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12 知らない事、知っている事-1

「はい、あなた」


「ありがとう、ラシアタ」


 鍋はゴトゴトと音をたて、蓋の隙間から空腹を刺激する香りを放っている。しかしその中身は野菜やくず肉とその煮汁を極限まで薄めたもので、それに加えて少量の干し肉と果実が添えられた夕食はとても質素なものだ。


『ルドの町では、食料品の買い出しがうまくいかなかったのよ』


 それは劇団の衣装と食事を司っているというラシアタの談だ。彼女はそう言って頬に白く細い指を当て苦笑いした。

 質素な食事を前にしても劇団の皆は全く気にしている風はなく、むしろ勇一が最初に出会った時の食事の雰囲気と変わらない。そしてようやく彼は、彼等にとってこの食事こそが通常のものであるのだと気が付いた。


「…………」


「…………」


「……」


 オーダスカの表情は勇一と話した時より幾分かはやわらでいた。しかしそれでも皺の寄った眉間が平らになることは無く、焚き火を通してどこかを見つめるような目で黙々と咀嚼を続けている。

 そんな様子を少し離れた場所で見ている勇一に声をかける、あどけなさの残る声


「いつものアホ面がもっと間抜けに見えるわよ、ユウ?」


「アド……」


 人を小馬鹿にしながら、少女はいたずらっぽい笑みを浮かべて彼の隣に座った。その両手には手をつけていない器が乗っている。

 彼女は彼女でしかめっ面の父親の側にいるのが耐えられなかったのだろう。


「お父さんがああな時は、お母さんがずっと離れないの」


「そうなんだ」


「お父さんの事、ユウは何か知ってる?」


「……いや、なにも」


 ラシアタはなにも言わずオーダスカの隣に座り、そこから動こうとしない。それは長年夫に寄り添って体得した、彼女なりの気遣いなのかもしれないと勇一は思った。


(しかしこうしてみると、ラシアタさんは大きいな……)


 オーダスカの身長は勇一とそれほど変わらないが、ラシアタはそれより頭一つ分は大きい。しかし体つきは勇一の考える女性の標準体型と変わらないので、線の細さが際立つ。


(何も知らない人が見たら、年配の姉弟に見えるかもしれないな)


 二人を見ながらぼんやりとそんなことを考えていると


「何を考えているの?」


「ラシアタさんは大きいなって…………」


 不意に飛んできた少女の疑問に、彼は思っていたことをそのまま口に出してしまった。それを聞いた少女は何を勘違いしたのか、今のオーダスカと同じような表情で勇一を睨む。


「アンタ、人の親に向かって何言ってんのよ……」


「何って……? あっ、違うって! 背、身長の事だよ!」


 本当に?とアドは勇一の顔を穴の開く程に見つめる。彼はあらぬ疑いを解くために釈明しようとしたが少女の眼光はあまりに鋭く、完全に気圧され何も言う事が出来なかった。


「ふうん、まあいいわ。お母さんホラクトだから、あれくらい普通よ。むしろ小さい方ね」


 幸いなことに顔に出やすいという特徴が誤解を解くのに役立ったらしく、アドの反応に彼は胸を撫でおろした。


「ホラクトはあれが普通なのか……?」


「……時々、アンタが全く別の世界から来たんじゃないかって思う事があるわ」


 ぎくりとした彼の表情は、幸いにも気付かれなかった。



 ***



「ホラクト……大陸戦争の話を聞いた時に一度だけ聞いたけど、それっきりだな」


 以前竜人の村の長ファーラーク・フォーナーから、100年前におこった大陸戦争はホラクトが原因だと勇一は聞かされた。

 彼が知っている他種族の事と言えばそれくらいで、他の事は無知に等しい。


「ふうん、それじゃあ何も知らないユウの為に、この私が色々教えてあげましょうか? といっても、私もお父さんから教わったこと以外話は知らないんだけど」


「ハハ……じゃあ、よろしくお願いします。アド先生」


「な、なによ。中々殊勝な心掛けじゃない……ええっとまずは」


 鼻を高々に上げ仕方ないから教えてやると言わんばかりの態度に苦笑いしつつ、これは貴重な時間になることを確信した勇一は素直に頭を下げることにした。

 一方年上の青年に頭を下げられたアドは、突然のことに戸惑いながらも自らの知識を披露する。


「ホラクトと言えばあの肌の色と身長ね。雪か灰みたいな色で、山のように大きいってよく言われるわ。ホラクトより大きな種族はあまりいないと思う。大陸戦争以前は、大陸の半分を支配していたんだって」


「ラシアタさんは小さい方って言っていたね」


 ファーラークの話を聞いたとき、ホラクトは好戦的な種族だと彼は思った。しかしラシアタを見ると、どうにも自分から戦いを仕掛けに行く者には見えないとも思った。当然、彼女だけがそうなのかもしれないと考えた上で。


「本当に大きいのよホラクトは。それに力もある。この劇団で一番力があるのは、虎獣族のシュルテかお母さんかどちらかね」


 アドは焚火の向こうに視線を向ける。アイリーンに背中に寄り掛かられ、団員と一緒に何かを作っている毛むくじゃらの人物が見えた。

 シュルテとはルドの町の酒場でガージャと踊っていた女性だ。そしてよくアイリーンの枕にもなる。全身が黄色い体毛に覆われ、筋肉質な背中や四肢に黒い縞模様が目立つ獣人の劇団員。

