第四十一話 護衛犬
ルイーザさんへの報告を終えたあと、俺はどんな技能が追加されているかと楽しみにしつつも、宿舎に帰るまでは確認せず我慢していた。
万一にもライセンスを覗き見られてスキルリストを見られると、情報がどう広まるか分からない。
空腹も限界が近いし、早く皆と合流して食事にしようと思ったのだが――ギルドを出たところで、何やら揉め事が起きている。
(あれは……ファルマさんのところの子供たちと、シルバーハウンド……何か、厄介事に巻き込まれてるのか?)
「このクソ犬が、わざとぶつかってきやがって。どう落とし前つけてくれんだよ?」
頭に剃り込みを入れ、肩に入れ墨をいれたいかにも荒くれ者という雰囲気の男が、シルバーハウンドに因縁をつけている。
銀色の体毛を持つ巨犬は、子どもたち――エイクとプラムの前に立ちはだかり、男と睨み合っている。行き交う人が何も言わないのは、巻き込まれてでも仲裁するには、男が怒気を撒き散らし過ぎているからだろう。
「おい、ちょっと待ってくれ。その子たちは、俺の知り合いだ」
「あぁ? フン、だったら丁度いい。大事な革靴にこのクソ犬の毛がついちまった。あんたに弁償してもらおうか……金貨十枚だ。それで見逃してやるよ」
(子どもたちに目をつけて、カツアゲしてたのか。救いようがないな)
俺を見てせびる金額を決めたのだろうが、金貨十枚という大きすぎない額からも、男はせいぜいレベル2か3というところだろう。しかし俺は後衛――仲間を支援するのが役割で、個人の戦闘力はさほど高くない。近いレベルの相手と一対一で戦って、無傷というわけにはいかないだろう。カルマの問題もあるし、こちらから仕掛けられないのは厳しい。
「……ちょっと、子供たちと話させてもらっていいか」
「ハッ、ガキからも金を集めようってのか? こっちはどうやって払ってくれても構わねえけどよ、忙しいんだ。早くしろよ」
恐喝でカルマが上がりそうなものだが、男が巧妙に誘導したらしく、シルバーハウンドが先にぶつかったということになっているらしい。
「あ……っ、うちに来てくれた人……」
「シオンはぶつかってないよ。お兄ちゃんにあの人がぶつかろうとして、シオンは……」
「うるせえぞガキ! ライセンスには、そのクソ犬が俺に攻撃したって表示されてんだろうが!」
「きゃぁっ……!」
――大人が、子供を怒声で威嚇した。その瞬間、俺の中に、今までは抑えていた怒りが熱を持って広がる。
銀色の犬――シオンは、今も油断せず男を見ている。子どもたちの護衛につけられるだけあって、その体躯は2メートル近くもあり、レベルの低い探索者よりも確実に頼りがいのある戦力になることが想像できた。
「……エイク、プラム。少し、シオンの力を俺に貸してくれるか」
「え……か、貸すって、どうしたら……」
「う、うんっ……エイクお兄ちゃん、あれ! お母さんにもらったやつ!」
プラムがエイクの半ズボンの尻ポケットからライセンスを取り出す。そして俺とシオンの陰に隠れて操作し、パーティリストを呼び出した。
◆現在の状況◆
・『シオン』を『アリヒト』のパーティメンバーに変更した。
(――よし。準備は終わった……あとはシオンのカルマを、どうやって下げるかだが。まあ、何とかなりそうだな)
「……ああ? ゴチャゴチャやってると思ったら、犬に庇って貰う気かよ。ダセえな、おまえ」
男も転生者のようだが、ここまで悪態を吐かれると同郷意識も起こらない。
ここは相手が仕掛けてくるように挑発しなくてはならない――あまりあからさまな悪態も得意ではないが、奴が怒りそうな言葉を選んでみる。
「シオンは何も悪いことをしちゃいない。この子たちに謝れば見逃してやる」
「正義漢気取りが……こっちはチャンスをくれてやってんのによ。俺がこの犬を攻撃しても、一発まではカルマは上がらねえ。それがどういうことかわかるか?」
「犬を傷つけるつもりか? ライセンスでカルマが上がらなくても、おまえの行為を周りの人たちが許すと思うのか」
