第九十六話 跳弾
朝食後少し休憩してから、『牧羊神の寝床』の入口に向かう。
その途中で、昨日見た男たちとは違う『自由を目指す同盟』のメンバーとすれ違った。同盟のリーダーが目標貢献度を達成するのは明日だと聞いていたが、今日も『落陽の浜辺』に潜るのだろうか。
「彼らは『同盟』の下部のメンバーみたいだな。看板でわかったが、向こうが『落陽の浜辺』の入り口……ちょっと気になるな」
「アリヒト、昨日席を外していたとき、敵情視察をしてたの? 凄い度胸ね……」
「なりゆきでそうなっただけで、盗み聞きは基本的には良くないことだけどな。彼らは、今日じゃなくて明日の探索で、目標達成って言ってたんだが。休み無しに毎日潜るのは、メンバーの負担も大きそうだ」
「私たちもほぼ毎日ですけど、お兄ちゃんが一番疲れ気味でしたよ。でも今日はお肌がツヤツヤしてるような……はっ!」
「ルイーザさんに『指圧』をしてもらったんだ。同じ宿舎に住むことになったから、皆も希望があったら頼んでみるといい」
朝鏡を見た時にも思ったが、やはり俺の顔色はいいらしい。五十嵐さんが何か言いたそうにしていたが、やはり『どういう状況で指圧をされたか』が引っかかったのだろうか。
「ま、まあ、疲れが取れたみたいで良かったけど。ルイーザさんも機嫌が良かったし、同室でも大丈夫だったみたいね」
「テレジアさんもいますから大丈夫ですよー。テレジアさんは私たちのパーティの良心ですから」
当のテレジアは自分のことを言われていると気づかず、ひたひたと俺の左後ろに控えてついてくる。彼女なら俺と同室でも問題ないという信頼感が、徐々に仲間たちの中で浸透してきたようだ。逆に、テレジアが俺の監督役になっているとも言えるが。
「キョウカお姉さんは肩こりがひどそうですから、今日お願いしてみたらどうです?」
「言われると思ったけど、こっちに来てからそんなでもないのよ。やっぱり、座りっぱなしで仕事をするのが一番健康に良くないのよね。槍を振ってると健康になるみたい」
「色んな環境の迷宮を見ながら歩くだけで、癒やしになってる気はしますね。魔物との戦いも、普段使わない筋肉を動かしまくってる感がありますし」
「アリヒトさんは初めて見た時より、顔色がすごく良くなったと思います。魂から疲れている感じがしていましたから」
その疲れたサラリーマンとパーティを組むなどと、この内の何人が想像していただろう――一番今の状況を想像出来なかったのは、俺自身だが。
「魂から疲れてるなんて……今はもう大丈夫なのよね?」
「はい、随分元気になられました。私たちの中で一番元気なくらいです」
そう言われると何か気恥ずかしいが、元気なのは確かだ。皆を引っ張っていく――というより後ろからついていくわけだが、リーダーとしては誰よりもモチベーションは高くあるべきだと思う。
「あ、アリヒト兄さん、おはようございます!」
「アリヒト先生、今日は簡易キャンプの準備をしておきませんか? 二階層で『羊』を探すんですけど、どれくらい時間がかかるか分からないみたいなので」
カエデとイブキもよく寝られたようで元気そうだ。アンナは口に手を当てて欠伸をしており、リョーコさんはまだぼーっとしている。
「……あっ。すみません、早起きでお弁当を作っていたので、少しぼーっとしていて」
「リョーコは私たちのお母さんです」
「お、お母さんっていう歳じゃ……ほら、アトベさんに笑われちゃったでしょう」
「携帯食料だと味気ないですから、弁当を作るパーティって意外に多いんですかね」
「うちらは屋台でも買ったりするけど、なるべく朝とお昼は自分たちで用意してます。そのかわり、探索から帰ってきたときはほぼ外食やけど」
昼の弁当は良いとして、キャンプをするとしたら日持ちのする食料も必要となる。迷宮の中でも時間の経過があるとのことで、夜に備えて燃料も買っておいた――マドカの『荷運び』が最大限に発揮され、増えた荷物も負担にならずに運ぶことができる。
迷宮の内部に入ると、一階層は変わらず牧歌的な光景が広がっていた。昨日魔物を倒したところは素通りして、空を飛ぶフェイクビートルの視界に入らないように移動し、戦闘を避けて二階層の入り口までたどり着けた。
パーティ編成については、今回はマドカをフォーシーズンズに入れてもらうことにする。
別パーティになっても五十嵐さんとシオンに『支援攻撃』を使う機会は多くなるので、『アザーアシスト』を連発するよりも魔力の消費が少なくなる。前回の探索で分かったことだが、要所で別パーティを支援すべき場面が出てくるので、『アザーアシスト』を連発するとおそらく魔力切れを招くことになる。
しばらく起伏のある草原を進んでいくと、丘の上に2つの石柱が佇んでいた。その間をくぐると、二階層に転移する――心なしか雲の流れが早く、風景こそあまり変わらないが、何か入った瞬間から緊張感を覚える。
「……と、早速何か出てきたな。あれは……」
「っ……アリヒト、あれが『羊』の仲間です!」
アンナが興奮気味に声を上げる。二階層に入って、いきなりの遭遇――ワタダマに似た姿をした、一回り大きな綿毛の塊。違うのは、角らしきものが生えていることだ。
◆遭遇した魔物◆
・ストレイシープA:レベル1 警戒 ドロップ:???
