第四十五話 迷い人
役場へと戻って来た弥勒はその場で克也と別れると、駐輪場へと向かった。二時間ほど経っており、多少は減ったものの未だに十人近い人たちが青龍号を取り囲んでいた。町にジョニーをマスコットとして売り込んだなら、ひょっとすると本当に上手くいくかもしれないと思わせるほどの人気ぶりである。
しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。約束の時間までもうあまり時間がないのだ。また明日も来るからと取り巻きたちを解散させる。その際、
「こいつも喜んでいる。また明日もよければ構ってやってくれ」
と一言添えるのも忘れない。そうした人心掌握術――人ではなく魔族だったが――は魔王時代に嫌というほど勉強したのでお手の物だ。思惑通り、立ち去る人々の顔には笑みが浮かんでいた。
『それで、どこに向かっているっすか?』
青龍号の前籠で転がりながらジョニーが尋ねる。時折振動でゴムボールのように撥ね回っているのだが、いつものことなので弥勒もジョニー本人も気にしていない。
『すぐそこの喫茶店だ』
『喫茶店?さっきまでコーヒー飲んでいたんじゃないっすか?』
『ああ。その喫茶店に行く』
頭の周りに疑問符を並べるジョニーを放置したままで青龍号のペダルを踏む。先ほど違和感を覚えた場所の近くに来ると、今度は意識してその元を探っていく。
「ここか」
魔力感知を応用して視認できるようにすると、数歩先で魔力のカーテンに遮られた場所があるのが見えた。
「やはり結界だったのか。道理で静かなはずだ」
『結界!?なんすか?何があるっすか?やられるっすか?負けないっすよ!?』
心の琴線に引っ掛かったのか、結界と聞いてジョニーが起き上る。何かと対峙しているかのように右へ左へとステップを踏んでいるが、いかんせん青龍号の前籠の中なので遊んでいるようにしか見えなかった。
『落ち着け。もう時間がないからさっさと行くぞ』
百円ショップで買った――五百円だった――腕時計で時間を確認して、結界へと向かう。
『ふぬあ!』
結界を構成している魔力にぶつかりジョニーが奇声を上げたが、驚いているだけのようなのでそのまま進んだ。するとつい先ほどまでお邪魔していた観葉植物に囲まれた喫茶店が目の前に現れたのだった。
『ななななな何すかこれは!?やるっすか!?負けないっすよ!』
『だから落ち着け』
興奮してステップのスピードを上げるジョニーだったが、焦ってただの反復横跳びになっていた。それにしても一体何とやり合うつもりなのか?目の前に現れた建物だとすると、どうやって勝つつもりなのだろうか?とりあえずノリと勢いだけで話しているのは間違いないようだ。
ダイエットに丁度いいので、残像が現れるほど反復横跳びを繰り返す真ん丸雀をそのままに、弥勒は店の入り口付近に青龍号を停めた。
結界の中とはいえ誰も入れない訳ではない。少し迷った後、いつも通り鍵を掛けることにした。近くに都合のいい柱がないので、チェーンロックは前輪とタウンチューブ――ハンドルの下辺りとペダル部分をつなぐパイプ。せ、説明が難しい……。後は各自で調べてね――にだけ通しておく。
『さあ、入るぞ』
『待って欲しいっす!』
弥勒が扉を開けるころには、ジョニーは定位置である方に飛び乗っていた。カランカラン。涼やかなドアベルの音はそのままだったが、迎えた人物が異なっていた。
「それが貴様の本当の姿ということか」
「ええ、そうです。迷い人たちの隠れ里〈森の館〉へようこそ」
そう答えた金髪碧眼の美青年の耳は尖っていた。弥勒が元いた世界において、彼はエルフと呼ばれる一族であった。
「〈森の館〉という名の割には町中に作ったものだな」
「いいえ。ここには元々小さいながらも森があったのですよ。今は見る影もありませんがね」
「そういうことか。……人間という種が周囲に与える影響が大きいのは、どこの世界でも同じなのだな」
「それが人間の長所でもあり短所でもあるのでしょう。それはさておき、立ち話もなんですからこちらにお座り下さい」
言われて初めて弥勒は未だ立ったままであることに気が付いた。警戒はしておくべきだが、断る理由もないので勧められるままカウンターの席へと腰を下ろす。ついでに話し合いの邪魔になりそうなので、店主の許可を得てジョニーは館の中で自由にさせることにした。店内、つまり館の中は植物が生い茂っているので、一人で遊んでいてもしばらくは飽きないだろう。
