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張鼓峰事件 後編

異聞張鼓峰事件、フランス軍と満州軍が活躍します。





1938年8月6日 満州国琿春 フランス陸軍 ジョルジュ大将



我が装甲旅団は輝春駐屯地より出撃、ハサン湖の北部、古江という村の近くに旅団司令部を構えた。


既に沙草峰及び張鼓峰は連日の空爆や重砲による砲撃、戦車部隊の伴った敵攻撃部隊の波状攻撃によって、地獄の様相を呈していた。


ソ連軍は巨人機である四発の重爆撃機であるTB-3を30-40機程度出撃させ、前線に配備されている高射砲の届かない高高度から250キロ爆弾をバラいていくらしいのだが、この爆弾が一発落ちるだけで地響きが起き、砂煙を上げて陣地を土砂で埋めてしまう。


そして122mm、152mmと言った長射程高威力の重砲を装備した砲兵部隊をハサン湖の東側の高地に展開し、満州国軍の配備しているシュナイダー製の105mm砲の射程外から撃ち込んできているため、撃ち返して制圧することも出来ない状況の様だ。


敵の様に航空攻撃する事は可能ではあるのだが、我が本国政府も満州国政府も今の時点では越境攻撃の許可を出していない。


だが、ソ連は国境など存在しないとばかりに張鼓峰ばかりかその後方の現地司令部が置かれている古城の村やその周辺に展開している満州国軍側の砲兵陣地への空爆を繰り返している。当然、その場所は満州国の領土であり、もはや国境紛争の範疇を超えているのだ。


更には、今のところ守備の為に一個師団を現地近くへ移動させた以上の事をしていない日本であるが、ソ連、そして満州の二カ国と国境を接する豆満江の向こう側、つまり国境近くとはいえ朝鮮側の村も爆撃を受け今や廃墟になっているらしい。


日本側の話では民間人に死傷者が出ている有様であるが、政府が不拡大の方針を決めており、ソ連が実際に部隊を越境させてこない限り、応戦しないつもりの様だ。


しかしながら、自国の民間人に犠牲者が出ている有様であり、防共協定の加盟国でもある日本がこのままなんの抵抗もしないと言うのは国家としてのメンツを損なうだろう。



越境を繰り返して満州軍、そして日本軍を悩ましているソ連の重爆撃に関しては、勿論迎撃の為の手立てを取っては居る。


だがしかし、5000mを超える高高度で飛来する為、来襲を察知してから迎撃機を飛ばしていては間に合わない。

しかも、高高度を飛ぶ爆撃機を撃墜可能な大口径の高射砲は満州軍も日本軍も共に重要拠点に重点配備されている為、国境の部隊に配備されている数が圧倒的に少なく、連日の爆撃に十分な対処が出来ていない状況だという。


国境地帯という限られた戦域、また宣戦布告も無いあくまで国境紛争という限定戦争の為、ソ連も極東に何十万という兵力を駐屯させている事がわかっているが、それの全力をもって侵攻するという意図は今のところないように見える。


流石に、十万を超えるような大兵力を差し向けて来れば、如何に宣戦布告が無かったとしても、満州国にせよ我が国政府にせよ、満州国に対する全面戦争に踏み切ったと判断するだろうが、今の時点ではあくまでこの限られた地域、但し戦略的な要地の争奪戦に留まっている。


彼らが確保し陣地を築こうとしている張鼓峰などの高地を獲られれば、朝鮮側にあるハルビンなど吉林省に程近い位置になる有力な港湾都市を一望出来るようになり、日本軍の動きを容易に監視できる様になるばかりか、ここに大口径火砲を配置すれば、それらを灰燼に帰す事が出来るのだ。


あの港が使えなくなれば、ハルビンや吉林に直接海運出来る主要港を失うという事であり、この港を利用している日本は勿論のこと、満州国に進出している国々非常に困った事になる。


その為、満州国も防共協定加盟国もこの地はソ連に渡さないという一点だけは合意しており、ソ連の出方次第ではこちら側からの越境攻撃もありえるだろう。



我が装甲旅団は満州国国境守備隊から派遣された連絡将校から現時点での戦況説明を受けると、直ちにドゴールの戦車連隊に出撃準備が出来次第出撃する様に命令を下した。


すなわちハサン湖の北部より同線域へと進出し、沙草峰及び張鼓峰を攻撃中の敵機甲旅団を側面より攻撃し撃退、或いは敵の目をこちらに向けさせて高地に対する攻勢の手を緩めさせる必要がある。






1938年8月6日 満州国琿春 フランス陸軍大佐 シャルル・ド・ゴール



「諸君、いよいよ出撃の時は来た!

