第四十話 担当官の動揺
みんな安心すると同時に空腹を自覚してきたようで、外に出たあと何を食べるかという話になった。
俺もそろそろテレジアに悪いので起き上がろうとしたが、肩に手を置かれて動きを封じられた。そんなことをされては、振り切ってまで起きる気にはなれなくなる。
「……膝枕って、男の人は喜ぶものなの?」
「え? さ、さあ、どうなんですかねー。お兄ちゃんを見る限り、ご機嫌みたいですけど」
「そ、そうですね……アリヒトさんはテレジアさんのこと、すごく信頼されていますから。ああしていると、落ち着くみたいですね」
膝枕をされても俺の気持ちが静かだと、スズナは理解してくれている。霊能感知の前には、煩悩とか邪念みたいなものは一発で感知されそうだ――ますます俺には、心清くあることが求められる。
「そういえば、アリアドネは最初にテレジアと手を合わせていたけど、あれはテレジアが特別な存在だっていうこと?」
「迷宮に関わりが深い亜人と、秘神には何か繋がりがあるのかもな」
なぜ、迷宮で倒れた探索者が亜人になるのかを俺たちはまだ知らない。探索者が亜人になる瞬間を今後絶対に目撃しないとはいえないが、自分の仲間でも通りすがりのパーティも、できれば取り返しのつかないことになる前に助けたい。
意志をかすかに疎通できると言っても、言葉が通じないことはやはり大きすぎる。生還しなかった探索者が亜人にならずに消えることも考えれば、テレジアがここにいるだけでも、奇跡だと思うべきかもしれないが――ずっと、このままというわけにもいかない。
「…………」
俺は自覚なく深刻な顔をしていたようで、テレジアが心配そうに見ている。口元を見るだけで、随分と感情が分かるようになってきた。
「ああ、すまない。少し考え事をしてただけだ。ありがとう、かなり休めたよ」
テレジアは名残惜しそうにするが、俺の肩に置いた手を外してくれる。
一階層ではまだ来たばかりの新米探索者たちが、ワタダマと七転八倒しながら戦っている。なかなか攻撃を当てられないようだが、少しずつコツを掴んでいるようだ。
「……後部くんはテレジアさんが居てくれたから、あんなふうに大騒ぎしないで済んだんでしょう? 彼女、すごく剣の扱いが上手いものね」
「本当にそうです。ワタダマのタックルも、レベル1じゃバカにできないですからね」
「私もエリーティアさんに守ってもらいました。あの方たちは、大丈夫でしょうか……あっ、倒せたみたいです」
俺たちと同じ六人パーティで、二匹のワタダマを狩って凄く喜んでいる。彼らがもし二階層まで着ければ、俺たちの残した魔物の素材を見つけるだろう――それを持ち帰れば、一度目の探索としては大きな収穫が得られる。
「俺たちはそろそろ行くか。早めにルイーザさんに報告したいしな」
「倉庫に送った素材も、早めに解体屋さんに持っていかないとね」
ドクヤリバチの毒晶石、オークが持っていた鉱石、プレーンイーターとゲイズハウンドの素材――そして、鷲頭の巨人兵を倒して手に入れたルーンを、どの装備につけるか。冒険の後も、やることは山積みだ。
◆◇◆
迷宮を出ると、時刻は午後五時頃だった。ギルドの営業時間内にゆうゆう間に合い、ルイーザさんが他の探索者の対応を終えるまで待って、昨日と同じ特別室に向かう。
女性陣はいったん宿舎に帰っていった。報告はリーダーの仕事というが、その慣習はこれからも続くらしい。まあ、報告までが探索の醍醐味という気がするので、そこは任せてもらっても一向にかまわない。
「すみません、探索が終わったばかりで汗臭いかもしれませんが」
「何をおっしゃいます、汗は探索者の勲章ではありませんか」
そんなことを笑顔で言われたら、俺のような免疫力のない男でなくとも心が傾いてしまうに違いない。
「……ル、ルイーザさん、どうしました?」
ルイーザさんは不意に俺に近づく。俺が変に遠慮するから匂いを確かめたのだ――大胆というか、距離の詰め方が自然すぎて困ってしまう。
「ふふっ……それほど気になりませんよ。アトベ様の匂いがしますが」
「っ……い、いやその。それがあまり、いい匂いではないんじゃないかと、俺は自分で思ってるわけです」
「そうでしょうか……個人差はあるかもしれませんが、私は平気です」
仕事に使うファイルで口元を隠しつつ、ルイーザさんが言う。彼女の仕草が、担当官というだけじゃなくて、すっかり友人のように心を許したものになりつつある。
(いつもは胸が開かないように気をつけてるのに、俺と歩き始めた途端、ガードがゆるくなってるんだが……もしかして、もしかするのか?)
