14 娼婦の娘(たち)-2
「ハァ……ハァ……ハァ…………!」
「貴方、体力ありますねぇ……ふぅ」
「アタシらと張り合える奴なんてそうそう……いねぇって…………んっ」
二人が身体を重ねてから長い時間が過ぎた。性経験の無い勇一は、そういった行為について媒体で得た知識しか持ち合わせていなかった。しかし同時に、書いてあることが必ずしも正しいとは限らないとも心得ていた。故に知識は参考程度に、とにかく探り探りで事を進める。
まさか初体験の相手がヒュドラになるなど誰が予想できようか。彼は自分の知識が全く役にたたない事を覚悟しつつ、誠意をもって相手の身体をなぞった。ヒュドラの彼女らが相手をするのは、歴戦のものか指導者の立場を持つものか……どちらにせよ内か外に猛獣を飼っているような男ばかりで、勇一は彼らから遠い位置にいる。しかし結果から言えば彼の辿々しい愛撫を彼女らはいたく気に入り、熱をもって迎えられたのであった。
「俺も……ぎりぎり、です…………ううっ」
「私は結構好きよ、こういうの。やっぱりファーラークに認められただけはあるのね」
およそこの場所とは全く関係無い名前が出たことに、勇一は一瞬呆けた。その反応をみたヒルドゥーリンは、はっとした顔でナルーを嗜める。
「ナルー、他の男の名を呼ばない」
「あっ、ごめんなさい。つい……」
「あ~あ、ほうらみろ。縮んじまった」
何故彼女らがファーラークの名を知っているのだろう。知名度はあるのだから、知っていてもおかしくはないのだが……勇一は、彼女らの反応は名前以外を知っていると察した。
「あの、ファーラークさんのこと……何かしっているんですか」
「ユウ様……」
「ちょっと休憩をしたくて……少しだけ、お願いします」
「それはいけません。お相手の事は決して漏らしてはならないのは、この業界では常識ですよ」
ヒュドラは体力が尽きようとしている勇一を抱き上げ、仰向けになった自らの胸に乗せた。うつ伏せになる彼の頭を優しく撫で、くすくすと笑う。
「でも、そうですねぇ……貴方の指使い、ぎこちないながらも相手を気遣う気持ちが伝わってきました」
「……」
「長く生きていれば、わかるのです。相手をどういった目で見ているのか……ユウ様が入ってきた扉、そばにある柱が見えますか?」
きめ細やかな張りのある肌に埋めた頭起こし、勇一は言われた方向に目をやった。自分のくぐった扉が外界の全てをせき止めるように佇んでおり、すぐに向かって左に立つ柱の存在に気づいた。揺らめく光に照らされたそれは鉄製で、部屋から誰も出すまいと門番のように光の届かない天井に頭をつけている。
「ファーラークをご存じなら、あれに見覚えはあるでしょう」
(……?)
柱と扉。二つを眺めているうちに、彼は違和感を覚えた。扉の左側に控え、門番のようにそびえる柱……どうして左側だけなのだろう、と。それによく考えると、いかつい佇まいをした柱はどう見ても部屋の内装と合っていない。さらに目を凝らした彼は、柱に文字のようなものが彫ってあることに気がついた。
(まるでこの部屋ができる前からあったみたいだ…………それにしても、見たことあるような)
どこかであれによく似た物をみた気がする。
記憶を辿り、二つの丘に乗った頭を傾げる様子を見て、デュパンは笑いをこらえた。
「あれ、最初は二本あったんだ。ヴァパが出来る前に……確か、アタシたちを封印する、とかいって」
続いてナルーが明るい声を出す。
「そうそう、柱同士の頭が鎖で繋がれてたんだよね」
「まさか……」
彼の記憶が正しければ、ファーラークが持っていた鎖つきの鉄柱と形が欲にている……あれにも文字が刻まれていたことを思い出した。
この柱は移動させられた物ではないとデュパンが言っていた。ナルーは元々二本で一組だったとも。つまり、ファーラークがここに来たことがある、と言うことだ。ジズが「あの鉄柱はどこかの神殿から引っこ抜いて来たものだ」と言っていたのを思い出し、ああ、それはここの事だったのかと理解した。
「……あれ」とそこまで考えて勇一は不思議に思った。ヒルドゥーリンらはヴァパが出来る前からここにいると言っていた。アトラスタの話によれば、この街が出来たのはおよそ百年前。デュパンの言う「封印」というものがどんなものかはわからないが、そう言われるだけの年月を彼女らは生きている。それならば……。
彼は迂闊にもその疑問を口にしてしまった。
「ヴァパが出来る前? ヒルドゥーリンたちは一体なんさ……うっ」