・ストレイシープB:レベル1 警戒 ドロップ:???
・ストレイシープC:レベル1 警戒 ドロップ:???
(ストレイシープ……迷える羊? レベル1って一体……)
「アリヒト、向こうにも……っ」
「ちょ、ちょっと戦いにくくないですか? 何か、見るからにかわいいんですけど」
「う、うん……私も、あの子を弓で撃ったりするのは……」
ミサキとスズナは戦うことをためらっている――だがフォーシーズンズは、アンナの武器を強化するため、羊の素材を求めている。
ここにきてレベル1というのがどうにも引っかかる。ワタダマは凶悪な顔をしていたが、今回のストレイシープは『鷹の眼』で観察してみても、目がつぶらでぬいぐるみのように可愛らしい。
「アンナ、あれがラケットの素材になるっていう『羊』なのか?」
「いえ、『ストレイシープ』はすぐに逃げてしまいます。もっとレベルの高い、同じ系統の魔物がいるという話なんですが……捕まえる方法を調べて、そのうちひとつを用意してきました」
「あ……逃げていってしもた。あの子らは無害なんですけど、狙った魔物が出てくるまで、別の魔物が出てきて大変なんです」
「ストレイシープは、他の魔物に食べられちゃってるみたいで……かわいそうですけど、それで迷宮の生態系ができてるっていうことでもあるんですよね、きっと」
イブキも可愛いものには弱いらしく、勇ましい空手家の顔とは違う表情を見せている。五十嵐さんはモフモフ好きなので、戦うことにならなくて胸を撫で下ろしていた。
レベルが低い魔物ということは倒しても得られる貢献度は低いと考えられるし、狙って罠にかけられないのなら狩る効率も低いということだ。
しかし、それを差し引いても『羊』系の魔物は狙う価値があるのか、他のパーティの姿が遠くに見える。
そうすると、他のパーティと被らないように罠を仕掛けるところを探さなくてはいけない。場所探しに集中したいが、どうやら簡単にはいかないようだ。
テレジアの索敵範囲に別の魔物が現れる。いかにも羊を狙いそうな、狼型の魔物――一番前に出ているシオンが威嚇するように喉を鳴らす。
◆遭遇した魔物◆
・エアロウルフA:レベル5 戦闘中 ドロップ:???
・エアロウルフB:レベル5 戦闘中 ドロップ:???
・エアロウルフC:レベル5 戦闘中 ドロップ:???
