第八十八話 涼天楼食堂
七番区上位ギルド周辺の食堂の中でも幾つか人気の店があるようだが、中華料理店は見たところ一つしかなく、予約無しで入れない人々の列ができていた。
『涼天楼食堂』それがこの店の名前らしい。立て看板の近くで待っていたフォーシーズンズの面々が、俺たちを見るなりこちらに歩いてくる。
「あ、アリヒト先生! 良かった、予約の時間までもう少しですよ」
一度宿舎に戻ってきたのか、フォーシーズンズの面々は四人とも着替えてきている。イブキはデニムのショートパンツに、漢字の柄が入った変なシャツを着ていた――そのことに気づいたミサキが、ツボにはまったのか後ろを向いて肩を震わせている。
「ほら、やっぱり笑われたやんか……見てるうちの方が恥ずかしいわ」
「そ、そんなこと無いよ、先生が笑ったりするわけないし。そう言うカエデだって、今日はおめかしに時間がかかってなかった?」
「な、何言うてんの、ご飯食べるためだけでおめかしとか、これくらい普通やんか」
「……リョーコも慌ただしかった気がしますが、それは言わないでおきましょう」
リョーコさんは俺と一緒に探索の報告をしたので、着替えも急ぐ必要があったのだろう。水着の上にボアコートという服装では、さすがに目立ちすぎてしまう。
キャミソールにカーディガン、スカートというオーソドックスなコーディネートだが、迷宮国ではそういった服装をして歩いている人は少なく、逆に新鮮に映る。どちらかといえば、普通に武装して歩いている人の方が多い。
「リョーコさんたちも、ブティック・コルレオーネでお買い物されたんですか? いいですよね、あのお店の服」
「ええ、このあたりでは特に人気のあるお店ですから。八番区のお店と比べると服の種類が多くて、最初に行ったときはみんなで感激してたんです」
「え、えっと……そのイブキちゃんの『真心』って入ったTシャツは売ってなかったですけど、どこで買ったか参考までに聞いてもいいです?」
ミサキが切り込んでいく――ちなみにアンナは『素直』と入ったTシャツを着ている。とりあえず漢字の見た目が格好いいのでデザインしてみたというような、そういう服屋もあるということだろうか。それを買うイブキとアンナもなかなか良い趣味をしている――俺はというと、変わったTシャツは嫌いではない。寝間着として着るくらいなら、仲間たちも微妙な顔はしないだろう。
「中級ギルドの近くに、服の露天商があるんです。可愛かったので、アンナと一緒に買っちゃいました。ミサキさんも買います?」
「え、えーと、そういうトラディショナルなコーデもいいと思うんだけど、この季節のモードは私的にはシンプルなカジュアルがいいと思ってて」
「そんな服が売ってたら、私も買いたいくらいだけど……」
「材料さえあればオーダー通りの洋服を作ってもらえるから、ミサキちゃんの言ってるようなコーディネートもできるでしょうね」
エリーティアも五十嵐さんも、服装には自分なりのこだわりがあるようだ。俺はあまり服装には頓着しないが、皆の心情を考えると、気に入った服が着られると嬉しいだろうとは思う。
「カエデはこういうラフなのは好きじゃなくて、ふわふわしたのが好きなんですよ。戦ってるときは勇ましいのに、意外に乙女なんですよね」
「っ……お、乙女とか言わんといて、これくらい普通やんか。別に、アリヒト兄さんがおるからいつもと違うとかやないからね?」
「すみませんアリヒトさん、かしましい子たちで……立ち話も何ですから、そろそろお店に入りましょうか。お先にどうぞ」
「はい、それじゃお言葉に甘えて失礼します」
仲間たちがフォーシーズンズの面々に挨拶しつつ、店に入っていく。店の前にも席が幾つか出ていて、その間を抜けて店舗に入る――すると。
「あーあ、またあいつらだよ。『自由を目指す同盟』なんて、気取りやがって」
「大部屋貸し切りだろ? 幹部は女性メンバーばかり集めた部屋で飲んでるっていうが、全くいいご身分だな」
順番待ちをしている客の一人、戦士系らしい職業の青年が、仲間と一緒に悪態をついている。
