第二十三話 ジョニーにまかせて
右の二の腕に付けられた将の傷は大きかったものの、幸い深くはなく出血も少なかった。応急手当てをする際にこっそりと回復魔法を使っておいたので、傷跡が残ることもないだろう、というのは魔法を使った本人である弥勒とジョニーだけの秘密である。魔力の動きを感知できるリィには何かしら勘付かれたかもしれないが、いずれ魔法のことを話す――つもりでいる――ので問題はない。
そして現在、智由を含む菜豊荘の全住人が二〇二号室に集まっていた。弥勒の僕になったことで夜目の利くようになったジョニーが空中から警戒に当たっている。嫌だ、怖いと連呼しながらも、小さな羽音すら出ないように風の魔法を巧みに操っていたので、まず問題はないだろう。
「これで大丈夫なはずだが、痛みがあるようなら言ってくれ」
弥勒に言われて、将が軽く腕を振ってみる。
「えっと、大丈夫みたいです。ありがとうございました」
「私達からもお礼を言わせて下さい。どうもありがとうございました」
何故四谷夫妻が?と思っていると、イロハが将だけでなく孝と充の三人は夫妻の元教え子だったと教えてくれた。なるほど、つまりは彼らにとって息子たちのような存在なのだろう、と納得する。
「それにしても弥勒サンの応急処置の手際は大したものアル。どこかで習ったのアルか?」
リィの一言に、勇者が襲撃した時の元の世界での情景が思い浮かぶが、すぐにかぶりを振って追い払った。過去を後悔するのはまた今度だ、今は目前の問題に集中すべきである。「そのようなものだ」と曖昧に答えて、本題に入る。
「さて、それではこれからどうするか、ということに話を移そう。警察に任せるのが妥当な選択となるか」
刑事ドラマやサスペンスドラマの再放送をテレビで見まくっていたので、ニポンの治安維持機構とその対応については――偏りはあるが――一般常識程度には理解している。今回は既に傷害事件といえるレベルなので事情聴取をして終わり、ということにはならないだろう。
しかし、他のメンバーからは芳しい反応が見られない。どうしたのかと思っていると、孝が一歩前に進み出てきた。どうやら代表で説明してくれるようだ。
「弥勒さん、前に将の実家が会社を経営していることは話しましたよね。実はその会社、結構規模が大きくて、その一人息子であり次期社長候補筆頭である将が何者かに襲われたとなると……」
なるほど、読めてきた。
「例え一方的な被害であったとしても、会社にとっては十分なスキャンダルで大打撃を受けることになる、ということだな」
「はい。残念ながらその通りです」
将や孝だけでなく、居合わせた全員が沈痛な表情をしている。付き合いが短いはずのリィですらそうだったのには若干の驚きを覚えたが、何かしらの理由があるのだろう、それ以上の詮索はすべきではないと思い直す。そして、
「何をそんなに暗い顔をしている?警察に任せられないのだから、自分たちで解決できるチャンスではないか」
ことさら明るい声音で告げると、流石に皆戸惑ったような顔をしている。
「外部に漏らす訳にはいかないが、放っておくこともできないのだから、当然自分たちで何とかするより他ないだろう。それとも、指を咥えて震えているか?」
「勿論やってやりますよ!」
すぐさま充が声を上げて、将、孝もそれに続く。安っぽい挑発であったが年頃の男の子である彼らには十分通用したようだ。
「こらこらお前たち、簡単にのせられるんじゃない!弥勒さんも煽らないで下さい!」
「そうです。どんな危険があるのかも分からないのですから、慎重に行動しないと」
止める間もなく賛同の意を示したかつての教え子たちに四谷夫妻が苦言を呈す。
「大、言いたいことは分かるが、今は動く時だ。あちらの目的が何なのか分からない以上、できる限りの情報を集めておかないと手遅れになる。
