8「奇妙な代理対決」
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鯖来さんに案内され、僕と無果汁ちゃんは十一階にやって来た。入れ替わりで〈獅子谷敬蔵〉役の女性――狩草と云ったか――が下に降りて行く。儀礼は中止になったのでもう役柄は関係なくなったわけだけれど。
薄桃セピアと謁見。
「――いまも手すさびに〈雪の密室〉を解いてきたところです。私の実力は確か。此処に滞在するのを認めていただきたいですね」
「しかし貴女、壮太に云われたのでもなく勝手に来たんでしょう?」
「はい。ですが塚場さんは優しいので、もう私を認めてくれています。……ですよね?」
椅子に腰掛けた無果汁ちゃんが見上げてくる。少し自信なさげだ。
「僕はいいけど、決めるのは塔の主である薄桃さんだからね」
「ご覧なさい。迷惑がられているじゃないの。壮太は優しいから拒否ができないだけよ。それを察せないなんて、嗚呼、ステージが低い」
「ちょっと!」
つい声を張り上げてしまってから、すぐにまた無花果リスペクトの冷静さを取り戻す無果汁ちゃん。
「……塚場さんの優しさを都合良く捻じ曲げないでくれますか」
「こちらの台詞よ。甘井無果汁なんて云うから何かと思えば、ノンオフィシャルなんじゃないの。会のため、怪しい人間を滞在させるわけにはいかないわね」
「はっ。会のためと云うなら……」
無果汁ちゃんはそこで、我が意を得たりという感じの表情を浮かべた。
「来てみれば殺人事件が起きていた。やはり私が此処に来るのは必然だったのです。この塔内に殺人犯がいるのなら、私を追い出すよりも先にそちらを片付けるのがあるべき姿でしょう。そして事件を解決できるのは私です」
強気な調子。用意していた台詞らしい。
「馬鹿げたことを。この事件は〈桜野美海子〉にしか解決できないわ。愚かな甘施無花果――その劣化コピーの二代目――さらにその贋作の貴女では甚だお門違いよ」
「怖いのですか? 私に敗れるのが」
「なに?」
ピクリと目尻を上げる薄桃セピア。
「私に事件を解決されてしまうと〈桜野美海子〉としての面子が立ちませんからね。それを貴女は――」さすがに貴様とは呼ばないようだ。「――恐れているんじゃありませんか?」
「安い挑発ね。乗ると思って?」
「はい、乗るしかありませんよ。物分かりが悪いようなので説明しますが、〈雪の密室〉を解いたことで私の実力は信者達に知れ渡ったのです。その私を帰らせて事件を解決できなかった場合、貴女の信用は低落するでしょう。貴女には私を此処に残して、かつこの事件を私より先に解決するしか選択肢が残っていないのですよ」
ロジックとしてはいささか牽強付会だったけれど、しかし薄桃セピアはしばし無言になり、
「…………いいでしょう」
存外、素直に受け入れた。おそらく負けず嫌いな性格なのだ。
「貴女の云い分に納得したからではないわ。神は時としてその威光を示さなければならない。貴女はここで叩き潰すのが得策と判断したからよ。分かる? 貴女が事件を解決できなかったとき、今後一切の探偵活動はしないと誓いなさい」
「もちろんです。謎を解けない探偵は探偵ではありませんから」
事態は甘施無花果と桜野美海子の奇妙な代理対決という様相を呈してきた。
そこで問題となるのは、
「ところで壮太、」
薄桃セピアが僕を見る。
「貴方はどちらにつくの?」
「塚場さん、いまの貴方は甘施無花果の語り部なのです。だから……私ですよね?」
中立と云ってお茶を濁せる感じではない。薄桃セピアについた方が穏便に進みそうだけれど、
「……無果汁ちゃんは初めてこの塔を訪れたんですし、ひとりじゃあ少し可哀想でしょう。〈つく〉と云うのとは違いますけど、僕は彼女に連れ添うことにしますよ。僕は事件を解決するような能力は何も持ち合わせていませんし、単純な案内係ということで」
