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12 総構

今日は重成を伴い秀吉大坂城の総構えを改めて視察に出てきた。一昔前の城であれば、峻険な山に本丸と二の丸、あと僅かの付帯郭程度だったが、此の時代は平地寄りの地形に城が構築され、防衛力を地形に大きく依存するのではなく、城自体の人工構造物に依存するように変わっていった。そのため、城の規模が大きくなり、構造も多重構造化が進んでいる。本丸、二の丸、三の丸、その他数々の郭、さらに城下を丸ごと内包する総構(そうがまえ)と呼ばれる、都市国家の外壁のような構造が各地の中心地の城で計画されていく。(総構まで完成に至った城は案外すくないが。)


秀吉大坂城はその代表例で、

北側:淀川と旧大和川を堀に見立てて境目とする。

東側:平野川の西にあった、猫間川を堀に見立てて境目とする。

西側:淀川と連結している東横堀を境目とする。

南側:東半分ほどを、猫間川から引いた水を張った水堀、西半分は空堀で境目とする。


挿絵(By みてみん)

(再掲)大坂城周辺図


こういう状態だったらしい。

北と東は天然の川であるので埋める事はほぼ不可能。西は人工の堀だが、そもそも西は海がせまっていて大軍を展開できる余地が狭く、攻め口にしにくい。さらに東西ともに古代は海だった名残で今も低湿地だ。

結局、攻め口は誰が見ても古代から陸地(上町台地)の南になる。その、南側の水堀の終端付近に追加で造られた郭が真田丸だったようだ。

もっと西の空堀部分のほうが弱そうに思えるのだが、記録に残っている真田丸の場所は中央よりも東寄り、水堀のある真南付近に描かれている。

これは真田丸を水堀で囲む都合上と、空堀と水堀の連結部分の防衛を兼ねて此処になったと予想される。

総構えの空堀部分だが、こちらも絵図をよく見ると複雑に折れ曲がった構造をしていて、擬似的な枡形を幾つも構成していたらしく、結構防御力は有ったのかもしれない。

(此処だけわざと水堀を造らず空堀にして敵を誘引して各個撃破する戦術も考慮されていたかも。)


その真田丸自体だが、近年の発掘調査や空撮などで、かなり本格的な構造物だった事が次第に明らかに成ってきている。外周の堀は空堀と水堀を複合させた多重構造で、空堀も、元々の崖をさらに彫り深めた物と云うのだから、突貫工事とは思えない手の入れようだ。


「この総構えはものすごい規模だが、変ではないか?重成。」

「は?と申されますと?」

「いやな、これだけの規模で巨大な空堀を造ったのだ、いっそ西いっぱいに伸ばせば木津川まで届くでは無いか。さすれば船場も阿波座も全部大坂城に取り込める。運河の木津川口が城外にある今の状況だと容易く水運の搬入口を遮断されるが、木津川本流の縁まで大坂城に取り込んでしまえば城に船を横付けできるだろう。」

「そ、それはそうですが、城の大きさが三倍ほど大きくなりまする。それでは城の守備に必要な兵も倍には成ってしまいますぞ。」

「本当にそうか?木津川の際まで城に取り込めば、西側は天然の大河の木津川が堀になり、全く攻め口は無くなるので今の西側の守備兵はむしろ半減させられるぞ。北側は淀川だから、こちらもさほどの守備兵の増加は要るまい。西側で余った兵を延長させた南側に配せば良いだけで、さほど守備兵の増加は必要なかろう。第一延長する南側の堀は木津川口へ続く運河も利用出来るので延長していない現状のほうが不自然だろう。太閤はなぜわざわざ狭い場所とは言え、城の西側にも敵兵が展開できる余地を残しておいたのだろうな?」

「秀頼様は太閤様がわざと西側を空けて敵を誘われているとお考えなので御座いますか。」

「ああ。太閤は事、城の攻防については誰よりも造詣が深かった。こんな程度の事に気が付かぬ筈が無いのだ。大坂城を造った頃はまだ船場も未開発でただの低湿地だ。城に取り込んだとて、民の生活にさほどの悪影響はなかっただろう。」

