女王候補と少年執事
これはただの夢なのだ、とルビー・メンディエタがすぐに気付いたのは、そこに会いたいと幾度も願った女性がいたからだ。
日の光を浴びてキラキラ光る、ふわふわと柔らかな金髪。珍しい緑と茶色のオッドアイ。少し垂れ気味の目元と、いつでも緩やかに微笑むような表情をした、やわらかな雰囲気のリリス姉さん。
夢の中でもそれはかわらなくて、ルビーの前で視線を合わせるためにしゃがみ込み、こてんと小首を傾げて微笑んでいる。
「ちいさなルビー、今日はなんだか元気がないのね。お日様はぽかぽかで、風も暖かくて、朝ご飯も美味しかったのに、どこかで嫌なことにぶつかってしまったのね?
大丈夫よ。お姉さんが守ってあげるからね」
リリス姉さんの声は外見と同じくふんわりしていて、話し方は歌うように緩やかで穏やかだ。ルビーは彼女が声を荒げているところを見たことがない。
自分の真っ黒い髪ときつい目つきとは真逆のその姿を、ルビーはいつもうらやましく思っていた。
夢の中のルビーは、リリスが女王選へ行ってしまった、そして眠ったままになってしまったあの日の子供に戻っている。だからいつこうして彼女の夢を見ても、おどおどと戸惑うか、弱々しく涙ぐむか、あるいは子供らしい支離滅裂な話し方で、行っちゃだめよと少しだけ駄々をこねるくらいしかできないのだ。
自分はどうしようもないくらいただの子供で、なんにもできなかった。あるいは、背ばかり伸びても本当の自分は今だって、痩せっぽちで頼りない小さな体で、姉さんにべったり甘えていた幼い心のままなのかもしれない。
そっと手を伸ばせば柔らかく包み込んでくれる、リリス姉さんの白くてきれいな手。施設の皆のための水仕事で荒れて、ひびやあかぎれがあるのに、それでもいつだって光が降り注いでいるみたいにきらきらして見えた。
その指先をきゅうっと掴みながら、ルビーの頭の中にはその美しい手ではなく、いまの本当のリリス姉さんの窶れ細った手が浮かんでいる。
綺麗だったリリス姉さん。優しくて軽やかな声、上品な仕草、甘く柔らかなその表情。一緒に居ると、洗いたての毛布に包まれるみたいに、心から安心できた。
それが今はもう遠く遠くにあることを、ルビーだってよく分かっている。
もうずっと長い間、本当には見ることができていない笑顔から今日も目をそらし、夢の中のまやかしの指先を縋るように握って、ルビーは姉さんの靴の先をじっと見つめた。
「……リリス姉さん」
しょぼくれた情けない声が、乾いた唇からこぼれ落ちる。
あのときルビーは、大好きな姉さんが女王様になったらもう会えない、なんて思って一人でいじけていた。優しくてどこか神秘的な雰囲気のあった姉さんを、ルビーは女王様にふさわしいと思っていたし、だから遠くへ行ってしまうのだと思い悩んでいたのだ。
頭上から降ってくる、なあに、というまろかやな声に励まされて、ルビーはもじもじと顔を上げた。
「あのね、リリス姉さんが女王様になっても、お手紙とか、送って良いのかしら。受け取ってもらえるのかしら……」
子供らしい悩み事はあの日口にした言葉のままで、ルビーはこれを夢だと自覚しながらも、いつも気恥ずかしくなる。
「まあ、もちろんだわ。わたしが女王様になるかは分からないけれど、ちいさなルビーからのお手紙はとっても楽しみね。女王様にならなくても、どうぞ送ってちょうだいな。庭のお花を押し花にして、二人でお手紙に添えましょう?」
楽しそうにそう言ってくれる姉さんに、ルビーは嬉しくて頬を赤くしながら頷く。リリス姉さんはいつも優しくて、子供と話すのが上手で、ルビーに限らず誰からも好かれていた。
当時の彼女の歳は十六か十七だったはずで、体だって小柄だったけれど、ルビーは未だにあのときの姉さんより今の自分のほうがもう年上だなんて信じられない。あの事件のことがなくたって、ルビーは女王選を前にして、あんなふうに落ち着いて過ごすなんてできそうにない。