「すみません、先にお部屋でお待ちいただけますか? お茶をお持ちいたしますので……それとも、もう飲まれますか?」
「えっ……え、えーと、今はまだ明るいんで……ルイーザさん、今日も一緒に飲みます?」
「よろしいんですか? いえ、普通にお食事をするだけでも十分なのですが。毎日お飲みになると、身体に響きますものね」
ルイーザさんは毎日飲みたいタイプらしい。しかし報告の席で酒を出すこともあるとは、ギルドもなかなか豪胆な組織だ。
「……他の方には、お酒をすすめたりはしないんですよ? アトベ様だけですから」
「い、いや、ははは……」
参ったな、とかそんなことばかり言っていたら、呆れられてしまわないだろうか。こんなとき気の利いた返しが思いつかない自分がもどかしい。
お茶を淹れに行くルイーザさんの後ろ姿は、柔らかい生地のスカートにくっきりとお尻の形が出てしまっており、目のやり場が存在しなかった。初日の清楚な印象から、随分と変化したが――正直を言うなら、功績を上げるほど気に入ってもらえるのならば、今後も頑張り続けることはやぶさかではなかった。
◆◇◆
ルイーザさんの淹れてくれた冷たいハーブティを飲み、一息ついたあとで、俺はライセンスを彼女に提示した。彼女は片眼鏡を取り出し、胸に手を当てて深呼吸してから、真剣そのもので画面を見る。
「では、拝見させていただきますね……」
◆今回の探索による成果◆
・『曙の野原』三階層に侵入した 40ポイント
・『曙の野原』未踏領域に侵入した 未評価
・『エリーティア』のレベルが9になった 100ポイント
・『アリヒト』のレベルが4になった 40ポイント
・『テレジア』のレベルが4になった 40ポイント
・『キョウカ』のレベルが3になった 20ポイント
・『スズナ』のレベルが3になった 20ポイント
・『ミサキ』のレベルが2になった 10ポイント
・『ワタダマ』を8体討伐した 40ポイント
・『ドクヤリバチ』を6体討伐した 48ポイント
・『ファングオーク』を12体討伐した 120ポイント
・『ゲイズハウンド』を7体討伐した 140ポイント
・『プレーンイーター』を1体討伐した 50ポイント
・『★鷲頭の巨人兵』を討伐した 未評価
・『テレジア』との信頼関係が変化した 100ポイント
・『キョウカ』の信頼度が上がった 50ポイント
・『スズナ』の信頼度が上がった 50ポイント
・『エリーティア』の信頼度が上がった 50ポイント
・『ミサキ』との信頼関係が変化した 100ポイント
・『???』を目覚めさせた 未評価
・『???』の加護を得た 未評価
探索者貢献度 ・・・ 1038+未評価値
八番区累計貢献度ランキング 1
「…………」
ルイーザさんは片眼鏡を使い、二行目まで見たところで止まっていた。やはり『未踏領域』の表示は刺激が強すぎたのか――どうすれば彼女を起こせるのか。
「……ルイーザさん?」
「ひゃぁん!?」
弾かれるように反応した拍子に、ルイーザさんの胸が開いた襟口から零れそうなほどにバウンドする。
しばらく揺れが続いていたが、彼女は顔を一気に赤くすると、そこまで乱れてもいない髪を直し、襟元を整え、咳払いをしてからこちらを見た。
「……アトベ様、これからご婚約のご予定はございますか?」
「ぶっ……ル、ルイーザさん、落ち着いてください。全然関係ない話に飛んでます」
「はっ……い、今私、何か口走りましたか? 申し訳ありません、あまりのことに気が動転してしまい、そろそろ自分が適齢期であることを意識しはじめてしまって……」
どうも彼女は混乱すると言動が乱れるらしい。というより、思っていることが口から出てしまうというか――いや、いくら功績が凄いからといって、俺と結婚したいというのは飛躍しすぎだろう。
(な、何か緊張してきた……手汗がすごい。落ち着け、冷静に話をしないと)
秘神のことを話して良いものかどうか。『???』を解放したと表示されているので、そこで説明が必要になると思うのだが。
とりあえず順を追っていくべきだろう。明快なプレゼンをすれば、ルイーザさんにもご理解をいただけるはずだ。