「カルマの判定は絶対だ。お前らは指くわえて見てるだけで、何もできやしねえんだよ……っ!」
男がナイフを取り出し、シオンに突きかかろうとする――ぶつかった程度なのに、向こうが殺すつもりで攻撃してきてもカルマが相殺されるというのか。カルマに縛られて抵抗できないシオンを見せしめにして俺たちを脅そうとは、到底理解しがたい思考回路だ。
俺はエイクとプラムを後ろに隠し、震えている彼らを少しでも勇気づけるために言う。
「大丈夫だ。心配しなくていい。シオンは絶対に傷つかないからな」
◆現在の状況◆
・アリヒトの『支援防御1』が発動 →対象:シオン
・ジャックが『シオン』に攻撃 ノーダメージ
「うぉっ……!?」
驚愕の声と共に、男の繰り出した刃が、俺の前に出たシオンに触れる前に弾かれる。
「い、今のは何かの間違いだ……支援魔法を使う仲間もいねえ、こいつはただの犬だ……っ」
「なにあいつ、見掛け倒しじゃない?」
「あの犬がめちゃくちゃ強いんじゃないの?」
「ぐっ……て、てめえら好き勝手言いやがって……何もかもてめえのせいだ……っ!」
男はシオンではなく、俺を標的に変える――だが。
回り込んで俺を狙おうとしても、シオンは俊敏に反応し、俺と男の間に身体を入れて庇ってくれた。
◆現在の状況◆
・アリヒトの『支援防御1』が発動 →対象:シオン
・シオンの『カバーリング』が発動 →対象:アリヒト
・ジャックが『シオン』に攻撃 ノーダメージ
・『シオン』のカルマがゼロになった
・『ジャック』のカルマが上がった
「ぐっ……お、俺は悪くねえ! こいつがいきなりっ……!」
シオンにはダメージは無いはずだが、俺を庇うために飛び出してきたからか、男は攻撃してしまったと思い込んで慌てる。
ダメージが無くとも、攻撃を試みた時点で男のカルマが上昇している――ならば、『一撃まで』なら反撃してもいいはずだ。
ゆらり、とシオンが男を睨みつける。男はそれで威嚇されたと勘違いしたのか、ナイフを握る手に力を込める――だが、そのときには。
「――行けっ、シオン!」
◆現在の状況◆
・シオンの『テールカウンター』が発動
・『ジャック』に命中 ノックバック中 支援ダメージ11
・『ジャック』が昏倒
「んごぉっ……!?」
目にも留まらぬ早業だった――シオンは豊かな毛で覆われた尻尾を電光石火の速さで繰り出すと、男の横っ面に叩きつけるように見舞い、その勢いのままに男が宙を飛んでいく。
ガポッ、と道の端にあるゴミ箱に突っ込み、男が動かなくなる。そこに、ようやく武装した兵士たちが駆けつける――カルマが相殺されていると思ったのだが、男は容赦なくゴミ箱に入ったまま連行されていった。
「……うわぁぁぁんっ……!」
「よかった……シオンも、お兄ちゃんも、けがしなくて……」
プラムは俺に飛びついてきて大声で泣き、エイクも必死に涙をこらえながら、俺とシオンの無事を喜んでくれる。
「エイクは強いな。さすが兄貴だ……偉かったぞ」
「うっ……ぐすっ……わぁぁぁぁっ……!」
エイクも緊張の限界だったのか、頭を撫でてやると俺の膝にしがみついてくる。怖い思いをしたのだから仕方ない――二人とも、まだ幼いのだから。
「……後部くんったら。その犬が強かったからいいけど、無茶するんだから」
すぐ近くに待ち合わせ場所があるので、五十嵐さんも騒ぎの様子を見に来たらしい。俺とシオンの共闘も、どうやら見られていたようだ。
「ものすごく強くて、勇気がある犬です。俺もこの犬の勇気に引っ張られたんですよ」
シオンは今も俺たちを守るように周囲に視線を巡らせている――野次馬をしてるだけで助けようとしない町の人々はどうなのかと思うものの、結果的に彼らが手を出さなかったことで下手に被害を広げずに済んだ。ジャックという男は、最後はやぶれかぶれになっていたから、何をするか分からなかった――当たり屋としては冷静さが足りない。