「それはそうでしょうな………であれば、やはりわざと空けてあると。」

「たぶんな。冬の陣でもこの狭い西側に池田や浅野、山内、蜂須賀といった連中が兵を入れてきた。空いていれば兵を入れたく成るのが人情だ。本来はこの西側に入ってきた敵兵を各個撃破して損害を強いるのが太閤の考えた狙いだったように思う。ところが太閤が想定していなかった城の南側で真田が敵兵の誘引に成功して大打撃を与えたので、この太閤の構想はまだ秘匿されたままだ。つまり、まだ使える手と云う事になる。」

「秀頼様は城の堀の復旧が終わって後、機を見て城の西側に誘引した敵兵を殲滅する!そう言われまするか!」

「真田が今、城の南側に真田丸同様の砦を複数構築してくれておる。あれが完成すれば冬の陣で痛い目にあっている幕府外様大名共は恐れて南側には寄り付かぬだろう。かと言って幕府の縁戚大名、ボコボコ出来た諸々の松平の兵などまともに戦の経験もない連中だ。到底最前線になど立てぬ。城の南側は大きく開けておるので大軍を送り込めるが、皆遠巻きに眺めるだけで仕寄ってくる物好きは居るまいよ。だが城の西側なら狭いため遠巻きにする事が出来ぬ。総構えのすぐ近くに嫌でも布陣する羽目になる。結局次の大坂城包囲戦が起きた場合に戦場になるのは城の東西側の何れかしか無かろう。」


復旧が進む総構を眺めながら二人して未来の戦を脳裏に描く………。


「………成る程。此度は城の西側で大打撃を与える事で大坂方勝利を喧伝なされようと………。」

「それも何回も使えるように出来ておるな。わざわざ城への物資搬入口を木津川口に造ってあるのはそのためでも有るだろう。冬の陣でも分かった通り、別に物資搬入が滞っても数年は持つのが大坂城だ。にもかかわらず、此れ見よがしに木津川口で物資搬入を見せつけられては遮断の挙に出ざるを得まい。」

「!で、では太閤様はわざと木津川口が遮断できそうな状態に大坂城を造っておいた………と。」

「うむ。まあ木津川口で数回誘き出されて痛い目を見れば、流石に手を出さなく成るだろう。だがその場合は遠慮なく、総構えを西に延長する工事を見せつければ良い。」

「木津川口での誘引が出来ずとも、だらだらのんびりと総構えを西に延長している工事をすれば、妨害しに出てこざるを得ぬ………ですな。」


頷いて、


「要は城方が好き放題やっているのに、幕府方が手も足も出ない………そう云う印象を世間が持てばよい訳だ。総構えを西の端まで延長しても手を出して来ないなら、いっそ総構えをジワジワ南に延長してやるのも有りに思えてきたな。大軍を展開している南側だがジワジワその展開余地が減っていけば何れ南からも追い出されてしまう。」

「い、いや流石にそのような惨めな事は受け入れられませぬぞ、幕府も。」

「かと言って総構えを攻めれば冬の陣の二の舞いよ。」

「秀頼様、我ら恥ずかしながらつい先日までは次の戦で最後かと悲観しておりました。本当は追い詰められているのは幕府なので御座いましょうか。」

「よくよく考えてみれば、そうなのかも知れぬ。家康が二十年若ければ十年単位での包囲戦、河内和泉摂津の3国を大きく封鎖するような………そんな包囲戦も出来たやも知れぬ。家康は根気だけは人一倍有るからな。だが家康は既に七十四歳、最早明日をも知れぬ。武断派の後継者も準備しておらぬので次世代には任せられぬ。今となっては直接大坂城を攻めざるを得ぬ。だが其の大阪城は太閤が仕込んだ毒が何重にも撒かれていたと云う訳だ。すでに家康の構想は大きく齟齬が出来ているのかもしれぬ。」


復旧途上の大坂城を見つめながら亡き太閤秀吉の構想の一端に触れた思いがするのだった。

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― 新着の感想 ―
これ異世界転移じゃなくて憑依ですよね。転生とも言い難いし。
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