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9 女神たち-1

 アークツルス魔法院の学徒たちは、昼夜時間を惜しんで勉学に明け暮れていた。昼は講師たちに小間使いのように顎で使われ、夜は自分なりに研究をまとめる。

 まとめられた論文を提出しては隅の埃を大袈裟に責立てられ、あるいは破り捨てられ、講師たちは学徒相手に横暴に振る舞う。しかしそうやって学びは積まれていくのだ……と言うのは講師側の弁で、実際は貴族や成金たちの息子らをいたぶるのが楽しくて仕方がないのがほとんどだった。


「来たぞアイリーン」


「ん」


 深夜ともなれば中庭に出るものは一人もいない。勇一はしんと冷える空気を肺いっぱいに吸い込み、足裏を心地良く刺激する芝を感じた。

 中庭を囲う石の柵に寄りかかっていたアイリーンは、手に持った最後の肉団子を口に放り込む。長い咀嚼の果てにごくりと飲み込むと、変わらぬ表情で勇一へ歩んで行く。


「それで……何を?」


「仮面の男、奴は強い」


「……」


 アイリーンが真っ向から挑んでも仮面の男には敵わなかった。全力で挑んだ彼女の猛攻に、男はほとんど片腕一本で対処しきったのだ。それは目の当たりにした勇一に、報復に至るまでの厳しい道を見せつけた。


「正直な話、生半可な兵士が束になっても奴には敵わないだろう。そうさせているのは奴がただ強いからだけじゃない……風魔法だ」


 強力な風魔法使いは、単身の飛行能力を持つ。戦闘となればそれだけで相手に有利だ。


「奴地上に降ろすのは私がやる。でも降ろしたとして……キミにとどめを任せるとは言ったが、正直、それほど余裕はないかもしれない」


 表情こそいつものアイリーンだったが、その声は悔しさが滲んでいる。中庭の中央にまで来た彼女はぱんぱんと手を払うと、腰に掛けた籠手を装着した。華奢に見える腕の先に取り付けられた重機のような篭手は、それで殴られればただでは済まないと容易に想像させる。


「今のキミが本気になっても、奴に勝つなんて夢のまた夢だ。だけど、私の攻撃の隙きを狙えるくらいになればもしかしたら……だから、キミにも強くなってもらう」


「……実は俺も、そう思ってたんだ」


 勇一が魔法院に来るかわりにアイリーンたちが仮面の男を見つけ、彼が挑む……しかし、今のままでは勝ち目などない。挑んだところであっさりと返り討ちになるのが関の山。男は強い、捕らえてとどめは勇一に……というのも難しい。

 ならばせめて彼の実力を底上げして、自分とともに戦えるようになってもらう。というのがアイリーンの出した答えだった。彼女一人では難しくとも、二人ならもしかしたら……いずれ可能性は低いが、一番マシな方法だった。


「今までは生存最優先で戦ってきたけど、それも奴を……殺す、ため。肝心な所で弱かったら、話にならないしな」


「うん」


「同盟にいた時、少し思ったんだ。このまま死んでも、みんなは許してくれるだろうって。みんなのために旅立ったんだ、道半ばで死んでも行動することが大事なんだって…………でもそうじゃない」


 左手には親指と人差し指、そして第二関節までなくなった中指。これは男を倒すまでの制限時間なのだ、と勇一は思った。


「俺の身体が全部削れる前に奴を殺す。刺し違えてでも、だ。復讐はやり遂げなきゃ意味がない。やり遂げなきゃ、全てが無駄……」


 アイリーンに移した彼の瞳には、復讐の炎が宿っている。

 自分がなんのために転生したのか、転生する前は何をしていたのかなど、今の彼にとって大して重要な話ではなかった。


「キミの考えはわかった。お互い目標を同じくするのに、必要なことはわかるね……じゃあ、始めよう」


 少女は拳を握り前に突き出す。さすがにこの流れを見て何を始めるのかわからない勇一ではない。


「……一応聞くけど、俺は剣を使ってもいいんだよな?」


「勿論。でも、私に当たるとは思えないけど」


 ほんの少し角度を上げた彼女の口角が、勇一にははっきり見えた。

 腰のマナンを抜く。黒い刀身は夜によく溶け、間合いを計り辛くした。握れない左手はもはや使い物にならないので、力で押すことはできない。しかし羽のように軽く魔力に応じて鋭さを増すマナンは、右手だけでも十分に扱える。

 構えて対峙する二人。それから無数の駆け引きと、拳と剣の応酬が始まる。


 ……はずだった。


「さぁ…………こいガハッ!!」


 勇一が最初に認識したのは、目の前のアイリーンが突如消滅したという事実だった。

 嵐に迷う船のように揺れる地面。彼は足を取られてしまう。船酔いの如く脳はグラグラと揺れ、そのうち肩から壁に激突してしまった。

 その壁から芝が地面と平行に生えているのを見て、そこで初めて、彼は自分が転倒したのだと気付いたのである。


「…………」


「ユウ、ねえユウ、大丈夫? 参ったな……こんなに……弱い、なんて」


 勇一の意識から遥か遠く、アイリーンの声がくぐもって聞こえた。遅れてやってきた顎の痛みは左右からだ。一度の瞬きで二発をまともにうけた彼はその日、二度と目を覚ますことはなかった。そして魂は離れ、女神たちの元へ旅立ったのである。