どうやら、グレイたちの『同盟』と店がかち合ってしまったらしい――カルマのことを考えると因縁を付けられたりすることは無いだろうが、やはり多少は身構えてしまう。
「リーダーのロランドも、昔はああじゃなかったのにな。一回序列が落ちてから、えらく人が変わっちまったもんだ」
「一回落ちたからこそだろ、あれだけ貪欲になってるのは。奴らがこの調子でメンバーを増やし続けたら、七番区全員が長いこと頭を抑えられちまうぜ」
「ダニエラさんに迷宮の中で治療してもらったことがあるから、あたしはあまり悪く言いたくないんだけどねえ」
「おいおい、カーシャ……『同盟』の幹部からの誘い、やっぱりまんざらでもないと思ってるんじゃ……」
「バカ言うんじゃないよ、あんな軟派男の誘いになんて、天地がひっくり返っても乗るもんか。カルマさえ上がらなけりゃ、殴ってるところだよ」
グレイがどんなふうにカーシャという女性を勧誘したのか――勧誘を経験しているフォーシーズンズの面々が苦い顔をしている。
そうこうしているうちに、俺たちが新しく入ってきたことに気づいた店員さんが、申し訳なさそうにこちらにやってきた。
「お客様、現在満席となっておりまして、最長で一時間ほどお待ちいただくことになるのですが……」
「あ、すみません……護衛犬も入れる部屋で、予約をしていたアトベと言う者ですが」
「失礼いたしました、十二名でペット可のお部屋をご予約のアトベ様方ですね。ご案内いたします」
雰囲気を出すためなのか、チャイナドレスを想起させる制服を着た店員さんが個室まで案内してくれる。大きな丸テーブルが一つ置かれた部屋に通され、俺たちは順に席に座った。
「それでは、初めにお飲み物のオーダーを頂いてもよろしいでしょうか」
「はい。あの、隣の部屋がかなり賑やかみたいですが……」
「そうですね、大勢のお客様で、二部屋ほど貸し切りにしていらっしゃいます」
よりによって隣の部屋とは――俺たちも大勢なので、大部屋同士で隣になってしまうというのは無理もないが。
「フォーシーズンズの皆は、この店で大丈夫ですか?」
「アトベさん、ご心配していただいてありがとうございます……でも、私たちなら大丈夫ですので」
「せやな、せっかくいいお店に来たんやから、あの人らのことを気にして帰るなんて勿体無いわ。個室貸し切りにしてくれてありがとう、マドカちゃん」
「十人より多いとこのお部屋になるみたいです。アリヒトさんが早めに予約するようにって言ってくれたので、滑り込みで間に合いました」
「後部くん、忙しいのに会社の飲み会の幹事までしてくれてたものね……」
「……アリヒトって、意外に社交的なのね。私はそういう予約とか、今まで一度もしたことがなくて……」
「いや、俺は大したことはしてないよ。マドカのライセンスを使えば、商人組合に入ってる店にはいつでも連絡できるからな」
そう言っても、なぜか飲み会の幹事をした経験があることの方が皆に感心されていた。そういうのは役回りとして、部内の偉い人から声をかけられやすい社員が担当する傾向にあり――それはまさに、五十嵐さんの補佐をしていた俺のポジションというだけなのだが。
「アリヒトお兄ちゃん、『涼天楼特製ラオチュウ』っていうのがありますよ。ロックと水割りがあるみたいです。ロックってなんですか?」
「酒好きな人は良いが、それは喉が燃えるようなやつだろ……俺は烏龍茶でいいよ」
「麦酒っていうのはビールのことよね。『涼風ビール』って、そういう銘柄なのかしら」
「風属性の攻撃に一定時間少し耐性がつきます、と書いてあります。だから普通のビールよりちょっとだけ高いみたいですね」
スズナの指摘で気づいたが、メニューの下部に但し書きがあり、幾つかの飲食物には付加効果があると書かれていた。ただ、飲んだだけで大きく探索に影響するということではなく、あくまでおまけ程度のようだ。
「お兄ちゃん、お酒飲まなくてもいいんですか? 私たちのことは気にしないで、飲んじゃっても大丈夫ですよー」
ミサキの提案に、五十嵐さんとリョーコさんがそわそわとしている。どうやらお酒が飲みたいということだろうか。
