毎日のように登城しては藤英の許へ顔を出していた。しかし、義秋は一方的に自分の意見を押し付けるだけで現状を鑑みないことが多く、藤英は諭すことの方が多かった。聞き分けのない義秋が来なくなったことで如何ばかりか政務が捗るようになったのだが、それでも藤英の役目には義秋への指南も含まれている。これもまた疎かにするわけにはいかなかった。
(明日、こちらから義秋様を訪ねてみるか)
生真面目な男は、忙しい合間を縫って義秋へ会いに行くことを決めた。
その矢先の出来事である。
「殿!お逃げ下さいませ!!」
先ほど茶を沸かしに行ったはずの与次郎が、必死の形相で部屋へ飛び込んできた。
「何事だ!騒々しい!」
事の次第を訊ねる藤英に対し、与次郎は肩で息をしながら大声で叫んだ。
「謀叛にございます!武田の兵がこちらへ……」
と言って、突然に与次郎は前面へと倒れ込んだ。後ろから背中をバッサリと斬られたのである。辺り一面は血の海で染まり、そこには天下人の城に似つかわしくない光景が広がっていた。
与次郎を殺した兵の後ろから、続々と完全武装した武者たちが襖を蹴破りながら押し入ってくる。藤英は一瞬にして囲まれてしまった。
「与次郎!?お主ら!上様の城を血で汚すとは何事か!!」
激しく怒鳴りつける藤英へ対して兵たちが耳を貸すことなく、ただ刃を向けていた。藤英は政務を執っていたことで大刀を所持しておらず、脇差一本で兵たちと向き合っている。
「そこまででござる」
そこへ現れたのが、武田右衛門佐信景であった。二条城は留守居役であった義秋の兵によって守られている。義秋の兵とは、義秋が後見役を務めている若狭武田家の兵であり、その指揮を執る人物が守護・元明の伯父である信景だった。
つまり信景の登場は、城が大した混乱もなく奪われたことを暗に意味してる。
「う…右衛門佐殿。これはどういうことじゃ!」
状況に混乱しながらも、藤英は信景を問い詰めた。それに対し、信景は平然と返答した。
「どうもこうも、二条城は我らが占拠してござる」
「占拠だと!?この城は上様の御城ぞ!」
「存じておりますとも。故に大和守殿が我が物顔で居座ってよいところではござらぬ」
「儂は上様の名代ぞ!」
「笑止。上様の名代は宰相様であって大和守殿ではない」
「何を莫迦なことを…」
藤英は呆気に取られた。名目上は信景の言う通りに義秋であるが、実質で京の統治をしているのは藤英であることは誰の目にも明らかなのだ。それは信景も知っているはず。
尚も刀を握りしめる藤英へ対し、信景は臆することなく余裕の表情を浮かべて言う。
「大和守殿。黙ってこちらの指示に従って貰いますぞ。何せこちらは既に御台所様と藤姫様の身柄を押さえているのですからな」
「く…卑怯な!貴様、それでも武士か!!」
表情に悔しさを滲ませながら、藤英は憎しみの籠もった声を出す。しかし、ここでの抵抗は御台所と藤姫の生命に関わった。
藤英は兵たちに刀を取り上げられ、拘束されてしまう。
「…連れて行け」
「く…くそッ!離せッ!離さぬかッ!!」
信景は兵たちに命じ、藤英は引きずられるように連れて行かれた。
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二条城での変事を義秋はただ見ているしかなかった。何せ自らの兵が城を占拠したのだから、義秋に何かをする力は残っていない。使いを送って城を明け渡すように申し付けたが、聞き入れられるわけもなく、仕方なく義秋は洛中の治安維持を務めている畠山高政を呼び出して対応策を講じることにしたのだが。
「何を仰います。全て義秋様の御命令ではございませぬか」
高政の言葉に義秋の表情は驚愕の色へと染まり、茫然とした。ただすぐに気を取り戻し、言葉を振るわせながらも否定した。