 ***



「キャハハハハハハ‼ アーッハッハッハッハッハ! アハ、アハ、アハ……」


 少女の笑い声。耳元で甲高く鳴り響くそれに目を覚ました勇一は、先ほどまでいた場所と全く違う場所にいるのに気付いた。


「ハーッ、ハーッ、ああ可笑しい。こいつって、本っ当に弱いのね!」


「太陽、いい加減になさい。彼が目を覚ましましたよ」


 自分の身体さえ見えない闇、上下も高低もわからない。彼はその中でただ浮遊していた……していると思った。目の前には淡い光をまとう二人の女性。片方の燃える髪をした少女が、嘲笑した顔で勇一を見ている。


「ねえあんた、女の子にぶん殴られて気絶するってどんな気持ち? 棒立ちでまともに食らっちゃうの無様よねぇ。せめて指一本くらいは反応しなさいよ雑魚。ザコザコザコザァーーーーコ! アハハハ!」


「太陽! 許してあげてください、上野勇一……やっと完全になれたから舞い上がっているの」


 漆黒の長髪が特徴的な、もう片方の女性が少女をたしなめる。

 骨のように白い肌に真紅の唇が勇一の目を奪った。

 少女の方は口を塞ぎ二人に背を向けている。その肩は小刻みに震えていた。

 突然のことに呆気にとられている勇一は、何とか今の状況を理解しようと躍起だ。やがてその口から最初の疑問が流れ出す。


「ええ、と。どこかでお会いしましたか?」


「会いましたとも、上野勇一。今まではこちらの記憶は持っていけませんでしたから、何度目かの自己紹介になるわね。……私は女神の一人、『星の女神』と人は、呼ぶわ。そしてこちらが」


 燃え盛る髪がさらに火力を増し、あわや勇一は炎に包まれそうになった。振り返った少女の金切り声と炎が「星の女神」と名乗った女性の言葉を遮る。


「わたしは太陽! あんたは自分のことだけ喋ってなさいよ、星! 余計なことするな!」


「太陽……石像とは、ええと」


 はっと反射的に勇一は口を閉じた。燃えるような見た目と強気な口調、直感でなくとも彼はなんとなくわかった……彼女の機嫌を損ねてはいけないと。「教会の石像より子どもっぽい」といいかけて、慌てて違う言葉を繋ぎ合わせた。


「本人の方が、とても魅力的で……」


「えぇー、やっぱり!? 物でわたしを表現しようなんておこがましいって思ってたんだ! 星に選ばれるだけあるわね、最初からそう思ってたわよ!」


 少女の髪が今度は青く燃え上がり、くねくねと体を踊らせる。それを呆れた表情で見ていた星の女神が、何かを思い出したかのように勇一へ振り返った。

 彼女は彼の手を取り、ゆっくり目を閉じる。

 ひんやりとした感触に勇一は鳥肌が立った。触れられた途端、彼の体を冷たい風が吹き抜けていくのがわかった。


「……うん、前よりも近い」


「近い?」


「貴方の魂。なんとなく気づいているでしょうけど、その身体は貴方のものではありません」


 メフィニ劇団にいた時、勇一は自分が過去に死んだ人物そっくりだと言われたことを思い出した。劇団と別れる直前、ケルンと呼ばれた青年の幻影が目の前に現れた事も。ケルンは勇一に、自分の身体を大切に使えと言い残し消えていった。

 体と言い心臓が貫かれても生きていることと言い、彼は自分の身体が心とそり合っていないのではと思っていた。


「貴方が元いた世界で死んだ際、その魂を今の身体に移したのです」


「それは……」


「境界を越えられるのは魂だけです、上野勇一。私と太陽が新たに器を作り、貴方の魂を入れた」


「時間が無かったから、あんまりしっかりしたのは作れなかったのよね」


 太陽が口を挟む。


「ほんっと、月のやつにはやられたわ。私は大丈夫だったけど、星は下手したら千年は引きこもらなきゃならなかった」


「私達はどこかに力の一部か無ければ、復活に膨大な時間を要します。月の女神から急襲を受けたとき、太陽は力の一部を地上に下ろしていたがために助かりました。しかしあの時、私はそうしていなかった」


「かといってこっちの誰かに移したら、月はすぐに感知するわ。だからこっちじゃない誰かの魂が必要だった」


「ブラキアの身体、多腕族の心臓、ホラクトの眼、貴方を構成する大部分は、既に死んだ者の身体を使っています」


 すらすらと一息に説明を始める女神たち。自身の知らないことがただ吹き抜けるように通り過ぎていくのを、彼は受け入れることができなかった。


「まっ待ってください。突然そんな……」


「黙れよ!!」


 勇一に熱波が襲いかかった。


「……ッ!」


「太陽!」


「ヒトの分際で、神の話を遮るほうが悪いのよ!」


「私は彼に話さなければなりません。緊急だったとはいえ、今まで放置してきたのは私の責任」


 星の女神は勇一に向けて、くるくると人差し指を回した。途端に熱波は涼風に変わり、さらに熱で焼けた彼を癒やす。


「……お、俺は」


「戸惑うのも仕方ありませんが、話を進めますよ」


 とにかく口は開かないでおこう。指一本でも動かせば、次は何をされるかわからない。すっかり萎縮した勇一は、女神の言葉にただ頷くしかなかった。


「大丈夫ですよ。こちらとあちらは、時間の流れが違いますから。千年でも二千年でも」


「えぇっ!?」


「…………ふふ、冗談です」


 星の女神はいたずらっぽい表情を浮かべ、語りだした。

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