「二人とも遠慮しなくていいですよ、俺は皆を送っていくために、お茶にしてるだけなので……ああ、でも一杯くらいは飲んでも大丈夫ですかね。それじゃ、この『涼風ビール』を頼んでみます」
「ご、ごめんなさい……何だか催促しちゃったみたいで。私も同じものにしてもいい?」
「じゃあ、私も『涼風ビール』にします。一度飲んだことがありますが、清々しい喉越しで、探索から帰ってきた後に飲むとたまらないんですよね……」
リョーコさんはお酒が結構好きなようで、頬に手を当ててうっとりとしている。俺はビールが特別好きというわけでもないのだが、仕事終わりにたまに飲む一杯はいいものだ。
他に『トレントのアップルジュース』などのメニューがあり、それぞれ思い思いの飲み物を選んだ。シオンには『アーマーゴートのミルク』というものを頼む――ゴートといえば山羊なので、山羊の魔物なのだろうか。
オーダーしたあと、しばらく談笑していると、廊下から騒がしい声が聞こえてくる。『自由を目指す同盟』とは友好関係に無いとはいえ、あまり目くじらを立てても仕方がないのだが。
「すみません、遅くなってしまいまして」
「お疲れ様です、ルイーザさん。今からでも間に合うと思うので、飲み物をオーダーしましょうか」
「後部くんが一杯は飲むって言ってくれたから、私たち三人はお酒にしたわ。ルイーザさんもそうする?」
「では、お言葉に甘えて……こちらのメニューにさせていただきますね」
ルイーザさんが店員さんを呼んでオーダーしたメニューを聞いて、俺も五十嵐さんも目を丸くする――それは彼女が迷いなく、『涼天楼特製ラオチュウ』のロックを頼んだからだった。
◆◇◆
乾杯の音頭を取らせてもらい、しばらく飲みながら談笑しつつ、食べ物のオーダーを選ぶ。
「おっ……『業火灼熱辣麺』って、どう見ても危険なやつがあるな」
「……辛いものは好きだから頼んでみる」
「だ、大丈夫ですか、メリッサさん。この『柔乳牛肉麺』にしておいた方が……」
「マドカちゃんもそれを頼むの? メニューの文字だけ見ても、何だか美味しそうよね」
五十嵐さんが『柔乳牛肉麺』を頼む――いや、だからどうということはないのだが。ルイーザさんとリョーコさんが頼んでも同じ反応をしていたら、俺はどうしようもない奴だと思われてしまう。
「この『柔乳』っていうのは、身体を柔らかくするミルクって書いてありますね」
「な、なるほどな……柔軟性か。まあ、そういうことかなと思ってはいたが」
「後部くん、何か顔が赤くなってるけど熱いの? もうお酒が回ってきちゃったとか、そんなことないわよね。お水でも飲んだら?」
「す、すみません。いつもはそんなに酔わないんですが」
「体調によってお酒の回り方も変わるっていうし、気をつけるに越したことはないわ」
実際に酔ってはいないのだが、エリーティアに勧められて水を飲む。何かハーブの清々しい味がして、口の中がさっぱりした。レモングラス的なものでも入っているのだろうか。
「……な、なに? カエデさん、イブキさんも、そんなにじっと見て」
「え、えっと……なんか、いい雰囲気やと思ってしまって……キョウカさんは、アリヒトさんへのお気遣いが自然ですよね」
「アリヒト先生は、キョウカさんとその、えっと、やっぱりお付き合いとか……」
「えっ……ち、違うのよ、そうじゃなくて、転生する前に同じ会社に勤めてて、それなりに付き合いが長いというか……」
「転生する前から、会社で良い信頼関係を築いていたのですね」
「うっ……そ、それはその……私もあまり、褒められた上司じゃなかったから……」
アンナが言うと、五十嵐さんは弱りきってしまう。ここで俺が助け舟を出すと、やはり仲を疑われてしまって無限ループだ。ということで、ここは話題を切り替えていく。
「みんなはもう注文するものは決まったのか?」
「あっ、はい、私はこの『海ハチドリの巣のスープ』にします。それと、ドランクマッドシュリンプ……酔っぱらい海老? これも食べてみたいです」