「儂の命じゃと!?儂は斯様なことは命じておらぬ!」
吐き捨てるように言った義秋へ対し、高政は悪びれもせずに答えた。
「これは異な事を仰せで。宰相様は上様に幕政を改めて頂く為、大名たちの取り纏めを手前に命じたではございませぬか。確かに仰せられましたぞ。この尾州めに一切を任せると」
「それと二条城の占拠が如何に関わり合いがあると申すのじゃ。これは謀叛ぞ!わ…儂は兄上に謀叛する気などさらさらない」
自らが原因と言われて途端に語気を弱めた義秋へ対し、高政は追い打ちをかける。
「諫言したところで上様が聞き入れられるわけがないことは、宰相様がよくご存じでありましょう。故に強訴へ及んだまでのこと」
強訴とは、農民や寺社が幕府や朝廷に対して武力を振りかざして要求を訴えることである。古くは平安時代から盛んに行われている手法だが、近年では幕府の衰退で余り見かけることはなくなっていた。
ただ武士の場合は強訴と呼ぶことはなく単に謀叛とでしか扱われることはない。しかし、高政は僧籍にあった義秋に対して強訴という言葉を用い、誑かそうとしていた。
「まあ、まずは落ち着いてこれを御覧下さいませ」
高政が一通の書状を義秋の前に広げて見せる。そこには大名たちの名前がずらりと並んでいた。
畠山高政、朝倉義景、京極高吉、一色義道、山名祐豊、武田元明、北畠具教、河野通宣など幕府に属する大名たちの他、いま幕府の標的となっている毛利元就や地方の小名である江馬時盛、堀内氏虎など未だ幕府に属していない者たちの名前まであった。
「宰相様、よくよく御考え下さいませ。上様が幕政を改めると御約束すれば、彼らが全て幕府へ従うのですぞ。さすれば幕府の威に靡かぬのは、九州や東北の小名たちだけとなりましょう。その様な者たちを屈服させるのは意図も容易きこと、天下の平定は一年とかかりますまい」
既に義秋の中では、救援を求めてきた大友宗麟は幕府へ属していることになっている。高政が言うように兄が幕政を改めれば、日ノ本全域がほぼ幕府の統治下に復したこととなり、幕府への献金を絶やさぬ九州の相良義頼や永禄六年(1563)に義輝よって大名として認可された薩摩の島津貴久(現当主は子の義久)、奥州の伊達晴宗と蘆名盛氏などは復活した幕府に従う公算が高いと思われる。
義秋は“兄が幕政を改めることで天下平定は即座に達成されるのではないか”と思い始めてしまった。
すかさず高政が畳みかける。
「さらに宰相様には強い御味方もござる」
高政は後ろを振り返り、背後に控えている男が頭を上げた。
「喜兵衛。あれを御渡しせよ」
「はっ。畏まりました」
喜兵衛と呼ばれた男は懐から一通の書状を取り出すと、それを義秋へ手渡した。受け取った義秋は、その文面もさることながら差出人の名に驚愕した。
「に…俄に信じられぬ。彼の者も儂を支持すると申しておるのか」
「はい。そこに書かれている通りにございます。それに、ここに控える者は彼の者の家来にございますれば、それが何よりの証となりましょう」
「そ…そうなのか」
義秋の問いに対し、喜兵衛ははっきりと頷いた。
「はい。我が主は幕府ひいては将軍家の行く末を憂慮されておりまする。聞けば織田は平氏とか。そのような者を重んじる今の幕府に源氏の武者たちは不満を抱いておりまする。かつての鎌倉幕府は源氏の政権であったにも関わらず、平氏である北条得宗家の専制を許したが故に滅びました。それを繰り返すわけには参りませぬ」
喜兵衛は義秋の前で、滅びた鎌倉幕府の歴史と今の幕府を引照しながら力説した。
鎌倉幕府は言わずと知れた源頼朝が樹立した武家政権である。しかし、頼朝が政権を確固たるものにする前に死去すると、頼朝の室であった政子が父・時政や弟の義時と結託して幕政を主導し、和田や梶原など有力御家人を排斥していった。