「ルイーザさんが適齢期というのも重要な議題ですが、今は『未踏領域』の話をさせてください」
「は、はい……い、いえ、私ったら何を……適齢期なんてどうでも……ああっ、馬鹿馬鹿……私なんて死んだほうがいいのよ……アトベ様に軽蔑されたら生きていけない……」
「だ、大丈夫ですよ。俺のことを有望だと思ってくれてることは分かりましたし、とても嬉しいです。でも、ルイーザさんが慌ててしまったのは、損得を考えてのことじゃない。俺はそう思ってます」
「……アトベ様……」
ここで彼女の手を取ってでもいれば、ロマンチックな雰囲気というのになるのかもしれないが――待っている仲間もいる手前、あまり浮ついてはいられない。
「……ありがとうございます、ようやく落ち着きました。『未踏領域』のお話ですね。これは、一度もギルドに到達者が帰還していないことを意味しています」
「そういうことですか……ルイーザさん、ギルドの方針として、未踏領域が発見されたことについては情報は共有されるんですか?」
「いえ、これからこの室内で話すことは、私とアトベ様のみで共有されます。ギルド上層部に報告するかは、探索者の裁量に委ねられます。ギルドにとって最も回避すべきは、優秀な探索者と敵対することですから、探索において得られた情報を、強制的に供与しなくてはならないという規定はありません」
それは分からないでもないが、ギルドは探索者に好き勝手にやらせていいのだろうか。
ギルド上層の人間が序列上位の探索者より実力的に弱いのであれば、拘束することはできないのかもしれない――しかし俺たちはまだ駆け出しで序列も低く、規定を盾に聞かせることは無理ではないはずだ。
(それをしないってことは……何よりも、探索者が経験を積んで成長すること、強くなることを奨励してるっていうことか。しかし、それは……)
「……お考えはわかります。そのような方針では、序列上位の方々が叛意を持たれたとき、ギルドで抑制することができなくなる。迷宮国の秩序は崩壊してしまう、誰もがそう思うところでしょう」
「でも、そうはなってない。序列上位でも、探索者はみな勤勉だっていうことですか」
「一概にそうとは言い切れません。ですが序列を上がっていく才能のある探索者たちは、他者を支配して影響力を持つよりも、迷宮に潜ることを優先します。その理由の一つが……『秘めたる神』。アトベ様が、今の段階で発見されるとは思っていませんでしたが、発見し、さらに加護を得られたのですね」
ルイーザさんは秘神のことを知っている――しかし曙の野原の隠し階層に眠っていたことは知らない。
彼女も秘神の詳細までは知らないのかもしれない。そういう存在が迷宮にいるということだけ、ギルドの職員で共有されているのだとすれば、彼女の動揺にも納得がいく。
「アトベ様に、私の知りうることをお話します。迷宮国を作った創始者は、世界の各地にある『忘れられた迷宮』を探索させるために、迷宮への転移門を城壁の中に設置しました。つまり迷宮国は、『迷宮の入り口』を城壁の中に集めたあと、国として形成されたということなのです」
「……なぜ、迷宮を集めたんですか? 忘れられたってことは、無価値だとみなされてたってことでしょう」
「そうではありません。迷宮は多くの謎を持ち、最深部の秘宝を守るために障害と魔物を備えています。叡智と力を持つ探索者だけが、その謎を解き明かすことができる……ですが、挑戦する人が絶えて放棄された迷宮が、無数に存在しています。今も迷宮国には、迷宮の入り口がいつの間にか追加されることがあります。それは、姿を見せなくなった『創始者』の意志を継ぐ人々が、今も壁の外を旅して迷宮を集めているからなのです」
探索者に攻略を丸投げして、迷宮の入り口を集め続ける――他の世界から魂を呼び寄せ、転生者として生まれ変わらせ、強制的に探索者として、迷宮を探索させる。
そこまでの力を持つ『創始者』は、もはや神に等しいのではないかと思う。姿を見せなくなったということは、昔はこの迷宮国に確かに存在していたのだ。
