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甘施無花果の探偵遊戯  作者: 凛野冥
逆様様奇譚・雅嵩村編
38/76

5、6「罪と罰」

    5


 竹家を出ると無花果は単独で調査して回ると云って、松尋さんを家へ帰した。この単独というのは本当に単独で、僕にも別行動しろとの指示だった。まぁ、その方が効率が良い。松尋さんは心配そうに手を揉み合わせながら「あのゥ……調べていただくのはもちろん、結構なンですけども……他の村人にもそれぞれ事情があるわけですから……無闇な深入りはなるたけ避けていただければ……」とか何とかブツブツ述べ立てていた。

 僕はぶらぶら歩き回りながら、この村について徐々に飲み込んでいった。汗をかきかき畑を耕す男達、木材の山の中で何やら大工している青年、井戸水を汲む男の子、手鞠で遊ぶ女の子、真上で燦々と輝く太陽、小川のせせらぎ、軒先に吊るされた干し柿、長閑のどかなような、うら寂しいような、どこか嘘くさい情景が入り組んだ隘路に雁字搦がんじがらめにされて封じ込まれているみたいな村。

 人々は僕を見ると、ある者は素早く背を向け、ある者はじっと睨み、ある者は物珍しそうに話し掛けてきた。全員、いちおうは外からの客人について聞き及んでいるらしい。家に誘ってくれる人もいて、勧められるままにあまり美味しくない茶をいただいたりした。

 新たに分かったことが沢山あった。その中で最も興味を惹かれるのは、この村にはある年齢以上の老人が極めて少ないということであった。家の中に引っ込んでいるというのもあるかも知れないけれど、話を聞いても祖父母の代というのは存命でない場合ばかりだ。村人は全員が親戚同士みたいなものに違いないが、ひとつひとつを見ると、大家族と呼べるそれが存在しない。短命なのか、それとも……。

 それから、この村の人間達の中には時々……いや、これは僕の気のせいかも知れない。

 とはいえ……もしもそうなら、面白いことになる。調べさせておくか。



 村の西側、その外れの奥まったところに、木立に隠れるようにして墓地があった。周囲には人家もなく畑もなく、ちょっとした小道を抜けて辿り着くこの場所は、陽の光も届かない薄闇に沈んでいた。ヒンヤリとして、先ほどまでの村の雰囲気とはまた別世界らしく感じられる。

『篠』『楠』『律』『葺』『竹』『新』『沖』『梅』……等々、文字を刻まれた大小まちまちな石があちらこちら、ただ無造作に立てられているのみ。花もお供え物もない。ただしそれで薄情と決め付けられはしないだろう。逆様様を信仰するこの村の死生観がどのようなものなのか、僕では分からないのだから。

 墓の最奥には土蔵がひとつ建っていた。大樹の陰ではじめは気付かなかったが、そちらからひとりの少女がこちらに歩いてきていた。

 奇妙な光景だった。淑とした白い着物に紅い帯を締め、高めの下駄をつっかけたその少女は、どういうわけか後ろ向きに歩いているのである。流れるような挙動で、一度も振り向くことなく、ごく普通に樹や石を避けて。

 少女はとうとう僕の真横まで来ると立ち止まり、すぅっと僕を見上げた。髪の長さは肩の下あたりまで。前髪は眉にかかるくらいで切り揃えてある。まだ子供なのにいやに整った顔をしており、凍るような儚さをまとっている。嘘みたいに神秘的な佇まいだ。

 そして、目もとが少しばかり腫れていた。泣いたのだろうか? この子が?

「……ホホ」

 だしぬけに、少女は笑った。

 その声は、今朝に聞いた逆様様のものだった。

「嘘」

 少女は謎めいた言葉を発する。

 僕は訊ねた。

「君、逆様様だよね?」

 少女は応えなかった。微笑を引っ込めて、顔を正面に向けて、また後ろ向きに歩き始めた。そうして墓地から出て行ってしまった。

 僕は狐か狸にでも化かされたような気分になったけれど、少し遅れて今の一幕の意味を理解した。

 あの少女は逆様様だろうと思うのだが、それはともかく。

 彼女はさっきの間、自分についてのみ時間をさかさまにしていたのだ。

 そう考えれば、僕から見て後ろ向きに歩いていると映ったのも頷けるし、僕との会話も成立している――彼女は質問に答えている。要は彼女の言動を逆再生して、僕のそれと突き合わせればいい。

 ――『君、逆様様だよね?』「そう」微笑み。「ホホ……」

 これでは化かされたというより、馬鹿を見た感じだ。

 しかしながら、逆様様が逆殿から出て――天井を歩くことであの大穴を渡ってか?――こんなところにいたのは、果たしてどういうわけだろう? あの泣き腫らした目もとは?

 その答えを求めて、僕は土蔵へと向かった。近づくにつれて、異様な臭気が鼻につくようになった。さらに、

 ブゥ~~ン、ブゥ~~ン、ブゥ~~ン…………

 周りを飛び交う大勢の蠅。さすがに不快感を覚えながらも、僕は手で払うようにしながら鉄扉の前まで来て、それを開いた。中にあるモノを確認して、すぐに閉じた。

 なるほどね。


    6


 随分と歩き回ったものだ。陽が傾き始め、どこからか『みだれ』を爪弾く琴の音が聞こえる。陰影のバランスが逆転し、昼間の熱が冷めていく雅嵩村。

 松家に帰り着くと、玄関よりも一段高くなった板張りの廊下に、二人の女の子が腰掛けていた。

「くすくす」「くすくす」

 双子だ。そっくり生き写しの二つの顔を寄せ合って、僕を笑っている。年の頃は十八前後。そっくり同じように結わえた、漆で塗ったかの如き黒髪。着物の明るい朱色が、行灯の明かりにゆらゆら揺れて見える。

