第九十ニ話 受付嬢の前歴
寝室のドアをノックするとテレジアが中から開けてくれた。先ほどルイーザさんを運んできたときに確かめてはいたが、三つのベッドの間にチェストを置くくらいの余裕はあり、室内は魔力で点くカンテラの暖色の明かりに照らされている。
しかし、今後もルイーザさんが一緒に寝泊まりするということでいいのだろうか。同じ形のスイートテラスを一人で使うことは考えにくいし、他のギルド職員と一緒に共用するというような話も聞いていない。
いつもしっかりしているルイーザさんが完全に潰れてしまっているのは、やはり気疲れもあるのだろうか。そう思うと、ゆっくり寝かせてあげたいところだが――。
「…………」
テレジアは既に入浴の準備を終えている。彼女のベッドの上には、身体を拭くための大きめのタオルと、布の袋がある。おそらく、その袋の中身が水着だろう。
「いっそ俺も水着を用意してれば、問題はなくなるか……え?」
彼女はふるふると首を振る。それが意図するところを考え、俺は何とはなしに類推する。
「……水着を着て入るとさっぱりできないから、着ない方がいいとか?」
「…………」
「そ、それはテレジアも同じなんじゃ……やっぱり申し訳ないぞ、それは。いいかテレジア、普通は俺みたいないい年の男と風呂に入っちゃだめなんだぞ。これまではその、特例としてだな……」
俺の説得もむなしく、彼女は全く聞く耳を持たずに、俺の分のタオルを渡してきた。そして俺の後ろに回ると、控えめに押してくる――浴室に誘導しようというのか。
「わ、分かった。ルイーザさんはまだ寝てるみたいだしな……起きてたら、テレジアと一緒に入ってもらったんだけど」
「…………」
「あっ……ご、ごめんテレジア。一緒に入りたくないわけじゃないんだ、いい年して情けないこと言ってるとは思うんだが……」
テレジアが押す力がだんだん強まってくる――何だかんだでリザードマンなので、小柄なのに力が強く、まったく抵抗できない。『後衛』の弱みをこんなところで改めて実感することになろうとは。
「うーん……」
「っ……テ、テレジア。ちょっと待ってくれるか、ルイーザさんが寝苦しそうだから」
テレジアは押すのをやめて待っていてくれる。俺は感謝しつつ、ベッドで寝ているルイーザさんに近づきかけて、彼女の寝姿を目の当たりにした。
「……うぅ……」
顔が真っ赤になっているルイーザさん――そんなにキツい酒だったのだろうか。同じものを二杯もお代わりしていたのだが、相当強いから大丈夫だろうと思って、彼女のペースに任せてしまった。
しかしそれよりも、大きな問題は――仰向けになって毛布を跳ね除けたルイーザさんの姿が極めて無防備だということだった。
(お、思ってはいたけど……この服、もっと胸元をしっかりカバーしないと、ふとした拍子に危険なことになるんじゃ……)
今まさに危険な状態なのだが、心を無にして毛布をかけようとする。しかしルイーザさんは暑いらしく、自分で再び剥いでしまった。
そして、もぞもぞと俺に背を向けてしまった。背中が全然カバーできていないが、また毛布をかけようとしても自分で剥いでしまうだろう。しかしこのまま放置すると、寝冷えして風邪を引いてしまうかもしれない。
ポーション全般が上位の区で多く消費され、高値で取り引きされるので、酔い覚ましの薬なども簡単には手に入らない。治癒師に治療してもらうにも、この時間に家まで来てもらうのは現実的ではないだろう――ならば。
「テレジア、少し待っててくれるか。ルイーザさんをこのままにしておくと心配だから」
「…………」
こくりと頷いて、テレジアは自分のベッドに座る。そして、俺が何をしようとしているのかと見守っていた。
今のように、意識が不明瞭になるほど泥酔するというのも、身体に少なからずダメージがあると考えられる。俺の『支援』で酩酊を回復することはできないが、体力を回復することで、ルイーザさんの酔い覚ましの助けにならないだろうか。
パーティメンバーではないルイーザさんも、今の俺は技能の対象とすることができる――そう、『アザーアシスト』で。
◆現在の状況◆
・『アリヒト』が『アザーアシスト』を発動
・『アリヒト』が『支援回復1』を発動 → 対象:ルイーザ
三十秒に一回なので、技能を発動させてしばらく待つ――体力が全快ならば、回復されたという表示は出ない。酩酊状態で体力が減っているということはあるのか、これで検証することができる。
――しかし、ちょうど三十秒が経過したときのことだった。俺に背中を向けて眠っているルイーザさんの身体が、淡い緑色の光に覆われる。
◆現在の状況◆
・『ルイーザ』の体力が回復
(……5ポイント回復するはずなのに、全回復じゃない? そ、そんなにまずい状態だったのか……?)
