第三十四話 士気の用途
魔物の接近をテレジアに警戒してもらいつつ、俺は倒した魔物に近づいて確認する。まずは、ゲイズハウンドからだ。
「単眼の犬……凝視か。こんな目で睨まれたら、確かに動揺するな」
「眼力でこちらに悪い効果を与えてくる魔物はたくさんいるけど、一つ目の魔物はまず仕掛けてくると思っていいわ」
灰色の濡れたような毛をしたゲイズハウンド。そのまま箒か何かの素材に使えそうだ――床掃除をする道具を作るのにいいかもしれない。犬好きの人には、言語道断と怒られそうだが。
「私が犬派なのにためらいなく攻撃できたのは、こんな怖い顔をしてるから仕方がなかったのよ」
「わ、分かってます。魔物相手に情けをかけたら、こっちがやられますからね」
ファルマさんの飼っている犬を気に入っていた五十嵐さんだが、犬全般が好きらしい。こういう毛をした犬種もいるので、攻撃するには覚悟が必要だっただろう。
「歯並びいいですねー、全部針みたいにとがってますけど」
「噛みつかれたら、怪我ではすまないですね……」
「素材としてはどこが使えるんだろうな」
「毛が水分を含んでいるから、炎を防ぐ効果がありそうね。あとは、一部の探索者が装備する『モップ』とか……」
「お掃除屋さんっていう職もあるんですかー? 異世界って何でもありですねー」
ギャンブラーの彼女が言うのもなんだが、確かにあえて『掃除屋』なんて職を選ぶ人はそういなさそうだ。殺し屋みたいなニュアンスで書こうとしたら、本当に掃除職人になってしまうとか――さすがにないか。
しかしこの大きさだと、素材が持ち帰れない。考えていると、エリ-ティアが助け舟を出してくれる。
「倉庫を借りたのなら、これくらいの魔物なら送っておけばいいんじゃない?」
「送る? そんなことできるのか」
「倉庫を借りるとき、鍵を貰ったでしょう。あれを使えば倒した魔物も含めて、非生物なら転送可能なものは全部倉庫に送れるわ。一度の探索で転送できる回数は十回までだけど」
倉庫の容量もさほど大きくないし、十回送れるなら十分だ。あまり魔物が山積みになっている倉庫も入りにくいので、いくら収穫とはいえ無造作に放り込みづらい。
「やっぱり解体屋が仲間にいると助かるな。技能で解体できるようになったりは……」
「『剥ぎ取りナイフ』とか『肉切り包丁』っていうのがあるけど、専門の職人の『解体』という技能にはかなわないわ」
「これはスカウトしなきゃですね。お兄さん、心当たりとかありません? 解体屋さんを私が一発で勧誘してみせますよー」
心当たりといえばライカートン氏と、その娘のメリッサが思い浮かぶ。しかしあのメリッサの解体直後の姿を見ると、血に反応するエリーティアが少し心配だ。
「とりあえずゲイズハウンドは倉庫に送って……おお、できた」
「こっちの服を狙ってくるバケモノは……これってカメレオンじゃない?」
五十嵐さんはプレーンイーターを見て、想像通りの感想を口にする。口を開けたままで動かなくなったその姿――小さい子供なら飲み込んでしまいそうなほど大きく、腕の外側に刃のような外骨格がある。これで攻撃されなくて本当に良かった。
「舌が長い……何メートルあるんだ、これ。何か布を巻き取ってるみたいですけど……」
「っ……こ、この舌で私の服を……このベロ、切っちゃってもいい?」
五十嵐さんの『シルク・クロース』を、プレーンイーターの舌は見事に巻き取っている。『ブレイクタン』のタンは、舌ということだろう。
「舌は素材や食用に使われるらしいけど、一番価値があるのは皮ね。テレジアの穿いているブーツもそうだけど、使用者の魔力に反応して透明化するの」
試しにテレジアにやってみてもらうと、足だけ透明になる。つまりカメレオンスーツを作らないと、全身透明化はできないということだ。
「これって、マントを作れば全身透明化できないか? 奇襲の役に立ちそうなんだが」
「テレジアさんはとかげの装備が必要だから仕方ないけど、後部くんはだめよ。そんな装備をしたら、やましい気持ちになるに違いないわ」
「このカメレオンさんも、何か理由があって服を破いている……ということはないでしょうか?」
「魔物は本能に基いて行動するだけだから。防具を破壊すれば有利になるし……あっ。アリヒト、あとでプレーンイーターのお腹の中を調べたほうがいいわ。こういう魔物は、消化できないものを体内に溜めてる場合があるから」
「お、おう……解体屋の人に頼んでもいいか。決して怖いわけじゃないけどな」
