第四十六話 団欒
五十嵐さんは屋敷の中庭を見に行ったと聞いたので、実際に行こうとしたのだが――玄関ホールに降りたところで、見知らぬ男性が声をかけてきた。
金色の髪を短く切り、頭にゴーグルをつけた青年。俺と同じくらいの年齢だろうか。服屋で見かけたシャツとズボンの中では高級なものを見につけている。この服装で屋敷にいるということは、おそらく他の部屋の住人だろう。
「どうも、初めまして。あんたが新しく入ってきたパーティのリーダーかい?」
「ええ、アリヒト=アトベと言います。しばらくこの宿舎でお世話になりますので、よろしくお願いします」
「アトベさんか、やっぱり見ない顔だな。俺たちは八番区でトップのパーティだったんだが、ついさっき序列が変動してて、二番手になってた。どんな新星が現れたのかと思って、ぜひ話がしたいと思ってね」
「貢献度が思ったより多かったので、暫定一位になってますかね。運が良かったのが大きいですよ」
実際、名前つきを次々に倒せているのは運の要素が大きい。巨人兵はミサキとスズナの技能がなければ発見できていないし、倒せたこと自体も幸運が味方したといえる。
「序列を駆け上がる人間にしては謙虚なんだな。だが、実力は相当なものなんだろう……パーティメンバーも強い奴が揃ってるのか?」
「まだほとんど駆け出しですが、縁あってレベル9のメンバーが一人いて、パーティを引っ張ってもらってます」
レベル9と聞いて、彼は興味深そうにする。俺たちが序列を上がったことを嫉妬するでもなく、気のいい性格のようだ。
「それほどのレベルというと、最近八番区に降りてきたっていうエリーティア・セントレイルか? よくパーティに入ってもらえたな」
「迷宮で、彼女たちと一緒になったんです。それから……」
「ああ、俺に対しては敬語は使わなくていい。俺はゲオルグ、『北極星』のリーダーだ」
「ポーラスター?」
「パーティの名前だよ。うちのメンバーに紅一点がいるんだが、彼女がつけた。あんたのパーティには名前はないのか?」
それは考えたこともなかった――エリーティアの所属していた『白夜の旅団』だけでなく、パーティの一つ一つに名前がついているとは。
「考えたこともなかったので……じゃない。名前をつける慣習があると知らなかったから、後でパーティの皆に相談してみるよ」
口調を崩すと、ゲオルグは俺の肩を叩いて笑った。鼻に絆創膏のようなものを貼っているが、探索で傷を負ったのだろうか。こうしてみると俺と体格も近く、話していると若干ナードな雰囲気も感じるが、つい先程まで八番区の序列一位ということは実力者であることは間違いない。
「ところで……さっき通っていった美人は、あんたのパーティメンバーか?」
「あ、ああ。キョウカさんって言うんだ。やっぱり、日本人以外からも美人に見えるんだな」
「あれほどの美人じゃ、なかなか手に負えないだろう。だからってわけじゃないが、どうだ? お近づきの印に、いいところに行ってみないか。遊びに使う稼ぎは十分だろう?」
「遊びというと……もしかして迷宮国にも、遊べるところが?」
ゲオルグは何も言わないが、ニヤリと笑って肯定する。
昔バイト仲間に誘われたことがあったが、その頃は資格を取るために金を貯めていたので行かなかった。興味がないわけでもないが、今行ったら仲間たちの目が厳しいことになり、積み上げた信頼にもヒビが入ってしまいそうだ。
「まあその時の気分ってのもあるだろうし、その気になったら言ってくれ。いい店を知ってる」
「あ、ああ……機会があれば」
もしかして迷宮国の探索者は、わりと連れ立って歓楽街に行ったりするんだろうか――そうなると、いずれは足を運ぶこともあるかもしれない。現状では行きづらいというか、ほぼ不可能だとは思うが。
「後部くん、知り合い? ずいぶん仲良く話してるわね」
「っ……い、五十嵐さん。いつから聞いてました?」
「今来たところだから、話は聞いてないけど。一人で見て回るのも何だから、良かったらついてきてくれない?」
