第九十五話 朝の風景
テレジアはやはり俺に眠っているところを見せず、寝落ちした後に目覚めると、彼女が俺を起こしてくれるところだった。
「アトベ様、おはようございます。すみません、今日はギルドの朝礼がありますので、早めに出させていただきますね」
「あ……お、おはようございます、ルイーザさん。二日酔いとかは大丈夫ですか?」
「はい、おかげさまで……あ、あの、アトベ様。私は正式なパーティの一員ではありませんので、本来なら、別の宿舎で生活しなくてはいけないのですが……」
ルイーザさんの言わんとするところを察して、寝ぼけた頭が一気に冴える。
正直を言うと、俺は彼女の『指圧』が病みつきになってしまっている。デスクワークで凝り固まった身体を整体に通ってたまにほぐしてもらうことも、会社員時代の癒やしの一つだった――彼女の技術は、プロの整体師にも匹敵している。体力・魔力ともに充実していて、まだ慣れない寝床でも完全に回復できた。
そんな理由で、彼女が同じ宿舎で生活してくれるとありがたい――というのは、あまりに都合が良すぎるだろうか。同室で就寝していたというだけでも、普通に考えて僥倖と受け取るべき出来事なのだが。
「……やはり、ご迷惑になりますよね。昨夜は特別にお許しいただきましたが、別の宿舎に移れるように申請を……」
「いや、全然迷惑じゃないですよ。むしろ、今後もルイーザさんが担当してくれて、上の区に一緒に移っていくんだとしたら、ルイーザさんも一緒に……その、生活した方が、安心できると思いますし」
『一緒の宿舎で暮らそう』というようなニュアンスのことを言うのは、やはり勇気が必要だ。だが、彼女自身が希望している素振りを見せてくれているのに、遠慮していては誰も幸せにならない。
「宿舎については、良かったらこのままこの家を使ってください。ギルドから借りてる俺が言うことでもないですが……」
「い、いえ。この家の借り主として、アトベ様のお名前が登録されていますので……この家で生活するには、原則として主人の方の許可が必要となります」
「じゃあ……俺が、許可を出させてもらいます。ここに居てくれませんか、ルイーザさん」
「っ……は、はい……アトベ様……身に余る光栄です、そんなふうに言っていただけて……私、担当官としてもっとお役に立てるように頑張ります」
胸に手を当て、ルイーザさんは目を潤ませて言う。最近彼女と話していると、こんなふうに良い雰囲気になることが多いのだが――テレジアがいることを忘れてはいけない。
「あ、あら……テレジアさん、どうしたんですか? ベッドに潜り込んでしまって」
「…………」
毛布からテレジアの尻尾だけが出ている――邪魔をしないように、ということなのだろうか。今のは確かに、俺が無神経すぎた。
「テレジア、そろそろ食事の準備が始まってるから下に行こう。着替えるまで待っててくれるか」
「…………」
食事という言葉に反応して、尻尾が少し動く。そんなテレジアの姿を見て、ルイーザさんは微笑ましそうにしていた。
「アトベ様は、本当によくテレジアさんの気持ちがお分かりになるのですね」
「そうだといいな、とは思ってるんですが……テレジア、ちゃんと寝てたか? 俺が寝たあとは自分も寝ないと駄目だぞ」
「…………」
テレジアは毛布の中でもぞもぞと向きを変えると、顔だけ出してこちらを見る。寝たのか寝てないのかは分からないが――その仕草には何とも言えず愛嬌があって、野暮なことを言う気をなくしてしまった。
そういえば、夜中のうちに誰かがベッドに入ってきたような気がする。しかしルイーザさんの酔いは覚めていたし、他の仲間たちがそんなことをするとは思えないので、やはり夢でも見ていたようだ。
◆◇◆
ルイーザさんは明日は朝食を一緒に取ると約束すると、宣言通りに早めに出勤していった。
俺たちの宿舎から近くにある通りでは、食料品の朝市が開かれている。『調理1』の技能を取ったメリッサを中心として、朝に強いメンバーが買い出しに出てくれたとのことで、
俺がテレジアと一緒に降りてきたときには、パンの焼ける香ばしい匂いがしていた。
「アリヒトさん、おはようございます」
「おはよう。焼きたてのパンがあったから買ってきた。アリヒトは三つくらい食べる?」
エプロンを着けたスズナが、スープの入った鍋を食卓に運んでいく。キッチンにはメリッサがいて、俺を見るなりパンをトレイに載せてこちらに出てきた。
「おお……何か、いかにもって感じの丸パンだな」
「見た目は硬そうだけど、スライスして食べるから、中の白いところは柔らかい」
「メリッサさんは、パンを切るナイフを持ってきてくれていたんですよ」
スズナは朝に強いらしく、かなり元気だ――というか、メリッサ、スズナ、マドカの三人は朝に強いが、ほかは軒並み弱めである。特に五十嵐さんは低血圧なので、朝はスイッチが入るまで時間がかかるそうだった。
「くんくん……香ばしいパンの匂いが……ふぁー! スズちゃんがエプロン着けてる!」
「おはよう、ミサキちゃん」
「ああびっくりした、お兄ちゃんとエプロンのスズちゃんが一緒だと、スズちゃんの新妻感が引き出されちゃってまじ卍っていうか」
「言いたいだけだろ、それ……どういう意味なんだ」
