12:赤の第二王子と黒の騎士
誰もが赤を纏う王宮内の光景は眩暈を起こしかねない程に鮮やかで、暗く湿気た墓地しか知らないカティナは圧倒されてただ茫然としていた。
赤い布で仕立てた上着、赤のレースをふんだんにあしらったドレス、赤い大きな羽根の髪飾りに、指には赤い宝石のついた指輪。喪に服す黒などどこにも見られない。燃え盛るように真っ赤に染まり、人はおろか王宮内に飾られている装飾品さえもどれもが赤を基調としている。
「……なんで」
ポツリとカティナが呟いた。
いったいどうして、この眩い王宮を見て第一王子を先日亡くした等と思えるのだろうか。誰もが煌びやかで、競い合うように華やかに着飾っているのだ。
窺うようにアルフレッドを見上げれば、彼は表情を変えることもましてや新緑の瞳を揺らがせることもなく、ただじっと王宮内の光景を眺めていた。
胸元のポケットから覗く赤いハンカチが今だけは目に付く。
王宮が赤く染まっているを予想して彼は赤いハンカチを買ったのだろうか。だとしたらこれ以上酷い話は無い。
「……アル、どうしてみんな真っ赤なの?」
「俺には……アルフレッド王子には母親違いの弟が居たんだ。名前はトリスタン。ほら、あそこに肖像画がある」
アルフレッドに促され、カティナが王宮の一角に視線を向けた。来客を出迎えるかのように設置された大きな肖像画には、赤い髪の青年が描かれている。
歳の頃なら十六か十七、カティナと同い年くらいだろうか。アルフレッドと比べると少し幼く、それでいて髪と同色の瞳は切れ長で大人びて見せる。濃紺の正装と銀の飾りが良く映え、アルフレッドとはまた違った魅力を纏っている。
兄弟で並ぶ様はさぞや絵になったことだろう。
そんなことをカティナは思いつつ、「赤いね」とだけ口にした。
髪色も瞳も、トリスタンは真っ赤だ。まるで炎のようで、そしてこの王宮のようでもある。
「アルフレッド王子の母君は彼を産んで間もなく亡くなっている。その後今の王妃がきて、トリスタンを産んだんだ。彼の赤い瞳も赤い髪も、全て母親譲りの色だ」
「トリスタンがアルフレッドの代わりに王位を継ぐの?」
「そうなるだろうな。だから皆トリスタンの気を引こうと必死なのさ」
数日前まで――正しく言うのであればアルフレッドが亡くなるまで――この王宮は彼の瞳の色である深緑色で溢れていたという。誰もが深緑色の布で仕立てた衣服を纏い、そして髪色を模した金の飾りをつけていたらしい。
とりわけ権力に弱いリドリーは顕著で、アルフレッドが当時を懐かしんで笑う。
リドリーは深緑色の宝石を山のように集め、そして髪色である金の指輪に嵌めてはアルフレッドに見せてアピールしていたのだという。
「宝石のような瞳だなんて、男に言われても寒気がするだけだ。まぁ、でもそれだけ皆必死ってことだよ。……今も、昔も」
最後に肩を竦めて笑い、アルフレッドが赤で染まる王宮内を見回す。
そこにかつての深緑色の名残は欠片もなく、カティナが「気持ち悪い」と呟いた。
人の感情にも死生観にも疎いと自覚している、ましてや王宮を取り囲む権力云々に至っては欠片も分からない。だからこそ今の王宮を「気持ち悪い」と感じるのだろうか。だとすれば疎いままで良かった。
この王宮において、何より大事なのはアルフレッドの死を悲しむでもなく彼の安らかな眠りを祈るでもなく、保身のために第二王子へと乗り換えることなのだ。
それならまだ、アルフレッドの遺体を見て美丈夫と褒めるシンシアや、カティナを独り占めしたと憤るヘンドリックの方がまだ彼の死を直視している。
なんだか嫌な気分……そうカティナが胸の不快感を覚え、羽織っていたケープの裾を掴んだ。この朱色はトリスタンを支持していると示し、そして王宮に潜り込み溶け込むためのものなのだろう。
それが分かると妙に疎ましく思え、ぱたぱたと端を揺らす。そんなカティナの不満を察したのかアルフレッドが苦笑を漏らした。
「気にしてくれるかと少し期待してたんだ」
「期待?」