何度もこうして夢の中で見るリリス姉さんの姿は、きっとルビーの憧れも反映しているのだろうとは思っている。思ってはいるけれど、それでもこれほどうつくしいひとなんて、きっと他にはいないと感じるのだ。
夢の中の小さなルビーはあの日をなぞり、リリス姉さんに花飾りを差し出す。真っ白な絹の端布で作られた小さな百合の花とリボンは、貧しい施設の皆で用意した、精一杯のお祝いであり、彼女が女王となり戻ってこない場合のための餞別でもあった。
「これ、みんなで縫ったのよ。わたしもよ。お守りだから、持っているときっと元気になるの」
そんな願いが通じなかったことをいまのルビーは知っているけれど、あの日のルビーも、リリス姉さんも、そんな無邪気な想いをきっと信じていた。
だからリリス姉さんは、夢の中でいつも、あの白い指先で大事そうに花飾りを包むように受け取って。
……そう、いつもなら受け取るはずなのに。
ルビーの前で微笑むリリスは、この日だけは、ルビーの頭を撫でるだけだった。
「かわいいルビー。ちいさなルビー。今日それが必要なのは、わたしではないのよ」
穏やかな声でそう言う彼女へ、どうしてと小さなルビーが声をかける前に、その瞳がぱちりと開いた。
穏やかな日差しの差し込む小部屋から一転して、いまルビーがいるのは、どうやら少々薄暗い部屋だ。積まれた木箱や雑多な荷物を見るに、物置かなにかだろう。
木の天井に石造りの床と壁。自分は床に座って壁に凭れている。細長い部屋の短辺に分厚そうな木の扉。その反対には明かり取りの小窓があった。扉の前では、つやつやの黒髪の少年が一人、様子をうかがうように耳をそばだてている。
その姿を目にしたところで、ルビーの意識は夢うつつから一気に覚醒した。そう、自分はいま女王選に来ていて、自分を推薦したフロラキス侯を自室から遠ざけるために、庭へ連れ出して……。
それで、そこからどうなったのだっけ?
不安になって身じろぐと、扉の前にいた少年、ヴォルフが振り向いた。ぱっと笑みを浮かべてこちらへ近づく少年を、リリスは立ち上がって迎える。どうやら体の調子は悪くない。
「ルビーさん! よかった、気がついたんですね!」
純粋な労りと喜びを表情に浮かべる善良な姿に、リリスも少し肩の力を抜いた。
「ええ。……たしか、そう、あの人と庭でお話をしていて、一度あの場を離れたのよね? お手洗いに行くフリをして、まだしばらくは時間を稼げそうだと貴方に伝えるために」
こうなる直前の記憶を思い返しながら首を傾げるルビーに、ヴォルフは眉の下がった困り顔で小さく頷く。
「はい。それで、フロラキス候の視界から隠れる位置に二人で下がりました。どうもそこで、我々はなんというか、襲撃されたのでしょう。気絶する瞬間に察知しましたが、おそらく眠りの魔法です。……申し訳ありません、みすみすこのような目に遭わせるなど……」
悔しげに声を絞り出すヴォルフの様子に、ルビーは少しうろたえて両手を軽く振った。そもそも彼の職業はただの執事のはずだ。護衛ではない。
「いえ、ちょっと、そんなに落ち込まなくても良いんじゃないかしら。女王選にまで連れてくるくらいだから、きっと相手は腕利きのスパイ? だとか、こう、なにかそういう特殊なお仕事の人なのだろうし……」
なるべく励まそうとするものの、ヴォルフの表情は晴れない。首を小さく横に振り、ますます肩を落としてしまった。
「はい、……もちろん、私は一介の執事であり、護衛としてライア様に仕える騎士の方々の技術には及ぶべくもありません。しかし、多少は魔術の心得があるからと、慢心しておりました。精進が足りず、お恥ずかしい……。
