第五話:王都の噂と、ルナの決意
アレスが王都へ帰還してから、半年が経過した。
あの日、私たちが裏庭で拾った美少年は、この国の第一王子だった。彼は、拉致犯から逃亡する際に自身の魔力を全て使い果たし、死の間際に倒れていたのだ。そして、父の言葉によれば、私が彼を抱きしめた時、私の無意識下の強い魔力が彼を生かしたという。私は、王子の命を救っただけでなく、彼と同じ規格外の魔力を秘めていた。そのアレスは今、王都で権力を固めている。彼の冷酷な誓いを現実にするため、私も彼にふさわしい存在にならなければならない。
庶民の街に暮らす私たちにも、アレス――正式には第一王子レオナルド殿下の噂は、驚くべき速さで届いていた。彼は帰還してすぐに、王宮の教育係や指南役を次々と退け、自ら定めたカリキュラムで学問と武術、そして魔法の修行を始めたという。その学習速度は常軌を逸しており、「若き天才」どころか「神童」と呼ばれ、王宮内の権力者たちさえも彼の才能を恐れ始めたらしい。
噂はそれだけではなかった。彼は、貴族の子女が集まるサロンや舞踏会に一切参加せず、自身の公務以外で誰とも親密な交流を持たない。常に冷徹な表情を崩さず、関心を示すのは国家の制度改革と魔導技術の向上のみ。その冷たさから、「冷徹な王子」という異名が付けられていた。
(ヤンデレ王子、本領発揮だね…。私以外を視界に入れてないって感じが、逆に清々しいけど)
私の両親は、アレスの王都での生活を案じていた。母は虹色の絹の布をしまい込みながら、寂しそうに言った。「あの子、大丈夫かしら。たった一人で、あんな大きな王宮で、心を許せる人はいるのかしら」。父も「殿下は強そうに見えるが、まだ幼い。権力争いに巻き込まれなければ良いが」と、家族として深く心配していた。
しかし、私の心は違った。
(あの時、アレスは「待っていてくれ」って言った。待つ、ってことは、私がこの貧乏な街で、アレスの望む「隣」に行くために、努力しなきゃいけないってことだ)
私は鏡を見た。そこに映るのは、父から受け継いだ赤茶の髪と、母譲りの金色の混ざった目を持つ、平凡だが愛らしい少女。顔面は悪くないが、王子の隣に立つには、あまりにも「地味」で「無力」だった。
私の転生者としての知識によれば、王子の婚約者や側近となるには、桁外れの教養、社交術、そして何よりも魔力が必要だ。このままでは、アレスがどんなに権力を手に入れても、私が彼の隣にいることを、周囲が許さないだろう。アレスが私を無理やり王宮に引き入れれば、彼の冷酷な評判はさらに悪化し、王子の地位を揺るがしかねない。
私は、アレスに「愛されるだけの存在」ではなく、「彼が隣に置いて当然だと思われる存在」になる必要があると決意した。それは、彼のヤンデレな愛に応える、私なりの顔面信仰に基づく献身だった。
私は父と母に懇願した。「私、勉強がしたい。そして、魔法を極めたいの。王都の学校に行かせてほしい」
両親は驚いたが、私の真剣な瞳を見て、ついに折れた。父は私に、かつてアレスが治癒魔法を使った時に見せた、「魔力収束の基礎」が書かれた古びた魔導書を渡した。父は私にだけ聞こえるよう、静かに告げた。「ルナ。お前は、彼と同じ、強い魔力を持っている。隠さなくていい。だが、使い方を間違えるな」
私は、その魔導書を胸に抱きしめた。その日から、私、ルナ・ベルナルトの、「推しの隣に立つための、規格外な自己改革」が始まった。王都へ行くのは、アレスの権力がさらに強固になってからで十分。まずはこの街で、誰にも気づかれないように、天才王子の隣にふさわしい「顔面S級の令嬢」となるための力を蓄えなければならない。