ミサキは笑ってごまかすと、手伝おうとキッチンを覗くが、何か悟ったような顔になって戻ってくると、自分の席についた。
「お兄ちゃん、立ってるとみんなの足を引っ張っちゃうから、私の隣に座りません?」
「家事は苦手なのか……まあ、イメージ通りだけど」
「お当番の日が来たら本気出しますよー。めっちゃ長いかつら剥きとかしますし」
「ミサキちゃん、かつら剥きをするようなお野菜は朝市には売ってなかったよ?」
「そっかー、それじゃしょうがない。じゃあハンバーグの空気を抜く技を代わりに見せますね。なぜか焼くと爆発するんですけど」
ミサキに料理はさせない方が良さそうだ、とはあえて言わずにおいた。家事はなるべく分担すべきなので、できないなら教えた方が良いからだ。
「俺と一緒に当番になったら、まず鍋を見守る仕事から始めてもらうぞ」
「お兄ちゃんと二人きりの調理実習……お兄ちゃんったら、スズちゃんのことも食べてしまいたい、なんて言っちゃったりして」
「っ……ア、アリヒトさんは、そんなこと……言わない……ですか?」
「ま、まあ……今のところは、俺が言わなさそうな台詞ではあるけどな」
転生前だと、施設の子供たちを除けばこれほど歳の離れた子たちと冗談を交えて話す機会など無かったので、ジョークの加減がわからない。
俺がそんなこと言うわけないだろ、と一笑に付すことはできるが、年頃の女の子の場合、全否定も良くないような気がする。気にしすぎなのだろうか。
「お兄ちゃんならいつでもキメ顔で言っていいですよ。スズちゃんもそうですけど、キョウカお姉さんだって待ってると思いますし」
「俺にどういうキャラを求めてるんだ……ほら、遊んでないで配膳を手伝うぞ」
「「はーい」」
何とか話を切り上げると、ミサキは素直に言うことを聞いてくれる。それだけで実は良い子なんだよなと思ってしまうあたり、感心させられる。
俺も手伝いをしようと台所に入ると、メリッサがローストチキンらしきものを切り分けていた。マドカが鍋で作っている果実を使ったソースをかけて食べるようだ。
「パンで挟んでも美味しい。この『ローリィリーフ』と他の野菜も、お好みで挟めるように準備した」
「なるほどな……そのジュースは?」
「『アイスキャロット』をすりおろして、果物のジュースと混ぜました。スムージーみたいになって美味しいですよ」
マドカに差し出されたジュースで喉を潤す――ライセンスを見ていると『氷結属性値』がわずかに上昇するようだと分かった。風邪で熱が出た時にも効きそうだ。
(『氷結石』みたいなものもあるんだろうな。五十嵐さんの『エーテルアイス』にも関わる数値か……状態異常だけじゃなく、属性防御が大事になる局面も出てくるかな)
「あっ……お兄さん、『アイスキャロット』っていうのは魔物の名前なんですけど、大丈夫でしたか?」
「ん……そうか。味はキリッとした人参ジュースって感じで、美味しいから問題ないな」
「アリヒトは好き嫌いが少ない。父さんは野菜が苦手だったから、見習わせたい」
「一応言っておくと、セロリだけは少し苦手だな。洋風のスープを作ったりとか、そういう時に香味野菜として使うのはいいんだが」
「アリヒトお兄さんはご自分でもお料理をされるんですか? 大人の男の人ってすごいです」
社会人の一人暮らしの自炊率はどれくらいなのだろう。たまに料理をするくらいなら、だいたいの人は経験があるのではないだろうか。
そんなことを考えていると、またライセンスに新たな表示がされた――持っているだけで自然に分かるのだが、魔力の作用なのだろう。
◆現在の状況◆
・『メリッサ』が『調理1』を発動 → 『アリヒト』の最大体力が一時的に上昇
「おお……凄いな。メリッサが料理を取り仕切ってくれるときは、一時的に能力が上がることがあるみたいだ」
「……分かった。料理は好きだから、なるべく毎日参加をする」
「ありがとう、メリッサ。基本的には当番通りでいいからな。マドカも今日は当番じゃないのに偉いな、手伝ってくれて」
「っ……い、いえっ、あの、その、私もメリッサさんと同じで、早起きが習慣だったので……戦いではお役に立てないので、その分お手伝いを頑張りたいなと思って……」
分かってはいたことだが、マドカは健気すぎる。八番区で商人をしているときも随分と苦労したのだろうが、それでも彼女には世間擦れしてしまったりということが全くない。
「みんなが早起きして頑張ってる時に、寝起きが良くないとか言い訳してる場合じゃないわね……何とかしないと」
「おはようございます、五十嵐さん。でも、会社にいたころは朝から常に完璧でしたよね」
「ま、まあそれはね……社会人として恥ずかしいところは見せられないし。今のところエリーが一番良く寝られてるみたいね。ずっと寝不足だったみたいだから良かったわ」
俺たちのパーティに加わったことで、エリーティアの心が和らいでいるのなら、嬉しいという以外の何物でもない。
一番最後に起きてきたエリーティアは恥ずかしそうにしていたが、俺たちが笑うと釣られるようにして笑った。一度探索に出れば気を緩められないので、宿舎にいるときくらいは和やかに過ごしたいものだ。
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