その後の承久の乱を経て幕府の支配が西日本にも及び、北条氏が主導して武士たちの恩賞を与えたことで得宗専制体制が確立した。ただ元寇以後に恩賞を与れなかった御家人たちの没落が増加し、治安が悪化すると次第に得宗家へ対する不満が高まることになり、最期は幕府が倒れ、共に得宗家も滅ぶことになった。
もちろん義秋も足利幕府の成り立ちに関係することなので、そのことはよく知っている。この頃には義秋の迷いは幕政を改めることではなく、兄へ対する謀叛だけになっていた。
義秋を安心させるべく、高政は笑顔で応える。
「御懸念は無用にございます。前にも申した通り、我らは上様に考えを改めて頂きたいだけでございます。故に大和守殿に危害は加えておりませぬし、御台所様や藤姫様にも傷一つとしてつけてはおりませぬ」
身内の名前が出たことで、義秋は一瞬だけ理性を取り戻した。
「あ…当たり前じゃ!姉上や藤に何かあってみよ。そなたの首が飛ぶだけでは済まぬぞ!」
「ならば、宰相様が御安心なされるよう御二人の身柄はこちらへ御移し致しましょう」
高政は二人の身柄を引き渡すことを伝え、義秋の止めを刺しにいった。
「されど宰相様、もはや引けませぬぞ。既に諸大名には宰相様の御命令という形で書状を送っておりますからな」
高政の言葉に義秋は顔面蒼白となった。義秋は全身の力が抜けるのを感じたが、将軍家一門たる誇りがその場で崩れ落ちるのだけは何とか防いだ。
義秋は逃れ得ぬ自分の運命を悟った。
「これからどうするつもりじゃ」
「まずは畿内を固めまする。その頃には左衛門督殿も戻って参りましょうから、摂津か播磨辺りへ軍を進め、上様の軍勢を待ち受けます」
「兄上と戦をするのか…!?」
「いえいえ。我らが本気であることを示すまでのこと。上様が幕政を改めると約束して頂けるのであれば、すぐにでも兵を退きまする。これも駆け引きの一つでございますよ」
「……判った。但し、絶対に戦はならぬ。戦だけは…。それだけは厳命しておく」
義秋は高政へきつく言い聞かせた。最悪の事態だけは避けたいという想いが、そこにはあった。
「畏まりました」
として承服する高政であったが、義秋の言葉を気に止めた様子はなく去って行った。
残された義秋は、陽が暮れるまでその場を動けなかったという。
かくして京で留守居役を任されたはず足利義秋は、本人の心情に反して兄と対立する道を歩み始めたのであった。
【続く】
今回は義秋回です。
言葉巧みに操られている義秋ですが、これも誇りだけが高く無知であるが故です。かつて大名たちに奉じられることになった足利義視や義稙、義澄なども義秋とそう大差ないのでは?というのが私の考えにあります。(一部の利害は一致したでしょうけど)
また高政が見せた書状に書き連ねられていた大名たちの名前ですが、補足すると直筆ではなく、高政が味方になり得る大名の名前を一方的に列記しているだけです。元就の名が書かれているのが、そのよい例となりましょう。ちなみに本文では記述していない大名の名前も書かれていることになっています。(つまり列記しただけが謀叛方の勢力ではないということです)
尚、義秋の正室の名前はオリジナルです。名前が分からなかったので、敦賀郡司の娘ということから敦賀の敦を取り、それを縁起がよいとして鶴としました。史実の義秋が秋の名を縁起が悪いとして昭に名を改めたようなものです。
また藤英の家臣として登場した与次郎ですが、こちらもオリジナルの人物です。初めは三淵家の家臣としていたのですが、より人間味を出させるために登場させました。以後は本編に影響を与えないことを絶対条件にオリジナルの人物を書くことになるかもしれません。
さて次回は義輝と元就の会談の続きから始まります。元就の口から黒幕の名が語られることになります。




