第三十八話 聖櫃
倒れている巨人兵に注意しつつ近づき、他に落としたものはないか探していく――すると。
「これ、巨人兵の目に入ってたものじゃない?」
「宝石ですか。無事に形が残ってますね……」
五十嵐さんが持ってきたのは、一つの宝石。魔石だろうか――いや、燃焼石などとは違って形が荒くなく、まるでカットされたかのように整えられている。
この遺跡といい、転移に使った床といい、何者かに作られたことは間違いない。『曙の野原』自体は人工物がほとんど見られなかったのに、四階層だけが明らかに異質だ。
「武器とかは重たすぎて使えそうにないですねー」
「この大きさじゃ倉庫にも送れないし、とりあえず置いておこう。ここに来る人間も、他にいないだろうしな……いや、そうでもないか……」
探索者が過去にここに入ったことがなければ、巨人兵の頭に傷はついていなかっただろう。つまり、犠牲となった探索者はどうなったのか――。
「……スズナ。このタイミングで取るのもなんだが、『霊能感知』の技能を取得してもらっていいか?」
「はい。私も、そうした方がいいと思っていました。この巨人兵は、おそらく……」
これまでに多くの探索者を葬っている。四階層への入り口が秘匿されていたのは、侵入した探索者を倒したあと、再び隠蔽される仕組みだったとしたら――。
(この巨人兵が何らかの試練なのか、ただ足を踏み入れた者を殺すための罠なのか……どちらにせよ、ぞっとしない話だ)
スズナがライセンスを操作し、『霊能感知』を取得する。すると彼女は、誰もいない方向に向けて持っていた鈴を鳴らし、手を合わせた。
「……何か、見えたのか?」
「はい……前にもここにいらした探索者が、ここで命を落としています。その巨人兵と六人で戦い、力及ばず敗れたとのことです……さぞ、無念だったでしょう」
巨人兵が俺たちを見て喜んでいるように感じたのは、人食いの怪物だから――迷宮国の魔物たちは、一匹として、人間に歩み寄ろうとするものなどいない。彼らにとっては、糧の一つに過ぎないのだ。
それなら今後も容赦する必要はない。魔物の中にも敵対心を持たない例外はいるのかもしれないが、現状は甘いことは言っていられない。
「……これは、攻撃したときに落ちたものみたい。金属質の身体だけど、動いてるときは一部が流動的になっていたのね」
頭を破壊したときに、血液のように滴り落ちた金属が、今は固化している。その様子から、俺は金属生命体という言葉を想起した。それなら食事をするのも、過去に受けた傷が再生し、古傷となって残っていたことも説明がつく。
「素材として使えそうな気はするが、色々未知数だな。欠片だけ持っていくか」
「倒した証拠は持っていった方がいいんじゃない? 羽を幾つか拾っていくとか」
「そうですね……この目の宝石を持ち帰っても、それが何なのかギルドで分からないと意味がないし」
「魔物を倒した証拠として一番間違いないのは、心臓だったりするんだけど……ちょっと鎧を剥がしてみましょうか」
「ひぇっ……し、心臓って……」
ミサキが俺にしがみついてくる。まあ無理もないし、俺もちょっと腰が引けているが――エリーティアは巨人兵の鎧の間に刃を入れてべりり、と引き剥がす。
そして見えたものは、巨人兵の胸に埋め込まれている丸い珠だった。
「……これが心臓ですか? 思ってたより生々しくないですね」
「金属の身体を生き物のように動かすために、魔法の力を用いていたのよ。これは動珠の一種ね」
「オーブ……なるほどな。こいつはやっぱり、ゴーレムみたいなものなのか」
「生き物の魂を宿しているということではなく、作られたもののようです」
『鷲頭の巨人兵』として、金属の身体を動かすために使われた『オーブ』。誰の手でそんなものが作られたのか――謎は多いが、討伐の証拠としてこれを持っていくことにしよう。
「……テレジア、その扉は開きそうか?」
「…………」