その方が僕にとっては都合が良さそうだ。
「やった!」と嬉しそうにはにかむ無果汁ちゃん。
薄桃セピアの方は不服そうだったが「……いいでしょう。優しいわね、壮太は」と渋々認めはした。〈優しい〉って便利な言葉だよな。
無果汁ちゃんは僕と一緒に九〇三号室を使う。四年前は各部屋にベッドはひとつしかなかったけれど、〈桜生の会〉が集団生活をするにあたって儀礼に用いない〈あまりの部屋〉には複数のベッドが運び込まれているし、問題はないだろう。無果汁ちゃんがいたのでは真白さんも(たぶん)夜這いを掛けてこないだろうから、むしろ問題が解決したと云える。
「塚場さんと同じ部屋で寝泊まりできるなんて! 無花果さんには内緒ですよ?」
また無花果の真似を忘れている無果汁ちゃん。そもそも金髪やドレスは人形みたいな相貌の無花果だからこそ嵌っているわけで、他の日本人女子がやると違和感がすごい。
彼女はこほんと咳払いして無花果モードに戻り「お腹が空きました」と云った。
「朝食を取ろうか。とりあえず、厨房に行けばいいと思う」
僕と無果汁ちゃんは揃って部屋を出る。
「無果汁ちゃんはどうして此処に来たの? 僕がいることを知ってたみたいだけど」
エレベーターのボタンを押して問い掛けた。
「私もいまではイッパシの探偵です。張っている情報網から、塚場さんがこの旧白生塔に行ったと掴みました。そして急いで向かったのです。免許を取ったばかりで運転は不慣れですし、さらに慣れない雪道で今朝まで掛かっちゃいましたけれど」
照れたように舌を出す。無花果の真似をするのかしないのか、はっきりして欲しい。
「僕と一緒に無花果も来てるだろうと思ったわけ?」
「え? それは……」
エレベーターが来て扉が開いた。中には信者が二人いた。
「無果汁さん、先ほどの推理は見事でした」
「生の名探偵にお会いできるなんて、自分のステージの高まりを感じますわ」
褒められた無果汁ちゃんはまんざらでもなさそうに「探偵として当然の嗜みです」と、これも無花果の口癖をやや間違って使った。
一階に到着。サロンに出ると信者達の半数ほどが集まっていて、一様に巨大モニターを見上げていた。画面の中で薄桃セピアが喋っている。
『――しかし、貴女達も引き続き真実の獲得に努めなさい。〈桜野美海子〉が低級の探偵モドキに負けるなどあってはならないわ。分かる?』
「分かります!」と一同。
『私はじきに内なる桜野美海子の思考を理解し事件を解決できますが、これはレースなの。相手に先んじられれば負け。貴女達の中の誰かが一番に真相に至れば、それでも〈桜野美海子〉の勝利を証明できるわ。〈桜生の会〉では皆が〈桜野美海子〉に至ることが可能。貴女達には神がついて――』
無果汁ちゃんとの対決になっても、結局は信者頼みらしい。それも彼女の力ではあるのだから行使するのは結構だと思うけれど、こうして見ている限り、桜野美海子の生まれ変わり云々という設定はやはり無理があるんじゃないだろうかと思う。まぁ生前の桜野と何の繋がりもなかった人間が教祖となるには、そう宣うしかなかったのか。
「塚場さんは当然、信じてなんかいないでしょう? 生まれ変わり」
無果汁ちゃんが小声で訊ねてきた。
「うーん、そうだね。此処の人達を批判したくないから口には出さないけど、そういうスピリチュアリズムめいた話はどうも」
「ですが、許していいのですか? 亡き友人の名前を良いように使われているのに」
「僕がやめてくれと云ってやめてもらえることでもないからね。桜野も気にしないと思うし」
「大人ですね。あ、それにいまの塚場さんは無花果さん一筋ですもんね」
うんうんと得心したように頷く無果汁ちゃんを連れ、僕は厨房に這入る。やはり複数人の信者達が朝食をつくっていた。
さて。
犯人が白生塔事件をなぞっているのなら、もうじき〈霊堂義治〉が殺される時間だが?