突如灰色の瞳が勇一の目線を捉えた。その目を正面から見てしまった彼は、魔法にかけられたかのように逃れられなくなった。全身が石のように硬直し、心臓は速く脈打っている。仰向けになったヒルドゥーリンらの胸の上で、彼は全裸のまま指一本動かせなくなってしまった。
「なん、だ…………動け……な、い…………」
「くくく」
「あはは」
いつの間にか左右に迫っていたデュパンとナル―が、彼の耳の外側を……そして内部へと長い舌を這わせた。ねっとりとした水音が脳を犯し、ぞわぞわとした感覚が全身を這いずり回った。ベッドの周囲で部屋を照らしていた灯りが、遠い場所から徐々に消えて行く。
ヒルドゥーリンの頭がゆっくりと近付く。やがて彼と鼻が触れ合う距離までになると、先端の割れた長い舌をチロチロと見せ、粘りつく様な声で囁いた。
「女性に対して失礼な言動と言うのは、それこそ星の数ほどございます」
「今ここでは、私たちは夫婦。お互いに貪り合い、互いの境界線が無くなるまで愛し合う関係」
「愛する者の年齢を気にするか? 知ったところでどうする?」
左右の耳元で脳に直接擦り込むように囁く声。それは甘く挑発的な声だ。同時に、彼の心臓がうなりを上げ始めた。胸を突き破る勢いで跳ね回る心音を感知したヒルドゥーリンは口角を上げ、長い舌を使って器用に勇一の顎を上げた。
「ああ、毒が効き始めましたね。毒と言っても、ユウ様の心配する効き目はございません」
「ど、毒……?」
「ヒュドラの息は、毒なのです。だから私たちはこうして、自らを地下深くに置いているのですよ」
毒はヒュドラの息に含まれ、更に居ついた土地にも蓄積する。長く居ればいるほど土壌は汚染され、付近の生き物たちにも害が及ぶのだ。この部屋は周囲を岩盤に囲まれ、空気中を漂う毒は専用の容器に集められる。
「き、効き目……って…………」
「ふふふ、段々と身体が熱くなってきたでしょう? 毒は正しく使えば薬にもなるのですよ」
彼女たちの言った通り、少しすると彼は硬直していた自分の身体が指先から温かくなって行くのが分かった。じわりと水を吸収するように可動域が増え、やがて再び全身に自由が戻った。しかし安心したのもつかの間、彼は自らの変化に戸惑う。
心臓が信じられない程強く脈打っているのだ。血液を過剰に押し出し末端まで押し付けられる感覚に、彼は胸を突き破られるのではと気が気ではない。さらに思考が鈍化し、自分の身体がどうなっているのか理解が追い付かなくなってきた。助けを求めるようにヒルドゥーリンを見た彼の中に、今度は激しい劣情がわきあがる。
「心臓が……爆発しそう…………ウゥウグググ」
「私たちの吐いた息に含まれる毒は、室外にある容器に移されます。それが地上で加工され、様々な薬品になるのです」
「様々と言っても、ほとんど媚薬か強心のどっちかなんだけどね」
「おお……アタシらの腹に当たるお前の槍が、研ぎ澄まされていくのがわかるぞ」
加工されて薬品になるのなら、原液を噴霧されたらどうなるのか。幸いにも極めて密度が薄かったおかげで、彼は影響をあまり受けずに済んだ。
しかし、それでも……。
「フッ……フッ……フッ…………フウゥーー」
「ああ、まるで獲物を食い殺さんとする獣の目……優しく攻められるのも良いですが、やはりこうでなければ」
「ぞくぞくするよね。押さえつけて屈服させるのもいいけど……獣のように犯されるのも良い。あはは! 私も高ぶっちゃう!」
「アタシは……全部味わいたい。お前の身体を、全部!」
「ガアアァァーー!!」
一人の人間を狂わせることなど、造作もない事だった。彼の血走った眼には既に正気など無く、睨みつけたヒュドラは自由に犯せる極上の女体に見えた。きらめく赤い鱗の一枚一枚がはっきりと見え、蛇腹をつたう汗の一滴までも認識できる。神から与えられたような目の前の「物」に、臍まで反り返った自らを突き刺さんと跳躍する。ベッドの周囲の灯りはいつの間にか消え、天井からぶら下がる燭台の火のみになっていた。
彼が力任せに相手の手首を掴んで押し倒すと、視界の外で熱っぽい吐息が三つ聞こえた。直後腹に巻かれるヒュドラの尻尾。ぐい、と重なり合った身体は引きはがされ、そのまま攻守が逆転した。ヒュドラの巨体がのしかかり、ヒルドゥーリンが涎を垂らしながら獲物に語り掛ける。
「さあ、お互いが溶け合うまで……愛し合いましょう!」
「ウウオオォォーーーー!!」
そこは特別な入口から、地下深く潜った場所にある。
理由は二つ。
ヒュドラの毒を外へ出さないように。
もう一つは、ヴァパの巨大水車が出す音よりも大きな声を、街中に漏らさないように。