巨人兵が通るために作られたのかと思うほど、その石の扉は大きく、ぴったりと閉じられていて、容易には開きそうにない。
しかし、俺が手を伸ばしても届かないほどの高さに、小さなくぼみがある。閉じられた境目の左と右側にある――まさか、あれに指を入れて開けろというのか。
「お兄さん、あの穴って、さっき拾った宝石が入りませんか?」
「そうね、ちょうどはまりそうに見えるわね……でも、ジャンプしても届かないわ」
「私に任せて……んっ……」
「……エリーティア、魔力が切れてないか?」
どうやらソニックレイドを使おうとしたようだが、何も起こらず、エリーティアは顔を真っ赤にする。
「こ、これくらいなら、レベル8の私ならただの跳躍だけで……ええいっ!」
まるで垂直跳びの高さでも測るような容量で、エリーティアが思い切り飛ぶ。恐ろしいことに一メートル以上飛び上がっているのだが、それでもぎりぎり手が届かなかった。
「……あの穴に手が届かないからなんだって言うの? 私は負けてない。おかしいのはあの穴の高さよ」
「そうだな……まあ、パーティで来たのなら方法はある。垂直跳びより、俺の肩の上に立った方が高さは稼げるだろ。五十嵐さん、高いところは大丈夫ですか?」
「わ、私はだめよ。鎧を身に着けてるから重いし……い、いえ、私の体重が重いって言ってるわけじゃないのよ。あくまで鎧が重いのよ」
五十嵐さんの防具には軽量化の改造が施されているので、それほどでもないと思うのだが――それなら、比較的身軽なのはローグのテレジアか。
「よし、テレジア。俺が扉に手をつくから、なんとかよじ登って、あの穴に宝石を嵌めてみてくれ」
テレジアは蛇のマスクから見える口元に手を当てて、どうすべきかと迷っている様子だった――確かに、いきなり俺の肩の上に乗るのは難しいので、足場が必要だろう。
「じゃあ……組体操で足場を作りましょうか。私が一番下で、エリーティアさんも前衛だから土台になってちょうだい。それで、上にミサキちゃんが乗れば……」
「うわー、なんかちょー懐かしい感じなんですけど。スズちゃん、笛とか持ってる? ピッ、て鳴らしてくれたらみんなで前向くよ」
「ふふっ……ああもう、あんまり変なこと言うから笑っちゃった。危ないからもう私語はしないようにね」
「はーい。じゃあ、上に乗りますね……よいしょっと」
「魔力のポーションを持ってきてたら……次に見つけたら幾ら出しても買うわ」
五十嵐さんの笑いのツボが意外に緩いという発見をしつつ、二段ではあるが組体操のピラミッドをして足場を作る。エリーティアは少し不満そうだが、しっかりと床に手を突いて、五十嵐さんと共にミサキを支える。
テレジアはブーツを脱ぐと、そろそろとピラミッドを登り、俺の肩に乗る。思ったより荷重を感じず、頭上でカチッ、カチッと宝石をはめ込む音が聞こえた――そして。
「うぉぉっ……!」
「っ……!」
いきなり扉が左右に開き始め、俺はバランスを崩しそうになる――上にいたテレジアが落ちてきて、肩車の体勢に移行したが、何とか彼女を落とさずに済んだ。
「ふぅ……だ、大丈夫かテレジア。痛くなかったか?」
「…………」
どうやら大丈夫らしく、頷いた気配が伝わってくる。良かった……しかし、担ぎ上げた状態だと太ももの柔らかさがじかに伝わり、何ともいえない気分だ。
「す、すごいわね……後部くん、体操の経験でもあるの? 器用に肩車に移行したけど」
「それも感心はするけど、扉の向こうに少しは関心を向けた方がいい。見るからに、ただごとじゃないわ」
「……この奥に、誰かが……皆さん、気をつけてください。はっきりと言えませんが、不穏な気配を感じます」
テレジアを下ろしたあと、皆で扉の向こうを見る。薄暗い部屋の奥に短い階段があり、それを登ったところにスポットライトのように光が当たっていて、大きな箱のようなものが置いてある。
不穏な気配というのは、スズナの『霊能感知』によるものか、それとも勘か。いずれにせよ、無防備に進むよりは、何か安全策を講じたい。