「うちもそれにしようかな。それと、この『昇竜宝』……これ、しょうろんぽうって読むんかな?」
「お肉とゼラチンスープの入ったお饅頭って書いてあるから、きっとそうでしょうね。私はそれと……」
フォーシーズンズの面々がオーダーを決めていく。エリーティアも『昇竜宝』が気になったようで、スズナ、ミサキとシェアしようかと話している。
俺は隣に座っているテレジアにメニューを見せて、好きなものを選んでもらった――すると。
「…………」
「俺と同じものにするのか? テレジアはそれだけじゃ足りなそうだから、もう二つくらい頼んでおいた方がいいんじゃないか」
テレジアはこくりと頷くと、『六菜とバラ肉の塩あんかけ焼きそば』『スイートバードの丸焼き』を選ぶ。後者についてはどうやら北京ダックのように食べるものらしく、どんな料理かの絵がメニューに描かれていた。
ご飯系のメニューもあり、全員のリクエストに応じてメニューを選ぶことができた。あとはどんな味付けなのかというのが気になるところだ。
◆◇◆
迷宮国には元々醤油や、俺達の知っている調味料のほとんどが存在しなかったそうだが、先人の研究開発によってある程度普及していた。ある程度というのは、再現度の問題だ。
厳密に七番区では俺たちがイメージする醤油と同じ味を再現することはできておらず、何か違う種類の旨味や香りではあったが、存分に料理を楽しんだ――メリッサはどう見ても激辛の麺をけろっとして食べており、俺もみんなも呆気に取られてしまった。味見をしたミサキが悶絶していたので、実は辛くないということもない。
俺が頼んだのは『五目炒飯』、そして『麻辣力湯麺』というラーメンに似た料理だった。
『力湯』とは豚骨に似ているスープだが、魔物の骨ガラや肉から取ったダシの効能によって筋力をわずかに上げる効果があるという。
隣でテレジアが黙々と食べていて、相変わらずの食欲に微笑ましくなる。時折口を拭き、飲み物を飲みつつ、今はフードファイターのように他のメンバーが食べきれなかった分まで口に運んでいる。
「……んっ……」
人の食べるところを見ていてはいけないと思うのだが、食事の時くらいしかテレジアの声らしい声を聞けないので、つい気にしてしまう。
「テレジアさん、こんなに食べるのにスタイル抜群なんですよねー……」
「全部エネルギーに変わってるのね、きっと。すごく代謝がいいのよ」
「羨ましいです、若いって本当にいいですよね……うちの子たちも育ち盛りなので、いつもスイーツまで食べちゃうんですよ」
「リョーコ姉、そんなこと言われたら頼みにくいやんか……」
「カエデは頼まなくていいの? 『揚げ胡麻餅の二色餡入り』っていうのがあるけど」
「私はもう入りません……ぽんぽんいっぱいです」
「えっ……アンナちゃん、今なんて? ぽんぽん?」
「……お腹いっぱいです」
俺も確かに聞こえたのだが、アンナはクールに見えて実はお茶目なところもあったりするのだろうか。しかし言っておいて恥ずかしかったのか、顔をほんのり赤くしている。
いや、顔が赤いのはアンナだけではない。メリッサ以外は、この場の空気に当てられている――何というか、控えめに言ってもお酒の匂いがする。料理酒としても使われているからではあるが、勿論それだけではない。
「……アトベ様、すみません、もう一杯らけお願いひてもよろひいらひょうか」
「ル、ルイーザさん……大丈夫ですか? これはかなり回ってるんじゃ……」
「全然へーきれす、私、お酒らいしゅきなのれ、じぇーんじぇん酔ったりしないれすよ」
これを人はべろんべろんに酔っ払っているというのだが、ルイーザさんはお酒が好きで強い方だとはいえ、やはり度数がきつすぎたのだろうか。
「……あつい……暑くないれすか? このお部屋……」
「っ……だ、だめ、ルイーザさん落ち着いて、お店の中で脱いじゃ……っ、後部くん、ちょっとだけ外に出てて、大丈夫になったら呼ぶからっ」
「は、はいっ……!」
酒の席ではこういうこともたまに――いや、転生前はさすがに一度も無かった。ルイーザさんには今後、酒量は適度にセーブしてもらった方がよさそうだ。




