22 出陣
大阪城三の丸の広大な敷地に七万余の兵が整列している。
これが、現在の大坂方の全軍だ。
彼らを前に、現代の朝礼のように壇上に立ち、これから偉そうに訓示を垂れるのだ。
全兵士に向かって話しかける主君など、この時代には居なかった為か、皆もの珍しそうに俺を見ている。
まあ、そりゃそうか。
大坂方の兵士と雖も直接秀頼を見ることなど初めての者が大多数だろう。
「皆も知っての通り、いよいよ幕府との決戦に入る。各々の物頭から聞かされていると思うが、この決戦は勝つ為の戦だ。間違っても安易に死花を咲かそうなどと考えてはならぬ。這いずってでも生き延びて戦い続ける事こそ誉と心得よ。勝つための算段は十二分に施してある。だが、如何に策を十全に巡らそうとも不測の事態が起きるのが戦でもある。慢心する事無く、各々が努めを果たせ。幸いにも我が豊臣家の台所は潤沢だ。戦後の恩賞は期待してよいぞ。」
どっと隊列から笑いが起こる。良い塩梅に解れてきたようだ。
「この戦以降はこの秀頼が豊家を直率致す。豊家は今日より生まれ変わるのだ。名実ともに豊家が日ノ本を統べる、その第一歩が此度の戦ぞ!豊家の興廃はこの一戦に有り。各員一層奮励努力せよ!」
日本海海戦の東郷提督の訓示をパクって激を飛ばす。
この時代の人達では使わない言い回しも混じっているだろうが、なんとなく伝わったのだろう、流石の名文句だけあって七万の士気が一気に頂点に達する。
その興奮の中、最も遠隔地への出撃となる大和郡山城攻撃隊、二千の小部隊が先発する。
次いで、明石、長宗我部の道明寺方面軍一万八千が続く。こちらは日程に余裕があるので、ゆったりとした行軍だ。
一塊となって進む一万八千もの軍勢が出るには優に一時(焼く2時間)ほどかかった。
最後に自分(秀頼)が直率する若江村方面軍となる四万の出陣だ。黒色で統一された後藤又兵衛隊の五千、いまさら言うまでもない赤備えの真田幸村隊五千以下、各部隊で一塊になり総勢四万の大軍が進発する。
………赤備えか………。そう言えば激突予定の井伊勢も赤備えにしているのだったな。正真正銘、武田直系の真田の赤備えと、井伊の借り物の赤備え。さて何れが勝るやら………ふふ、楽しみだな………
明石率いる道明寺方面軍が主に街道封鎖の役割であるのに対して、俺(秀頼)直率の若江村方面軍は幕府軍先鋒主力の井伊勢を迎撃、受け止めるだけでなく逆撃して粉砕すると云う、この戦いの主目標を担っている。そのため、史実とは武将の振り分けが異なっている。
………大阪方は案外バランス型の将が多いんだよな………
知勇兼備で攻防自在の毛利勝永。関ヶ原で宇喜多勢を自壊することなく纏め上げた明石全登。一見猛将に見えるが史実では八尾の戦いで戦術の妙を発揮して藤堂高刑、桑名吉成、さらには藤堂氏勝を敗死させた長宗我部盛親。いずれも単独で一方面を任せられる将帥だ。
逆に純粋の猛将は意外に少ない。
名実ともに猛将の誉高い後藤基次(又兵衛)はともかく………
塙 団右衛門などは猛将というよりも猪武者に近くて投入場所が難しいし、木村重成はまだ経験不足が目に付く。薄田兼相に至っては将というよりも飛び抜けて勇猛な兵といった感じだ。
そこで真田幸村を後藤基次と並ぶ先鋒に配した。
真田といえば智将のイメージで、事実、父の真田昌幸、兄の真田信之、祖父の真田幸隆などはその通りなのだが、叔父の真田信綱・真田昌輝は長篠の戦いで実戦部隊を指揮して戦死しているので、どちらかと言えば猛将寄りだったのではないか。
真田幸村当人も、史実の大阪の陣終盤では猛将丸出しの働きをしている。ちょっと贅沢な投入のようでも有るが、此度の戦いでは確実に猛将の側面も有する幸村を先鋒に入れた。