「五十嵐さん、『囮人形』っていう技能を取りましたよね」
「え、ええ……そういえば。最初に使っておけば、巨人兵の攻撃を引きつけられていたわね」
「いえ、それでも気休め程度だったでしょう。今みたいな場合の方が役に立つかもしれません。罠があるかもしれないので、囮人形をここで使ってみませんか?」
「えー、あれだけ強い魔物を倒したのに、その後に罠とか普通仕掛けます? 私が迷宮を作る人だったら、するかもしれませんけど」
「絶対にない、っていうことは迷宮には通用しないと思うわ。後部くん、そういうことよね」
五十嵐さんはポーチから人形を取り出す。粘土で作られたそれを地面に置き、彼女は手をかざして呪文を唱えた。
「地より生まれし泥の人形よ。ひとたび我が魔力を宿し、立ち上がり、魔の目を引きつける尖兵となれ……くっ……」
「きゃっ……だ、大丈夫ですか、お姉さんっ!?」
呪文を唱え終えた途端にふらついた五十嵐さんを、ミサキとスズナが支える。ライセンスを見ると、五十嵐さんの魔力はゼロになりかけていた――囮人形で魔力を消費することを計算に入れていなかった、俺のミスだ。
「す、すみません五十嵐さん……魔力のことを考えに入れてなくて」
「いえ、休めば徐々に回復するみたいだから問題ないわ……でも消耗するとこういうこともあるのね。今後は気をつけないと」
戦闘中に魔力切れを起こしたりしたら、敵に狙われてしまったときひとたまりもない。くれぐれも注意しなければ――戦闘中に魔力が回復できる方法があればいいのだが。
泥の人形は五十嵐さんの魔力を注がれ、しばらくするとむくむくと大きくなり――なんと、五十嵐さんそっくりの姿になった。
「す、すごいですね……レベル2の技能でこんな……」
「簡単な命令だけしか実行できないけど、それを利用して囮に使うみたいね。『このまままっすぐ進んで』」
泥人形は命令に従って進んでいく――そして。薄暗くてよく見えなかったが、何かのスイッチをガチッ、と踏みしめてしまう。
「あっ……!」
五十嵐さんが声を上げる。泥人形が急速にしおれて、掻き消えるように姿を消したのだ。
ライセンスには『キョウカの囮人形が生命吸収の罠を踏んだ』と表示されている。囮人形で良かった、ここまで来て一撃死の罠に引っかかったりしたら泣くに泣けない。
「人形が五十嵐さんにそっくりだから、心臓に悪いですね……」
「そ、そうだけど……それくらい似てないと囮にならないし、慣れるしかないわね」
「ほんとに容赦ないですねー……あ、あれ? 今ので、何か奥にある箱みたいなのが光った気がするんですけど」
囮人形は、五十嵐さんの魔力によってわずかな生命力を与えられている。それを罠が吸いとり、箱のようなものが反応した――それは、どういうことなのか。
(……分からないことだらけで厳しいが、慎重に進むしかないか。脱出するための手がかりは、ここにあるはずだ)
隊列を組み直し、足元の罠に注意しながら進む。幸いにも他に罠はなく、階段を登ったところにある箱のところまで無事に来られた。
黒い大理石を削り出したような箱。その蓋にあたる部分の中央に、丸い穴がある。
「箱っていうか……こ、これって、かんおけじゃないですか? ほら、吸血鬼とかが入ってそうな」
「いえ……不浄な気配は感じません。敵意のようなものも、今のところは……」
「スズナちゃん、箱の中の気配まで分かるのね……後部くん、この穴はなんだと思う?」
「なんですかね……丸いものを入れるみたいですが」
「この迷宮を探索する中で、それらしいものは見つけなかった?」
エリーティアに聞かれ、俺は今までの探索を振り返る――そして。
「……ある……」
「えっ、あるんですか!? お兄ちゃん、どこで見つけたんです!?」
ジャガーノートの落とした黒箱から見つかった棒。先端が鍵のようになっているが、柄の側は丸くなっていたはずだ。
「こいつだ。ジャガーノートの落とした黒箱から出てきた……これの柄が、ちょうど穴に入りそうだ」