……いえ! いまは落ち込んでいる場合ではありませんでしたね」
どうやら本人なりに十分落ち込んで、そしてこちらの励ましには関係なく持ち直したらしい。良いことではあるが、ルビーからするとなんだか肩透かしを食らったような気分だ。顔を上げて両手でぐっと握り、部屋の中をきょろきょろと見回すヴォルフの姿は、真面目なのにどこか余裕があった。
今までは目立つライアばかりに気を取られていたせいか、ルビーは今までに、この少年執事の姿をまじまじと見たことがなかったのだと気がついた。
二十歳を過ぎたばかりの自身と比べて、歳は五つほどは下だろうか。幼く小柄な王子と比べれば大きく見えていたが、こうして目の前にすると、いつも落ち着いていた彼だって子供と呼んで差し支えない年齢だとわかる。
しかしながら、誰かに気絶させられ、こうして部屋に閉じ込められ、しかも本来守るべき主と引き離されているというのに、ヴォルフに焦りは見えない。だからどうにも頼りたいような気分になってしまうが、さすがにそれは大人としてみっともないような気がして、ルビーは一度気を引き締め直した。
「ここ……、多分同じ建物の中よね? 二階のどこかかしら」
「おそらくは。別の建物に連れて行くような余裕は、流石に相手にもなかったのでしょう」
ヴォルフの同意に頷き返しつつ、ルビーは少しつま先立ちになって、やや高い位置にあるはめ殺しの窓の向こうを見ようとした。しかし小さい窓からでは、中庭を挟んだ向かいの壁と窓が見えるばかりだ。ついでに今が日中であることも分かるけれど、あれから二人がどれくらいの時間気絶していたのかは分からない。
「……少なくとも、まだ女王選は終わっていないのでしょうね」
希望的観測ではあるものの、ルビーはそう言葉にして自分を鼓舞することにした。もしも女王選が終わってしまっていたとすれば、姿の見えない自分たちを探すことにそれなりの人手と時間を割いてくれるはずである。逆を言えば、助け出されていない今は、自助派も神官達もこちらにかまっている時間がないということだ。
女王選前に二人を探してくれそうなのは、フロラキス候と、ライア、カタリナ、クリスの四人だけだろう。しかしいまいち信用のおけない侯爵は、そもそも自分が消えても探してくれるのかも分からない。ルビーからすれば、ライアとカタリナとクリスは信用がおけるように思えるものの、女王選のライバルが減ることを本当に歓迎しないのかは、まだ分からなかった。
そう考えることは、一緒に閉じ込められてしまった少年に失礼なことだとは分かっている。だからつい伺うような視線を向けてしまったけれども、逆にヴォルフは疑うことを知らないような爽やかな笑顔を浮かべていた。
「ルビーさん、工具箱がありますよ! なにか脱出の役に立つものがあるかもしれません!」
そう報告し早速中身を物色する様子に、ルビーの内心を察するような様子は一つもない。
この少年からは、悪意や害意のような負の感情が、本当にひとかけらだって感じられないのだ。ルビーはそう直感して、一人緊張している自分がなにやら滑稽に思えた。
横に並んで工具箱の中を覗き込めば、小さな木槌やドライバー、鑿、ペンチなどの、どこにでもありそうな道具がいくつか入っている。
明かり取りの窓はガラスを割って綺麗に取り除いたところで、肩が通りそうにない大きさだし、そもそもここは二階だ。これらの工具を使って開けるなら扉だろう。もちろん鍵はかかっているに違いないが、蝶番を壊せば脱出できるはずだ。
そこまで考えたところで、ふと疑問に思ってルビーは首を傾げた。
「……ねえ、私達をここに閉じ込めた人は、どうして私達が動き回れるようにしておいたのかしら?」
「ああ、最初は縄で手足を縛られていましたよ。僕が魔法で切っておきました。もっとも、縄くらいなら切れても、頑丈な扉相手には役に立ちませんでしたが」
