第二十七話 真実はいつも一つ、とは限らない
「リィが気分が悪くなるかもって言っていた意味がよく分かった……」
弥勒たちと交代で奥の部屋の確認をして戻ってきた将の第一声である。その顔は切りつけられた数日前よりも青くなっていた。そんな彼を気遣いながらも、少し気になることがあると義則が口を開いた。
「リィさんやイロハは別として、それ以外の人物の写真の多くが一〇四号室の周辺のものだ。更に写っていた人物が左右のどちらかに寄っていて、ピントがずれてボケているものもある」
「え?それってもしかして……」
「ほぼ間違いなく狙いは私だった、ということになるだろうな」
「ん?何がどうしたアルか?」
弥勒はこのメンバーで唯一義則のことが感知できないリィに彼の推論を伝える。
「幽霊関係の資料が多かったのはそのためアルか……。って私やイロハは関係なく撮られていたのだったアル!……やっぱりこいつ変態アル」
うげぇ、とこれまた女の子らしからぬリアクションを取る彼女を横目に見ながら、弥勒はもう一つの懸念事項についても思いを巡らせていた。すなわち、神田という男が魔法を使えるかもしれないということについてである。
これまでも使える者がいるかもしれないと思っていたし、リィのように魔力を感知できる者、更にはイロハのようなよく分からない者もいる。
しかし、これほど間近に〈使いこなせる〉者がいるとは考えていなかったのである。これからは後手に回ることがないように、本格的に自分以外の魔法使いが存在するという仮定で行動していく必要がありそうだ。
ただそれも全てこの一件を終わらせてからのことだ。まずは神田を目覚めさせて詳しい話を聞き出さなくてはいけない。
「それでは起こすぞ。……ふん!」
掌から少量の魔力を微弱な衝撃に変えて神田の体へと送り込む。
「……う、あぁ」
「目が覚めたようアルな」
「……君は……。……ひ、ひいいぃぃ!?」
リィを見て寝ぼけた声を出した後、男たちの方に視線を向けると悲鳴を上げた。近所迷惑も甚だしい声量だ。防音の魔法をかけておいて正解である。
「今、弥勒さんを見て驚きませんでしたか?」
「失敬な。それを言うなら義則だろう」
「いやいや、切り付けた相手である将を見て怖くなったに違いないさ」
そしてその原因を互いに押し付け合う男性陣。リィは「何やっているアルか……」と呆れていたが、実は自分がその中に入っていない優越感に浸っていた。
その状況を好機と思ったのか、我に返った神田が口の中でもごもごと何やら呟き始める。
「何か変アル!」
魔力の動きを感知できるリィが警告すると、弥勒がすぐさま動いて神田の顔の前で指を鳴らす。すると神田の周囲に集まっていた魔力が霧散していくような感じがした。
「な、なにが……?」
起きたんだ、と神田は続けようとしたのだろうが驚き過ぎて口が動いていない。
「今の感じから消身の魔法でも使って逃げようとでもしたか」
「!!??」
見事に言い当てられ、今度こそ完全に言葉を失っていた。こちらのメンバーも「よく分かったな」と感心している。
「簡単なことだ。突然現れた人物に襲われたと将は言っていたし、今日の昼間もサングラスにマスクという不審者全開の恰好だったのに誰にも呼び止められなかったとジョニーが言っていた。だから姿を消す系統の魔法を使っていたのだと推理したまでだ」
と言いながらも実際には魔力の動きで判別していた。もちろん全ての魔法を判別できる訳ではない。神田の魔法が極めて未熟なためにできた芸当であり、元の世界では魔法の訓練を始めた子ども相手でもなければできないことだった。
「さて、逃げられないことが分かった所で答えてもらおう。なぜ俺たちを付け回した?」
「くそっ……。殺すなら殺せ!だけど僕は、いや、僕の正義は決して屈しない!」
弥勒の問い掛けに返ってきた答えは、菜豊荘のメンバーが全く予想していないものだった。
「「「「…………はあ?」」」」
何言ってんのこいつ?という呆れというか驚きというか訳分からんという気持ちが一斉に口を吐いて綺麗に重なった。
「他人を平気で傷つける正義とは恐れ入る」
一番に立ち直った義則の声は苦虫を百匹ほどまとめてかみつぶしたような、不愉快な感情をそのまま音にしたものだった。彼にとってみれば、長年孫のように慈しんできた将が傷つけられたのだから仕方のない反応といえる。
そして周囲の魔力に影響を与えているのだろう、見えないはずのリィでさえブルリと体を震わせていた。
「結局、こいつは自分に酔っているってことか」
一方、被害者である将は、義則が怒ったことで逆に冷静になっていた。
「ナルシストな変態なんて救いようがないアル」
リィに至ってはバッサリと一刀両断である。その眼は極寒の地もかくやというほどに冷気に満ちていた。しかし神田には温度感知機能が付いていないのか、その目をしっかりと見据えて言い放った。