ゲオルグは何を思ったか、気を利かせたつもりか――俺だけに見えるように親指を立て、屋敷を出ていった。
「後部くん、みんなの技能の相談に乗ってたんじゃなかったの? だめよ、ちゃんと見てあげないと」
そう言いつつも五十嵐さんはどことなく嬉しそうだ。俺が追いかけてきたってことが、何となく伝わっているのか――そう思うと少し落ち着かない。
「今は休憩で、後で技能相談の続きをしようと思ってます」
「ふぅん……スズナちゃんは、夜の間に幾らでも話せるしね」
「夜更かしはさせられませんから、要点を押さえて話しますよ」
実際、スズナと二人で技能の話をしたとして、他にどんな話題があるだろう――世代感覚の違いを思い知るようなことがなければいいが。
「五十嵐さんは、どこを見てきたんですか?」
「玄関先から周りの風景を見てただけよ。次は、向こうの出入り口から中庭に出てみようと思って」
「ああ、いいですね。じゃあ行きましょうか」
私服姿の五十嵐さんと並んで歩く――メイドさんから思い切り勘違いされて微笑ましそうに見られているが、五十嵐さんはまったく気がついていない。
「この廊下に敷いてある絨毯、ペルシア絨毯みたいですごく綺麗ね。後部くんはそういうものって興味ある?」
「ええ、それなりにありますよ。こっちでは稼げるようになりましたから、そのうち決まった家を買って、好きなインテリアを揃えたいですね」
「……その時は、ペットは飼っていい? 私がちゃんと自分でしつけとお世話をするから」
「もちろんいいですよ。五十嵐さんの好きな動物を飼いましょう」
五十嵐さんとは前世で思っていたより、やはり話が合う。何でもないことでも怒ったり笑ったりする彼女を見ていると、こういう時間も良いものだと思う自分がいた。
◆◇◆
夕食に出てきたのは、『バブルクラブ』という湿地に生息する蟹を使ったドリアのようなものと、『マッドシュリンプ』という海老のスープだった。
「湿地の蟹っていうんで泥臭いかと思いましたが、下処理がきちんとしてますね」
「ええ、そうね。初めて見る香辛料が使ってあるけど、こういう味もいいわね」
ほっくりとした蟹肉をふんだんに用いたクリームソースに、香辛料で炊いた米がよく合う。酒場の食事も普通に美味しかったが、野趣あふれるといった調理の仕方だった。それと比べるとこの屋敷で出される料理は上品だ。五十嵐さんの口にも合うようで、上機嫌で口に運んでいる。
スズナは好き嫌いが無いようだが、ミサキはエビが苦手らしく、隣に座っているテレジアに勧める――テレジアは相変わらず食欲は旺盛で、貰った分をもくもくと口に運んだ。
「ミサキ、好き嫌いをすると大きくなれないと思う」
「えー、エリーさんより身長高いですよ?」
「っ……私は日によって身長が変わるの。今日は調子が悪いだけ」
エリーティアはそう言いつつ、香草が苦手なようで、海老のスープに入っている香草は全部より分けていた。野菜も嫌いらしく、サラダに入っているピーマンのようなものも全部几帳面に選別している。
「エリーさん、お野菜が苦手なんですか? 私が食べましょうか」
「っ……い、いいの、これは後でまとめて食べようと思って……」
「美味しいものだけ食べたほうが、ストレスはたまらないんじゃないか。栄養は色んなもので取れるしな」
「……じゃ、じゃあ……半分だけ食べてくれる?」
エリーティアはミサキに注意した手前恥ずかしそうにしつつ、スズナの厚意に甘える。そのスズナもドリアの量が多すぎて、やはりテレジアの元に運ばれる――亜人はよく食べるのか、それともテレジアが特別なのだろうか。
「……んっ……」
声を発しないテレジアが、限りなく声に近いものを出す数少ない機会。みんなも気がついたようで、少し驚いて注目していた。
「アリヒト、テレジアと筆談はできないの?」
「文章を書いたりとかはできないみたいだ。見たり聞いたりして理解はしていても、自分から言葉として意志を伝えることが封じられてるんだろうな」
「……テレジアさんの声を聞きたいです。私の技能でも、彼女の声を聞き取ることはできませんから」