「ここまでは、ギルドの職員となったときに教えられることです。私も、実感を持ってお話できているわけではありません……教科書通りに説明しているようなものです」
「いや、それで十分です。『秘めたる神』は、迷宮国では信奉の対象になってるみたいですが、それはなぜなんですか?」
「探索者に加護を与える存在だからです。同時に、秘神同士で敵対することもあると聞いていますが……加護を得ている探索者が少ないために、幸い八番区では探索者同士の戦いは起きていません」
「八番区では……つまり、上の区では秘神の加護を受けたパーティ同士が戦うこともあるんですね」
「残念ながら。秘神は敬うべき存在ですが、その怒りに触れてはならない神聖なものでもあります。ギルドはどうしても秘神同士が戦わねばならない場合、その場所を提供したり、戦いに介入することもあります。全ては迷宮国を、今のままの形で守るためです」
秘神同士の戦いがどれだけ激しいものなのかは、今の話で想像がついた。それこそ、『箱開け』の際に起こる事故と同等に、この国にとって危険なものなのだろう。
アリアドネが敵対する秘神に出会わなければいいが、もし会ったとき、どのように争いを回避するか――それも考えておかなければならない。
「『神探し』は、探索者の究極の目的だというのは分かりました。大それたことは言えませんが、俺も迷宮国がひどいことにならないよう、立ち振る舞いには気をつけます」
「そう言っていただけると助かります。私もできるかぎり、アトべ様のご希望に添えるよう、ギルドから提供できる情報を準備しておきます。他の秘神との契約者が騒動を起こしたときなどは、ギルドに報告されますので、注意喚起を促すことは可能です」
全面的に協力してくれるというルイーザさん。そこまで聞いて、俺はあることに思い当たった。
ルイーザさんが昇進したりすれば、彼女もギルド内で裁量が効くようになるのではないだろうか。
「俺たちが功績を上げれば、担当してくれてるルイーザさんにとってプラスになりますか?」
「は、はい……それはもう。担当冒険者が上の区に昇格すると、担当官も一つ昇進しますので……」
「じゃあ、今後も頑張らないといけないですね。俺たちを担当してくれたこと、決して後悔させませんよ。面倒をかけた分だけ、恩返しします」
「……何よりも嬉しいお言葉です」
ルイーザさんは顔を赤らめて微笑む。薄紅を引いた唇が、部屋の明かりの中で艶めき、何とも色っぽい――と、じっと見たらカルマが上がってしまう。
「……カルマは、もう上がらないと思います」
「えっ……」
「い、いえ……何でもありません。私ったら、自意識過剰すぎますね……今日はひとりで、自炊でもして自粛をします。そうでもしないと、アトベ様のパーティの皆様に合わせる顔がありません」
「そ、そうですか……じゃあ、また誘います。それで、この未評価欄ですが……」
「こちらは、私が報告書を書いて直接査定を受けます。貢献度が非常に高くなると思いますので、七番区への昇格試験も受けずにパスすることができますが、いかがなさいますか?」
フリーパスならそれに越したことはないが、どんな内容なのだろう。危険なものでなければ、どういうものか興味はある。
「試験の内容には興味があります。受けないと、内容は分からないんですかね」
「八番区の迷宮のいずれかを探索して、規定の品物を見つけたり、魔物を討伐するというものになります。試験の度に、指定の迷宮は変化しますので、事前に内容をお伝えすることは、残念ながら……」
「いえ、分かりました。みんなとも相談しますが、基本は受けさせてもらう方向で」
「かしこまりました。では、試験日は毎週土曜ですので、二日後になります。明日までに申し込みをお願いいたしますね」
未評価の四項目について、貢献度がどれくらいになるのかも気になるが、ひとまず七番区への昇格も秒読みと言っていいし、そちらにも関心が向いている。
次は解体所への収穫の持ち込みだ。倉庫に行って運び屋に運送を頼み、いつもの集合場所――ギルド前の広場で、みんなと合流するとしよう。