………又兵衛、幸村であれば、必ずや井伊を粉砕してくれよう………逆にそれが叶わぬようでは勝ち目が無い。頼んだぞ二人共………
戦いに思いを馳せるうちにも先鋒部隊、さらには両脇を固める本陣付きの木村重成・塙直之(団右衛門)・浅井井頼の九千が出陣してゆく。彼方を見れば遊撃の渡辺糺隊四千が少し遠くを他の隊から離れて北寄りの進路を取っている。
「では、我ら本陣部隊もゆるゆると出立しよう。野々村幸成、中島氏種。」
「はっ、本陣左右はお任せあれ。」
言い残して二人が自陣へ去ってゆく。
「愈ですな。秀頼様。」
「すまぬな、仙石殿。子守のような貧乏籤を押し付けてしまった。」
「なんの、我が父の不義理にも拘らず、このような大役。喜びこそあれ、不満など欠片もありませぬ。」
「それを言うなら我が父にも問題が多かった。お互い様という事で前を向くと致そうぞ。」
そもそも、親父の秀吉が任に余る大役を仙石秀久に与えたのが悪い。戸次川の戦い時点ではどう考えても総大将を長宗我部元親にして、仙石秀久は総大将に従う軍監といった役どころが当然だったろう。軍監である仙石秀久が実質的主将おも兼ねる人事は組織としても狂っているし、根本的に四国統一寸前まで行った長宗我部元親の実績の前では仙石秀久の経歴はあまりにも軽い。秀吉の人事はこの頃から劣化が始まりその極めつけが小早川秀秋の毛利氏への押し込みだ。無理な押し込みが秀秋の負担と焦りに繋がる悪循環を生んだのだろう。また、押し込み後の手当も秀吉らしからぬ稚拙さだ。押し込んだからには秀秋が功を挙げた場合は槍働きだろうが端武者の働きだろうがキッチリ称賛してやればよかったのだ。さすれば関ヶ原の裏切りもなかったのではないか。
「出陣!」
過去に思いを馳せているうちにも自分達の出陣の番が来たようだ。仙石秀範の号令で本陣部隊も動き出す。本陣部隊は若江村まで進出待機して、何れやってくる井伊直孝主力と藤堂高虎の右翼軍を撃破する予定だ。若江村の東には大和川から分流して北へ流れる玉串川が有り、何も知らずに渡河する井伊直孝主力に壊滅的大打撃を与えるのは、ほぼ確実だろう。
………玉串川の東に、恩智川の小川がある。その東には南北に東高野街道が生駒山地の麓を走っている。追撃をどこで切り上げるか?だが。伊東長実に仕込んだ反間の計が当たれば井伊直孝主力の後方からバラバラに援軍が逐次投入されてくる筈だ。これらも各個撃破する為には東高野街道で止まらずさらに北上追撃も必要になるか。その場合は右側面は生駒山で無視できるが、西側に無傷の敵部隊が残っていると厄介だな。だが、今からそこまで心配しても無駄ではあるか。………
「秀頼様。そろそろ若江村が見えてまいります。予定通り、付近で分宿でよろしいでしょうや?」
どうやら随分と長考に沈んでいたようだ。もうそんなに来ていたのか。二千で先発している大野治房はそろそろ大和盆地に向けて暗峠を下る頃合いか。
「そうだな。此処からは戦況の変遷次第だ。命があるまで兵達に十分な休養を。酔わぬ程度に酒も許す。」
「そこまで緩めてよろしいので?」
「此度の戦に限っては大丈夫だ。奇襲される可能性は無い。その代わり、進撃が始まると休み無しの突撃になる。休ませられるうちに際々まで休ませておきたい。」
「されば、仰せのままに。」
頷いた秀範が使番に指示をだしてゆく。自分(秀頼)も宛てがわれた村長の家に上がり込み饗応を受ける。
………明石全登は無事に布陣しただろうか。渡辺糺はうまく埋伏できたか。長宗我部盛親はどうだろう。郡宗保は上手く密書を改竄できただろうか。北川宣勝は伊達政宗に我が意を伝えられただろうか。そして服部藤内。彼は幕府側の状況を正確に把握できているだろうか。なかなか寝付けない夜であった。