 その顔は勇一が知っている猛獣そのものだったが、本人の性格は全く逆でターンやラトーとよく遊んでいる。


 ぐび。


 器の汁を一口で半分以上飲み、少女は話を続ける。


「ふぅ。ええとそれから、流石にブラキアはわかるわよね」


「ああ、俺やアドみたいに褐色の肌を持つ人たちだ」


 ルドの町の酒場にいた人たちは、皆ブラキアだったことを彼は思い出した。顔つきや身長や髪の色まで様々だったが、皆同じ色の肌をしていた。


「そうね。ブラキアはこのサンブリア大陸のどこにでもいるわ……流石に、東側には少ないらしいけど」


「数が多いんだ……東側には何が?」


「同盟を組んだ多種族の国があるんだって」


「多種族って……この劇団みたいに?」


 メフィニ劇団は実に多様な種族で構成されている。ブラキア、ホラクト、猫族、虎獣族、ハーピィ……これだけ多種多様な者たちがいても、皆はメフィニ劇団という一つの組織で協力し団結している。

 アドはいつの間にか持っていた枝を使って、少しばかり縦に長い円を地面に描いた。それを左右に割り、左側を指す。


「そう。東側には行ったことがないから、詳しくはわからないけど……大陸西側の大半はブラキアの国『ヴィヴァルニア』がある。私たちが今いるここがそう。王宮があるのは……」


「もしかして……エンゲラズ」


「そう、エンゲラズ。大陸一の繁栄を誇る都市って言われてるけど……」


 そこでアドは言葉を切った。勇一がその顔を見ると、口をへの字に曲げて苦々しい過去を思い出しているような表情をしている。

 パキリ、と細い枝がその手の中で折れた。


「……アド?」


「あんなところに住んでる人の気がしれないわ」


 吐き捨てられた言葉には憎悪が含まれていた。年端もいかない少女にすらこう言われる町……首都エンゲラズとは一体どんなところなのだろうと勇一は興味を持った。

 しかしそれを聞くのは彼女の心を抉ってしまうだろう事は火を見るよりも明らかなので、彼は好奇心と良心の間でわずかな間揺れ動く。

 そんな彼を他所に、アドは干し肉を一口かじりとると反対の手に持っていた枝を焚き火に放り投げ、怒り出した。


「何が『先の大戦の栄光』よ、自分たちが戦ったわけでもないことをあんなに鼻に掛けるなんて! 私に言わせれば、いつまでも過去の栄光に縋るなんて滑稽なことこの上ないわ!!」


 アドの怒りは相当なもので、まるで目の前に仇がいるかのような剣幕で声をあげている。一通り吐き出した彼女は、自分が思ったより大きな声を出していたことに気付き顔を赤らめた。


「あ、あんまりいいところじゃないんだね」


「……いいえ、確かに発展してるし、他では売ってないものもある。首都だけあってヴィヴァルニアの中で一番賑やかだし」


「……じゃあ人か」


『先の大戦の栄光』とやらを後生大事に掲げ、それだけを頼りにしている。彼は過去の栄光をいつまでも自慢げに語るのが、どれだけ情けないことかをまだ知らない。しかし


(近づきたくはないな……)


 と、考える想像力はあった。


「そうよ。あそこに住んでるブラキアは、自分たちだけが特別で他は動物と変わらないと思ってるわ」


「そんな事……」


「あるのよ。エンゲラズの一部は貧民街なんだけど、完全に隔離されてるわ。いるのは悪人か奴隷だけね」


「それは…………」


「ヴィヴァルニアの中でもエンゲラズに近いほど傲慢なブラキアが増えている気がするわ。あそこに住んでる人はみんな心の中じゃ窮屈な思いをしてるんじゃないかしらね。

 ……ま、子どもの頃の私が覚えてる限りでも、こんなものね」


(今も子どもじゃないか)


「今、凄く失礼なこと考えてるでしょ」


「い、いや。俺の知らない事ばかり知ってて物知りだなぁ、っと」


「ほんとぉ? ……ふふっ」


 褒められるのは素直に嬉しいようで、少女は明るく微笑む。その笑みからは僅かに信頼が伝わってくるのを勇一は感じ取った。

 彼女が嫌うエンゲラズを住み心地が良いという者もいれば、メフィニ劇団のように一か所に留まらない生活を嫌う者もいるだろう。要は人それぞれなのだという事を彼も心の底では感じていたが、目の前で顔を赤らめる少女を前にそんなことを口に出すことはしなかった。


「お二人とも、い~い雰囲気えすねぇ」


 呂律の回らない台詞を投げ掛け、千鳥足で二人に近付く者。彼は全身の真っ黒な体毛と頭の上の耳を寝かせ、ご機嫌な声をあげた。


「ガージャさん、飲んでるの? あんまり強くないんだから無理しないでよ」


「ウハハハハ! 大丈夫……大丈夫」


 体毛で見えないが、間違いなくその顔は赤く染まっているだろう……二人は言葉に出さず互いに同じ事を思っただろうと目線で確認する。

 ガージャは片手に酒の入った小さな革袋を持ち、二人の正面にどっかと座った。

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