ミュラー男爵の過去④
なんでも王妃殿下が国から連れてきた侍女が数名いたらしい。
筆頭侍女を務めていたのは、サーベルト大公の姪であるキャロラインである。
それとは別に、いつもメイドキャップを深く被って、顔があまり見えなかった侍女がいたという。
それが王妃殿下の妹ソーレだったのだろう、とミュラー男爵は気付いたようだ。
替え玉として連れてきていたのか、と問いかけると王妃殿下は違うと否定した。
なんでもソーレは一緒についてきて、王妃となる姉を影から支えたい、と望んだという。
しばらく傍において、国へ返すつもりだったようだ。
「最初は王妃様がいない代わりに、身代わりを務めてくれているのではないか、と思いました」
けれども騒動についての記事を読んだ王妃殿下は、そうではないだろうと否定したという。
「もしも身代わりを務めるだけであれば、私を悪者にしないだろうと王妃様はおっしゃってくれました」
誘拐されたのであれば、近衛騎士隊長が追跡し、捜索を続けているはず。
そのため悪く書かないはずだ、と。
「私が悪者にされたことにより、王妃殿下の不在は不問として替え玉のソーレを王妃として立てるつもりなのだろう、と王妃様は冷静に事件を分析していました」
諸悪の根源は王妃の座を乗っ取ったソーレなのか?
ミュラー男爵は問いかけるも、王妃殿下はわからないと悲しげな様子でいっていたという。
ソーレはしっかり者で姉思いの女性だった。王妃の座を姉から奪うような狡猾な一面は持ち合わせていない。そう王妃殿下は言ったという。
では誰かの指示でそのような事件が起こったのか。
それも、わからないという。
双子の姉妹が入れ替わったとしても、特に国家間の関係に影響はない。
だとしたらソーレの野心による犯行なのではないか、とミュラー男爵は思ったものの、王妃殿下は認めようとしなかった。
その後、王妃殿下は心を閉ざし、体調も完全に治らないまま、伏せる日々が続いたという。
幸いと言うべきか、王子は元気いっぱいだった。
ミュラー男爵は怒りをどこへ向けていいのかわからない中、王妃殿下と王子を支えるため、ミュラー商店の仕事に精を出す。
これまで手を出せなかった舶来品の取引を成功させるだけでなく、海域を侵していた海賊も殲滅させた。
商会もどんどん大きくなっていく最中、商会長が病で倒れる。
商会長はミュラー男爵を案じ、財産を全て残すどころか、商会も引き継がせたという。
これで王妃殿下や王子を支えられる。
そう思っていた矢先、王妃殿下は王子を連れて下町に逃げていってしまった。
これ以上、迷惑をかけることができないと言ったようだ。
そんなことはないと否定するも、王妃殿下は最後までミュラー男爵の支援のすべてを受け入れなかったという。
王妃殿下のアルテミスという名は、ソーレに奪われた。
そのため、同じ月を意味するルーナと名乗り、弱った体で代筆の仕事を担い、日銭を稼いでいたようだ。
ミュラー男爵は親子のもとを訪問しては、食料などを差し入れていたという。
「ただその暮らしは長くは続かず、王妃殿下は危篤状態となり――」
今際のときに、王妃殿下は最後の命令を下した。
どうかこの先誰も恨まず、復讐などをせず、幸せに暮らして、と。
「王妃殿下は最後まで、恨み言の一つも口にしませんでした」
ミュラー男爵は大粒の涙を流しながら、語ったのだった。