「ひっく……お兄ちゃん、かっこよかった……」
プラムにとってはエイクも『お兄ちゃん』なので被っているが、『おじさん』と呼ばれなくて少し安心する。
俺がシオンを支援したことが、二人にも何となく分かっているようだ。だが、それが後衛の技能であるというところまでは分かっておらず、とにかく『俺が守ってくれた』というように解釈しているようだ。
「お兄ちゃん、ありがとう。お母さんに、お兄ちゃんに助けてもらったって言うね」
「シオンが守ってくれたんだって言っておいてくれ。後のことは心配するな」
あの男が仕返しなどを考えないように、後顧の憂いは無くしておきたい。まあ、シオンのテールカウンターで意識が飛んでいたようなので、ここで俺たちに会ったことも含めて忘れてもらえるとありがたいのだが。
そのシオンは、エイクとプラムが泣き止むと、俺の前にやってきて、何も言わなくてもおすわりをする――そして。
「……クゥーン」
「……ど、どうした? 身体が大きい割に、子犬みたいな声だな」
「後部くんになついてるみたい。犬って、自分が認めた人にはすごく従順だっていうじゃない」
「シオンがなでてほしいって。すきになった人には、そうやっておねだりするの」
「お姉ちゃんもなでたい? シオンはおとなしいから、触ってもかまないよ」
エイクもすぐに気づくほど、五十嵐さんはシオンを見て目を輝かせている。俺は笑って、「いいのか」というような顔をする彼女に頷いて見せた。
「……ふわふわしてる。実家で飼ってた子を思い出すわ……今頃、どうしてるかしら」
五十嵐さんは慣れた手つきでシオンの毛並みを梳く。シオンは気持ちよさそうにしながらも、俺もしてくれないのか、という顔でじっと見てくる。
(2メートル近いのに、こうして見ると目がつぶらだな……もしかして、身体が大きい犬種ってだけで、まだ甘えたいさかりなのか)
「あっ……キョ、キョウカ。何をしてるのよ、犬なんてかまって。アリヒトを迎えに行くんじゃなかったの?」
「エリーさん、アリヒトさんもそばに居ます」
「やっほーお兄ちゃん……と、おっきいワンちゃん……! でもおっきすぎてちょっと怖い! でもモフモフしたーい!」
エリーティアたちも犬は好きらしく、三人ともエイクとプラムの許可をもらって触り始める。
唯一テレジアは腰が引けて、俺の後ろに隠れていたが――シオンが大人しくしているので、彼女も勇気を出してそろそろと手を伸ばし、頭を撫でる。
「…………」
「絶対無理ってわけじゃないのか。それは良かった」
テレジアは苦手を克服したというわけではなく、少し撫でたあと再び俺の後ろに隠れてしまう。エイクとプラムはそんなテレジアを見て楽しそうに笑う――先ほど大泣きしていたのは、もう昔のことのようだ。
「さて……この子達を送っていくか」
「えっ、いいの?」
「わーい! お姉ちゃんたちと一緒!」
「きゅ、急にどうしたの? 私、なつかれるようなことしたかしら」
五十嵐さんはプラムにしがみつかれて戸惑っている。俺は二人の姿を見て、ファルマさんが言っていたことを思い出した。
「ヴァルキリーの格好に、ファルマさんが憧れてるって言ってましたし……プラムも、そういう気持ちがあるんじゃないですか」
「お姉ちゃん、かっこいい! わたしも強い女の人になりたい!」
「……剣士は駄目なの? それとも大人の風格が足りてないのかな」
「エリーさん、落ち込まないでください。エリーさんは素敵な剣士さんですよ」
エリーティアは少し羨ましそうに五十嵐さんを見ている。レベル9で間違いなくうちのパーティのエースなのだが、素顔は年齢相応に多感な少女ということか。
(それにしても……シオンがあんな技能を持ってるなんて。護衛犬か……)
今はまだ、シオンは俺のパーティの中に入っている。ファルマさんの家で帰すことにしようと思ったが、忠実に隣を歩いてついてくるシオンを見ていると、素直に言って俺もこんな犬が欲しいと思ってしまった。