「……すー……すー……」
目に見えて寝息が穏やかになる。俺も入社したての時、酒の飲み比べに参加させられて一度だけ大変なことになったことがあるが、急な飲み過ぎは命に関わると再確認させられた。
「……ルイーザさん、次からはゆっくり、きつくない酒を飲みましょう」
話しかけても返事はないと分かっているが、俺は彼女の体力が全回復するまでテレジアに待ってもらい、『支援回復』を発動させ続けた。時間こそかかるが、魔力の消耗が少ないのが俺の回復技能の良いところだ。
◆◇◆
先に風呂に入っていた皆の感想も上々だったが、やはりテレジアがついてくる件についてはみんな顔を赤らめていた。俺も恥ずかしいが、当のテレジアはなぜか、こんな時だけは全く赤くならない。
テレジアには一旦脱衣所の外で待っていてもらい、俺が先に入ることにした。あまり意識しすぎても何なので、まず湯加減を確かめるため、木桶に湯を汲んでみる。
「……少しぬるいが、ちょうどいいか」
テレジアがのぼせる事態だけは避けなくてはいけないので、湯の温度には気を配る。俺は熱くても温くてもあまり気にしないので、テレジアに合わせることに問題はない。
(リザードマンって、水辺とか湿地にいそうなイメージだしな……)
俺たちはテレジアが戦った蜥蜴の魔物とは遭遇していない。足を踏み入れなかった迷宮に生息していたのだろうか、と思いはする。
テレジアの所持品を持っている魔物がいて、まだ倒されずに生きていたら――と思うが、かつて自分の命を奪った魔物を相対したときのテレジアの気持ちを思うと、遭遇しなかったことは逆に幸いだったのかもしれない。
それとも、テレジアは自分を倒した魔物を自らの手で倒したいと考えていたりするのだろうか。彼女の気持ちをある程度理解できるようになったと思いはしても、全てを悟ることは到底できない。
『蔓草の傀儡師』と戦った時に見た、いわば精神体のテレジアにさえ、蜥蜴の尾が生えていた。亜人となれば、精神までが魔物の影響を受けてしまう――それを目にして、なおさら急がなくてはと思うようになった。
その時、浴室の扉が開いた。思わず顔が険しくなっていたと自覚し、俺は頬を叩く。
「テレジア、ちゃんと水着は自分で着られて……」
「…………」
言葉が途切れたのは、テレジアの姿を見て思考が止まったからだった。
蜥蜴の着ぐるみのようなフードで顔はやはり見えないが、前世でも滅多に見なかったような縞柄の三角形の水着を身につけ、テレジアがこちらに歩いてくる。
彼女の身体には蜥蜴の鱗に覆われている部分はあるのだが、白い肌の面積が予想以上に大きく、ビキニを着ているといっても目の遣り場に困ってしまう。最初は何も着ないで入ってきたのだから、偉大な進歩ではあるのだが。
「…………」
「ん? あ、ああ……背中を流してくれるのか。毎回すまないな」
テレジアは俺からタオルを受け取ると、石鹸を泡立てて背中を流してくれる。何も言わなくても力加減をしてくれていて、任せていて何も問題はなかった。
背中と腕だけはテレジアに流してもらったので、そこからは自分でやることにする。テレジアもそれは分かってくれて、自分の身体を洗い始める――彼女はなぜか椅子に座らず、床に膝をついているが、どうやら膝が鱗に覆われているので痛くないらしい。
あまり見ていてはいけないので、俺は自分の頭を洗い始める。順番がいつもとは逆だが、
絶対に決まったルーティーンを守らなくてはいけないわけではない――と考えたところで。
「……ん? テレジア、今ドアが……」
開かなかったか、と言う前に、俺は理解する。俺とテレジア以外に、もう一人が入ってきたのだということを。
「……アトベ様。先ほどは、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません」
「――!?」
頭の中にあった語彙が全て吹き飛ぶ。テレジアが入りたがるのは分かる、だが彼女とはまだ、風呂に一緒に入る関係性では――いや、そこまで進展するには普通は万里の道のりが必要であり、それでも一生混浴しないのが普通のはずだ。
「その……皆さん、お風呂からもう上がっていらして、お部屋に戻られたようでしたので……できるなら、アトベ様とテレジア様の他に、もう一人一緒に入浴した方が、というお話もございましたし……」
説明をされているうちに、事情は何となく理解した。すなわち、五十嵐さんとエリーティアが『気になるから』と、俺を監視するための行動を取ったことと同じというわけだ。
(い、いや、それでもこんな行動に出るものなのか……?)
