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26-1 離脱

「いや、待て。敗残兵は武装解除の後、最前線の真田幸村の元へ移送せよ。そして、佐竹の陣へ送り届けるように申し伝えるのだ。」

「?捕虜をいきなり返還なさるのですか。」

「うむ。捕虜など得ても我らの重荷になるだけだ。どうせ返還するのであれば、蜂須賀よりも佐竹の手柄と成させるほうが良かろう。」

「確かに………。」


佐竹氏は関東で長年徳川の圧力に抵抗してきた家柄だ。今でこそ家康に屈服させられているが、内に秘める鬱憤は少なくない筈。


「捕虜返還で時間を稼ぎ又兵衛隊と真田隊に一息つかせて余裕をもって戦線から離脱させよう。」

「では、第二陣の木村重成殿・塙直之殿、さらには第三陣の浅井井頼・野々村幸成・中島氏種殿にも最前列には加わらず、距離を取り繰引きの構えを伝達いたしまする。」

「頼む。各陣が配置につき次第、後藤・真田両隊へは撤退開始を伝達してくれ。」

「撤退路は如何致しましょうや?」

「渡辺隊を収容する必要がある。北に逃げた井伊などの敗残兵の掃討も兼ねて退路は北よりにずらす。」

「されば、今福村で手近な各隊は合流を図るように致しましょう。」

「そうだな。あの付近では今福が一番良さそうな駐屯地だ。村人はすでに避難しておるまいが、井戸も有れば利用できる施設も残っていよう。」


//////////////////////////////////////


「何?大坂方が捕らえた井伊と松平などの捕虜を返還する………そう申し入れてきていると………真田が?」

「はっ。使者が申すには秀頼公御自らの発案で有るとの由。返還にあたっては関ケ原での迷惑料の一部として我が佐竹家へ返還するので隣の陣の蜂須賀殿との摺合せを願うと………。」

「………ほう………迷惑料とのう………。使者は返したのか?」

「いえ、返答を持たせるために陣に留めておりまする。」

「会おう。」



「右大臣(秀頼)様が臣、可児長景でござる。」


眼前に秀頼公の使者と名乗る男が片膝ついて頭を下げている。一万を超える敵軍勢の真っ只中で全く怯む様子もない。しかし、可児………か。


「ふむ、可児………と申すと、もしや武勇で名を馳せた可児吉長殿の縁者であろうか?」


可児吉長は柴田勝家、明智光秀、前田利家など織田家諸将を渡り歩いた槍の名手だ。福島正則に仕えたのを最後に一昨年天寿を全うしている。


「は、我が父、山岡景宗が可児吉長殿と御縁があり、名跡相続のため養子入り致して御座いまする。」

「なんと、近江の山岡氏の出自であったか。儂は同じ近江の治部少輔(石田三成)とは入魂(じっこん)での。」

「はっ。我が殿も治部少輔様を失ったのは痛恨事であったと………。」

「なるほど、それで蜂須賀ではなく我が佐竹に参られた………。」

「………」

「相解かった。戦で敗れれば首にされても文句は言えぬ。それを敢えて開放しようという温情ある措置。流石天下人の係累と感服した。これ、直ちに隣の蜂須賀の陣へ伝達を。敗残兵収容のため暫し休戦と致す………とな。」

