オランダ軍 その後
満洲に駐屯しているオランダ軍のその後です。
1938年4月上旬 吉林省扶余県郊外 オランダ軍駐屯地 ゴッドフリート中将
満洲に駐屯して早一年、漸く二つ目の機械化混成旅団を本国へ送り出すことが出来た。
入れ替えに新たな一個旅団も到着しており、再び再編成と訓練に掛かる手はずだ。
当初の混成旅団の再編成には半年以上も期間が掛かってしまった。その理由は、やはり一個旅団分の新たな装備の選定と調達というのもあるが、我が軍にはこれまで無かった機械化混成旅団という物を新たに編成し、戦術を研究、訓練しそれなりに戦える部隊にするのにはそれだけの時間が必要だったという事が大きい。
勿論、初めての機械化混成旅団を編成し実戦で運用できるまでにしたという経験は確実に我が軍に蓄積されており、これらの経験を今後活かすべく、新たな教本も並行して編纂しているし、訓練にあたる教導団を作り出す事も出来た。
二つ目の機械化混成旅団の編成は三ヶ月程で完了しており、閣下に命じられた六個旅団を二年間で送り届けるという任務は無事に果たすことが出来そうである。
ここに至るまでに少なからず曲折があった。また四つ目の機械化混成旅団の編成には新たな問題も発生している。
我が軍は、三つの伝統ある騎兵連隊を保有していたが、この騎兵連隊を基幹に機械化混成旅団に改編するにあたって、その騎兵旅団を二つの戦車大隊と、一つの偵察大隊に改編した。
偵察大隊というのは、騎兵を機械化、戦車などの装甲車両を装備する新たな兵科へと改変するにあたって、騎兵部隊の機能を検討した結果、騎兵の持つ偵察、捜索任務を担う部隊として編成した部隊だ。
つまり、騎兵の持つ機動力、そして突破力を担う部隊が戦車部隊であり、騎兵が担っていたその機動力を活かした偵察、捜索任務を担うのが偵察大隊であるという訳だ。
偵察大隊といっても、偵察、捜索任務だけを行う訳では無く、軽戦車や装甲車など、戦車大隊よりも機動力に勝る車両を装備する部隊であるから、必要に応じてその機動力を活かした戦闘任務も行う。
そういう意味では、元々の騎兵の偵察部隊よりより攻撃的な部隊であり、装甲偵察大隊、或いは偵察戦闘大隊と呼ぶべきかもしれぬ。
我が軍の機械化混成旅団は騎兵連隊を改編した二つの戦車大隊と、一つの偵察大隊、それに歩兵連隊を改編した機械化歩兵連隊、そして機械化した機械化砲兵大隊、更には機械化工兵大隊、他輜重部隊など総勢約7000人、車両約1000両からなる規模的には軽師団と呼ぶべき部隊となっており、その戦闘力は我が軍の従来の部隊とは比較にならないだろう。
その分、この部隊を支える為には従来とは比較にならない規模の補給物資が必要であり、物資が豊富な満州国内であれば補給面での不安は無いが、我が国でもせめて国内での防衛戦闘を十分に支えるだけの補給体制の構築は急務であろう。
勿論、首相閣下には報告書、意見書として最初の機械化混成旅団を送り出した時に、送り届けてある。後は閣下が何とかしてくださるだろう。
問題は、これ迄は既存の騎兵連隊を基幹としていた為、兵員が職業軍人であり軍内部にあってはエリート部隊であったため、機械化部隊への改編の際に随分助かったという事があるのだ。
というのも、騎兵部隊の兵士達は馬を自在に操るのは勿論のこととして、自動車を運転できる者が多かったため、車両の運転から教える必要が無かったのだ。
ところが、歩兵部隊は将校は兎も角兵士達は自転車は兎も角自動車の運転ができる者が騎兵部隊に比べると少ない。
また部隊指揮や運用の考え方も歩兵の考え方が基本であり、機動戦という物がわかっていない。この辺りは教本や教導団による指導で習熟させていくしかないのであるが…。
いずれにせよ、新たな到着した混成旅団を秋までには機械化混成旅団へと改変し、再び本国へと見送る頃には騎兵連隊ではなく歩兵連隊を基幹とする混成旅団が到着する。
その頃には色々と準備をしておくとしよう。
幸い、満州国は自動車が急速に普及してきており、それに合わせてインフラ整備も進んでいる。我が駐屯地にもそれなりに公私に自動車を保有しており教導団が教習所を兼ねる事も出来るだろう。
我が軍は、機械化混成旅団への改編を行いながら、本来任務である満州国の軍事面での支援も勿論行っている。
主には満州国に闊歩する十万単位の規模とも言われる匪賊の討伐任務。更には外蒙赤軍との国境紛争への支援任務だ。
