1、2「薄桃セピアとの謁見」
1
獅子谷敬蔵が山上に建てた窓のない塔――白生塔はいま、桜生塔と名前を変えて宗教団体〈桜生の会〉が使用している。大した規模の教団ではないようだが、少数精鋭と云うか、その熱心な信者達が世を捨て集団生活を送っているとのことである。
桜生なんて名前から何となく察しが付くとおり、この教団は故・桜野美海子を崇拝している者達の集まりで、その目的は桜野美海子に至ること。……桜野美海子に至るって何だ? これだけでだいぶ胡散臭いけれど、さらに教祖・薄桃セピアは自身を桜野美海子の生まれ変わりだと宣っているらしい。
僕がその奇天烈な団体の存在を知ったのは、招待状が送られてきたからだった。
白生塔の事件、唯一の生存者――そして何より、桜野美海子を最もよく知る人物として、僕を特別講師にしたいのだと云う。
まぁ成り行きとしては自然だ。桜野にそんなカリスマ性があったかは疑問だが、他人の信仰心を馬鹿にしてはなるまい。僕にそんな依頼を寄越してきたのも切実な想いあってこそだろう。
と云うより文字どおりの現金な話、報酬が弾むということなので僕はその招待/依頼を受けることにした。先日海野島を買ったことで、金銭面でちょっと余裕がなくなってきたところだ。今後も無花果の気まぎれで高い買い物をする機会は沢山あるだろうし、蓄えをつくっておかなければ破産してしまう。
無花果は「勝手にしなさい」と一言だけで、何だか不機嫌そうに見えなくもなかったが、これも彼女のため。
ということで、ぱらぱらと雪の降るなか、僕は四年振りに旧白生塔を訪れたのだった。
2
暗雲を突き刺すように聳える円柱型の塔。
かの有名な小栗虫太郎の小説に登場する黒死館の文字りであった本来からはズレて、いまの名前は桜生塔。〈桜〉が〈生〉きる。周囲の針葉樹林は一本残らず枯れているが、景観ではなく思想的な側面から名付けられたのだから別にいいのだろう。
自分の車から降り、唯一の出入り口に向かう。
もう夜なので暗くてよく見えなかったけれど、近づいてみれば其処に人が二人立っていた。どちらも女性で、方や英国風のスーツ、方やエプロンドレスを着ている。こんな寒いなか、いつ訪れるとも知れない僕を待っていたのか?
「こんばんは。招待を受けた塚場壮太です」
『あっ!』
挨拶すると初めて二人とも気が付いて、顔を見合わせて『あっあっあっあっあっ』と声を揃えて喘ぎ始めた。吃音症だろうか。
「あの……」
「あっ、は、はいっ。お待ちしておりました、塚場様っ」
スーツ姿の方がやっと応える。
「こっ、こ、光栄です。私、桜野美海子様をお慕いし日々しょ、精進していますっ」
「はい」
「塚場様はさっ、桜野美海子様とお話ししたことがあるのですよね? お触れしたこともっ!」
「まぁ幼馴染だったので……」
そこでスーツ姿の方が卒倒しかけたのをエプロンドレスの方が支え、
「す、すみませんっ。私達は儀礼の最中で手が離せませんゆえ、ど、どうぞお這入りください。中で鯖来という者がご、ご案内いたします手筈です」
「分かりました」
異様な二人組に若干気圧されつつ、僕は二重扉を抜け、懐かしのサロンに這入る。手前半分が三階の高さまで吹き抜けの広い空間。四年前から何も変わっておらず、コンクリート剥き出しだ。正面には塔の中心を貫くエレベーターと、それに巻き付く螺旋階段。
その手前に置かれた長テーブルを、数名の女性が囲んで座っている。彼女達は一斉にこちらへ振り向いた。
「塚場壮太様ですか!」
ひとりが訊ねてきたので頷くが、気になるのは彼女の衣服だ。それは僕が持っているものにかなり似ている。
「ついに塚場様がお越しになられた……」と呟く女性の衣服にも見覚えがある。桜野のそれだ。
ざわつく他の面々も、ひとりが男物の学生服、ひとりが女物の学生服、ひとりが胸元を露出した白シャツに――って、さすがにここで気付く。
皆、四年前の白生塔で客人達が着ていた衣服に合わせているのだ。
彼女達は全員が立ち上がって、僕に深々と頭を下げる。どう反応したものか困っていると、脇の方から別の女性が近づいてきた。ピリッと引き締まった顔つきだ。しかし身長は低くて、子供っぽい体格をしている。
「よくぞおいでくださいました。私は鯖来来館と申す者です」
その人が着ているのは法衣を普段着っぽくアレンジしたような薄桃色の衣服で、どうやら誰の〈役〉でもないらしい。
「鯖来さん……案内の方ですね? 表にいたかたに聞きました」
「そうですか。彼女達はまだステージが低いので粗相がなかったなら良いのですが。さておき、こちらへどうぞ。セピア様がお待ちです。先にお荷物を置きたいということでしたら、それでも構いませんが?」