 我々の任務は敵装甲部隊の側面を痛撃し撃破する事にあるっ。

 敵戦車部隊は軽戦車を中心に構成されているが、重戦車と思われる大型の多砲塔戦車も目撃されている。

 敵軽戦車は我々の25mm対戦車砲で容易に撃破可能との報告を受けている。我々の戦車の主砲で充分に対応可能であろう。

 多砲塔戦車に関して未知数である為、47mm砲装備の中戦車がこれに当たる事とする。

 以上、搭乗せよ!」


戦車指揮官たちが一斉に立ち上がって敬礼すると幕舎から駆け出していく。


小官も愛車であるD2指揮戦車へと向かった。


我が第507戦車連隊は我が軍の中でも精鋭で知られており、小官の直属部隊である第一戦車大隊は45両のD2戦車が配備されており、残りの二個大隊はR35軽戦車で構成されている。


届いたばかりの新型戦車であるS35はまだ保有台数が少なく、届いたばかりで習熟訓練が十分でない為、実戦配備はしていない。


また、少数本国より持ってきた虎の子のB-1重戦車はもう一つの連隊の重戦車中隊に集中配備されている。


現在、スペイン内戦での情報を得て、戦車砲の対戦車火力の強化を図っているのだが、それが実現するのは早くて来年、遅くなれば二年後くらいになる可能性もある。


満州駐留軍は実験部隊の意味合いも持つため、恐らく最新機材が優先配備される筈であれるから来年の今頃には案外新型砲の装備が実現しているかもしれぬ。


D2戦車は通常、戦車長兼砲手、そして無線機銃手、運転手の三人乗りであるが、指揮戦車は車体機銃を取り外して、強力な高性能無線機が搭載され専任の無線手が搭乗している。

指揮官が砲手も兼ねるが、基本的には自衛用で戦闘中は指揮に専念できるようにレイアウトが通常のD2戦車とは異なっている。



ハッチから身を乗り出して双眼鏡を取り出すと、上空から航空機の爆音が聞こえてくる。

思わず見上げると上空にはソ連軍機と進出してきた我が軍のモランソルニエMS406戦闘機が飛び交っており、遠くから野戦砲による砲撃音がここまで聞こえてくる。


振り返れば我が戦車隊が整列を済ませており、あとは出撃を待つばかりとなって居た。


私は手をグルグルと回し、前へと突き出した。


「戦車隊前へ!」


轟音を上げて一斉に戦車隊が前進を始める。


これ迄我が装甲旅団は機械化歩兵部隊が匪賊鎮圧に出動した事はあるが、戦車部隊はもっぱら訓練と演習が殆どで本格的に全力出動というのは今回が初めてだ。


即ち、待ちに待った実戦である。


ドイツとの戦争を想定していたが、まさかこのような形でソ連と戦争するとは思いもしなかったが、我々の予てからの主張が正しい事を証明できる好機なのである。


偵察部隊の報告通り、沙草峰北側の草原に展開し、沙草峰やその向こうの張鼓峰を砲撃している多砲塔戦車で構成された部隊はこちらの急襲には気づいておらず、また敵の軽戦車部隊は夥しい数が両峰の前面に広がる斜面に群がる様に這い上がっており、既に撃破された敵戦車が炎上したり、既に燃え尽きた残骸などがあちこちに散見され、戦闘の激しさ、そしてソ連軍の物量の凄まじさをまざまざと見せつけられた。