「さて、最初にいくつか尋ねたいのだがいいか?」
「結構ですよ」
「魔族領という地名及び、魔王スキムミルクという名前に聞き覚えはないか?」
「いいえ、ありません」
当の魔族以外には負の感情と共に世界の隅々まで広がっていた名前であり、知らないということはあり得ない。よって彼の答えからある事実が浮かび上がった。
「そうか……。貴様がいたのは俺とは違う世界なのか」
「その通りです。この世界は他の世界と繋がりやすいようで、私たちのような異世界の者が度々紛れ込んで来るのだそうですよ」
「その話をしたのは少女の姿をした管理者か?」
「はい。あなたがヒトミと名付けたあのお方です。良い名を付けて貰ったと喜んでいましたよ」
その光景が簡単に目に浮かび、思わずほっこりしてしまう。
「俺と会った時にはその話はしなかったのだが、何故だと思う?」
「おそらくは伝え忘れただけでしょう。私たちのことも言い忘れたと、話していましたよ」
「それでわざわざカツを使って俺と貴様を引き合わせたのか」
「その考えで間違いはないでしょう。前田君の家はヒトミ様の普段いる場所に近いので、メッセンジャーになってもらっているそうですよ」
「突然ここのコーヒーが飲みたくなる訳だ。まあ、それ抜きにしても美味いとは思ったがな」
「魔王と呼ばれた方に褒めてもらえるとは光栄ですね」
薄々は感付いていたが、このエルフは弥勒が魔王であったことを知っているようだ。
「それもヒトミからか?」
「はい。おっとそういえば名乗っていませんでしたね。私の名はハリーと言います。こちらではそれをもじって針生望と言う名で通しています。どうぞ針生とお呼び下さい」
「俺は鈴木弥勒だ。弥勒でいい」
「改めてよろしくお願いします。一応故郷でのエルフ流の名乗りもしておきましょうか。……コホン。久しぶりなので緊張しますね」
「その気持ちは何となく分かる気がするぞ」
照れあう二人。元の世界にいた時にはそれが当然だったのでなんとも思わなかったのだが、こちらの世界に馴染んだ今では中二病テイスト溢れるステキなものに感じられるようになったからである。
「それではいきます。我はハリー、アンガ大陸の大森林マニメの氏族に連なる者なり。……こんな感じなのですが、聞き覚えはありませんか?」
「ないな。マニメという氏族も聞いたことがない。そもそも俺のいた世界にアンガという名の大陸は存在していない」
「……やはり我々は異なった世界からやって来たようですな」
「そう考えるのが妥当だろう。そもそも針生はどうしてこちらの世界に来たのだ?」
「私はとある実験の最中に魔法が暴走して、気が付いたらこの世界にやって来ていました。かれこれ百年以上前の話です」
「いくら長命なエルフといっても百年は、長いな」
「はい。まあ、ヒトミ様に保護して頂きましたし、同じような境遇の者たちにも会えました。訳も分からず野垂れ死んでしまうことに比べると、その点はまだ運が良かったのでしょう」
確かにその通りではあるが、そう考えていないと狂ってしまいかねなかったのだろう。
「他にも異世界から来た者がいるのか?」
「今はドワーフとゴブリンが一名ずつこの館の地下に住んでいますよ。ただ人見知りをするので、今すぐ会うのはご勘弁を」
今は、ということは過去にはもっと多くの者がいたのかもしれない。そしておそらくは故郷の地を踏むことなくこの世界で死んでいったのだろう。
「もちろん無理を言うつもりはない。ところで、針生は今でも元の世界に戻る意思を持っているのか?」
「もちろんですとも!確かにこの世界は居心地がいいですが、それでも故郷に帰るという望みは捨ててはおりませんよ」
「そうか。それなら俺も本格的に世界を渡る魔法の研究を進めてみることにしよう」
「手伝って頂けるので!?」
協力の申し出があるとは思ってもみなかったのか、針生はカウンターから身を乗り出して尋ねてくる。
「ああ。その代わりそちらの世界の魔法の大系についても教えてもらうぞ」
「その程度であれば何の問題もありませんよ!弥勒さんのように大きな魔力を持つ方に手伝ってもらえるなら、故郷に戻る夢も一層現実味を帯びてきます!」
故郷への慕情を露わにする針生を前にして、弥勒は改めて己が治める地をなくしてしまったことを痛感するのだった。
誰かジョニー柄のゴムボールを作ってくれませんか?
次回更新は12月22日のお昼12時です。