淡々と述べながら、僕のコートを脱がせて荷物も持ってくれる鯖来さん。彼女を案内役にあてがったのは英断らしい。たぶんステージとやらが高い人なのだろう。
「いえ、僕はいいですよ。薄桃さんにお会いするのが先でも」
「恐縮です」
エレベーターに向かって歩き出した鯖来さんについて行く。背後で扉が開く音と共に「おお、何ということだ!」なんて大声が聞こえて振り返ると、さっき表にいたスーツ姿の女性が手に提げていたトランクを床に落として両手を広げたところだった。
「この塔は壮大な自己矛盾を抱えている。塔というものは本来愛国の――」
「あ、ごめんなさい! 塚場様が来られたので少し時間が遅れてしまったんです! 二分ほど経ってからお願いします!」
学ラン姿の女性が遮ると、スーツ姿の女性は「分かりました!」と応えてまた出て行った。テーブルについた六人の女性達は居住まいを正して〈演技〉に戻る。
「……白生塔の事件を皆さんで再現しているんですね」
エレベーターに乗り込みつつ、僕は鯖来さんに確認してみた。彼女は『10』のボタンを押して「そうです」と首肯する。
「その大部分を桜野美海子様がお書きになった『桜野美海子の最期』は私共の教典です。私共は桜野美海子様に到達するため、それに則って彼女の行動をなぞり、追体験を行うのです。交代制で、他の方達についても細部までこだわって演じます。この〈儀礼〉こそ、私共の修行の核と云えるでしょう」
「被害者となる方々は死んだ振りを?」
「はい。獅子谷敬蔵が元々おこなっていたように、ですね。これからご案内いたしますのはセピア様のおられる十一階ですが、其処には獅子谷敬蔵を演じる者もいます。こちらはお気になさらず」
十一階。教祖が頂上に鎮座しているのは当然か。
エレベーターが十階で止まると、鯖来さんは「さぁどうぞ」と僕に梯子を上るよう促した。天井の開口部から垂らすようにして新たに取り付けられたものだ。
僕も二度目なので勝手は分かっている。開口部を出てかごの上に乗り、壁につくられた窪みに手を掛け足を掛けさらなる天井の開口部を開く。相変わらずアクセスが不便だけれど、〈桜生の会〉の人達からすればこの桜生塔はできるだけ手を加えてはならない聖域なのだろうから仕方ない。
十一階に到着。広い円形の空間の片側は十階の獅子谷敬蔵の部屋をそのまま模している。デスクに女性がひとりいてポカンと僕を見詰めているけれど、彼女は薄桃セピアではなく獅子谷敬蔵を演じる信者だろう。たしか、一階のサロンに枷部・ボナパルト・誠一が現れて続いて無花果が現れた後、此処から獅子谷敬蔵がモニター越しに最初で最後の挨拶をしたはずだ。
「セピア様はそちらです。どうぞ、塚場様だけでお這入りください」
鯖来さんが指し示したのは、十階の部屋を模している半面とそうでない半面との境界に位置する一角だった。そこは分厚いカーテンに囲われ仕切られており、床も一段高くなっている。この四年で新たに設えられたスペースだ。
「招待を受けた塚場壮太です。失礼します」と云ってカーテンの隙間から中に這入る。
天井から吊るされたランプに照らされるのみの空間。数少ない調度に囲まれて椅子に腰掛けている女性と目が合った。
彼女は妖美に微笑んだ。
「久し振りね、壮太。私は薄桃セピアであり、貴方のよく知る桜野美海子。こうして今生で再び相見えられたことを、私という神に感謝するわ」
「はあ……」
申し訳ないが、気の利いた反応は返せない。
「どうしたのよ、きょとんとしちゃって。実感が湧かない?」
「そうですね。桜野とは喋り方も違いますし」
そもそも似せる気がなさそうだ。薄桃色を基調とした衣服、髪。ふちなし眼鏡。背が高くて線が細い。桜野はこんなに色っぽくないし、口紅も塗らない。
「そうね。私は桜野美海子である以前に薄桃セピアだから。此処の皆にもそう呼ばせているわ」
「桜野の生まれ変わりだって話ですよね。よく分からないんですけど、生まれ変わりならせいぜい四歳じゃないと辻褄が合わなくないですか?」
薄桃セピアはむしろ僕より四つくらい年上に見える。
「ええ、広く知られる〈転生〉の定義からすれば外れているわ。正確に云えば、私は桜野美海子の魂を己が体内に取り込んでいるの。経緯を簡単に話しましょうか」
どうぞ掛けて、と勧められて、僕は向かい合う位置取りの椅子に腰掛ける。薄桃セピアのそれより若干低い。