『第一戦車大隊はこのまま正面の敵重戦車部隊を攻撃する。第二、第三大隊は斜面の敵戦車を攻撃せよ』


『『了解』』


無線で命令を伝達すると、R35部隊が斜面の方へと別れていく。


『よしっ、1000mで初弾をぶち込め』


『あとは各自敵を殲滅せよ。

 突撃!』


敵の多砲塔戦車は8m近い大きさで我が軍のB-1重戦車より更に大きい。

恐らく75mmクラスの短砲身戦車砲を装備しているのだろう大型の主砲塔と、機関銃を装備しているのであろう二つの副砲塔の三つの砲塔が見える。


先頭を走る車両が1000mを切ったのか、急停車すると大きな側面を曝す敵戦車に射撃する。先頭車両を皮切りに次々と射撃が続き、遠距離にも拘らず命中弾多数。


搭載した砲弾に誘爆した敵戦車が砲塔を派手に打ち上げバラバラに拭き飛ぶのが見えた。そしてその吹き飛んだ車体に砲塔かひっくり返って落ちて来た。あれでは搭乗員は助かるまい。


バラバラに吹き飛ぶ戦車はそれほど多いわけでは無かったが、恐らく車内レイアウトに欠陥があるのではないか。


命中弾を受けた戦車も貫通の有無はわからないが、そのまま何事も無かったように動き続ける戦車も多く、流石にこちらに気付いたのか敵戦車隊が動き出した。


だが、既に攻撃態勢である我が部隊に対応する事が出来ず、我が軍が400mを進む間に敵の多砲塔戦車は全て動きを止めた。


中には撃破を恐れて車両を捨てて逃亡した敵兵士もそれなりに居て、我が戦車隊が敵戦車が展開していた場所に進むころには完全にここでの戦闘は終息し、ほとんど無傷で遺棄された車両も散見された。


第二大隊、第三大隊も殆ど背後から敵戦車を攻撃出来た為、多くの敵軽戦車の撃破に成功したが、敵戦車から反撃を受けたケースも当然ながら発生し、中には運悪く撃破されたり行動不能に陥った車両が発生し、我が装甲旅団の戦車兵に初の戦死者を出した。


敵戦車の搭載する45mm砲は、満州国軍や防共協定加盟国から情報を得ていたが、対戦車戦闘を最初から想定した強力な戦車砲であり、我が軍の25mm対戦車砲での射撃試験では容易に撃破する事が出来なかった、R35軽戦車の装甲を抜くケースも発生したのだ。


ただ、双方の射撃戦により多くの被弾車両が発生したが、R35の装甲はその殆どを防ぐ事に成功し、その防御能力の高さが改めて証明された。


しかしながら、以前から問題となって居た不整地での機動力の低さはそのまま登坂性能の低さでもあり、斜面をものともせず突進を続けた敵戦車に比べて機動性能に劣る事がはっきりした。


また、戦車砲の性能の低さも問題で、敵軽戦車の背面や側面であれば命中弾を与えさえすれば容易に貫通した物の、それなりの厚みを持つ前面装甲を抜くにはさらに距離を詰める必要があった。


今回は敵の戦車砲に対して防御力が勝った為、何とか敵戦車部隊の撃破に成功したが、敵戦車の防御力が同程度であれば対戦車戦闘を前提としていない我が軍の戦車砲では敵戦車の撃破は困難であろう。


また、機動力に劣る為、斜面で身動きが困難になり、ハサン湖の向こう側の高地に展開する野戦砲の砲撃を受けて、擱座したりと行動不能に陥る車両が少なからず出た。


結果的に、敵の戦車部隊を撃破撃退し、敵の攻勢を頓挫させる事に成功したが、我が部隊も無為に戦車兵を死傷させる訳にもいかない為、部隊を引き上げて再編成する事になった。



それから数日、敵の攻勢は無く、爆撃と砲撃が続いていたが、我が軍が大口径対空砲を展開し、20mm機関砲を搭載するMS406戦闘機が敵爆撃機に対する攻撃に活躍した結果、敵に大きな損害を与えるようになり、元々それほどの機数が無かったのか重爆撃機による爆撃が止まり、もっぱら高速の双発爆撃機による攻撃に切り替わった。


SBというらしい敵の高速爆撃機はスペイン内戦でも活躍したと聞くが、我が軍の戦闘機と互角の速度を発揮し、我が軍のMS406では対応が困難であるが、満州軍のホーク戦闘機は敵爆撃機に何とか対応できる速度を発揮し、12.7mm機関銃の威力は中々の物で上手く迎撃に間に合えばその威力を発揮するのであるが、戦域の狭さと越境攻撃の禁止という足枷は想像以上に重く、敵の飛来と同時に急発進しても殆どが間に合わない。