魚を捌いたことはあっても、カメレオンはさすがに経験がない。ふと思ったが、ゲイズハウンドは心情として可能性ごと排除するとして、カメレオンは食用としてどうなのだろう。
「あ、そういえば……一部の魔物の舌は珍味として珍重されてるっていう話を、最初に入ったパーティの人たちがですねー」
「い、いいわ、言わなくても。今までも何のお肉かわからないものを食べてきたけど、知らない方が幸せになれることだって……」
「長い迷宮だと、料理人を探索者に加えて、魔物の肉で飢えをしのぐことも必要になってくるわよ。食料の喪失は、探索を断念する理由でも上位に入ってくるくらいだから」
五十嵐さんは自分の装備を狙ってきたカメレオンを憎々しそうに見ていたが、食べるの食べないのという話題になると腰が引けているようだった。
テレジアはポーチに入れて運んでいるジャーキーが主食だと言わんばかりに、大事そうに手を添えている。
「……あ、あの。私から言うのもおこがましいですが、長い迷宮は途中で外に出たりしながら、少しずつ攻略しませんか」
「そうだな、可能な限りはそうしたい。スズナは魔物肉はまったくダメか?」
「日頃から、お肉があまり食卓に出なかったので……お魚やお豆腐が、お肉の代わりでした」
「そうすると、こっちの食事では苦労しそうね。魚も豆腐も、今のところは見てないし」
「オトウフなら、転生者の料理人が伝来させたから、上の区に行けば出すお店はあるわよ。スシ、テンプラもあるしね。全て魔物が食材っていうわけでもないし」
何かわからない肉は、つまり魔物の肉だったわけだが――まあ確かに、正体を知らなければ味は牛とか豚に似ていたりして、腹に入れてしまえば気にならない。
「うちは両親と海外に行った時、いろいろチャレンジしましたから大丈夫ですよー。カエルとか普通に食べれます」
「か、かえる……確かに食べられるっていうけど、あえて食べたくはないわね」
五十嵐さんに俺も同意だが、必要に迫られたときのためにも、町の食堂のメニューと向き合い、何の肉かをチェックした方がよさそうだ。魔物肉以外があれば、優先してそちらを選んでしまいそうだが。
「お豆腐、あるんですね……お寿司や天麩羅も。こちらに伝えてくれた料理人の方に感謝しないと」
「俺も楽しみになってきたよ。日本人はどうしても、醤油の味を忘れられないらしい」
豆腐があるとなれば大豆的なものもある。微妙な違いはあるかもしれないが、一度は自分で味を確かめてみたい。
「後部くんは和食が好きなの? それならお醤油は必須ね……何とか調達しないと」
「ショウユは製造量がごくわずかで、ポーション並みに高いから、和食の店に行ったら調味料だけで金貨を払うことになるわよ」
それでも一度は足を運んでみたい。序列を上げる理由がまた一つ増えた――五十嵐さんもやる気を出してくれているので、美味しい物を食べるためにも探索に精を出すとしよう。
◆◇◆
それからゲイズハウンドと何度か戦闘したが、気をつけなければならない場面に遭遇した。敵が四体のとき、二体は五十嵐さんとテレジアが止めたが、横に回り込んで二体が左右から走り抜けてきたのだ。
「アリヒト、一体は私が……!」
「よし……俺たちはもう一体だ!」
「「はいっ!」」
エリーティアの速度があれば、前衛を抜かれた後に即座に動き、一体を阻止するのはさほど難しくはなかった。
(もう一体が、俺たちの攻撃で落ちない可能性がある……あれを取得するしかないか)
攻撃する前に、俺はライセンスに指を滑らせ、技能の取得画面を呼び出す。そして選んだのは『バックスタンド』だった。
「――ギォォォッ!」
◆現在の状況◆
・アリヒトの攻撃が『ゲイズハウンドD』に命中
・スズナの攻撃が『ゲイズハウンドD』に命中 支援ダメージ11
・ミサキの攻撃が『ゲイズハウンドD』に命中 支援ダメージ11
やはり三発では落ちない。二撃目を入れる前に反撃が来る――俺は斜め前にいたスズナ、ミサキよりも前に出ながら言った。
「二人共、横に避けろ!」
「えっ……!?」
「アリヒトさんっ……!?」
ゲイズハウンドが地面を蹴り、俺に飛びかかる――牙だらけの口ががぱ、と開く。だがその瞬間に、俺はゲイズハウンドの裏に回ることをイメージした。
◆現在の状況◆
・アリヒトが『バックスタンド』を発動 →対象『ゲイズハウンドD』
・アリヒトが『ゲイズハウンドD』の後方に移動
ガチン、と俺の『前方で』ゲイズハウンドが牙を鳴らす。俺はゲイズハウンドの裏に回り、奴の攻撃を回避することに成功した――そして。
(背中ががら空きだ……これなら……!)