「羊も狼も、群れの魔物ってことか……」
「私たちの視線を引きつけているのは一体だけど、丘の向こう側から迂回してこちらに近づいてきている狼が二体いる。人数が多い私たちが二匹の方を請け負いましょう」
エリーティアの提案に従い、2つのパーティで敵を迎え撃つ。俺たちが迂回してくる狼に備えている間に、遠吠えを上げた狼が、フォーシーズンズの前衛を務めるカエデに向けて突進してきた。
「――シオン、『カバーリング』を頼む!」
「ワォォーンッ!」
エアロウルフが駆け出すと同時に、シオンは疾走していた――前回と同じように、五十嵐さんとシオンがフォーシーズンズに加勢し、バランスを取る。そうすると何がいいかと言えば、『アザーアシスト』で魔力を消耗することなく、シオンに『支援防御』をかけることができる。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援防御1』を発動 → 対象:『シオン』
・『シオン』が『カバーリング』を発動 → 対象:『カエデ』
・『エアロウルフA』が『エアロチャージ』を発動 → 対象:『シオン』 ノーダメージ
「シオンちゃんっ、ありがとう……!」
「ワォンッ!」
シオンの前に生じた防御壁が、完全にダメージをゼロにする。庇われたカエデ、そしてシオンに追従していた五十嵐さんが、反撃に出るシオンと攻撃のタイミングを合わせた。
「――シオン! 『火柘榴石』の力を使ってみてくれ!」
「カエデちゃん、シオンちゃんに合わせて行くわよ!」
「了解っ!」
俺の発動した『鷹の眼』が、ひるんだエアロウルフの周囲を風が取り巻くところを捉える――それを見て、シオンにも同じように属性攻撃ができるようになったことを思い出し、すかさず指示を出す。
シオンの前足につけられたアンクレットが赤い輝きを放つ。そして繰り出された爪の一撃が、赤い残像を残す。
「――グルルァァァッ!!」
◆現在の状況◆
・『シオン』が『ヒートクロー』を発動 → 『エアロウルフA』の『エアロシールド』を相殺 支援ダメージ12
・『キョウカ』が『ダブルアタック』を発動
・『エアロウルフA』に1段目が命中 支援ダメージ12
・『エアロウルフA』に2段目が命中 支援ダメージ12
『エルミネイト・マウント・ブーツ』を装備したために、支援効果が少し大きくなっている――しかし、シオンと五十嵐さんの連撃に強化された支援ダメージを三段重ねても倒し切るところまではいかなかった。
「もうひと押しっ……!」
「――カエデ、まだっ……!」
カエデの後ろからイブキが警告する――連撃を受けたエアロウルフは倒れることなく、その目が飢えた獣の輝きを宿す。
だが、カエデはそうなることを読んでいたかのように、最後の反撃を試みるエアロウルフと交錯する。
「――はぁぁぁぁっ!」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援攻撃1』『アザーアシスト』を発動
・『エアロウルフA』が『道連れの牙』を発動
・『カエデ』が『切り返し』を発動 → 『エアロウルフA』にカウンター 支援ダメージ12
・『エアロウルフ』を1体討伐
狼が攻撃を繰り出したあと、それを受ける前に返すことができるカウンター。瞬きをすれば見逃してしまいそうなほどの速さだ――見事と言うほかない。
挟撃の試みをあっけなく崩されたエアロウルフ二体は、それでも逃げることなくこちらに向かってくる。
だが――彼らにとって絶対外すことのできないはずの一撃は、あえて自分から前に出ているテレジアに向けて繰り出され、思いきり空を切った。
◆現在の状況◆
・『テレジア』が『蜃気楼』を発動
・『エアロウルフB』の攻撃が失敗
・『エアロウルフC』の攻撃が失敗
・『テレジア』の『蜃気楼』が解除
『陽炎石』をはめ込んだ円盾によって、テレジアは敵の目をくらます蜃気楼を発生させていた――二度攻撃を受けただけで消えてしまったが、攻撃をすかされたエアロウルフたちが戸惑った一瞬を、エリーティアは決して見逃さない。
そして俺は、彼女の攻撃に『支援攻撃2』を乗せる――試すのは、装着したばかりの魔石を使った攻撃だ。
(『跳飛石』の効果を発動した魔力弾……どんな弾道で飛ぶのか、一度見ておきたい……!)