匪賊とはいえその装備は共産主義者の支援を受けているのか決してバカにならず、ソ連製の小銃や軽機関銃を装備しており、匪賊が根城とする山塞ともなれば重機関銃が装備されている事もあり、舐めてかかれば死傷者を覚悟しなければならない。
実際に最初の頃は彼らの実態を良く知らず、夜盗退治に軍隊が出動するなどと大げさな事だと軽く見て討伐に向かい、我が軍にとっての始めての犠牲者を出すに至ったのだ。
そういう経験もあり、今では損害をほとんど出す事無く、討伐が出来て居る。
我が軍は満州では航空部隊との連携を欠かさない様にしており、天候不順の時は致し方ないが、天候の良いときは偵察機を飛ばして航空写真を事前に用意して作戦検討を行ったり、また無線機を活用した航空支援も利用している。
アメリカ製トラックの荷台に無線設備を搭載した車両を作らせたのだが、中々重宝しているのだ。
流石に匪賊相手に戦車部隊を出動させる事は無いが、外蒙赤軍となれば話は別だ。
彼らは正規軍であり匪賊と異なり訓練されており、明確な任務を持った指揮官に指揮され主に騎兵の偵察部隊を侵入させて来ることが多いが、装甲車を装備した部隊を伴ってくることもある。
我が部隊が砲火の洗礼を受け、初の損失を出したのは彼ら外蒙赤軍の装甲車部隊だ。
彼らの装備する装甲車の45mm戦車砲の火力は高く、残念だが我が軍が装備しているチェコ製のTNH軽戦車の装甲ではその火力に耐える事は出来なかった。
逆に我が方のTNH軽戦車の装備する37mm砲の火力であれば500mを超える距離であってもいかなる場所に命中しようと、外蒙赤軍の装甲車の装甲を貫く事が出来た。
しかしながら、このTNH軽戦車の装備する37mm砲の威力にTNH軽戦車が耐える事が出来るのかというと、残念ながら無理であった。
これは我が国に侵攻する可能性があるドイツの戦車であっても同じ事が言えるだろうから、メーカーに対し鹵獲したソ連製の装甲車を提供し、ソ連製の45mm戦車砲に耐える装甲厚への改善を要求した。
その結果、前面装甲は当初の25mmから倍の50mmまで強化される事になった。
TNH戦車を生産しているCKD社は満州国向けも含め、満州国で生産している為、調達や改修、軍の整備場で手に余るレベルの修理等も行ってくれる為大いに助かっている。
だが、そのチェコがどうもドイツからズデーデン地方の割譲を要求されるなど、どうにもきな臭くなっている。CKDの担当者も本国の状況次第で満州での操業が続けられるかわからないと不安を隠せない様子であり、もし調達が困難になれば、我が軍は新たに装備を選定しなおす必要があり、非常に困った事になるのだ。
それだけ、チェコ製の装備は安価で性能が良く、我が国としては願ったりであったのだが、大きく目算が狂うやも知れぬ。
特に戦車は輸出している国が限られており、チェコ製戦車の様に最新鋭の高性能戦車を売っているなど云うのは異例中の異例なのだ。
現状、我が国が購入できそうな戦車というと、他にはフランス製のルノーNC戦車、ビッカース6t戦車等だが、どれも1930年前後に作られた旧式戦車でありTNH戦車の代替えなどとても無理だろう。
イギリスは自社独自開発のビッカース6t戦車は兎も角、自国装備の戦車を輸出する気はない様であるし、フランス製のR35、H35戦車も本国が打診したが輸入は断られたらしい。
戦車と言えば、我が軍が満州に来てから他の防共協定に加盟している国の部隊ともいざという時に連携が取れるためにも、演習を何度となく行っているが、日本軍の装備しているハ号と彼らが呼ぶ九〇式軽戦車は素晴らしい。
見るからに洗練されたスマートなデザインであり、装甲厚などの性能は教えてくれないがリベット一つないその溶接された装甲から推測しても薄いという事はあるまい。
搭載している砲はスウェーデン製の47mm戦車砲、我が軍の装備する対戦車砲であるオーストリア製ベーラー47mm対戦車砲と同等の性能があると推測している。
驚くべきはその機動力で、不整地であれ他国の戦車を圧倒する踏破性を発揮するのを何度も目にしている。
この戦車が買えたなら我が軍の懸念は一気に解消するのだが、今の所日本は戦車の輸出をする気はないとの事だ。
だが、我が国は日本にとっても無線機を日本軍に供給している他、東南アジアの植民地から資源輸出もしており、それなりに重要な位置づけの国である筈だ。
折を見て本国からまた交渉してもらうとしよう。
着々と任務を遂行しているゴットフリート将軍がハ号戦車が欲しいみたいです。