◆現在の状況◆
・アリヒトの攻撃が『ゲイズハウンド』に命中 死角攻撃
・『ゲイズハウンド』を一体討伐
着陸し、一瞬混乱したゲイズハウンドを逃さずに、黒檀のスリングで撃ち抜く。いつもと手応えが違い、与えた打撃が大きかったように感じる。
「い、今……お兄ちゃん、一瞬消えませんでした?」
「確かに、魔物の攻撃が当たりそうになったのに……アリヒトさんが、ふっと消えて……」
「今は危なかったから、奥の手を使った。連発はできないけどな……」
『バックスタンド』を一度使っただけで、魔力のバーが三分の一減っている。効果を考えればそれくらい減るのは当たり前だが、消耗を抑える方法は欲しいところだ。
(盾役の裏に移動するために使うとか、色々と使えるな……今みたいな使い方ができるとは思ってなかったが、裏取りが簡単にできるのは大きいな)
『味方のみを対象とする』という表記がないので融通が利くと考えたが、その通りで良かった。スズナ、ミサキに『支援防御1』をかけて受けてもらうという手もあったのだが、後衛の二人に受けてもらうのはリスクがある。
「アリヒトさん、ありがとうございます……でも、今のは無茶です。私もこのケープで少し防御力が上がっているので、いざとなったら盾になります」
「ああ……すまない。今はちょっと動揺したな。隊列を崩される可能性は考えてたが、予想以上に対応が難しい」
「後部くん、ごめんなさい……簡単に敵を抜かせちゃって」
「…………」
「二人で二体も倒してくれたんだから、謝ることないですよ。俺も新しい技能を試せたので、収穫はありました」
前衛を抜かせないようにする技能があれば、もっと安定するのだが。今のところは、エリーティアに前衛の後ろに入ってもらい、保険の役割を果たしてもらうしかない。
「それより、五十嵐さんたちは大丈夫でしたか? 『凝視』は食らいませんでしたか」
「いえ、やっぱり一度やられたんだけど、すぐに動けたわ」
「…………」
五十嵐さんも、テレジアもそうらしい。『士気』は軽い状態異常を治すためにも使えるらしく、俺が『支援高揚』で上げた士気が、スタンを一回解くごとに20ポイント減っている。
そして、士気を消費していないスズナとミサキだけ、気がつくと『士気+100』になっていた。どうやら、100で限界のようだ。
「スズナ、さっきみんなの身体が光ってるって言ってたけど、今はどう見える?」
「そうですね……あっ……私と、ミサキちゃんの輝きが強くなっています」
「そうか。やる気に満ち溢れてるとか、そういうことは?」
「とりあえず元気ではありますけど……あれ? アリヒトお兄ちゃん、これなんだと思います?」
ミサキがライセンスを取り出して見せてくる。そこには、『士気解放可能』と表示されていた。どの画面に変えても、画面の右上あたりにずっと表示されている。
「士気解放……ちょ、ちょっとかっこよさげじゃないですか? やってみていいです?」
「いや、少し待ってくれ。エリーティア、『士気解放』って何か分かるか?」
「えっ……そんな表示が出ているの? 『チアリーダー』とか、そういう職を編成していないと滅多に出ないはずなのに……」
エリーティアは表示を確認する。そして、ミサキとスズナを見て言った。
「『士気解放』は、その職に固有の強力な技能を発動するものよ。アリヒトの技能で溜まったのかしら……信頼度が高いと、上がりやすくなるっていうけど。それにしても、この戦闘回数で限界まで士気が溜まるなんて」
『支援高揚1』がいかに使えるかというのは、俺自身よく理解している。溜めた士気にはいくつかの用途があり、『士気解放』はその一つのようだ。
「何事も試してみないとわからないし、誰もいない方向に向かってやってみたら?」
「キョウカお姉さん、いいこと言いますね。何事もやってから後悔しろって、おじいちゃんも言ってました」
「アリヒトさん、私もやってみてもいいですか? それとも、温存した方がいいんでしょうか」
「効果が分かってからなら、切り札として残しておくべきだけどな。戦闘用かどうかもわからないし、一回見せてもらっていいか」
スズナとミサキは頷き、誰もいない方向を向く――そして。
「士気解放、『フォーチュンロール』!」
「士気解放、『月読』!」
ふたつの『士気解放』が、別々の効果を現す。そうとばかり考えていた俺は、ライセンスの表示を見て目を見開いた。
◆現在の状況◆
・ミサキが『フォーチュンロール』を発動 →次の行動が確実に成功
・スズナが『月読』を発動 → 成功
(っ……これは、連携したのか……!?)