「そうだったの?」
反射的に自分の両手を見れば、たしかに袖に擦れたような跡があった。改めて部屋を見回せば、目覚めたときに座っていた場所の近くに、ロープの切れ端が纏めて片付けられている。
どうやらこの執事さんは、思っていたよりできることが多いらしい。それは了解したが、また別の疑問が浮かび上がる。
「思ったのだけれど、こういうものって一応、見張りを立てるものよね?」
「そうですね。扉の向こうに、僕達を浚ってきた人がいるかもしれません」
あっけらかんとそう言うヴォルフに、ルビーは目を丸くする。
「ちょ、ちょっと、それじゃあ私達が起きたのも脱出しようとしてるのも、バレてるんじゃないの!?」
「大丈夫ですよ。この館はどうも、物音を部屋の外に広げない魔法がかかっているようですから。こうして普通に話をする程度では、聞こえないはずです」
「そうなの? どうりで、随分静かだと思ってたのよ。
……そうじゃなくて! 扉を開けようとしたら、さすがに気付かれるかもしれないじゃない? もし無事に蝶番のネジを外しても、敵が外にいたら、また捕まってしまうわ!」
耳元で声を潜めてそう言いつのるルビーに、ヴォルフのほうは困ったような微笑を向ける。
「お任せください。僕が敵を引きつけますので、ルビー様はその隙にライア様やカタリナ様のお部屋までお逃げいただければと思います」
当然のようにそう言う少年に、ルビーは一瞬言葉を詰まらせた。
自分たちをここに閉じ込めた人間は、今のところ傷一つ負わせていない。しかし抵抗すればどうなるかは分からない。ヴォルフもそんなことは百も承知だろうに、柔らかく微笑むその瞳には、年相応の無鉄砲さや蛮勇は無縁だった。彼はただ自分の役目を全うする気でいるのだ。
「だめ、それはだめよ。別の手段を探さなくてはいけないわ。多少時間がかかっても、考えましょう」
「しかし、女王選に間に合わなければ、どんな理由があろうと棄権になってしまいます」
「それでもだめ! いい? 私は女王になるために、なにも犠牲にしたくないの。たしかに私は姉さんをあんな目に遭わせた奴を探すために意地でも女王になりたいけれど、そのために誰かが傷つくなんて我慢ならないわ。絶対に他の方法じゃないと承知できない」
鼻先が触れそうなほどの距離から真剣な瞳で見つめられて、ヴォルフは思わず一歩後ろに下がる。淑女とこの距離はたいへんまずい、なんて考えられる程度には、少年執事は冷静だった。だから、ルビーがどうあっても折れないだろうことは分かる。
今は何より早く脱出しなければいけない。説得に時間を費やすことを諦め、ヴォルフは頷いた。
「わかりました。それでは、別の方法での脱出を考えましょう」
とはいっても、この部屋の開口部は出入り口の扉一つだ。窓は小さすぎるし、石壁や分厚い木の床を壊せるような道具は、二人で手分けして部屋中の木箱を開けてみても入っていない。
自分で言い出したことながら、手詰まりになったルビーは天を仰いだ。そこでふと、視線を止める。
「……天井は? 二階なら、天井板を外せれば屋根裏に出られるんじゃないかしら」
ルビーが泊まった客室は天井を漆喰で塗られていたが、この物置は天井板を張っただけで、どうにかすればそこを剥がして脱出できそうに見える。
「それは良い考えですね! 二階には私達が泊まっている部屋があります。使用人用の控え室はここと同じで漆喰塗りではありませんから、きっとそこから降りれますよ」
ぱあっと輝くような笑顔を浮かべるヴォルフに提案を受け入れられるものの、そのすぐ後に、ルビーは肩を落として首を横に振った。