先程聞いた将の立場から、将が狙われている確率が一番高いがそれは絶対ではない。たまたま目に付いただけの偶然かもしれないし、他の誰かに対する警告という線もあり得る。最悪、付近の子どもたちや智由までも標的にされるかもしれない」
弥勒の考えに一同が息をのむ。下手に事情を知っている分、標的となっているのは将だと思い込んでしまっていたのだろう。
「そういう訳で将よ、気分のいいものではないだろうが、襲われた時のことを詳しく話してくれないか」
「はい。でも、突然のことでほとんど覚えていないんです。暗がりからいきなり襲いかかられて、気が付いた時には切られていました。それで、僕が声を出すと慌てて逃げて行きました。
太っている訳でもなく、痩せている訳でもない標準的な体格だったと思います」
「どんな顔付きだったかは分かるか?」
「鍔付きの黒い帽子を深めにかぶっていて、サングラスにマスクを付けていました」
将の説明に「まるっきり不審者の格好ね」とイロハが呟く。
「そうだ!回覧板で回ってきたあの不審者ではないか!?」
「!すぐに取ってきます!」
「ちょっ!?一人は危ないですよ!」
弾かれたように飛び出していくイロハの後を充が追う。警戒任務に当たっているジョニーからは何の連絡もないので、危険はないだろう。しばらくして戻ってきたイロハの持つ回覧板を全員で見る。将一人が見ればよかったのだがそれに気が付かないあたり、やはり皆焦りがあったのだろう。
「……服装と顔つきはともかく、体型はよく似ています」
「こいつか……。そうすると、やはり標的は別の誰かだという可能性もあるな」
回覧板の情報によると、その人物が目撃されるようになったのは半月以上も前からで、しかも菜豊荘のある地区以外にも出没していたようだ。
「他の人にも話しておかなくていいのでしょうか?」
将が襲われたという情報を隠したことで、地区の人々の警戒心が上がらないのではないかと、祥子が不安そうに言う。
「回覧板が回るくらいですからその心配はいらないと思います」
「脅かし過ぎて生活に悪影響が出ても困る。子どもたちに気を配るようにする程度でいいだろう」
住民の疑心暗鬼を誘うのが狙いという可能性も考慮して情報は漏らさない方向でいくことにする。何より住民の警戒が上がり過ぎると犯人が行動を自重するかもしれない。時間が開くのはなるべく避けたいという弥勒の思惑があった。
細々とした打ち合わせを進める菜豊荘の面々を後目に弥勒は意識を念話に集中する。
『ジョニー、そちらの様子はどうだ?』
『こちらジョニー、差し入れはあんパンと牛乳で頼むっす』
『余計なことを言っていないで、さっさと報告しろ』
『ダメダメっす。怪しい奴はさっぱり見つからないっす』
『回覧板に書かれていた不審者の方はどうだ?そいつが犯人の可能性が高い』
『そっちもさっぱりっすね。さっき梟のおっさんに会ったんで聞いてみたっすけど、知らないそうっす。んあ?何すか何の用っすか?』
突然ジョニーからの念話が切れる。どうやら誰か?に話しかけられているようだ。
『旦那!新情報っす!凶器の刃物らしきものがあるらしいっす!』
『なんだと!?』
『さっきの梟のおっさんが草むらで光るものを見たそうっす。すぐに現場に向かうっす!』
『頼んだ!それと後でその梟を連れてこい。礼をしなければいかんからな』
数分後、ジョニーは菜豊荘からさほど離れていない川原で血の付いたナイフを確保し、持ち帰ることになる。また、情報を提供した梟のムゲツは弥勒から魔法の使い方――動物にしては珍しく、素質があった――を学び、彼の夜間偵察部隊の主力として活躍することになるのであるが、それはまた別のお話。
余談だが、それから数日の間ジョニーのご飯はあんパンと牛乳のみだったそうである。
ジョニーが雀ではない何かに変わっていく……。
でも、どんなに高性能化しても中身はあのままですけどね(笑)。
次回更新は11月17日のお昼12時です。