「あぁ、だから少しだけ違う色にした」
苦笑しながらアルフレッドが胸元のポケットからハンカチを取り出し、比べるようにカティナのケープにかざした。確かにケープの色はハンカチの赤とも王宮を覆う赤とも違う、もちろんトリスタンの色とも違う。カティナのケープは少し黄色がかっている。
『赤』と言ってしまえばそれまでだが、詳しく分類するのであれば別の色と言えるだろう。それこそ、画家や芸術家を前に同じと言えば鼻で笑われかねない。
このケープはトリスタンの赤とは違う。
それが分かるや、カティナの胸に渦巻いていた不快感がストンと音立ててどこかに消え落ちていった。
残るのは、肩を優しく温めてくれる朱色のケープだ。
「そうだね、ちょっとだけど違う」
「あの店にも赤いケープはあったんだ。でもトリスタンの赤をカティナが纏うのは嫌だった。だから……」
言いかけ、アルフレッドがはたと顔を上げた。
何かを見つけたのか、深緑色のが細められる。笑っているようで泣きそうな、懐かしむようでそれでいてどこか心苦し気な表情。
「アルフレッド?」
「レナード、あの馬鹿……」
「……レナード?」
「馬鹿で不器用な男の名前だよ」
酷い言い草のわりにどこか楽しげなアルフレッドの言葉に、カティナは意味が分からないと首を傾げて返した。
次いで誰のことなのかとアルフレッドの視線を追う。それとほぼ同時に耳に届いたのは、固い靴底が通路を叩く音。乱れることのない一定のリズムは常人の歩く速度より少し早い。
あれがレナード? とカティナが通路の先からこちらに歩いてくる男を見つめた。遠目からでも背の高さと体躯の良さが分かり、黒髪に黒一色の騎士服がより重々しく見せる。
この真っ赤な王宮において、さっそうと歩く黒い騎士は妙に目を引く。
「リドリー様!」
声の届く距離まで詰めるや咎めるように声をあげるレナードに、呼ばれたリドリーが苦虫を噛み潰したように眉を潜めた。
厄介なものに見つかったとでも言いたげではないか。
だがそんなリドリーの表情に対してもレナードは気を遣うことなく、険しい表情で足早に近付いてくる。
「リドリー様、また許可を取らずに身元の分からぬ者を王宮に連れてきたんですか」
「なんだレナード、そう怒るな。アルとカルティアは私の親戚だ」
「リドリー様の親戚にアルとカルティアという名の者は居ないはずです。いったいどこの輩を……」
どこの輩を連れてきたのか、そう言いかけてレナードがカティナに視線を向けてきた。
見下ろすように見つめられると気分が悪い。それでもカティナは恐る恐る顔を上げて彼の視線を見つめ返し……そして小さく息を呑んだ。
この男を知っている。
アルフレッドを……アルフレッドの遺体を墓地に運んできた男だ。
あの時は互いにフードを被り顔を隠していたが、それでも黒い髪と同色の瞳は覚えがある。一言二言交わしただけだが声も聞き覚えがあり、なによりこの体躯と身長の高さは隠しきれない。見上げる角度もあの夜と同じだ。
カティナの記憶に『生きた人間』は片手の人数しかいない。――アルフレッドとリドリーと、あとは遠い昔に自分を墓地に置いて行った親族だ。片手でも余る――だからこそ、間違えようがない。
記憶を蘇らせるカティナと同様レナードも何かに気付いたのか、彼の黒い瞳が僅かに揺らいだ。
「カルティア……もしかして、だがそれなら」
「リドリーおじさん、俺達少し疲れてしまったんですが」
レナードの話を遮るようにアルフレッドがリドリーに声を掛ける。
リドリーもまたこれ以上言及されるのは避けたいところなのだろう、アルフレッドの言葉に白々しく頷いて返し、通りがかったメイドを呼び寄せた。
そうして口を挟む隙を許さぬ速さでメイドをせっついて部屋へと案内させる。去り際にレナードに対して「警備ご苦労」と告げるのは、追ってくるなということなのだろう。
見届けるレナードは最後まで警戒の色を見せ、カティナはその視線から逃れるため少しばかり足早に通路を歩いた。