「こんばんは」と挨拶してみた。

 二人は顔を見合わせて意地の悪そうな笑みを強めると、

「あたし、梅罪うめつみ」「あたし、梅罰うめばつ

 御三家の最後の一角――梅家の娘さん達だった。

「知ってるわ」「馬鹿津さんでしょ?」

「塚場だよ」

「くすくす」「くすくす」

「此処で何をしてるの」

「くすくす」「くすくす」

 話にならなそうだ。

 諦めて靴を脱いだところで、話し声を聞き付けて葺末ちゃんがやって来た。

「おかんりなさいませェ。梅典うめのりさんがお見えになってますンで、どうぞ居間にお越しくだせェ」

 どうやら梅罪ちゃんと梅罰ちゃんは、父についてやって来ただけのようだ。葺末ちゃんの後について行く僕にはもう目もくれず、可笑しそうに二人でじゃれ合い続けていた。

「くすくす」「くすくす」

 居間には松墨さんと、くだんの梅典さんが座って茶を飲んでいた。

「お前だナ。作家先生とやらは」

 射るような目つき。眉間に皺を寄せ、気難しそうな顔をしている。松尋さんと同い年くらいだろうが、対照的なまでの貫禄の差があった。御三家なんて云っても、実際に取り仕切っているのはこの人なんだろうと察せられた。

「どうも。ご厄介になってます」

「もうひとりと……それから、松尋はどうしたのだ」

「昼に別れたきりですけど、無花果はそろそろ帰ってくるはずです。松尋さんは、もう帰っているものと思ってましたが」

「あら……一度も帰ってませんわ」

 松墨さんがキョトンとした。すっとぼているふうに見えなくもないが、まぁどうでもいい。

 葺末ちゃんが用意してくれたヨレヨレの座布団に腰を下ろし、僕はしばらく梅典さんと問答を交わした。彼は厳格なうえに雅嵩村の閉鎖的な性質を体現しているところがあって、僕と、まだ見ぬ無花果に対しても、良い印象を抱いてはいなさそうだった。無論、会話は弾まない。とはいえ情報を集めろと無花果から仰せつかっていることだし、僕の方からも折を見て気になる点を訊ねてみた。

 なぜ、この村には老人が少ないのか。

 梅典さんはあからさまに不機嫌な顔つきになったが、松墨さんをちらと見て――この二人の関係に怪しいところがあるのは、観察していれば何となく分かる――度量の狭い真似はできないとでも思ったのだろう、遠い目をしながら口を開いた。

「父らの代は〈逆刻さかどき〉において仕損じたのだ。ゆえに災厄……〈逆禍さかまが〉が起きた。残った少数が進行する時のなかで再興を計り、そうして生まれた私らが村を今日の状態まで至らしめたというわけサ」

 伝説めいた話をいかにも迫真らしく語られ、僕は反応に窮する。

「そう。私らは決して、逆様様を裏切ってはならヌ。逆様様にお仕えする限り、雅嵩村は永遠なのだ」

「はあ」

 申し訳ないが、チンプンカンプンである。話を変えよう。

「ところで梅典さんは、竹帆さんのお兄さんなんですよね?」

「そうだ」

 松家から竹家へ呉が婿入りし、竹家から梅家へ典が婿入りし、梅家から松家へ墨が嫁入りした格好なのだと聞いている。御三家の血は濃い。

 しかし昼に対面した竹帆さんと、今目の前にいる梅典さんは、似ても似つかなかった。

「あれは駄目だ。使い物にならヌ。子を孕めども、すぐに潰――」

 何やら竹帆さんに言及しようとした様子だったが、そこで戸が開けられた。葺末ちゃんが無花果を連れてきたのである。改めて、金髪にドレスの彼女は合成写真であるかのように浮いていると強く思う。その後にくっつかって、梅家の双子の姿もあった。

「探偵だナ。仕事の首尾は如何ほどか」

 値踏みするような梅典さんの視線に、無花果は憮然として「明日には解決し、帰りますよ」と答えた。すると声を上げたのは双子だった。

「まァもったいない」「明日の夜はお祭りよ」

 お祭り? そんな準備は今日村を回った限り見受けられなかったが、どんなものだろう。

「罪、罰、」

 梅典さんが苦い顔をした。

「お前らは松鵺と遊んでおれ」

「はァい」「分かりましたァ」「くすくす」「くすくす」

 去っていく双子の背中を見ながら梅典さんが「哀れな子らよ……」と呟くのを、僕は聞いた。松墨さんが酷薄な微笑を浮かべるのを、視界の隅に捉えつつ。



 もうじき夕餉の支度が終わるというころに、提灯ちょうちん片手に梅家の使用人・葺埋ふきうめくん――葺末ちゃんの兄の葺武くんのさらに兄――が、梅家の人々を迎えに来た。髪を刈りこんだ、聡明そうな青年である。彼はまた、ひとつの報告をもたらした。

「村の出入り口ですけど、大岩が落ちましたそうで、塞がってしまったァゆう話です」

 村に這入る前に崖に挟まれた一本道を通ったのを思い出した。

「昨夜の地震のせいかしら」と松墨さん。

「地震なんてあったんですか?」

「ええ、気付かれませんでした? 大きかったですわ……」

 しかし、どうせ村から出ることのない人達だ。困った感じは一切ない。むしろ梅罪ちゃんと梅罰ちゃんなんかは愉快そうに笑っている。

「くすくす」「くすくす」

 無花果と僕へ目を向けて、

「明日には帰れないね」「お祭りに参加できるよ」

 無花果は応えなかった。ただ、僕に目配せをした。

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