「……お二人の方がよろしかったですか? それでしたら、私……」
「い、いや、今から戻るのは……その、何というかですね……ル、ルイーザさんが元気になってくれて、本当に良かったと思ってはいて……」
「はい。アトベ様が看病をしてくださったからだと思います……自分でも情けないですが、思ったより悪酔いしてしまって。ですが、先ほどアトベ様が優しく声をかけてくださったのを覚えています。目が覚めてからは、身体が元気になっていて……」
そう言われて、俺はやっと理解する――彼女がこんな大胆な行動に踏み切った理由として、俺のしたことが関係していることに。
(寝ている間に『支援回復』したから……なのか? 全回復するまでの、たった一分くらいのことなのに……)
「あっ……わ、私ったら……ごめんなさい、髪を洗っている途中で……」
「い、いや、大丈夫です。逆に目を開けられない状態の方が、今は多分良さそうというか……」
テレジアも一緒にいるというのに、狼狽えてばかりいるわけにはいかない。同室になったからということで、今日のところはルイーザさんに視線を向けないよう厳格に注意しつつ、混浴という状況を自分に許可することに――と、割り切ろうとしたところで。
ルイーザさんの気配が徐々に近づいてきて、背後まで移動してくる。この流れには抗えないと、俺は白旗を上げるほかなかった。
「アトベ様、少しよろしいですか? 先ほどのことが、本当に嬉しかったので……」
ルイーザさんが途中から引き継いで頭を洗ってくれる。しかし、そこで思ってもみなかったことが起きた。
指を立てて頭皮マッサージのようにされた瞬間、みるみるうちに緊張がほぐれ、体中の筋疲労までもが回復の兆しを見せる。
「ルイーザさん、これは……」
「はい……『指圧』です。自分の疲れを取るために使っていたのですが……いかがですか?」
「……あまりに心地良くて、しょ、正直……寝そうというか……」
くすっとルイーザさんの笑う気配がする。転生する前、テレビでバリ島のヘッドスパを受けているところを見たことがあったが、こんな感じだったのだろうかと思うほど、ルイーザさんの技能――『指圧』は卓越したものだった。
「あ、あの……つかぬことをうかがいますが、ルイーザさんの職業って……」
「今は引退した身ですから、まだ秘密にしておきます。『マッサージ師』などではないですよ」
楽しそうに囁くような声すら心地良く、座ったままだと言うのに意識が飛びそうになる――もとい、飛んでしまう。
おそらく風呂から上がった時には、俺はすっかりとリフレッシュしていることだろう。夢うつつの中でテレジアも近づいてきているのが見えたが、何故か俺と二人の時には大丈夫だったのに、いつの間にか彼女の蜥蜴マスクが真っ赤になっていた。
※いつもお読みいただきありがとうございます、更新が遅くなって申し訳ありません!
※この場をお借りして告知させていただきます。
本作「世界最強の後衛 ~迷宮国の新人探索者~」2巻が、週明け10日に発売となります!
今回も一部の店舗様で特典SSなどを用意させていただいておりますので、
活動報告にて内容について掲載いたしました。
よろしければご参考にしていただけましたら幸いです。
なにとぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m