「……あ、でも、……ごめんなさい、無理かもしれないわ。ほら、あそこを見て。天井板はネジでとめられているようだから、こちらからなら開けられても、天井裏から天井板を剥がすのは難しいだろうし。使用人室まで行けたとしても、音を立てても、魔法の効果で消えてしまって、気付いてもらえないかも……」
話しながら次々懸念に思い当たって、声からどんどん元気が無くなってしまうルビーとは対照的に、ヴォルフは早速壁際の木箱を退けて脚立を用意した。
手にした古びたドライバーで、同じくらいに古びているネジをどうにか緩めながら、ヴォルフは変わらず爽やかに笑う。
「ひとまず、やってみましょう! この部屋の中にとどまるよりは、一歩前進するはずです!」
早速外された天井板を、ルビーは半信半疑に受け取った。言葉が見つからず、黙って受け取った天井板を床に置くルビーに、二枚目を渡しながら、ヴォルフは安心させるようににっこりと笑いかける。
「大丈夫ですよ。きっと気付いてくださいます」
「……そう、ね。貴方の言うことを信じるわ。貴方のほうが、あの三人とは長い付き合いなのだし」
細身の二人が通れる程度の穴を開けるのに、そう時間はかからない。ルビーは埃よけにと渡してもらった予備のシーツを被り、おそるおそる屋根裏へ上がる。
想像以上に狭くはあったが、幸い二人が梁の上を移動する程度の余裕はある。ヴォルフが灯した魔法の明かりを頼りに、二人は天井板を踏み抜かないようゆっくりと移動を始めた。落ちた先に敵陣営の誰かがいたら、マヌケどころの話ではない。
天井板の隙間から差し込む光はまばらで少なく、頼りにできるのは、二人の前を先導する小さな丸い光だけ。空気がよどんだ薄暗い空間は黙っていると息が詰まりそうで、そんな中でも、ヴォルフは時折ルビーのほうを見ては、励ますように微笑みを浮かべる。
この少年は、どうしてこんなに親切で、優しくて、勇気があるのだろう。ルビーの素朴な疑問は、自然と唇からこぼれ出た。
「……あなた、その、こういうことには慣れているの?」
その質問に、ヴォルフは少しだけ足を止め、きょとんと瞬きをする。
「ううん、そうですね。人より多少は慣れているかもしれません」
「どうして?」
「私の主であるライア様は、人助けを生き甲斐となさっているのです。なのでその過程で困難に直面されることも多く、私は側仕えとしてお役に立つべく努力をする必要がありました」
そうするのが当然だという言い振りだが、拐かされ監禁されても顔色一つ変えず同行者を気遣えるのは、十五やそこらの少年としては非常に特異なことだろう。
というか改めて思えばそもそもの話、それよりさらに幼いにも関わらず、当たり前のように女王選のなかで立ち回っているあの王子だって異常なのだ。
女神スフィアの加護を持つ少年と聞いているけれど、ルビーは自分が巫女王となったとき、果たしてあんな風に振る舞えるか、自信は無い。
女神フロルの巫女であり王でもあるこの国の女王は、神に仕え、国を統べる存在だ。多くの人間に傅かれながらも、その地位はこの国で一番ではない。グラキエスで最も尊いのは、女神フロルなのだから。
姉として慕う人のため、どんな重責も受け止めてみせる。と思ってはいても、いざその地位を全うできるのかと考えれば、さすがに心が少しは揺らいだ。
この少年なら、尊い誰かに仕える人間の覚悟というものを、知っているのだろうか。そして地位のある人間に求められる振る舞いというものを、近くで見ているのだろうか。
そんなことを出会って間もない相手に尋ねるのは不躾だとは思いつつ、ルビーは気持ちを抑えられなかった。
「あの……、貴方は人に仕えてその望みを叶えることを仕事にしていて、不安に思ったことはないの? どこかで自分が期待に応えられなくなったり、間違えてしまったり……、大勢の人に迷惑をかけたらどうしよう、とか……」