「スズちゃん、どうしたの!? ねえ、スズちゃんっ!」
「お、おい……どうした、スズナッ!」
スズナの身体が青白い光に包まれる。彼女の前に回り込むと、その瞳には、月のような紋様が浮かび上がっていた。
彼女は俺の腕に触れる。離れるように言われているのだとわかり、俺は後ずさる――すると。
スズナの指し示す方角――ずっと進んだ先に、彼女を包んだものと同じ色の、青白い光の柱が立ち上る。それはしばらくすると、何事もなかったように消えてしまった。
「っ……」
スズナは糸が切れたように、その場に倒れそうになる。慌てて支えると、彼女は俺の顔を見る――ゾクリとするほど温度のない瞳に、思わず息を飲む。
しかし、スズナの目にはすぐ光が戻ってくる。彼女は俺に支えられていると分かると、少し頬を赤くして言った。
「す、すみません……私、どうしたんでしょう……頭がぼーっとして……」
「よ、良かったぁ……スズちゃん、私のせいでどうにかなっちゃったんだったら、どうしようって……」
ミサキがその場にへたり込む。『フォーチュンロール』の効果のおかげでスズナの『月読』が成功したのだとしたら、元は成功率が低いのだろうか。効果も何も、一度見ただけでは全てを理解することはできない。
「これが、スズナの士気解放……あの青い光の場所に、きっと何かが……」
「後部くん、どうする?」
「行って、確かめてみましょう。こうなるとは思ってませんでしたが、探索は毎回予想がつかないものだし……何よりも、凄く気になります」
「私も、気になります……あ、あの、アリヒトさん。ありがとうございます、もう自分で立てそうです」
スズナはそっと俺から離れて、乱れた髪を整える。一瞬だけ脱力していただけのようで、体力などが減っている様子はない。ただ、ミサキとスズナの二人とも、士気はゼロになっていた。
「…………」
「テレジア、場所を覚えてくれてるのか? それは助かるな」
テレジアは俺たちを先導してくれる。しかしたどり着いた場所には何もなく、ただの草むらに見えた。
「…………」
「いや、何もないと決めるには早い。地表に何もないなら……掘ってみるか」
「槍で掘るのもどうかと思うけど……一番適してる道具は、これしかないわね」
五十嵐さんがクロススピアを地面に突き立てる。赤いスカーフで繕われた胸が、掘るごとに大きく弾んでいる――痛くないのか、と心配してしまうほどだ。テレジアもその横で、ショートソードで地面を削り始める。
「後部くん、少し掘ったら交代ね……んっ……何か硬いところに当たったわ」
「待ってください、土をどけてみます。これは……」
五十嵐さんに掘るのを中断してもらい、黒土を払い除けていくと、石の板のようなものが出てきた。地中に何か埋まっているようだ。
「……何か、埋まってるみたいだ」
「それも、かなり大きいみたいね。みんなで掘ってみましょう」
「わぁい、おったからー! やろうども、掘れ掘れー!」
「手が痛くなるから、木の枝でも取ってきたら? 私が槍で落としてあげるから」
高枝切りバサミのごとく使われるクロススピア。鋤代わりにもなって万能だ――と感心してないで、俺も今度から採掘道具を持ってくることにしよう。