「――幻と踊り、果てなさい」
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『支援攻撃2』を発動 → 支援内容:『フォースシュート・バウンス』
・『エリーティア』が『ブレードロンド』を発動
・『エアロウルフB』に2段命中
・『エアロウルフC』に2段命中
・『支援攻撃2』の効果により『フォースシュート』が跳弾
・『エアロウルフB』『エアロウルフC』の間で『フォースシュート』が3回バウンド
・『エアロウルフ』を2体討伐
「ギャウゥンッ……!」
エリーティアの繰り出した剣舞が、飛びかかるエアロウルフを弾き飛ばす――そして、その二体に命中した魔力弾が跳ねて、二体の間で何度か反射する。
吹き飛んだエアロウルフ二体を見て、みんな目を丸くしていた。俺とエリーティアも含めてだ。
「っ……こ、こんな……アリヒト、一体何をしたの……?」
「ほぁぁ……な、何だか凄いことになってましたよ? 怖い感じだった狼が、ビシバシやられて飛んでっちゃいましたけど」
ミサキにはそう見えたようだが、俺自身は一体何が起こったのか、辛うじて把握することはできた――エリーティアの攻撃回数が『早業のガントレット』によって上昇し、攻撃回数が増えた分だけ俺の魔力弾が支援攻撃として重ねられ、それが近い位置にいた二体の魔物の間で跳弾し、連続でダメージを与えたのだ。
「っ……『バウンス』は、思った以上に消耗が大きいな……」
「アリヒトさんっ……大丈夫ですか。凄い技でしたが、初めての技を使うときは、気をつけた方がよさそうですね」
ふらついた俺を、近くにいたスズナが支えてくれる。何とか気を取り直すが、確かにスズナの言う通り、新しい魔石のリスクをもう少し考えるべきだった。
「アリヒトお兄さん、何かポーションをお出ししますっ……!」
「貴重なものだから、節約したいところだが……すまない、魔力のポーションをもらえるかな」
『隠れる』を解除して駆け寄ってきたマドカが、背負っているバックパックからポーションを取り出して渡してくれる。二口ほど飲むだけでかなり回復したので、マドカに瓶を預かってもらう。
「……あっ、そうか。ごめん、俺だけ回復して。みんなも消耗してるのに」
「それはいいんだけど……一度栓を開けたポーションは、劣化が早くなるから。飲み残しは、できるだけしないほうがいいわ」
エリーティアの言葉が何を意味するか――俺が飲んだポーションを、今の戦闘で消耗した皆も飲むということで。
「ど、どうぞっ……エリーティアさん」
「わ、私は別に催促したわけじゃないんだけど……キョウカ、お先にどうぞ」
「え、ええと、ダブルアタックはそこまで消耗が大きくないから、一番強力な技を使ったエリーからがいいと思うわ」
「まあまあ、遠慮せずに。せっかくだから飲んじゃった方がいいですよ、まだ魔物はやってきそうですし」
「……うちも貰ってもいいですか? ポーションってなかなか売ってへんから、どういう味か確かめてみたくて」
みんなかしましく順番決めをしたあと、一口ずつポーションを飲む。回復のために回し飲みは必要なことなのだと分かっているが、見ていると落ち着かない。
「最後はシオンちゃんに……ふふっ、可愛い」
五十嵐さんは手にポーションの液体を載せて、シオンに舐めさせる。それで一瓶がちょうど空になったが、瓶は貴重なので持って帰って再利用するそうだった。
「さて、お兄ちゃんの初々しい反応も観察できたので、キャンプするところを探しません? ここを野営地とする! って一度言ってみたかったんですよねー」
「何を見てるんだ、何を……アンナ、罠を仕掛けたあと、それをキャンプして見張るとかそういうことか?」
「はい。何箇所か罠の設置場所を探して、手分けをして監視したいのですが……ご協力をお願いしても良いですか?」
「この迷宮がまだ全部攻略されてないのなら、あの『ストレイシープ』を捕まえれば、攻略に必要なことが何かわかるかもしれない……なんて、ちょっと考えすぎかしら」
五十嵐さんは謙遜するが、その可能性は大いにある。そうなると、エアロウルフが罠にかかって時間を無駄にするということは避けたい。
だが、どこに罠を設置すれば、目的の羊系の魔物が引っかかるのか。ひとまず二階層全体を探索するしかないかと考えたとき、テレジアが歩き出した。
「…………」
「……テレジア、どうした?」
テレジアは答えず、俺たちがついてくるのを待っている。俺たちには分からない彼女の感覚で、罠を仕掛けるべき場所を察知しているのだろうか。
先導するテレジアの後についていくと、丘を登った向こうに、泉のようなものが見えた――今まで樹木はほとんど生えていなかったが、その泉の近くだけは青々とした葉をつけた木が生えている。
確かに、あの水場には何かありそうだ。泉の近くを跳ねていたストレイシープたちは、俺たちに気付くなり姿を消してしまう――相変わらず愛らしい容姿だが、だからといって油断はできない。
この迷宮に、なぜレベル1の魔物がいるのか。その謎を解くことができたら、何かが起こる――そんな予感がしていた。