霊能感知でテレジアの感情の動きが感じ取れても、声として聞こえるわけではないということだ。
「…………」
テレジアは料理を見やると、次にスズナを見て――そして、こくりと頷いた。
「あ……美味しいって、教えてくれたんですね。私もそう思います、テレジアさん」
「…………」
意志の疎通ができると、蜥蜴のマスクの異様な外見もコミュニケーションを妨げるものではなくなる。それは俺だけでなく、皆にとっても同じだった。
「あ、そうだ。アリヒトお兄ちゃん、お部屋にお風呂がついてるので、先に入ります?」
「俺は後でいいぞ。一番風呂ってのも悪くはないが、もともと一人暮らしで、朝シャワーを浴びるしかしてなかったくらいだし」
「私も一人暮らしだったら、そんな感じだったでしょうねー。お風呂ってすぐのぼせちゃうんですよ。スズちゃんは我慢強いですけど」
ミサキとスズナは一緒にスキー旅行するくらいなので、一緒に風呂に入る機会もあったということだろう。友達同士で風呂というのもなかなか楽しそうではある。
「テレジアさん、同じ部屋だから私と一緒に入りましょうか。六人別々に入ると時間もかかるし」
「…………」
「テ、テレジア。五十嵐さんもそう言ってくれてることだし、一緒に入るといい」
彼女は答えない――首を横に振るかと思ってハラハラしたが、なんとか頷いてくれた。
何か、寂しそうに見えるのは気のせいだろうか。テレジアの食べるスピードが微妙にゆっくりになってしまった。
蜥蜴のマスクもなんとなくしゅんとしているように見える。それを感じ取っているのは俺だけではなく、五十嵐さんが心配そうに声をかける。
「テレジアさん、もしかして一人で入りたいの? そういう場合もあるわよね」
「…………」
「そうじゃなくて……私以外の誰かと入りたいとか?」
そこでついに、テレジアは俺のほうを見てしまった。ばっちり蜥蜴の瞳と目が合い、そらせなくなってしまう。
「日頃お世話になってるので……っていうことですよねー。テレジアさん、そういうところ律儀そうですからね。男の人の背中を流したりっていうのは、ちょっぴり大胆すぎなくもないかなって気はしますけど」
「……アリヒトがどうしてもっていうなら、私は止めないけど」
「い、いえ……どちらかというと、テレジアさんの方から希望してませんか?」
みんなに注目されて、テレジアは徐々に赤くなり始める。それを見た五十嵐さんまで、釣られるように赤面していく――俺も赤面すれば丸く収まるだろうか。
「……後部くんがテレジアさんと一緒だと、私が一人になるんだけど……」
「えっ……それを心配してたんですか」
「も、もちろん男女でお風呂なんて簡単にはさせられないわよ。でも、テレジアさんが寂しそうなんだもの。後部くんをこんなに慕ってるのなら、仕方ないかと思って……」
テレジアの顔の赤みが徐々に引いていく。彼女は五十嵐さんをじっと見る――そこにある感情はまさに乙女心の機微というやつで、俺にはまったく読み取れない。
「あ……そうだ。テレジアさん、今は少しだけ待って。水着のようなものが手に入れば、一緒に入ってもふしだらなことじゃなくなるわ」
「それだと私たちも入ってよくなりません? アリヒトお兄ちゃんとお風呂遊びできますねー、ってさすがに恥ずかしいんですけど。私ビッチじゃないですし」
「……水着のような装備ではありますけど、って言ってはいけないんでしょうか」
「ボ、ボディアーマーは水着じゃないわ。それに私は水着が手に入っても、お風呂は別問題と考えているから、アリヒト、そこは覚えておいて」
「あ、ああ。いや、そこまでして一緒に入らなくても……」
「テレジアさんが寂しそうなのが問題なんだから、後部くんも反対する権利はないわよ」
水着というものを五十嵐さんは信頼しすぎではないだろうか。俺にとっては裸も水着も、見えるものに差はあっても役得になってしまうのだが。
とりあえず今日は3チームに分かれ、俺は一人で風呂に入ることになった。ロイヤルスイートの浴室がどんなものか、最後に入ってじっくり堪能するとしよう。