「みんな、何が出てくるかわからないから気をつけて。スズナの言うとおりなら、敵ではないけど……」
エリーティアに言われ、全員が頷く。テレジアに周囲の安全を確かめてもらったあと、俺は意を決して、箱の穴に棒を差し込んだ。
「っ……!」
棒を差した瞬間、差し込んだ穴を中心にして、左右に箱が開いていく――蓋の部分だけが、手を触れなくても自動的に開いているのだ。
中から溢れてきたのは眩い光。そしてドライアイスの封入された箱を開けたかのように冷気と共に白い煙が溢れ、階段を流れ落ちるようにして広がり、すぐに消えた。
「あ、後部くん……箱の中に、人が……」
「これは……」
箱の中は今も淡い光が溢れ、その中に一人の少女が横たわっている。
それこそ人形のように整った造形。胸の膨らみを長い水色の髪が覆っている――こんな色の髪は、迷宮国に来てから見たことがない。
(耳についてるこれは……アンテナ……ち、違うよな。町は中世くらいの文明レベルなのに、迷宮の底に、いきなり超文明的なものがあるとか……)
「あわわ、あわわわ……お、お兄ちゃん、この人、息してないです……っ」
「……それでも、生きている……魂はこの身体を離れてはいません。でも、目覚めさせていいんでしょうか……ここで静かに眠っていたのなら、何か理由があるはずです」
スズナの言うとおりだが、俺は箱を開けてしまった。そして、棒の先についている鍵が、おそらくこの子を起こすための、文字通り鍵となっている――そんな気がする。
「この部屋を調べてみれば、外に出る方法は見つかるかもしれない。だけど、さっきの罠のことを考えると、迂闊に調べ回れば危険が伴うわ。その子を起こすことができるなら、この部屋が何なのか、どうすれば外に出られるのか、聞き出せるかも……」
脱出できずに衰弱死するのを待っていたら、何のために巨人兵を倒したのか分からない。
目の前の手がかりに手を伸ばしてみたい。俺もそう思うのだが――この『鍵』を使うための鍵穴は、思いもよらぬ場所にあった。
「後部くん、見て……胸の間に……こんなところに穴が開いてるなんて、この子はやっぱり、普通の人間じゃないのね」
「ここに、その棒についてる鍵の部分を差し込む……ってことなんでしょうか」
「ジャガーノートを倒してここに来た人だけが、この四階層に来て、箱を開ける資格を与えられるんだとしたら。条件を揃えてここにたどり着いたのは、アリヒト……あなたの率いる、私たちが初めてだと思う」
誰も辿り着いたことのない未踏の場所に、俺たちは居る。誰もが最初に通るはずの、初級迷宮の隠し階層――灯台下暗しという言葉があるが、本当にその通りだ。
黒い箱から見つかった鍵。その鍵を使って開けることのできる箱。全てがつながっているのなら、手順を追うことさえできれば、誰でもここに辿り着く可能性はあった。
(だが、そうはならなかった。俺たちだけが条件を揃えて、ここに来られたんだ)
緊張はしているし、心臓は先ほどから高鳴り続けている。だが頭は妙に冷えていて、脱出の手がかりを、そして俺たちの今後を大きく変える情報を、この眠っている少女が持っているのだという確信がある。
「……鍵を使う。みんな、何が起こっても恨みっこなしだ。それでいいか?」
全員が頷く。俺は鍵を眠る少女の胸に差し込もうとするが、手が震えてうまく入らない。しかし、大きさや厚さなどはぴったりと合っていた。
「…………」
テレジアが俺の後ろで、肩に手を置く。それに倣って、他の四人も俺の身体に触れて落ち着かせようとしてくれる――全員が極限の緊張状態にあっても、それで俺は恐怖を忘れることができた。
「……行くぞ……!」
手の震えが止まり、鍵が少女の胸の穴にすっと入り込む。そして奥まで差し込んだところでカチリ、という手応えがあり――その身体が、わずかに震えた。
◆現在の状況◆
・アリヒトが『秘神の鍵』を『第117聖櫃』に使用 →解錠成功




