第二十六話:図書館の古文書と、異端の公爵令息
ルナは図書館の古文書室に深く潜り、埃をかぶった分厚い家系図を広げていた。王室に近い大貴族や、王位継承権を持つ家系を次々と除外していく。
(アレスの支配は、王都と王立魔導学院の権威に強く依存している。彼の影響力の及ばない、独立した権力を持つ家。しかも、王位継承争いから距離を置いている家でなければ…)
数時間かけて家系図を辿った結果、ルナは一つの家系に目星をつけた。
『イシュタール公爵家』。
彼らは、王都から遠く離れた西方辺境の領地を治め、その領地内にある巨大な古代遺跡の研究と守護を一手に担っていた。彼らの権力は、王室からの爵位というよりも、古代からの魔導技術と、辺境領の圧倒的な軍事力に依存していた。
(この公爵家なら、アレスの支配を恐れる理由が薄いはず。王位継承権争いにも興味がない。彼らの目的は、あくまで古代魔導の探求と研究よ)
ルナは、現当主の跡継ぎに関する記述を探した。
「イシュタール公爵家嫡男、クリス・ド・イシュタール。王立魔導学院に在籍。専攻は古代言語学と魔力解析…」
ルナは、彼こそがアレスの監視を潜り抜けるための、最も有望な第二の外交の足がかりだと確信した。
ルナがその名前と情報を慎重にノートに書き写していると、古文書室の奥、誰もいないはずの書架の陰から、静かな声がかけられた。
「その家系図を熱心に調べるとは、珍しい学生さんだ」
ルナは驚きに体を硬直させ、振り返った。そこに立っていたのは、すらりとした長身の青年だった。彼は学院の制服を着ていたが、袖口には細かな刺繍が施されており、貴族の中でも特別な地位にあることを示していた。彼の髪は白金のような色で、瞳は水晶のように澄んだ青色をしていた。彼は、アレスとは全く異なる種類の、静かで知的なオーラを放っていた。
ルナは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
「し、失礼いたしました。私は、魔導史の講義の課題のために…」
青年はルナの答えに微笑んだ。その微笑みは、レオンハルトの自信満々なものとも、アレスの支配的なものとも異なり、ただ純粋な知的好奇心に満ちていた。
「魔導史の課題で、イシュタール公爵家の家系を調べるのか。それは面白い教授だね」
彼はルナの背後のノートに視線を向けた。ルナが慌ててノートを隠そうとすると、青年は静かに言った。
「隠さなくても大丈夫だ。その家系を調べたところで、君が何か政治的な企みを持っているとは思わない。それに、そのノートに僕の名前が書いてあるようだからね、ルナ」
ルナは愕然として顔を上げた。なぜこの青年が、自分の名前を知っているのか。
青年は優雅に一礼した。
「初めまして、ルナ。僕が、君が今調べているクリス・ド・イシュタールだ。古代言語学の勉強中に、君の魔力がこの古文書室へ入ってくるのが見えたから、つい興味を惹かれてね」
ルナは、自分の計画が、あっさり本人に察知されていたことに戦慄した。しかし、同時にこれは、最高の偶然でもあった。アレスの監視が最も薄い、古文書室で彼と接触できたのだ。
「クリス様…大変失礼いたしました」ルナは改めて深く頭を下げた。
クリスはルナを制した。
「構わない。僕の方が、秘密の研究を邪魔されたんだからね。それより、君はなぜイシュタール家の歴史に興味を持ったのか、教えてくれないか。君は、最近学院に入ってきた特待生だと聞いている。レオナルド殿下と親密なあの…」
クリスはルナの背景を知りながらも、アレスの名前を口にする時、他の貴族たちのような恐怖の色を微塵も見せなかった。彼の態度は、ルナが求めていた「王室の支配から遠い、自由な精神」そのものだった。
ルナは、彼が外交の第二の足がかりとなることを確信し、緊張しながらも正直に、自分の研究テーマを説明し始めた。