「私はシャーマン体質なの。巫女。分かる? 昔から私の肉体には、たびたび他の霊魂が入ってくる。口寄せ。だけど魂と肉体は密接に結び付いていて、どうしたってオリジナルのそれが親和性で勝るから、他の霊魂じゃあ長らく留まってはいられないのよ。でも四年前に入ってきた桜野美海子のそれは違った。彼女の霊魂は私の肉体と非常に良くシンクロしたわ――だからこそ彼女は私のところにやって来たんでしょうけれど。そしてひとつの肉体に二つの霊魂が宿り得ないために、私の霊魂と彼女の霊魂は融合した。それは私という存在の変容も意味していた。薄桃セピアと桜野美海子はそうやって、いまの私に〈生まれ変わった〉というわけよ。分かる?」
「分かります」
全然分からない。
「もっとも肉体が薄桃セピアのものである以上、基本は薄桃セピアなの。だけど記憶というものは脳にだけあるんじゃない。深い記憶は魂にも刻み付けられている。だから私には断片的に桜野美海子の記憶であるとか意思であるとかが含まれているわ。それで薄桃セピアとしての私は思ったの。この素晴らしい〈桜野美海子〉を私が一人占めしていちゃいけない。この素晴らしさをもっと広く教えていかなければいけない。そうして〈桜生の会〉をつくるに至った。桜野美海子に共鳴した人々が、此処では各自、桜野美海子に到達するための修行を積んでいるわ。私は桜野美海子でありながら、桜野美海子と皆を媒介する薄桃セピア。神であって同時に神に仕えし巫女。分かる?」
「経緯は分かりましたが――」もちろん分からない。「――桜野が神だとは思いませんね」
すると薄桃セピアは「まぁ」と目を丸くした。
「驚いた。灯台下暗しね。壮太、貴方はずっと私の傍にいたのに、私が神だってことに気付かなかったの?」
彼女は立って僕の間近まで歩いてくると、その手を僕の側頭部にあてた。
「オープン・ユア・アイズ」
さっぱりだ。
「大丈夫。真理に対する盲人は光を失っているわけじゃない。光に気付いていないだけ。考えてもみて? 私――桜野美海子は三年前、此処で〈真実〉を獲得したの。それは神の行いだわ。分かる? 〈真実〉に至った者として、私は人々を同じステージに導かなければならない。そのとき、この世界はやっとベールを脱いで新時代の扉が開かれるの。オープン・ザ・ドアー」
分かる?分かる?と繰り返されるとたしかにこちらが間違っているみたいな気にさせられなくもないけれど、刷り込みの手法としていささかチープだ。
でもまぁ「分かりました。なるほど。蒙を啓かれた気分です」と云っておく。
「よろしいわ、マイ壮太。じゃあ本題に入りましょう」
薄桃セピアはまた自分の椅子に座った。
「いま説明したとおり、私の桜野美海子としての記憶は完全じゃない。脳が薄桃セピアのものであるせいで、彼女の考えや意思を十全に把握することも叶っていないわ。魂が融合したときに少しは引き上げられたけれど、あくまで薄桃セピアとしてのスペックが上限なの。だから私だけでは完全な教えを実現できていないのが現状よ。そこでこのたび、貴方を特別講師として招いたというわけ」
「事件の生き残りであり、桜野の幼馴染であった僕だからですか」
「ええ。招待状に書いたように今日から三泊、此処で生活してもらうわ。自由にしてもらって結構よ。その間、皆に訊かれたことにできるだけ答えてあげて欲しいの。事件に関すること。桜野美海子に関すること。あるいは積極的にそれらを講釈してもらえると有難いわね」
ただし――、と強調する薄桃セピア。
「もうひとつ、やって欲しいことがあるの」
「何でしょう」
「スパイを洗い出すことよ」
途端に話が俗物的になった。とはいえ、この潔さには好感が持てる。
「どうも感じるのよ、探りを入れられている気配をね。おそらく、この中に信者を装ってまぎれ込んだ不届き者がいるの。四日あれば、彼女はきっと貴方に接触してくると思うわ。ゲストである貴方に対してはボロを出すかも知れない。何か感じたら、私に報告して頂戴?」
「分かりました」
口に出しはしないだろうが、潤沢な資金を持っているらしいこの教団、おそらく黒いことも色々とやっているのだろう。だからスパイに怯えることになる。たしかに極端に閉鎖性の高い〈桜生の会〉に対しては、〈向こう〉も潜入捜査しかない。
妙に高い報酬額に納得がいった。これには僕への口止め料も含まれているのだ。
「こんなところね。何か質問はある?」
「いえ、特に」
「じゃあ来てもらったばかりだし、一旦部屋に引き取って休んで。何か質問があれば遠慮せず誰にでも訊いていいけれど、なるべく鯖来が望ましいわね。私のところに来たいときは鯖来か、楠根、則折、枚孔あたりに云うと良いわ。もちろん、特に用がなくても結構よ。壮太、ずっと私に会いたかったでしょう?」
そう云って笑う薄桃セピアは、やっぱり桜野とは似ても似つかない。