「目を覚ますんだ!君はこいつらに操られている!」
立ってそれなりの格好を取っていれば少しは見られたかもしれないが、腰が抜けているのか神田は床に寝転んだままである。
「もう無理アル。皆申し訳ないアルが、私は下がらせてもらうアルよ」
そしてその言葉は彼女の心に届くどころか、氷の壁を厚くすることになるのだったが、神田はそんなことにはお構いなし、というより自分の説得が功を奏したと思っているようだ。
弥勒たちはリィの離脱宣言に仕方がないと感じてはいたが、自分たちがこいつを相手にしなくてはいけないのかと、うんざりした表情を浮かべていた。
「あー、それでどうして彼女が俺たちに操られていると思うんだ?」
聞きたくはない、だが聞かない訳にはいかない。弥勒はそんな義務感に押されて仕方なしに尋ねた。
「ふん!おかしな力で悪霊や怪鳥を使役しているお前たちの近くにいるんだから操られているに決まっている!だが、僕の物語にまで現れたのは失敗だったな!必ず駆逐してみせる!」
と何やら不思議なポーズを決めていた。床の上で。寝ころんだままで。
「……まあ、私は幽霊だから百歩、いや一万歩ほど譲って悪霊に見えるのはよしとしてもだ」
「弥勒さんの所のジョニー君を怪鳥というのは無理があると思う」
義則の言葉に継いで将が言った途端、
「ぷーーーーっ!!す、雀!ッ雀が怪鳥アルか!あっははははっははは!止めるアル!面白過ぎるアルー!」
一歩下がっていたリィが大爆笑していた。彼女は笑いの壷に嵌ったのか「雀!怪鳥!」と繰り返している。
「うむ。こうしてリィの戦線からの完全な脱落を意図していたのならば、恐ろしい策士だと言えるな」
「ありえないでしょ……」
「そうだな。後はなぜあの時に将を襲ったのか、だが、予想は付くな」
「魔法で姿を消して見張っていた所に偶然僕が通りかかった。悪の親玉の一人である僕を倒せれば、大打撃を与えられると考えて咄嗟に……。という感じでしょうか」
「ふ、ふん!頭は回るようだな!そうだ!操っているお前たちさえ倒せれば彼女たちを解放することができる!前回は失敗したが、次は必ず倒してみせる!」
上手く取り繕っていたつもりだろうが、将に言い当てられて動揺しているのが丸分かりだった。それでも例の不思議なポーズだけは取り続けていた。
「正義という言葉を聞いた時から薄々感づいてはいたが……やはりそう言うことか」
弥勒は一旦言葉を切ると、床の神田を見下ろした。それは魔王時代に何千、何万という滅ぼすべき敵を見ていた冷酷な目と同じものだった。そのことをこの場にいる者は誰も知らなかったが、菜豊荘の三人はその視線が自分に向かっていないことに安堵していた。
そしてその瞳に曝された神田は、一切の身動きが取れなくなり、
「幼稚だな」
弥勒の一言を聞いた瞬間、何かが自分の中で音を立てて壊れていくのを感じていた。
「確かにお前の物語かもしれない。しかしお前だけの物語ではない。脇役や端役を軽んじる主役に碌な奴はいない。それは大根役者にもなれないただのクズだ」
「クズ……。僕がクズ……」
「弥勒さん、流石にちょっとやり過ぎだったんじゃあないですか?」
天井を見つめたまま呆然と繰り返し呟いている神田を見て、将が耳打ちしてくる。
「そんなことはない。伸び過ぎた鼻っ柱はきっちり折っておかないと、自分も周囲の人間も傷つけることになるからな」
「でもアフターフォローは必要になるアルよ」
「それこそ家族や周りの人間の仕事だ。もしもそんな人間がいないとしてもそれは自業自得だ。俺たちの知ったことではない。親切も度が過ぎると成長の邪魔にしかならないぞ」
そう言い含めるが、将やリィは納得がいかないという顔をしていた。全く底抜けのお人好しで仕方のない連中だ、と思いながらも、弥勒は口角が上がっていくのを感じていた。しかし、今は先にすべきことがある。
「質問を続けるぞ。お前に魔法を教えたのは誰だ?」
その問い掛けに将たちはギョッと目をむいていた。
「知らない。僕は、指示、されただけ……」
神田は相変わらず虚空を見つめていたが、質問に答えることができる程度の精神力は残っているようだ。
「指示?どうやって?」
「出かけて、帰って来る、と、手紙が、入っていた。できるように、なったから、もう、燃やした」
「それも指示されていたのか?」
「そう」
そこまで聞いて弥勒は大きく溜め息を吐いた。きっかけはどうあれ、既に自分たちは巻き込まれて渦中の真っ只中である。面倒なことになる未来しか想像できない。世界を越えても弥勒の厄介事に好かれる体質は変わっていないのかもしれないのだった。
怪鳥ジョニー……に、似合わない!
次回更新は11月21日のお昼12時です。




