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天空の色を抱く  作者: ナナシマイ


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「お。来た来た。早かったな?」

 いつかと同じ光景に、嫌な記憶のある言葉を乗せて、金髪の調教師は本日も支配者のごとき風格で飼育場を治めていた。

 やわらかな朝の色彩に包まれたこの景色は相変わらずの美しさだが、見惚れはすれど、もうフユカの心が奪われることはない。

「あんた……よくも人を売りやがって……!」

「やべー顔してっけど大丈夫?」

「誰のせいよ!」

「悪かったって。んで? 楽しめた?」

 謝罪の言葉を口にした次の瞬間にはこれだ。まったく反省の色が見られないが、それがイズクという男である。いちいち怒っていてはキリがない。

「すぐ抜け出したに決まってるでしょう。そこらのゴロツキに対処する説得力くらいは持ってるつもりよ」

「へえ。話術? 体術? あっ、骨抜きにしてきたとか」

「だからなにもされてないってば!」

 説明を求めるように、イズクは片眉をあげた。

「あんたに言うわけなくない?」

「おーおー警戒されてんな」

 なにを当然のことを、と吐き捨て、車から調査用の器具を運び出す。昨日の話で、イズクは石たちの風邪対策をしっかりしているとわかったので、今日から通常の調査だ。

 重い器具を引きずっていると、急に抵抗がなくなった。

「イズク?」

「手伝ってやるよ」

「え、恐い」

 いつもはフユカが息を切らしながら車と作業所を行き来するのを笑いながら眺めているような男が、どういう風の吹き回しか。

「おまえさ、そうやって警戒してくるわりに、俺に心許しすぎじゃね?」

「う……わたしもそれは、真剣に悩んでいるわ。あんたのその甘い顔と緩い表情には、もう慣れたと思っていたのに……!」

「なんかすんげぇ褒められてる」

「悔しい……ありがと」

 イズクは器具を置くと自分もその隣に座った。調査のために連れていた石が、どこか嬉しそうなようすで彼に群がる。

「まーいいじゃん。いっそ体まで許しちゃうほうが楽だよ」

「絶対いや」

「そこだけずっと頑なだけど、なんなの? 実はこっちの町に()い男でもいたりする?」

 なぜだろう。純粋な疑問に、フユカは眉をひそめた。

 今日のイズクはやけに踏み込んでくる。彼は相手の口を緩めて余計なことまで喋らせるのが得意だが、自ら踏み込んでくることはない。自分が踏み込まれたくないからだ。なのに、どうして。

 悟られない程度に、フユカは話題を変えてみることにした。

「昨日のあの人たちも同じようなこと聞いてきたわよ」

「微妙に腹立つな」

「お互いさまじゃない? それでね、もちろんいないって答えたんだけど、そしたら彼ら、なんて言ったと思う?」

「ほんとはイズクくんと付き合ってんじゃねぇのって追及された?」

 ゆっくりと首を振りながら、フユカは横を向いた。

 イズクに見せるように、耳の後ろをそっと撫でる。

「惜しいわね。どこぞの組織に売り飛ばしたら、悔しがる男の顔を見られると思ったのに、って」

 錆色の髪を後ろで束ねたフユカの側頭部には、一筋の線が走っている。地底に差した光のように、その部分の髪だけ、紅い。朝へ向かう更衣中の、天空の紅だ。

 同じ色が、瞳の一部にも滲んでいる。

「……うわー、そこまで馬鹿だったか。せっかく中央から来たって教えてやったのに」

「馬鹿でよかったわ。おかげで通報できたもの」

「通報したのかよ」

「そりゃ犯罪だもの。中央だったらその場で断罪されてもおかしくないわ」

「あー」

 親和性の高くないフユカが無機物に好かれやすいのは、無機物の女神と呼ばれる天空の色を持っているからだ。

 これは非常に珍しいことである。

 そもそも無機物の色を身に持つ者自体が少なく、フユカが属している大組織にも数人いる程度。ましてや天空の色など自分以外に聞いたことがない。

 人間すらも天空を信仰する――〈連邦〉の国教として定められており、無機物たちと同じ存在を崇めることで親和性を高め、より扱いやすくしているのだ。初めからその身に天空の色を持つフユカは、信心深さにかかわらず小さな無機物の心を掴む。とうぜん、需要(・・)はある。


 家づくりの能力を確認するため、大きさで石を分けていく。黙々と作業を進めるフユカに、先ほどから視線が注がれている。

 居心地が悪い。そろそろ働けと叱咤するかと考えたところで、長考から抜け出したイズクが口を開いた。

「フユカさ、中央でも天空の色そのままだったりすんの」

「ええそうだけど?」

「へえ。じゃあその由来を知りたいってのも言いまくってる――」

「わね」

「だよなあ」

 ああ、この人が知りたいのはこれかと、フユカは納得した。

 彼が時々なにかをはぐらかすのを、調査員が見逃すわけもなかった。規格外な飼育場を運営するこの男は、なんらかの真実を知っている。それをどうして今さら、気にしているのかはわからないが。

「おまえそれ……」

「なによ」

「泥沼にハマってね?」

「……ねえ、それって」

 答えが返ってくるとも思っていなかったが、訊ねずにはいられなかった。

 期待はせず、言葉を選ぶ。少しでも引っかかればいいと。

「喫煙室の石壁の話? それとも、重くなった石のこと?」

「どっちだろうなぁ」

 やはり明確な回答はなく、けれども遠くはないだろうか。イズクはイズクの頭の中だけで、なにかを確かめていた。

「おまえ、事実とされてることを知れれば満足するタイプ? ――なわけねーよな」

「愚問ね」

「だよなあ……」

 彼はなぜか憐れむような視線で、作業の手をとめたフユカを見つめた。

「やっぱ、一緒に住まね?」

「だからお断りだっ――」

「これ本気(まじ)のやつなんだけど」

 杏色の瞳は相変わらず甘さを湛えていて、けれど、鋭い。

「言ったろ? 調査員がここに来れてんのは異常だって。多分おまえ、泳がされてんぞ」


 遠く、車の音がした。

 舌打ちをしたイズクが、弾かれたように立ち上がる。

「くっそ。もう来やがった」

「なに、イズク。なんの話をしているの?」

「おめーの通報が決定打って話。いいから来い」

「わっ……」

 いつになく焦ったようすでイズクは乱暴にフユカの腕を掴む。

 調査のために集めていた石たちへなにかを指示しながら、居住スペースと繋がっている扉へ。緊張感をまとった調教師は、複雑に感情の混ざった問いを投げてきた。

「さっきのやつ、本心だな?」

「え?」

「おまえの由来を知りたいっての。本気だな?」

 これは岐路だ。その舵を、どうしてだかイズクが握っている。

 フユカは迷わなかった。

「本気よ」

 イズクのあとに続いて扉を抜ける。

 キッチンも寝室も一部屋にまとまった雑多な平屋。

「りょーかい」

 ふわりと煙の匂いがして、視界に甘い杏色が飛び込んでくる。

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