我が軍の航空部隊も直ぐ近くの飛行場まで前進してきたが、鈍足の重爆撃機に対抗できただけで、後はもっぱら我が軍の攻撃機の護衛に着き敵の戦闘機とやり合うのが仕事になった。



数日後、再編成と整備を進めていると、敵の大部隊が攻勢準備を始めていると報告を受けた。


満州軍、そして我が軍は協議の結果、これ迄越境攻撃を控えていた為、防戦一方であったが、このままではきりが無いため、越境して攻勢に出た敵の大部隊の背後に出て包囲し、到着した満州軍歩兵一個師団と、国境警備隊三個連隊による攻勢で大打撃を与えてその攻撃意図を挫くという作戦を立て、政府の裁可を得た。


今回は満州軍も我が軍も攻撃機を大々的に出して敵部隊を攻撃する事になった。これ迄は越境攻撃が許可れていなかったため、攻撃による攻撃は極めて限定的な物だったのだ。


わが、装甲旅団は敵が大攻勢を掛けている最中に越境しハサン湖の向こう側の高地の更に向こうへと回り込み背後より敵部隊を包囲攻撃。


そして、航空部隊もこれまで手が出せなかった敵領内に展開していた敵の重砲陣地を爆撃しこれを撃破する事となった。


あくまで限定した戦域での越境戦闘であり、敵がこちらの航空基地を爆撃しないのと同じく、こちらも敵の航空基地の空爆迄は行わない。



敵は再び歩兵三個師団と新たに増援した装甲部隊による攻勢を掛けて来た。今回は敵の重爆撃機による絨毯爆撃は行われなかったが、代わりに50機を超えるSB爆撃機による爆撃が行われ、重砲による準備射撃が始まった。


これ迄と異なるのは、友軍の迎撃機部隊が直ぐに飛来し、砲撃をはじめた重砲陣地はこちらから飛来した友軍の攻撃機による爆撃で灰燼と化した。


我が装甲旅団はそれに合わせて出撃すると無人の野を行くが如く敵の背後へと迂回し、背後より無防備な敵のはらわたへと喰らいついた。


背後への攻撃に気が付いた敵攻撃部隊が動揺をはじめると、これ迄防戦一方だった満州軍が攻勢に出る。


包囲戦術というのはいつの時代も有効であり、敵三個師団と装甲部隊を包囲殲滅に成功した。厳密には包囲された中に敵司令部が存在し、極東戦線司令官ヴァシーリー・ブリュヘルが捕虜になり降伏したのだ。


ソ連の動きは早く直ちに停戦交渉するように要求してきた。


停戦交渉の席でソ連は即時の満州軍と我軍の撤退と、捕虜の開放。そしてブリュヘルの引き渡しを真っ先に求めてきた。


つまり、張鼓峰や沙草峰といった高地に構築した陣地も原状復帰し、ソ連が越境する前に戻せと言っているわけだ。


満洲国政府は防共協定加盟国と協議の上、捕虜の開放には応じたものの元々満洲国領土である張鼓峰に防衛のために陣地を置くのは当然の権利であると拒否。


また、ブリュヘルは粛清の嵐が吹き荒れていると噂されるソ連に戻っても殺されるだけだと判断したのか米国への亡命を表明し、米国政府へと身柄を引き渡された。


結局、イギリスなどの仲介もあり、ソ連側が譲歩し、捕虜の開放とソ連領内の我軍、及び満州軍の即時撤退、張鼓峰の陣地に関しては必要以上に増強し脅威とならないことなど細かい条件を取り決めて停戦となった。



我が装甲旅団は得難い経験を得るとともに、大きな課題を持ち帰ることになった。


当然ながら今回の戦闘の詳細な情報は報告書として本国に送られた。



日本軍が検討して結局実現しなかった包囲攻撃をフランス軍と満州軍が実現させました。

史実と異なり、明確に満洲国側の勝利で終わりましたが、このまま黙っていないのがスターリン。


史実では粛清されたブリュヘルは半ばわざと捕虜になり米国へと亡命、家族も既に逃して米国行きの船の中。


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― 新着の感想 ―
[良い点] フランス軍の実戦。 [気になる点] 航空戦は、高速爆撃機が脅威に。スペイン内戦でも、高速性を活かして通り魔的な運用がされていたので。 そろそろ、チェコスロバキアのズデーテン割譲とチェコ併…
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