言ってから、ルビーは後悔する。こんな言い方では、まるで難癖を付けているようではないだろうか。
頼らざるを得ない状況だから気まずいことをしたくない、という以上に、優しい少年を傷つけたり不快にさせてしまうこと自体がとても罪深いことに思えるのだ。
幸いヴォルフは先ほどのようにきょとんとしただけで、気分を害した様子はない。薄暗い空気に溶け込むように、ルビーは安堵のため息を小さく零した。
「そうですね……。たしかに自分の力不足に忸怩たる思いをすることは、あります。けれど、僕はもう決めていますから」
「それは、その、生涯の仕事を?」
「少し違うかもしれません。なんと言ったら良いか……。そうですね……。
僕が知る限り、ライア様は昔からあのままなんです。もちろん日々成長はされていますが、根本的な部分は変わらない。まるで生まれる前からそういう形だったみたいに、いまのライア様として完成しているんです。
僕はそんな稀有な主にどう寄り添い、お役に立つべきなのかを小さい頃からずっと考えていました。あの方の求めるものを理解できるよう、今でも、いつも考えているんです。
あの方から助けを求められることがあれば、それがなんであれ、僕は叶えます。
たとえ自分の命を捨てろと言われようが、家族を殺せと言われようがです」
これまでと同じような微笑みを浮かべて口にするには凄絶すぎる覚悟に、ルビーは一瞬ひるんでしまう。けれど、質問をしたのは自分なのだ。答えにたじろいでいるようでは、きっと望みは叶えられない。
だからルビーはまっすぐにヴォルフを見つめた。
「そのために命をかけることも厭わないと?」
「命を? いいえ。
すべてをです」
端的な答えの中にある、自分にはまだ無い覚悟をありありと感じ、ルビーはそれを飲み下すようにこくりと喉を鳴らす。
「……そう、そうなのね。答えてくれて、ありがとう」
「いえ、このような答えでお役に立てたなら良いのですが……。あっ、見てください、あの光が漏れているあたりが、目的地ですよ!」
一足先に梁の上を進み、ヴォルフは天井板の節に空いた穴から下を覗き込んだ。そしてぱあっと花咲くような笑顔を浮かべ、ルビーを年相応の無邪気さで手招く。
「ライア様達がいらっしゃいます! この穴を通せば、ドライバーを渡せますね。細くてちょっと使いにくいのですけれど、そこが役に立ちそうです!」
話す間にも、隙間にドライバーがねじ込まれていく。ほんのかすかにではあるが、話し声も聞こえたような気がした。少し待っていれば、ヴォルフが物置でしたように、一枚ずつ天井板が剥がされていく。人一人通れる穴が出来上がる頃には、静寂の魔法越しにも、十分会話ができるようになった。
「さあ、二人とも、下りてきても大丈夫ですよ!」
ライアの声に頷いて下を見ると、どうやら室内の三人は使用人室のベッドを穴の下まで移動し、飛び降りるための安全確保までしてくれていたらしい。
「それでは、私が先に降りてみます。飛び降りるのがご不安でしたら、テーブルなどを移動させて、もっと高い足場をお作りしますね」
「大丈夫よ、私は淑女みたいな育ちじゃないもの。足腰は丈夫なの」
「これは失礼いたしました、無用な心配でしたね」
それでは、と天井の穴へ飛び降りたヴォルフは、すぐにベッドから退き、上を見上げる。大丈夫、というようにこちらへ手を振る王子と、無表情で深刻そうなカタリナ、おろおろと心配そうなクリスに、柔らか微笑みのヴォルフ。三人揃ってこちらを見つめる顔に、ルビーはできるだけ余裕たっぷりの笑顔を返した。
暢気に悩んでいられるような時間は少ない。ここを下り、女王選の場に出れば、するべきことはもう決まっている。
その決断までに、自分は覚悟を決めるべきなのだ。
ルビーは決意を新たにし、光の差し込む場所へと飛び降りた。