「と、殿、しかし我らが勝手に休戦を取り決めては後に………」

「井伊勢、さらには松平勢の敗残兵多数である、当方単独では収容しきれぬので蜂須賀殿にもご助力を乞う………そう申せ。敗残兵は()()()である………とな。」

「………井伊勢!、はっ、しかと蜂須賀様にお伝えいたしまする!」


井伊が家康のお気に入りであると云う裏の意味を把握した伝令が即座に蜂須賀陣に走る。

井伊と念押しされては蜂須賀も我を通す事はできぬ。


「これで良かろう。可児殿も暫し我が陣でゆるりとされよ。誰か、可児殿に床几を。」

「有難きお言葉。されど…」

「まあ良いではないか。どうせ捕虜収容でごたごたと時間がかかる。御身が収容作業をなされる事でも無かろうしのう。」

「佐竹様には敵いませぬな。では遠慮なく。」

「儂は三成の真っ直ぐな性根が好きであった……それ故、些か性根の曲がった者には毛嫌いされておったが………」


//////////////////////////////////////


-このような塩梅で、今最前線では奇妙な停戦が成立しておりまする-

「ふふ、佐竹殿もなかなかに役者ではないか、秀範(仙石秀範)。」

「はっ。長年関東で割拠されて居たは故無くはないかと。」

「これで蜂須賀も動くに動けまい。警戒は必要だが、又兵衛と幸村に撤退開始の繋をいれよ。」


最前線の後藤又兵衛・真田幸村両隊だけでなく、他の各隊にも伝令が走り急速に繰引きの構えが構築されてゆく。


「とりあえず退却は良いとしてだ………今だ所在が不明な有力部隊がいくつかある。」

「されば………これ、判っている範囲でよい。周囲の敵勢の説明を。」


-伊達勢およそ一万、天王寺の南に陣しておりますが参戦の様子はございませぬ。-

-浅野長晟が軍勢、遠く大和川上流付近に有り。参戦は無理と思われます。-

-上杉殿、京から動かず。伏見城に有り。-

-黒田長政勢、遠く秀忠勢に随伴し参戦の恐れなし。-

-伊予加藤家(加藤嘉明)も同じく秀忠勢と共に有り。-

-秋田実季が率いし小勢、およそ千、天王寺の遠く南に有り。-

-細川家は周囲に見当たらず。秀忠勢のさらに後方と思われます。-.


四周に散らしていた伊賀者から次々と報告が上がる。予め直答を許しておいたので滑らかなやり取りだ。当初は難色を示していた諸将も気が急く戦場では直答のほうが合理的といまでは納得してくれている。


「ふむ。概ね想定通りだな。基本的に幕府側はいきなりの急戦は望まず、大きく大坂を包囲しようとした動きか。」

「はっ。なにせ大軍を動員しておりますれば、全体で動くには急襲は困難でしょうな。」

「準備も出来たようだ。では大坂に凱旋と致そう。」


-一つ、お耳汚しを………-


「ふむ?」


-幕府勢の多くは生駒山を超えて来ては居りませぬ。京より東高野街道を南下、一旦南河内に出て後、改めて北上、部隊ごとに街道沿いに西進した模様-


!!! 東高野街道を南下して南河内で再編、北上しなおして南東から戻ってきた…だと!

そうか、我が豊臣勢が東高野街道まで封鎖できぬ事を見切って疲労が溜まる生駒山系を超える峠越えをせずに平地を縫うようにして大坂城を回り込み来寇していたのか………さすが家康、野戦の雄は伊達ではないか。

迎撃ポイントをたまたま峠の出口から少し西に設定していたお蔭で偶然、敵の進撃路で待ち構える事が出来た………史実の戦場よりわずかに西で迎撃したのは當に幸運。もしも史実の戦場よりすこし東に迎撃ポイントを設定しておれば、惨敗もあり得た………後世の戦域図のほとんどが、生駒山系を抜けてきた幕府軍を迎撃した図になっているので鵜呑みにしていたが………よくよく考えてみれば、できれば山越えなどしたくない事ぐらい明白だ。


-ただし、伊達勢のみは、ゆるゆると生駒山をこえ南方に進出した模様。-


ほう…伊達は東北の山岳地帯で主に戦ってきている。生駒山系程度の峠越えなどどうという事も無い………という事………いや、それもあろうが、わざと山越えして時間稼ぎするのが本意だろう………ともかく歴史知識に依存しすぎるのは危険だな。


「委細承知した。よくぞそこまで調べたものよ。これからも期待している。」


わずかに頷いた繋の忍びが姿を消す。

かくて、手放しでは喜べなくなった秀頼の意向を置き去りにして、大坂勢主力はほとんど損害も無く撤退するのだった。


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